14話/ムラサキ
※音楽について乱暴な解釈が入ります。不快に思われる方がいらっしゃるかもしれません。ご注意ください。
「えっ、それ、オルガン……?」
「……おはようございます。今日も早いですね」
エリィだった。彼女はこのところ朝の礼拝に一番乗りでやって来る。以前より少し早起きして仕事を手伝うようになったのだとなぜか複雑な顔をしながらエドワルドが言っていた。
その毎朝笑顔でやって来る彼女が、アスクの拾い集めている木片を見て、絶句する。
昨日まで、毎日勇人がエリィたちの目の前で弾いていたのだ。コミンズに直してもらって以来、音の出がいいのだと嬉しそうに話していた。みんなが帰った後の午後の時間に、滑らかに演奏する練習を重ねている姿もこっそりと見ていた。
それが。
壊れた錠を回収し、珍しく怖い顔をして礼拝堂の中に戻ってきた勇人が、一言も口を利かずに拾い集めている木片と同じものだとは信じたくなかった。
エリィも2人の方に近寄り、しゃがみこんで木片を手に取る。軽くて白っぽい木でできた細い角材。透明な塗装で艶を与えられたそれには、インクで印がつけられていた。子どもたちがオルガンの弾き方を教えてくれるようせがんだとき、目印にと勇人とアスクが相談してつけてくれたものだ。
「ド……」
細々としたエリィでも抱えられるものを拾い集め、アスクの後について行く。オルガンだった木片たちは、ひとまず礼拝堂裏の小屋に片付けられるらしい。
「ありがとうございます。エリィ」
アスクの微笑みはいつもと違って、なんだか悲しげだ。寂しそうにも見える。エリィの後に入ってきた勇人は、小屋の奥に木材をそっと置いて、振り返った。
「せんせえ……」
勇人は何も言わずにエリィの金髪をぐしゃぐしゃにした。
* * * * *
リダ村は小さい村だ。教会からオルガンが消えたらしい、という噂は一瞬とも思える短い間に広まった。盗まれただの、燃やされただの、出所が不明な尾ひれはついていたが。
そして同時に、昨夜礼拝堂に灯りがついているのを見たとか、夜中に村を出て行った奴がいたとか、何かを壊すような音を聞いたとかいう証言が上がって来た。そしてそいつが犯人に違いないと村中が騒ぎになりつつあった。
村人たちは、日頃から神父としての職務以上に尽くしてくれるアスクに感謝と尊敬の気持ちを抱いていたし、半年と少しの付き合いとはいえ、いつもニコニコしながら仕事の手伝いを買って出てくれる勇人を気に入っていた。更に先日のエリィ捜索の件とその後のコミカルな筋肉痛姿で一躍人気者である。そんな2人を困らせ、悲しませるような輩はすぐに探し出して袋叩きにしてくれよう、と息巻く村民たちを諌めるのにアスクは苦心していた。
「みなさんのそのお気持ちだけで、私どもはもう、救われた思いでいっぱいです」
言葉を尽くして宥め賺し、やっとの思いでそう言ったとき、ついに村民たちは仕事に戻っていった。僧房のリビングでやれやれと溜息をつくアスクに、勇人はカップに入った茶を差し出す。少しぬるくなっていた。
斜め向かいの椅子に座り、何か思いつめたような顔をした勇人もまた、先ほどまで子どもたちに囲まれていた。聖歌隊大会に向けて、一番オルガンに接していたのが子どもたちだった。勇人はショックを受ける子どもたちに謝り、ずっと慰めていた。子ども聖歌隊とオルガンの音色は、知らない間にハーモニー以上の絆で結ばれていたらしい。
「……しかし、オルガンを破壊とはまた不思議なことを」
アスクが椅子に腰掛けながら呟いた。今までの情報では、賊は鍵を壊して礼拝堂に忍び込み、深夜に去って行ったという。嫌がらせにしては手が込んでいるし、その手間に見合うほどの効果があるようにも思えない。……いや、子どもたちには覿面の効果があったが。
深夜に村を出たという目撃が本当ならば、危険な夜道を出歩くことができる人物ということである。とすると、つい先達てに勇人たちが夜の森で狼に追われたときのことを思い出しても、なかなかの手練に違いない。
そんな人間、もしくはそいつを使っている誰かが何らかの目的でオルガンを破壊した。
正直意味がわからない。謎は深まるばかりである。
「ちょっと出てきます」
「……わかりました」
今朝からほとんど口を利いていなかった勇人が席を辞し、退室して行った。音から察するに、隣にある勇人の自室でなにかゴソゴソとして、出て行ったようだ。
* * * * *
今日はオルガンの件で混乱があったこともあり、子どもたちの授業は休みのような雰囲気になったまま、解散した。勇人にはいつもより早くから自由時間が与えられたことになる。普段はアスクや村人の手伝いをして過ごすが、今日は、ギターをケースごと引っつかみ、村外れの少し小高くなっている丘というには少々名前負けな場所に来た。何度かここで昼寝をしてみたことがある。そのときなかなかに気持ちがよく、勇人のお気に入りの場所になった。
青く茂り始めた草たちの上に腰を下ろし、ケースを開ける。
壊されたオルガンを見たとき、呆然とした。先日旅立っていったコミンズ翁が汗水を垂らしながら仕上げた大切な作品だったのだ。作業を傍で見ていた勇人には、なぜそれがあんな姿にならなければいけないのか、全く理解できなかった。しばらくしてふつふつと怒りが湧いてきた。なぜこんなことができたのか。楽器に詰まった人の想いがわからないのか。下手人は同じ人間じゃないとすら思った。
そして次に、ふと、思ってしまったのだ。
(俺のじゃなくて良かった)
急いでその場にいたアスクとエリィの顔を盗み見た。2人とも悲しみをありありと表情に表していた。それを見て、自分は最低だと認識した。認識してしまった。その瞬間、犯人への怒りに自己嫌悪が勝った。
(俺は最低だ)
勇人がもう少し若くて短絡的だった頃なら、この場でギターを叩き折ったかもしれない。しかしそれはできなかった。今の勇人は、これを勇人に買い与えてくれた祖母の想い、畑違いと言いながらも最善を尽くして修理してくれたコミンズの想い、そして、そんなことをしたところで何も変わらないことを知っている。それが更に嫌悪感を加速させた。
いっそ衝動だけで動くことができる人間だったならば、こんな風にうじうじすることもないのかもしれない。
勇人はギターを手に取った。地面に叩きつけるためではない。
今はギターを弾き、歌うことしかできなかった。歌うことよりも、話すことや書くことの方で自分を表現できるのならば、そいつは歌で飯を食わない方がいい。もっとマシな生き方ができるだろう。
歌うたいは、それでしか自分を見つけられない、伝えられない、わかってもらえない人間だ。誰かが自分に気づいてくれることを夢見た、そのくせ歌うことしかできない人間だ。その中で、上手い奴、運のいい奴だけが生き残る。
すぅっと息を吸い込んだ勇人は、歌いだした。
非常に乱暴な極論です。
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