13話/さようならと降りそそぐ
「じゃあな、アスク坊。ユート。……聖歌隊大会?だったか?まあ、連中が考えそうなこったが、まあ頑張れや」
ギターを直した翌日の早朝、教会御用達楽器職人コミンズは、来たときと同じくグラニに真っ赤な馬車を引かせて去っていった。次の町に向かうらしい。米粒ほどに小さくなってもまだまだ目を引くそのド派手な後姿の一人と一頭を、勇人とアスク、そしてグラニに会いに来たエリィが村の出口で見送っていた。
* * * * *
1日経って、少しはマシになったものの今だ足腰はギシピタと痛みを訴えていた。ベッドから出るにも、滑り降りるようにしてどうにかといった体たらく。しかし筋肉痛ごときで2日も休んでいられるか。結局昨日は礼拝準備と片付けに加えて、子どもたちの授業も休んでしまったのだから。
その日から数日は、痛む部分をできるだけ動かさないよう、狭い歩幅で慎重にちょこちょこ歩く姿を見たアスクが思わず吹き出したり、エドワルドが悪いと思いつつもつい笑いそうになったり、子どもたちが面白がって勇人の足をつついたり、それを見たエリィが責任を感じておろおろと泣きそうになったりしたものの、これといって問題もなく過ぎていった。
子どもたちの合唱も、コミンズが修理してくれたオルガンのおかげもあって順調に完成に近づき、少なくとも人前に出して恥ずかしくないレベルであると言えるようになってきている。俗に言う、「天使の歌声」こそまだ届いていないが、このまま練習を重ねれば夢ではない、といったところか。勇人自身の筋肉痛もほとんど完治し、ギターも弾き放題、正に順風満帆、そろそろ村の男たちやキャラバンの商人たちが集う、夜の酒場でデビューしちゃおうかな。などと考えていた。
勇人はここ最近の牧歌的な生活のせいか、忘れていたのだ。以前噛み締めていたはずのものを。
この世は、そう上手くいくようにできてはいないということを。
* * * * *
その朝、いつものように日の出と同時に起床した勇人は、簡単に身支度を整え、絞った雑巾を手に持って礼拝堂に向かった。扉を押すと、音もなく開いた。他に鍵を持っているのはもちろんアスクだ。先を越されたと思い声を掛けるが、返事はない。扉を開けた後に一度戻ったのかもしれない。
いつも働いているアスクの負担を少しでも軽くすべく、先に朝の掃除を始めた。祭壇に並べられた細々とした祭具を一つ一つ拭きあげていく。固く絞った雑巾で磨くと、金属がきらりと朝日を反射した。
祭壇が終わった後は、礼拝中に信者たちが座る白い椅子を軽く拭く。床のごみをほうきとちりとりで取り去り、最後に先日修理したばかりの美しいオルガンの手入れをするために祭壇の裏へ回る。オルガンは場所を取るので、祭壇の陰になるがそこに置く他ないのだ。
そこで勇人は足を止めた。
* * * * *
アスクは、礼拝堂の扉に手をかけ、開いていることに気がついた。昨日、鍵を掛け忘れたのだろうか。扉を開けると、祭壇の陰に誰かが立っている背中がちらりと見えた。
少し猫背で痩せ気味、身長はそれほど高くはない。この村では一人だけしかいない、まっ黒の髪の青年。
彼は、この礼拝堂の鍵を持っている。
なるほど、今日は遅れてしまったか。
「ユート……?」
祭壇に遮られて半身しか見えていなかったが、オルガンの方を向いたまま動かない勇人の様子を見て取ったアスクが、傍へ歩み寄ってくる。
「どうかしましたか?」
勇人の視線の先を追うと、そこには。
そこに鎮座しているはずのオルガンに替わって、昨日まではなかった木材が小さな山を作っていた。彫刻の彫りこまれた板材や、薄いベージュと濃茶色の小さな角材、パイプのようなもの。積み上げられたそれらは全て見覚えがある。
「……ッサンの作品が……」
呆然としていた勇人は、アスクのつぶやきを聞いてはたと我に返り、その後に怒りがふつふつと湧き上がるのを感じた。どう見ても何者かの手によるものだと明らかだった。
「一体、誰がっ、こんなこと!」
勢いよく振り返り、礼拝堂の唯一の扉まで駆け寄る。つけられていた簡素な南京錠を探す。ない。見回すと、礼拝堂の外、1メートルほどのところでひしゃげた状態で見つかった。
「せんせー、おはよーございます。……どうかしたの?」
うっかりして読んでくださった方にお礼を言っていませんでした。
ありがとうございます。