16話/それでも俺はやってない
「ただいま戻りました」
子どもたちは皆、昼までという条件で親から送り出されてきていた。結局、勇人は、午前中いっぱい子どもたちと歌い、遊んだのだった。考えてみれば授業でこそ顔を合わせるものの、一緒に遊んだのは初めてだ。朝の沈んだ空気はどこへやら、有り余る元気に振り回されて少し疲れてしまった。その代わり、勇人の鬱々とした気分もまた、いつの間にかどこかへ去っていた。我ながら単純だと思う。それとも偉大なる無邪気さの力だろうか。
なんにせよもう腹の虫が昼の時刻を告げている。こちらへ来てからというもの、勇人の腹時計はなかなかに正確だ。
「……アスク?」
僧房の玄関扉をくぐり、中にいるはずのアスクに帰還を知らせる声を掛けたが、返事がない。礼拝堂にでも行ったのかと思い、居間兼食堂兼アスクの執務室となっているリビング(キッチン付き)のドアを開けた。そこには。
「なんじゃあこりゃあああああああ!?」
それなりに片付けられていた朝の様子はどこへやら、10畳ほどのリビングの中には木箱や籠が所狭しと置かれ、場合によっては積み上げられていた。よくよく見ると野菜や干し肉などの食料ばかりだ。向こうの方にはよくわからないが大きめの動物、おそらく鹿かなにかの足すら見える。
(一体どういうことだってばよ……)
「ああ、ユート、お帰りなさい」
「あ、ただいま……ってそうじゃなくてななななんなんですかこれは!?」
リビングのドアに手を掛けたまま、まさに開いた口が塞がらない状態で立ち尽くしていた勇人の後ろから、ひょっこりアスクが顔を出した。
「いやあー、それがあの後村のみなさんがぽつぽつとこちらにお見えになられまして、その度にお土産を無理やり置いていくんですよ。キッチンに後でしまおうと思っていたのですが、まさかこんなことになるなんて思いもしませんでした」
言葉の割に、アスクは愉快そうにしている。彼は基本的にどんなことでも笑いのネタにしてしまう。これは最近わかってきたアスクの習性だ。信者の前ではかなり頑張ってポーカーフェイスを繕っているようだが。
あとは、これからしばらく食費がかなり浮く、とかそういうことももしかしたら考えているかもしれない。聖職者の割に彼はその辺抜け目ない。家計簿と大差ないように見える帳簿をつけているアスクに、「ナマグサじゃないんですかそれ」と茶化して尋ねたら、「教会も一種の商売です」と色々スレスレな答えが返ってきた。ついでに「経費削減を上から言いつかっています」とも。チェーンの飲食店みたいだ。
「野戦基地の食糧庫にでもなったのかと思いましたよ」
「みなさん「これでも食べて元気出して」といって置いていかれるもので、なんだか無下に断るわけにもいかなくてつい」
先日解散した“迷子のエリィ捜索隊”はどうも、オルガン消失事件を経て“教会の2人を励まし隊”に鞍替えして復活したらしい。この村の人たちはいやに団結力が強い、というか隙あらば団結しようとする。人と人との繋がりが希薄になりつつある東京で暮らしていた勇人にとっては新鮮に、いや、違った。……昔飛び出してきた田舎のようで懐かしく思える。
「しっかしこんなにどうすんべ。とりあえず、ナマモノは今日明日で食べるものを選別して、あとは保存が利くように処理して……」
リビングにできた食糧の山、平然とそこにある鹿の足、締めたばかりで羽のむしられた鶏、というシュールな光景に、ついにアスクはクスクス笑い出した。それを尻目に、勇人は山積みの食材をどうするか、順序を立て始めた。腐らせたら元も子もない。……そこである考えを思いついた。
「アスク、ちょっとちょっと」
* * * * *
「オルガンは死んだ!もういない!」
どこかで聞いたようなセリフを叫び、ピックを持った右手を高く掲げる。どちらかというとどんど焼きに近い雰囲気のキャンプファイヤーをバックにしていると、なんだか気分も高揚してくる。
「だけど俺たちの声に、この歌に一つになって生き続ける!…………聞いてください。つづくせ「ユート兄はやく食べたいよー!」
「む。そうだな」
気持ち良く口上を述べていたところではあるが、待ち構えている村人たち、特に子どもたちの顔を見て、即座に引っ込むことにした。この辺り日本で29年生きてきた空気を読むスキルが以下略。
