七章 それが家族のあり方なのか
彼女が見たとき夫の首が切り落とされていた。
言葉にすればそんな出来事だ、娘に熱を上げすぎて、剣の腕まで沸いたと思いもしたが、魔法ですら出来ない軌跡再現なんていう異常事態を行ったあれが弱いはずも無い。
娘はただ呆然と見るだけだ、あれが父が死んだことよりも兄のそれに驚いたあたりすでに、死というものへの決別は出来ているのだろう。少しばかりに息子に当てられすぎたのか、意識がこちら側に戻ってきていない。
たしかにあれは御伽噺で聞かされた程度の話し、剣を極めたものが剣も持たずに木を切り裂いたなんていう、どこにもである御伽噺のはずだった。
魔法使いの彼女がからしてみれば、あれは攻撃召喚及び時間操作の複合魔法と言ったところだろうが、そんなこと出来る魔法使いなんてこの世のどこにもいやしない。
あんなものが人の技であって言い筈がないのに、現実その技が目の前に存在していた。何をどうしたのかすら分からない一方的な斬殺。
剣聖という存在をここまで容易く殺すなど、誰が予想しただろうか。
最後まで娘の事を考えていた男は、何一つ出来ずにただ鬼の様な形相のまま顔を固めて死に絶えていた。
かわいそうな人だと彼女は薄く笑う、息子に殺されたことがじゃない。
そうやって必死に守ろうとした娘は、まるで女の顔で兄を見つめているのだ。
あれはきっと自分と対等になりえるかもしれない者を見つけたことに対する喜び。絶対の存在である彼女の前では王でさえも霞む、なにより彼女はつねに孤独とも言える。
だから肉親を求めて、心許せる何かを無意識に求めていたのだろうと、だがそれは剣聖という男が嫉妬に狂うだけのないようだった。
「私は妻だった筈なのに、娘の方に嫉妬って、そういう意味では私もずいぶんと」
しかし彼女は途中で口を閉ざす。それを言ってしまえば、ちょっと悔しかった。
男連中は若い女がお好みのようだが、そんな少女愛などに拘る位なら、大人の女も味わってみろといいたいが、発酵させる食べ物の殆どが、好き嫌いが極端に分かれると言うことを忘れてはいけない。
ついでに言うなら大抵の場合、臭いが天変地異のレベルだ。
そんな長期発酵された元美女は、娘に夫を取られながらも、己が矜持を頑強に保つためにその言葉を使わなかった。
彼女は夫を娘に取られたことをどうでもいいとしか思っておらず、同時に夫が死んだことも、首転がってんなあいつとしか思っていない。彼女の覇王と言う名は、どちらかと言えばこう言ったさばさばとした性格が原因となっている。
だがその彼女にも息子のあれは、異常でしかなかったのだ。はっきり言ってそれ自体は彼女の風の魔法と同格程度だろう。だがあれはどちらかと言えば座標指定の斬撃だ、それがどこか相手にはさっぱりわからない。
ただ変化もなしにいきなりきり飛ばされていると思えばいい、魔法にさえ予兆がある、だがそれさえない。いくつか対処法は浮かぶがそれも完璧ではない、そもそも彼はあの軌跡を同時にいくつ発生させられる。
あの軌跡の再現とはどこまで行える、過去の事象の再現などというものは、彼女にとっては尋常ならざることでしかない。娘が生まれいつの間にか視界から消えていた息子だが、久し振りに光の反射を許してみれば異常事態を平然と起こす、ある意味では化け物になっていた。
まして、あの軍神である娘が狂喜するほどの何かがあると考えれば、彼女だって興味が尽きない。
本当につくづく思うことではあるがこいつら本当に親としては再起不能レベルで無能である。少しはあの子も価値があったのかしらと笑って見せるその態度に、かつての彼なら自殺でもしてくれただろう。
「さすがあの人と私の血と言うべき、性格はともかく優秀な血は持っていったもの、唯一あの人の優れたところだったのかしら」
転がった死体に流し目を送ってみるが反応があるはずも無い。
彼女は問いを返さない死体に酷く落胆したのかため息を吐く。もしかして死んだふりという可能性も一応は考えたのだろうか、それとも優れた血なのだから少しは動くんじゃないだろうかと思ったのか、どちらにしろ血はともかく無能な男とはき捨てる。
あの息子の心の弱さはきっと父親の血を継いだのだと納得してしまう。
