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結局売れなかったバンドマン(29)は異世界で成り上がりの夢を見る  作者: 有柏くらゐ
第一部-1.リダ村:元バンドマンと異世界の農村編
11/92

10話/帰るべき場所

 そのときが来た。ギリギリのところで留まっていた太陽が西の山に沈みきり、余韻を残すように山頂付近の空だけが赤く染まっている。


 逢魔が時。


「5、4、3、2、1……!」


 ゆっくりと呟きながら5秒数え、右ポケットから出したそれを狼の鼻先に差し出す。寄ってきた獲物に食いつこうと、狼が加速した、そのとき。


 ピィーンッ!


 鋭い金属音と共に、一瞬だけ、まばゆい光が辺りを照らした。狼がそれに一瞬おののいた隙に、勇人はグラニの腹を軽く蹴った。さらに加速していくグラニ。もう森の出口はすぐそこだった。


「走れえええええええ!!!」


 ついに、勇人たちは黒い森を抜けたのだった。




 * * * * *




「ユート!……エリィ!!」


 森から脱出し、しばらく狼たちの追走がないかと警戒しながら走った。グラニと、鞍無しで跨る勇人の内腿が限界を見せ始めた頃、ようやく村からの捜索隊と合流することができた。森と村を結ぶ距離の中間地点をかなり森寄りに進んだ辺りだろうか。森の出口からグラニの足で10分も走らない位置だった。


「火を……焚いてください。狼に追われました」

「なんだと!?」


 大人たちはテキパキと動き、その場にあっという間に小さな焚き火を作り上げた。これで夜の危険な野生動物たちはこちらに近寄らないだろう。町から帰ってきたらしい狩人たちも馬上で森を警戒している。

 エリィを捜索隊に抱き渡し、勇人もやっと一息つくことができた。先ほどの緊張からか、汗が吹き出ているのがわかる。


「ありがとな、グラニ号」


 そう言って労うように首を撫でてやると、彼は誇らしげに鼻息を吹いてみせた。足どりに疲れこそ見えたがご機嫌らしい。


 一方の勇人はというと、久しぶりの乗馬、しかも裸馬に足の力で跨っていたおかげで、もう腿から先の感覚がなかった。歩く馬の背から滑り落ちないのが不思議なくらいである。明日の筋肉痛を思い、心の中で泣いた。

 ロバに跨る村人と適当に会話をしながらも、落馬だけはしないよう意識のほとんど全てをグラニの歩調に向けながら帰路を進み、やっと到着した。日もとっぷり暮れた、リダ村だった。


「エリィイイイイイー!!!」

「エリィ、ユート、無事で何よりです!」


 アスクとエドワルド、それに留守を預かっている女衆が出迎えに出ていた。エリィが無事なことを知り、みんな笑顔になる。エドワルドに至っては笑顔を通り越して泣いていた。しかもなんだか服も先ほどより汚れている。


「エリィ、どうしてこんな時間になるまで森に……!」

「ごめんなさい。お父さん。……これ」

「これは……ミルルの実じゃないか」


 ミルルの実。

 ミュルクの森に自生しているミルという低木がつける実だ。すりつぶしてからお湯を加えると、甘くてとろみのある、甘酒のような飲み物になる。滋養があり、病気や疲れに効くというので、そこそこ高値で取引されており、村での取引では多く求められる木の実だった。


「お母さん、最近いつもより具合が悪そうだったから、採ってきてあげたかったの」

「エリィ……」


 しかし、ミルが実をつける時期はそろそろ終わりに差し掛かっている。比較的採集がしやすい森の浅い場所では、既に採り尽されてしまってしまっていたのだろう。実を求めて奥へ奥へと進むうちに、いつの間にか日が低くなってしまったのだ。


「そうだったのか……。でも、お父さんも、お母さんも、すごく心配したんだ。ミルルの実は確かに大事かもしれないけど、それより、お前がここにいることが一番大事なんだよ」

「……ごめんなさい、お父さん……」

「わかったら、お母さんにエリィの無事を伝えなきゃな。それから、ミルルの実のスープを作ろう」

「うん」


 エリィは、一度勇人に深々と頭を下げて、エドワルドに手を引かれて帰って行った。


「これで、一件落着、かな?」

「おそらく。エリィは賢い子ですから、もうこんな無茶はしないでしょう。……本当にお疲れ様でした」

「お疲れ様よ!ユートくん!」


 こうしてアスクや村で留守を預かっていたおばちゃんやお年寄りたちに労われていると、帰ってきた、という思いと同時に、あの森での出来事が嘘のように思えてきた。ついさっきまで狼に追われて、死んでもおかしくなかったというのに……。


