11話/小さな何かが生まれた気がした
指し示された木製の質素な椅子の上には、確かに勇人の服がたたまれていた。ちなみにこれはこちらの世界に来てからバイト代(どちらかというとお小遣い)を貯めて行商人から買ったものだ。適度にゆとりがあって動きやすく、生地は丈夫で農作業にぴったり。さらに言えばズボンはポケットが深くて便利だ。
機能性と値段しか見ずに買ったのでデザインについてはお察しの代物だが、それなりに気に入っている。ちなみに、こちらに来たときに着ていたニットやデニムは珍しい品だと請われて行商人に売ってしまった。
「よっと……いだだだだだだ」
「せんせー!大丈夫!?」
痛む体に鞭打ち、ほとんど這うようにして昨夜のズボンに手を伸ばし、それを掴み上げる。慌てて駆け寄ってくるエリィを制し、二人に向かって右手を差し出した。
「これだ」
「これ……があれ?」
「それは?見たところ金属のようですが」
「まあ、ちょっと見ていてください。……エリィ、危ないからあまり近寄るなよ」
ピィーンッ!
勇人が親指でそれをはじくと同時に、高く澄んだ金属音が部屋に響いた。そのまま親指をスライドさせる。すると。
勇人の右手に握りこまれた小さな箱から、小指の第一関節ほどの明るい火がゆらめきもせず飛び出していた。少し二人に見せた後、ふたを閉めて手のひらに乗せる。アスクが興味深そうに見つめるので、手渡した。
「わあ!すごいです!!」
「ユート、これは一体……?魔道具でしょうか?」
「これはライターっていう、……まあ、火をつける道具です。中に入っているガスを燃やしてるんです」
「こんなに小さいのにそんなことが……、ポケットに入れておいて発火したりしないんですか?」
「勝手に火がつかないような仕組みになってるんですよ」
日本で愛用していたガスライターだった。音楽、酒、タバコ、……と来て、バンドマンが安っぽいライターでは格好がつかないと学生時代に奮発してバイト代で買ったものだ。つまりかっこつけである。最近はそこまで見栄のようなものはなくなったため、ギターケースの内ポケットに入れておいてたまに使うくらいだった。
それを昨日思い出し、何かの役に立つかもしれないと出掛け際にポケットに突っ込んだのだ。
「そっか、その火が光っていたんですね」
「森の奥はかなり暗かったからな。少しでも灯りが欲しかったんだ」
* * * * *
エリィは、森の中で、光を追いかけるように歩いていた。夕日の方向に村があると信じて。
しかし、そのときもうすでに太陽は半分以上沈みかけていた、木々の深い森の奥にまでその光はそうそう届きはしないだろう。そのことに気づく前に、エリィはぼんやりとだが小さな光がきらめくのを見たのだ。
すっかりそれが夕日だと思い込んだ。そしてだんだんはっきりとしてくるその光が、勇人の手元から発されているのを目撃し、不思議に思った。
その後すぐに光は消えてしまったが、その後ろに、もっと淡く、夕日が沈みかけているのを知った。
「狼のときのも、それですか?」
「うん、目くらましになればと思って。結構うまくいっただろ?」
「はい、とっても!」
未だしげしげとライターを観察しているアスクを横目に、二人は笑いあった。実はエリィは、狼から逃げている間中ずっと無我夢中で走る馬に振り落とされまいとしていたので、勇人が何かしたとしか気づいていなかったのだけれど。
勇人が言うならそうなのだろうと、やはりこの人が自分を守ってくれたのだと思い、嬉しくなった。
「と、そろそろ礼拝の時間ですね……。ユート、ありがとうございます。またちょっと後で教えてください」
「ええ」
「今日くらい休んでも構いませんよ?」
「そういうわけにはいきませんよ!」
アスクがやはり慎重な手つきでライターを勇人に返却する。それがなんだか面白くて、エリィはまた小さく笑った。
「よし、じゃあ、行くかあー」
「はい!」
* * * * *
「……で、ユートは元気なんですね?」
「ええ。ただ筋肉痛だとかで歩けないようなので今日の礼拝は休んでもらいました」
礼拝後アスクのところに詰めかけた村民たちは、その言葉に、一斉に息を吐きだした。礼拝の時間だというのに、いつもの位置に勇人がおらず、やはり何かあったのではと気が気でなかったらしい。
勇人は結局立ち上がるにも四苦八苦の有様で、礼拝を休まざるを得なかったのだった。壁に手を添え、立っているのも辛そうに足を震わせながらも「そんなわけにはいきませんよ!」と威勢だけは良かった様子を思い出し、アスクは吹き出しそうになるのを必死でこらえる。
「というわけで、みなさんご心配をおかけしました。少し休んだらまたすぐ顔を見せると思いますよ」
その言葉を聞き、ほっとした顔の人々が礼拝堂を去った後で、もう我慢ならないといった風にアスクは笑い出した。もう憚らず言おう、あの姿と言葉は非常にちぐはぐで無性に面白かった。……そんなアスクを見ていた人物が一人。
「坊……笑い方がこええぜ……」
* * * * *
その頃の勇人はというと。
「勝手して馬ぁさ乗っでよ、ほんで落っこちちゃってまーた人様に迷惑ばーっかかけて仕事もできないとは……。俺はろくでもないやっちゃ、もうほんとみっともない」
部屋のベッドで布団を被って引きこもっていた。「そういうわけにはいきませんよ!(キリッ」などと言ったわりに結局このざまというのが情けなくて仕方ない。筋肉痛がひどくてごろごろと転げまわることすらできないのだ。気持ちとしてはまさに今がそれなのに。
「……何言ってっかわかんねえが、ま、まあ、元気出せや」
「俺のことは構わないでください…………え?」
一人だと思っていた部屋には、いつの間にか、目に痛いほど真っ赤な装いをした老人が立っていた。
「へっ、部屋に入るときはノックくらいしてくださいよ!」
「いや、したぞ、2回くらい」
「……すみませんでしたあああ!」
コミンズ翁は見た目ほど非常識な人間ではないようだ。勇人は即頭を下げた。このあたりが日本で29年以下略。
「で、なんだ、筋肉痛だって?情けねーなー」
「おっしゃる、通りです……はははは」
「いや冗談だからな?」
うつろな目をして口からは乾いた笑い声しか出さない勇人を見て、あまりに哀れになったのか、コミンズは慰めるように言った。
「……それよか、ほれ、坊主の楽器を見してくれよ」