だが彼女が仕掛けた呪いも関係在るのは間違いなかった。妹の才能に気付き、それを潰さないようにと、彼女と剣聖でお前は弱いという呪いを刻み付けた。
「まだあの子に会ったら震えて縮こまるのかしら、そうなったら母親らしく抱きしめてあげようか、それとも父親の様に手を出だしてみるのもいいのかしら」
どちらでも面白そうと笑ったのは、自分の事しか考えない、同時に欲望の化身のような女だった。誰も見ていないところだからいいが、ここまで邪悪の似合う魔女もそうはいないだろう。
その表情を見られていたら、息子ならその場で殺し合いでも開始したかもしれないほど、覇王は邪悪であった。
「そういえばあの子の名前は何だったかしら、適当にえーと夫が、どっちも名前忘れてしまったけれど、必要なかったものね、仕方ないわ、今度あったら聞いておきましょう」
黒のローブの中でぎゅっと手を握り、ファイトだ私と言ってみるが、その見た目だけなら娘よりも幼く見える魔女。
十二、三の子供は、深くローブを被り顔すら今は見せない、本来ならば将来に期待といいたいあどけなさの残った造詣は、夫からすれば酷い若作りなのだろうが、この時期が一番美人だったと言い張る彼女は、そんな状態で愛らしく笑いながら悪意を吐いた。
これが覇王と呼ばれる魔女の正体、己の年齢すら操り、すでに三桁を生きた伝説の魔女だ。そんな彼女に倫理観を求めてはいけない、ただ優れた子供を生みたいと剣聖と関係を持ったような女だ。
そして娘との関係ですら、もっと優れた子を生む為に必要な行為とすら思っていた。
「けれどどうせならあの子の種のほうがまだ役に立ちそうだもの」
失敗作と思っていたけれど、存外放り出して逆境に放り込んでみれば存外成長すると笑って言ってのける。
はっきり言えば夫が息子のいた男爵家を没落させた時、いや男爵家を皆殺しにした時、死んだはずの息子は、彼女にとって望ましい方向に成長してくれた。
「あのことの間に子供を、私よりもそっちのほうがいいかも知れない、私やあの人の様に雑種よりは純血よね、血を一度純化させてそれから、ああもうなんて楽しい日々なのかしら」
あの子もきっとお兄様との子供を望むに決まっていると、あのとろけた顔から簡単に想像がつく、太陽の光すら飲み込んだ純粋な欲望は、完璧を上回る様に策をくるませる。
何よりあの娘がそう望むのは理解できてしまった。
「本当に流石は我が娘、存分に魔女の血を引いているようで幸い」
もっと優れた血を欲しがるのは、魔女という種族の呪われた性だ。
そう考えてみると、最初から彼女の愛しい娘は、兄のそれに気付いていたのかとすら思う。ずっと一緒に暮らしたいと、それは今まで幼い優しさだと彼女は思っていたが、その時嫌でも体が震えた。
だからこそあの夫は娘を盗られまいとあそこまで動いたのかと、彼女はようやく理解した。
「素晴らしい、本当にあの子は素晴らしい、なんて酷い淫売なの、ああもう流石、流石、本当流石は私の娘」
自分の仮面すら剥ぎ取り飛び跳ねるように彼女は喜んだ。
言っている言葉は、殆ど罵倒に近いが彼女なりの褒め言葉だろう。なんて凄まじいほどの売女なのと、だから父に体を開いて兄を産もうとでしていたのかしらなんて笑って言ってのける母親は、ずいぶんと酷い言い様だが、彼女にとっては本当にうれしいことなのだろう。
「ああっそういう意味では本当に私は魔女として、随分と貞淑な女なのかしら。息子の可能性を見切ることも出来ないなんて」
抱いてあげればよかったと、この女も笑ってくれた。
こんな母親だとは誰も思いもしないだろう。見た目は子供なのだ、そんな子供から発せられる言葉は、あまりにも酷い言葉ばかり。
死んだ夫の事などきっと彼女の頭にはもう入ってもいない。素晴らしい娘の完成度を喜び、それに続く種が優れていることも理解した。
「ああどうしましょう。式場の準備がいいの、それとも初夜の準備、子育て、ああ違うわ、そう、これよこれ、解剖と保存をしないと、ある程度ましな子供を生む為にあの人の種を確保しておかないといけないものね」
そして息子のそれも、ちゃんと生んであげるからと彼女は優しく名前も知らない自分の子供をみる。父親の死体に興味も無いのだろう、彼の勝利宣言を聞くと、観客からの罵倒が響き、それに押し出されるように控え室に戻るセンセイ。