 リダ村は、勇人にとって、もうどうしようもなく日常になっていたのだった。


「ユート、本当にありがとう!ありがとう!!」

「お疲れさん。グラニも頑張ったみてえだな」


 エリィを家へ帰らせたらしいエドワルドが勇人の元へやって来た。コミンズ翁もいつの間にか姿を見せている。

 二人に返事をしようとそちらへ向き直り、グラニから下りるべく体を浮かせた。


 そこで、勇人の記憶は途切れている。




 * * * * *




「ユート、ユート」


 誰かが勇人の名を呼びながら、カウンターテーブルに突っ伏してしまった肩を揺すぶっている。今日は飲み過ぎた。放っておいてくれ。

 そう思いながら、左隣りにいる、勇人を揺する張本人に視線だけを投げた。黒髪のロングヘア。


「ミズキぃ……揺らさないでええ……」

「無理。もう閉店」

「今縦になったら俺死んじゃう(しんずま)〜」

「飲み過ぎ。自業自得。早く立って」


 薄暗い空間、ゆるく流れるジャズのリズム。ああ、アフターアワーズだ。いつの間にここへ来たのか全く覚えていない。




 * * * * *




 明るい。

 まぶたの向こうから赤く透ける強い光が、はっきりと朝の到来を告げている。


 勇人はまだ寝ていたい気持ちを抑えて、目を開けた。


「あっ、せんせー!よかった……!」


 青みがかった薄い茶色の瞳。肩の少し上で切り揃えられた金髪がふるふるとゆらめいていた。


「エリィ……?」

「エリィでしゅ!」

「そっか、エリィだな」


 ゆらめく金髪に手を伸ばそうとして、やめる。簡単に触れるわけにいかないような気がした。


 なんだか懐かしい夢を見た気がする。


「……あれ、俺昨日いつ寝たっけ?」


 はて、とベッドの上で首を傾げる。日本にいた頃は、いつ家に帰ったか憶えていない、なんてことはたびたびあったが、こちらに来てからは一度もなかった。なにしろ以前に比べれば全然といっても過言ではないほど酒を飲まなくなった。たまに飲んでもほろ酔いすらしない。農作業で体力がついて酒に強くなったのかもしれない。

 というのに、今日はどうしたことか……不思議なこともあるものだ。


 しかしいつまでも横になってはいられない。体を起こそうとすると、ふいに激痛が走った。体の内側から湧いて出る痛み。動けないことはないが筋肉の繊維一本一本が軋んでいるような錯覚に陥る。間違いなく筋肉痛だった。


「いででででででで」

「せんせー大丈夫!?」

「おや、お目覚めですか?」


 タイミングを見計らったようにアスクが部屋に入って来る。


 聞けば、昨日グラニから下りようとしてバランスを崩した勇人は、地面に落ちてそのまま気を失ってしまい、エドワルドとアスクにベッドまで運び込まれたらしい。


(うわあああああー!恥ずかしい(みっだぐねぇ)ー!!)


「頭を打ったのではないかと心配しました……見た感じ大丈夫そうですが、何かあればすぐ言うんですよ」

「はい。心配をかけました」

「ええ、みなさんも心配して朝の仕事の合間に次々と顔を出していきましたよ。すっかり人気者ですね。……このエリィも先ほどやって来て、勇人がまだ起きないと言うとお見舞いすると言って聞かないんですから。ふふふふふ」


 お茶目かつなにやら意味深にアスクが笑う。エリィはというと、なぜか頬を赤くしていた。


「ち、違うの、先生に昨日あんまりお礼言えなかったから……」

「だそうです」


(なんかアスク今日機嫌よくいぐね?)


 エリィが無事戻ってきたことが嬉しいのだろうと解釈する。思い返せば昨日はひどく心配していたっけ。


「あと、昨日のあれ、まだ質問できていないのです。教えてくだしゃい!」

「あれ?」

「ああ、あれか……」


 右ポケットに入れっぱなしになっていたはずだ、とポケットを探ろうとしてはたと気づく。


「……俺いつ着替えましたっけ?」

「ああ、昨日あんまりにも汗と泥がついていたので、このまま寝かすのもよくないと勝手に着替えさせてしまいました…………奥様方が。洗濯は流石にできなかったので全部一緒にたたんでそちらに。……すみません」


「なん……だと……」


 アスクは少しばつが悪そうに目をそらした。


(おばちゃんたちに寄ってたかって脱がさっちる俺!おばちゃんたちに!もういい年なのに(だづに)!)


「せんせー?」

「ああ、ううん、……なんでも、ないよ……」


 勇人の頬を一粒の朝露が伝ったとか、そうでないとか。


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