12話/万感を込めて
コミンズ翁の言葉に、先ほどまでの沈んだ空気はどこへやら、かぶっていた布団を吹き飛ばす勢いで起き上がった勇人は。
「ほんとでっ、いだだだだだだだだだ!……すか!?」
やはり体の痛みに苛れていた。
しかしぐっと堪えて、部屋の壁に沿わせて安置してあるギターケースの方に這って行き、手際よくケース開けた。中には、変わらぬ様子のアコースティックギターが寝かせられている。実はこの世界に来てからも、傷を悪化させないよう殆ど音は出さないが、ほこりがついていないか、汚れはないかと毎日目を光らせて手入れをしている。
「ほお……これはまた。この辺じゃ見ねえ奴だな」
「こんな感じでちょっとヒビが入っちゃってるんですが、直りますかね……?」
よかった、やはりこの世界にもこういうタイプの弦楽器は存在しているようだ。すこし安心する。
急に真面目な楽器職人の顔になってギターを見つめる翁に、ケースから取り出してそっと裏側を見せながら尋ねた。
「こいつは随分薄い板が貼ってあるんだな……直らねえことはないと思うが、応急処置にしかならんかもしれん。おれはこういう楽器はそこまで得意じゃなくてな」
「直せそうな方に心当たりはありますか?」
「心当たりっつーか……むかーしそれとよく似た、もうほとんどそっくりと言ってもいい、そんな楽器を見かけたことあんだよ」
「えっ、ギターをですか!?」
この異世界にギターがある。それは驚きの情報だった。良くてマンドリンだと思っていたというのに……。
「ギターっつうのか。まあそうだな。ギターだったと思うぜ。だからまあ、製作者がわかりゃあ直せるんじゃねえかな」
「なんと!してそれはいずこです!?」
「何しろ昔の話だからなあ……俺が世界を放浪してた頃だから、少なくとも50年は前だぜ。どこで見たんだったか……年は取りたくねえもんだなあ」
「そう……ですか…………」
勇人は見るからに気落ちしていた。ギターが直るどころか、存在していたのだ。期待しないわけがない。これでも熱狂的なギターキッズだったのだから。
どこの誰とも知れぬ製作者、生産地を探し出すまでどのくらいの年月が掛かるだろうか。半年ですらかなり鬱憤のようなものが溜まっているのだ。そんな長期間ギターを弾かずに暮らしていたら……。
(確実に発狂すんな、賭けてもよかんべ)
そのとき勇人は、コミンズが少しほっとしたように視線を逸らしたことに、気がつかなかった。
「……コミンズさん、応急処置でも構いません。このギターを直してください」
「いいのか坊主。こいつは大切なもんなんだろ?もしかするとだめにしちまうかもしれないぜ?」
勇人が毎日眺め、抱え、磨いていることを、コミンズは一目で見抜いていた。人でも動物でも、楽器でもなんでも、大切にされているものはすぐわかる。楽器職人というよりコミンズその人が長い生の中で身につけたある種の眼力だ。
「大切です。宝物と言ってもいい。でも、だからこそこのまま楽器なのに弾いてもやれずにいさせる方が嫌です。それに、コミンズさんは信念のある職人さんですから、プライドにかけてだめになんてしないでしょう?」
「……確かにその通りだ。坊主、いや名前なんつったっけ?」
「ユート、ユート・フジですよ。あと実はまあまあの年です。……これは内緒ですが」
「はっ、そうかい。まあいい、俺の出来る限りの修理をしてやる」
「よろしくお願いします。…………あっ!」
深々と頭を下げた勇人が、ふいに都合の悪そうな声を漏らした。
「俺、今ほとんど無一文なんです……代金は必ずなんとかして作りますから、ちょっと待ってもらえません?」
勇人が何を言い出すのかと待ち構えていればこれだ。ばつの悪そうな顔をした勇人を見て、確かにこれは面白い奴だと勇人を居候させているアスクの気持ちが少しわかった気がしたコミンズだった。
