9話/闇夜にきらめきを
人影一つ見つけられないまま、ミュルクの森の入口に辿り着いてしまった。見逃してしまったということがないわけではないが、エリィは未だ森から出てきていないという可能性が高い。
生い茂る木々の間をまっすぐに通る細い道は、かつては森の向うへ通じていたというが、もっと南の方に街道ができてからは通り抜ける者はまずいないという。入り口こそ道らしさが残っているが、奥まで行くと微かに獣道らしいものが残っているくらいで、もっぱら採集者たちの道しるべとなっている。おそらくエリィもこの道を進んだはずだ。
振り返ってみると、幸いまだ日は沈んでいない。もっとも、もうまもなく沈むだろうが……。
「エリィーー!いるかーー!!」
バンドで鍛えた声量を活かして声を張り上げたが、返事はなかった。
迷っている暇はない、勇人は一足先に帳の下りたミュルクの森へとグラニを導いた。
* * * * *
暗い。いつの間にかこんなに暗くなってしまった。早く森から出なければ。
母からいつも聞かされていた黒い森の恐ろしさを思い出し、少女は、ただひたすらに歩いた。今日も、いつものように目印にしている獣道の通りにまっすぐ進んできた。木の実や薬草を摘んでもすぐに道に戻り、実直に道筋を辿ってきたのだ。迷わないようにと。
しかし今、彼女の足下は既に暗闇に覆われている。細い獣道など見えはしなかった。
少女、エリィ・リダは考えた。どうすれば帰れるだろうか。刻々と這い上がってくる暗闇に、泣きそうになりながら。首から下げたペンダントをそっと握りしめる。これは母が去年の誕生日にくれたものだ。エリィにはまだ名前もわからない、キレイな石が嵌められた、太陽を象った細工のお守り。母はこれをエリィの首にかけてくれたとき、「お天道さまが見守ってくれるからね」と言っていた。
そしてついに思い出した。まだエリィが幼く、そして母が元気だった頃、母と共に森へキノコを採りに来たあの日を。手を引かれ歩いた夕焼けの道を。
村から森への道、そしてかつて森を抜けた道はほぼまっすぐだ。そしてあの日、夕日は、「村の真後ろに落ちていった」のだ。
よく目を凝らしてみると、微かに橙色の光がちらつく方角があった。あっちに向かって、歩こう。
あの光の先に、エリィの家がある。
ひどく傾いた太陽が、山の向こうへ帰る前に、エリィは家へ帰り着かなければならない。必ず。
少女は、ひたすらに歩いた。その手に、小さな籠を抱えながら。
そのとき、優しい光の方向から、聞き慣れた誰かの声がした。
* * * * *
「エリィー!どこだーーー!」
先程から大分足元の道が消えてきた。グラニから下りた勇人は、狭い視界と、靴底に当たる感触で獣道を確かめながら、一歩一歩森の奥へと進んでいた。ときたま振り返っては、太陽の具合を確かめながら。
もう一度教え子の名を呼んだとき、グラニが前方に反応した。勇人も一呼吸遅れて身構える。
真っ暗な森の奥に目を凝らす。
夕焼けの残滓に何かがきらめいた。
「ユートせんせーー!!」
それは。
「エリィ!!」
探し続けた少女だった。彼女の首から下げられたペンダントが、かすかな光を受けてきらめいていた。
「せんせー!」
「エリィ!心配したぞ!怪我とかしてないか?」
「してないです!……せんせー、ごめんなさい」
「そうか、よかった。今は謝らなくていい、みんなもエリィを探してる。早く帰って安心させなきゃな」
「…うん。ねえ、先生?」
「質問は後でまとめて受け付ける」
右手をズボンのポケットに突っ込み、授業中と全く同じ口調で話す勇人の言葉に、エリィが笑う。そのまま会話もそこそこに、勇人はエリィを抱き上げ、グラニの首に軽くつかまらせた。そして辿ってきた道筋を引き返すべく手綱を引く。
(日本なら事案もんだなあ、こんなことしたら)
しかし、グラニは動かない。
「グラニ号?」
先ほどエリィがやってきた方向を見つめ続けている。……何かいる。勇人は急いでグラニの背の上に跳び乗った、そのとき。
暗闇から、黒い何かが勢い良く姿を表した。
「犬?いや、狼かっ!行け、グラニ!!」
勇人の体勢もおざなりに、グラニは獣道を元来た方向へ駈け出した。馬上で揺さぶられながら、振り落とされまいと必死で姿勢を正す。手綱を握り直し、グラニを急がせながら周りの暗闇に耳を傾けた。後ろから付いてくる先ほどの一匹に加え、同じような足音がひとつ、ふたつ、みっつ……これ以上はわからないが、どうやら囲まれていたようだ。加えて、こちらは2人も乗っている上にこの悪路で思うようにスピードが出ない。
「これはやられたな……っ!」
「……先生?」
「エリィはグラニにつかまってろ!」
森から出れば、グラニの速度に勝ち目がある。振りきれる可能性が出てくる。そこまで森に分け入ったはずではなかった、が、森の出口が異様に遠く感じられた。やっと獣道から少しまともな道に戻り、グラニはスピードを上げた。
そのとき。
勇人のすぐ右斜後ろの藪から、一匹の、一際大きな狼がその姿を表した。少しでも速度が落ちれば足など噛みちぎられてしまいそうな距離だ。
「くっそ……!」
勇人はズボンのポケットに右手を突っ込み、そして―――。
2025/02/10修正




