17話/楽しい音楽の時間を
さて、宴とはいえ、翌朝の早い農村である。日暮れの頃から始まり、1時間ほどが過ぎると、もうぱらぱらと人が帰り始めていた。特に子どもたちは腹が満ちるや否や母親に連れられて帰宅していく。
エリィにも、エドワルドが迎えにやって来た。
少女の父は、娘が迷子事件以来勇人にべったりなのをあまりよく思っていなかった。朝も早くに教会に行ってしまうし、午後の仕事中もたまにいなくなっているときがある。その分頑張って働いているため仕事量は落ちていないが……。
エリィが命の恩人とも言える勇人になつくのは仕方がないし、妻によるとあの年頃の女の子は年上のお兄さんに憧れるものだというし、それにエドワルド自身も勇人のことは非常に気に入っている。特に、エリィを連れ帰って来てくれた件に関しては、一生感謝し続けても足りないと思っている。
だから、仮に、エリィがあと数年して成人したときに、もしも、いや万が一の話だが、当人たちが望むなら、エリィを嫁にやってもいいとすら思っている。大いに真面目な話である。しかし、このことを妻に話したら気が早すぎると笑い飛ばされた。
まあ、それくらいエドワルドは勇人に好感情を抱いているということだ。
しかしである。それとこれとは全く別の問題なのだ。
小さい頃、いつもエドワルドの後をついてまわっていたエリィ、知らない人がいると必ず父の後ろに隠れた人見知りのエリィ、「おとうしゃんのお嫁さんになるの」と言って憚らなかったエリィ。そんな可愛い娘が、他の男に取られてしまっているこの状況が面白いわけがなかった。
「エリィ、帰るよ」
「お父さん!……もう、帰らなきゃなの?まだいちゃだめ?」
どんなに可愛い娘の頼みといえど、もうそろそろ子どもがいるべきでない酒飲みの時間になるし、なにより勇人の隣にいつまでも座らせておくのは許せなかった。もう一度帰ると告げると、非常に珍しいことに、エリィはあからさまにむくれていた。
「だめだよ、エリィ。夜更かしすると美人になれないぞ」
「せんせえ……、じゃあ、帰る」
父が言っても聞かなかったというのに、勇人の言うことは聞くエリィを見て、エドワルドは少し不機嫌になった。完全に、父より勇人の方が上ではないか。
いや、しかし、ここはエリィを宥めてくれた勇人に感謝すべきだ。そう理性を働かせて、勇人にありがとうの意を込めて目配せした。それに気づいた勇人が目礼を返す。
娘の意中の男の、年の割に妙に物わかりがよくてそつのないところがなんだか気に食わなかった。
エリィとエドワルドが帰った後、未だ燃え盛る巨大なキャンプファイヤー付近の賑わいにギターと酒瓶を抱えた勇人が参戦したのは言うまでもない。その日は、勇人にとっての異世界でのデビューステージにしてオンステージが村の男たちと共に繰り広げられた。
* * * * *
「さあ、楽しい音楽の時間だ!」
翌朝の礼拝後、授業のために礼拝堂に残った子どもたちの前で、勇人は高らかに宣言した。生徒たちは、一様にぽかんとしている。
前日、エリィの話を聞き、みんなで歌った。そのとき気づいたのだ。少年少女合唱団といえば、某少年合唱団のように、天使の声と呼ばれる清らかな歌声を目指すべきだと、そして聖歌隊大会でいい結果を残すために一厘の隙もない完璧なハーモニーを奏でるべきだという固定概念が勇人の中にあったことを。その結果、子どもたちに完成度を求める余り、音楽が最も重んじるべき「楽しさ」をないがしろにしてしまっていたことを。
「前まで俺はみんな技術的なことばかりを求めていた。その結果、お前たちは質の高い発声や多くのテクニックを身に付けてくれた。大変なこともたくさんあっただろうに、ついてきてくれて本当にありがとう」
深く頭を下げ、可愛い生徒である子どもたちの顔を見回す。
「正直に答えてほしい。今まで、授業の歌が楽しくなかった奴がいたら手を挙げてくれ」
その問いに対して、子どもたちは隣同士で顔を見合わせ、また、自身に問いかけるように思案顔になった。数十秒が経って、おそるおそるといった風に、数人が手を挙げた。その中にはエリィも含まれていた。
「手を挙げてくれてありがとう。もう下ろしてくれて大丈夫だ。……俺は今までお前らの気持ちに気づくことができなかった。すまなかった」
勇人の突然の謝罪によって、礼拝堂の中に困惑が広がっていく。
「俺はみんなに、音楽の楽しさを知ってもらうために、教えていたつもりだった。だけど、実際はそうじゃなかったことがわかったんだ。お前たちに歌うことを押し付けてしまった。……だから」
そこで一度言葉を切り、一人ひとりの顔を順番に見つめる。それぞれが違った輝きを秘めた、大切な勇人の子どもたちだ。
「今日からは、みんなができたら少しでも音楽を好きになってくれるように頑張ろうと思う。俺は、俺の大好きな、大切なものを、みんなにも好きになってほしいだけなんだ」
勇人は、傍らの椅子に置いてあったギターを手に取り、静かに鳴らし始めた。一昨日まではオルガンで伴奏していた、あの曲だった。
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