「いいぜ、出世払いにしといてやらあ!」
「ありがとうございます!」
* * * * *
それから勇人とコミンズは2人でああでもないこうでもないと言いながら、ギターの修理を行っていた。結局、ちゃんとしたギター職人が見つかるまでは応急処置で済ませようというのが話し合って出した2人の見解だった。
ということで、ヒビ割れがそれほど大きくないこともあり、コミンズが使っている接着剤のような樹液でヒビを埋めて、その上から補強のごく薄い板材を貼り付ける方法をとることにした。日本では通常裏から貼るが……この際ワガママは言ってられない。
「どうだ?これでおそらくなんとかなってるはずだぜ」
作業を終えたコミンズからギターを手渡される。ヒビの部分をじっくりと観察するが、板材の下のヒビはもちろんもう見えていない。
「多分大丈夫だと思います。試してみます」
早速ケースから音叉を取り出し、石で出来た床に軽くぶつけて口に咥え、反響させる。そのままの状態で2番めに太い弦、5弦の5フレットに軽く中指を当ててハーモニクスを鳴らした。2つの音を聞き比べながらネックの先端、ヘッドにあるペグを回して音を合わせていく。
チューナーも持ってはいたが、ストリートを初めて以来は持ち歩いていなかった。コンビニですぐ買えるとはいえ、電池切れでここぞというとき動かなくなったら困るし、それより何よりアコギと音叉のチューニングは「シブくてかっこいい」というイメージを持っていた。要はかっこつけだ。ライターと同じく。
しかし今なら言える。音叉を持っていて良かった、と。
一つの弦の音が合えば後はそれぞれ隣り合った弦同士で同じようにチューニングしていくだけだ。6弦の5フレットと5弦の開放、5弦の5フレットと4弦の開放……というような具合である。
「この楽器はそうやって音を合わせるもんなんだな。初めて見たぜ」
感心したように呟くコミンズを横目に、勇人はチューニングし終わった6本の弦をまとめて鳴らした。フレットは抑えず、全て開放弦だ。それだけで、ギターを弾ける喜びが全身を駆け巡る。
すかさず左手をCのコードで抑え、右手の爪を使ってかき鳴らす。そのまま、G、Am、Em、F、とゆったりしたテンポで進行させ、調和のとれた和音が続いていく。 作曲の勉強をしていた学生時代に染み付いた動きだ。
そこではっと気づいてコミンズを見る。
「すみません、全く問題ないです。ありがとうございます!」
「おうよ、そら良かった。……ユート、折角だからなんか1曲弾いてみてくれねえか。ギターってのの音は初めて聞いたが、なかなかいい音だな」
「えっと……久しぶりなのでとちるかもしれませんが、なら、1曲」
手クセだけで簡単なアルペジオを奏でながら、勇人は曲を考えていた。日本で弾いていた曲ならあらかた頭に入っている。アルペジオが3回りした頃、前触れもなしに勇人はコード弾きの前奏を奏で始めた。
東京で解散したとあるバンドの、ミディアムバラードだ。詞と曲は不二勇人。この曲を初めてスタジオに持っていったとき、珍しく一番乗りだったミズキと交わした会話を思い出す。
「ユートは、ロックよりそういう優しい歌を歌った方がいい」
理由を聞くと、ミズキは事も無げに言った。
「ユートの声に合ってる」
しかしその後まもなくやって来た2人のメンバーは、この曲にはあまりいい顔をしなかった。予想通りだったが、アップテンポでストレートなロックナンバーの方が好みだったようだ。
これは、上京したてのある若者が、初めての東京に戸惑いながらも、出会った人の優しさに触れながらここで夢を追う決意をする、第二の故郷に出会う曲だ。今の勇人にはピッタリに思えた。
2025/02/10修正