「みなさん、私どものためにお気遣いをありがとうございました。悲しみはありますが、それを上回る優しさに感無量です。この気持ちをぜひみなさんと分かち合いたく思い、今晩はこのような会を設けさせていただきました。差し入れをくださったみなさん、お手伝いいただきました奥様方には感謝の念が尽きません。これからもリダ村の皆で手を取り合い、暮らしていきましょう」
アスクの挨拶が終わると、各々が酒や茶、ジュースを手に取り、杯を合わせた。
勇人が思いついた案とは、どうせ2人で食べきれないならみんなで食べればいいじゃない。ということだった。簡単に言えば、振舞っちゃおうぜ、腐らせる前に、である。
リダ村の村民たちは団結と同じくらい宴が好きらしく、昼に各戸を回って打診をしたら即参加の返答があった。そして勇人とアスクは、手がすいているおばちゃんたちの協力の下でなんとか準備を完成させた。まあ、準備といっても、勇人とアスクがやったのは、差し入れられた肉や野菜を食べやすい大きさに切ったり千切ったりして、そのままかもしくは火で炙れば食べられる状態にするだけだが。何しろ量が量なので午後いっぱいかかってしまった。
ちなみにここに並んでいるバーベキュー以外の料理はおばちゃんたちが持ち寄ってくれたものだ。残り物だと言っていたが…、あえて聞くまい。そして宴には欠かせない酒については、教会本部やら他支部やらのアスクの知人から贈答品として節目節目に送られてきたものが倉庫に入れられっぱなしになっていたのでそれを放出した。アスクは酒をほとんど飲まないのだ。だいぶ古いのもあるが、……まあ、大丈夫だろう。試しに味を見て無理そうなものは除いてあるし。
「ふふふ、これぞ役得……」
乾杯後、火の周りにややばらけて腰を下ろし、思い思いに飲み食いしている村人たちを見ながら、やや外れの方に陣取った勇人は酒を飲み、少し炙った燻製肉をつまみ、また酒を飲み、スパイシーなソースを掛けた焼き野菜をつまみ、酒を飲み……という、アルコールとカロリーを摂取し続ける半永久機関と化していた。酒は、毒見役の特権を濫用して、一番美味しいものを手元に確保してある。完璧だ。
なぜかこの世界に来てから劇的に胃の容量が増え、酒にも強くなった勇人は、酔う気配もなく酒とつまみを堪能していた。そこそこ満足したら宴らしく音楽係になるつもりだ。
「そろそろ鹿肉とかいってみっかな。芋もうまそうだけど……。」
「せんせー!ごはんもらってきたから一緒に食べましょー!」
体に似合わぬサイズの大皿に食べ物をいっぱいに盛ったエリィが近づいて来る。その中には狙っていた鹿肉と芋も入っていた。しかしそんなに大量に持ってきて、食べられるのだろうかと多少心配になるが……勇人の隣に腰を下ろしてもっきゅもっきゅと驚きの食いっぷりを見せ付けてくる少女を見て、心の中で見くびっていたことに対する非礼を詫びた。
「エリィハヨクタベルナア」
驚きの余り棒読みになってしまったがエリィは気にしていないようだ。しかしこの様子じゃ教会の昼食なんて全く足りていないのではないかと不安になる。
「ううん、エリィおべんと持ってるからだいじょぶなのです」
このくらいの。と手で大体の大きさを示してくれたが、やはり驚愕のサイズだ。目測だが30センチ四方はあった。お前の弁当、ずいぶんでっかいのな。とかそんなレベルじゃない。
「ソ、ソウナンダー」
「あっ、もしかしてせんせーはいっぱい食べる女の子きらい、です……?」
途端にエリィがしゅんとなる。こちらの世界でも大食いの女の子というのはあまり歓迎されないのだろうか、と素朴な疑問が頭をよぎる。いやしかし、勇人は日本にいたころからよく食べる女性が好きだった。何も問題はない。
そういえばミズキもよく食べる女だった。バンドメンバーみんなで“給料日前を乗り切るカレー会”を開催したときの惨状が思い出される。最後の頃には、空いた皿を差し出しながら発せられる彼女の「ん」が恐ろしかった。今となっては懐かしいけれど。
「まさか。おれはいっぱい食べる子の方が好きだな」
「ほ、ほんとですか?」
ほんとほんと、と軽くエリィに告げ、彼女のほうをちらりと見ると、少女は、顔をトマトのように真っ赤にして、あわあわ言い出しそうなくらい目を泳がせていた。その様子を確認した勇人は、エリィとは真逆に、石のように固まった。
(あっ……。これ、問題、あったかも)
本日二度目の「事案」、「条例」、「犯罪」が脳内でライトアップされた気がした。
お読みいただき、ありがとうございます。
間違いなく事案です。ほんとうにありがとうございました。