親子そろって熱に浮かされた視線を向けられている事にも気付いていないのだろう。
同時に気付きたくも無いのだろうが、たった一試合で彼を取り巻く環境は随分と変わってしまった。
結果に呆然とする王や重鎮、そして発情するように覗く覇王と軍神。
死をとして戦ったものに対する祝福など無い。ただの失望だけが、結局あたりに立ち込める、所詮剣聖も堕ちたものだと、かつての英雄の斜陽は一瞬にして決まり落胆のため息を誰かが吐いた。
それでも最強が、彼らの視線の先には新たな英雄がいる。軍神という絶対的な英雄が、誰よりも愛らしく笑い魅了するその姿に、先ほど英雄を殺した彼が似ているという事実に気付くものは誰がいるのだろうか。
同じ灰色の狼の血を引いたその色に、男と女という骨格の差がそれを隠しているだけなのだろうか、所詮遠目からでは兄妹もよくはわからないものだ。
敗者が無様に転がったままだというのに、次に戦う最強の闘いに、誰もが剣聖の最後をいつのまにか忘れてた。彼を慕っていた者も多いはずなのに、そんな人物達さえ巻き込んで彼女はここにいる。
淫売と母親に尊敬され、剣聖からは純粋な愛情を、兄からは格別なる殺意を受けて育った絶対は、ただ腕を上げて彼らに手を振る無邪気なその姿にさらに熱狂の渦に包まれる民衆は、今日一番の歓声を上げていた。
「なんと我が娘は淫乱の気もあるのか、なんとも素晴らしい、男も女も構わず、そんな魔女初めて見たわ」
そんな本来なら英雄の凱旋のような時に、あいもしない言葉を彼女は使う。だれかれかまわず魅了する、それは彼女の言うような魔女ではない、だと言うのに、淫乱と褒め称える。
娘は知らずに笑っているが、それでいいと彼女はうなずいた。
聖女であってもいつかは火炙りにされるのだ。だったら魔女が英雄でも何の問題も無いのだろう。それはそういう性に生まれた者の防衛本能なのかもしれないとその程度にしか、生粋の魔女である彼女は思わない。
だが少しだけ自分と彼女の差に、わだかまりが生まれるが、それはきっと嫉妬の類。しかしそれを上回る愛娘アイシャの成長に感動の方が沸き立つのだ。
今になって思う死んだ夫に対して、なんて素晴らしい夫だったのだろうと、こんな完全な存在の種を用意してくれてと、まだ二回戦は始まらないと言うのに、この熱狂にがんばるよーと手を振って見せる軍神は、無駄に民衆の感情を沸きたてた。
静かにしてくれと言うつもりで行った行為は、まるで音の波でも発生させた様に彼女を浚う。壁のように発せられた歓声は、小さな体躯の彼女をあおる様に、目を丸くさせた。
もうとあきれるように呟き、民衆へのパフォーマンスを終わらせると。王の護衛をほかのものに任せ、試合場に飛び降り、大切な父を血まみれになりながら抱きかかえる。
ご苦労様と優しく呟き、転がった首の頬にキスを、どんな姿になっても父親に対する献身を忘れていないのだろう。
もう死んだ男は、それだけで救われるのかもしれない、守ろうと思って必死になった形相は少しだけ柔らかくなったようにさえ思えた。
それに民衆は少しだけ動揺するが、彼女の頬に伝う涙が、父との最後の別れをしたことを教えると、しんと今までの失望すら消し去って、葬送の空気を漂わせる。
この男は彼女が生まれるより前から国を守り続けてきた男だ。本来ただの英雄の動作如きで熱狂するべきものではない。
誰かがありがとうと囁く、それがポツリポツリと、周りに伝わり、感謝の雨が降り注いでいた。
剣聖は彼らを守り続けてきた偉大な英雄だ。
ここに現れて死ぬまで、彼は国を守護し続けてきた偉大な男だ。最愛の人に抱きかかえられて、ゆっくりとその人生に幕を下ろす。
拍手が響きその英雄の最後を飾る、娘に溺れた父親では会ったかもしれない、息子を嫉妬のあまりことごとく破滅させた男だったかもしれない。
しかし彼のなした功績は全て賞賛に値し、この拍手を受け取り、最愛の人によって救われてる価値があるものだった。
それがこの世代に残った古豪の英雄の最後であり、敬われるべき男の本来の終わり方であった。
お父さんをフォローしたつもりだけど、どうなんだろう。