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四章 精神の薄氷

 何一つ無い、何一つ彼の手には余る。

 体力が無くなり倒れるまで、剣を振り続けた馬鹿は、訓練所で倒れている所を、侍女に発見されるまで、気付かれる事は無かった。

 注意されたが素知らぬ顔で、なんか寝てただけでしょうと、適当に返してみたが、発見者の侍女は顔を真っ赤にして怒っていた。


 実は、こんな風に心配されると言う経験が無い為ので、冗談で和ませようと、考えたようだが、冗談では済まない場合がある事を、頭に刻み付ける程度に、社会学習するべきだと、なぜ酷く怒られた。

 確かにあんな所で、御前試合の参加者が倒れていれば、また参加者死亡と言う、不穏な噂が流れ、今度こそ王の面子を潰しかねない。そうなれば本当に、あらゆる方面で色々と笑えない上、いくつか首が笑ったまま転がる事になってくる。


 頭の回りは悪くないはずなのに、彼はそういう事にやけに無頓着だ。

 どこか人生が壊れている人間だ、それは仕方ないのかもしれない。注意してくださいと当たり前の説教に、少しばかりうれしくなったのか、悪かったと珍しく仏頂面が、周囲が驚く程、朗らかな笑顔を見せて謝罪していた。


 彼のそんな仕草をみて、照れ隠しのように侍女が目が赤いが、大丈夫かと言ってきた。それは単純に泣きながら素振りをしていた所為なので、彼としはて言いづらい内容だ。

 しかしそれに、対人能力の少ない男は、ひどく動揺した素振りを見せる。そんなものだから、侍女はセンセイの体調を余計に心配していたようだ。

 だが流石にそれは男の子だったようで、恥ずかしがりながら視線をそらして、色々あったんですとしかいうことが出来ず、昨日を思い出して、少しばかり困った表情になる。


 さらに侍女を心配させ、一度医務室へ等と言われる状況にまで発展して、センセイは怯えるように喉を震わせて走り出した。


「僕だって男の子なんです」


 その際に、稀代の迷言を吐きながら、侍女から逃げ出す。

 妹を殺すと息巻いてた男は、その事実の説明をしたくないが為に、己の身体能力の全てを駆使して侍女を振り切った。

 結局そんな試合前に起きた参加者の不祥事は、そんな理解不能なノリもあって、騒ぎになる前に終わったのだが、昨晩あれだけ震えまくってた癖に、今はずいぶんと余裕があるものである。


 彼が言うには男の子らしいので、これ以上は追求してやらないのが優しさなのだろうが、この御前試合が終わるまでの課題が一つ分かった気がした。

 心臓を抑える様にして、己が最も弱い部分を掴む。

 弱さを強さに変える最初の段階は、己の弱さを自覚する事だ。荒鷲が獲物を掴むように、自分の弱さを抉り出す、自分はこれが弱いのだと、何度も認識させる為に、そして最後にその事実を絶望であったとしても心に、認識させる為に言葉を紡いだ。


「心が弱い、俺はあまりにも弱いんだ」


 才能じゃない、負け犬根性が染み付きすぎている。

 原因は過去の事であるのは分かっていたが、ここまで酷いとは思っていなかった。思い出すだけで、歯噛みするのは仕方の無いことだろう。

 弱いと、自分は弱いと彼は、自虐しつづけ、自嘲を極めて突き抜ける。

 何度も心に打ち付ける、自虐はその為だ、心の弱さを何度も自覚させ続ける。


 そしてその事実に負けない様に、その弱さを乗り越えないと思う。

 そうでなければ、センセイは何一つ始まりもしないと、小手先だけが身についた所で、ここぞと言う時に崩れるなら、彼にとっては技術なんて言う者は、価値の無いハリボテだ。


「古傷が痛むな、心も体も、あいつと当たるまで三日、無理難題過ぎるだろう」


 ただ最愛の敵が近くに来ただけで、心が潰れて死んだのだ。

 どうすればいいんだと泣き叫ぼうにも、今までの人生で、そういう事を相談できる相手もいない。

 人との繋がりと言う意味では希薄すぎのだろう。自分の殻に篭る事に関してなら、妹すら上回る超一流だろう。

 彼はそれぐらいしか機能を保有していないのは、たった一つの繋がりしか無いからだ。


 その繋がりが妹だけと言う、なんとも酷い人間関係。

 妹なんて好きでもないというのに、過去から、必死に手繰り寄せて、結局残ったのが復讐という繋がりだけ、なんとも分かりやすい破綻の形だ。

 彼はその根底が破綻した時から、大切な絆は全て断ち切っている。

 ただセンセイに残された、最後の絆を断ち切る為だけに動いていると思えば、もうこの終わりがどうあれ、彼はきっと何一つ残せないと言う事だけは事実だろう。


 もう剣だけを振る人生に変わるかもしれない。

 本当に極限まで人の絆が薄れたら、最後に残るのは手元に残るそれだけだ。

 完全に孤立する為だけに動く人など、その行為全てが破滅に繋がる。そんな人物に残るものなど何一つ存在しない。

 そんな事を彼が考えると、当たり前の結論をひとつ弾き出す。結局のところセンセイと言う男は、死にたいだけじゃないのかと、それもきっと間違ってはいないだろう。


 それぐらいには、彼には何も存在しない。

 妹を超えたいんじゃない、ただ殺したい、それは復讐ですらない。ただ殺そうと考えているだけで、ここまで来てしまったガラクタだ。

 けれど、彼はそれでもよかった、残らないことがじゃない。


 妹を殺すことだけでよかった。それぐらいに何も残さなければ、あの化け物には届かないのだと確信していた。

 妹、妹、妹と、それだけしか彼には無いほど、彼の頭には妹しかないのだ。


 それが証拠に、今まで父親の事すら、センセイは考える素振りを見せない。剣聖のことなんて最初から眼中に無いのだ。そもそも次が父親である事すら、彼は気にしていないのかもしれない。

 どこまでも澱んだ目は、たった一つにだけ焦点に定め、それだけを睨み続けている。他の誰にも負ける訳がないと言う発想は、父親の決意を軽く罵倒しているだろう。だが今まで彼にそう言う扱いをしていたのは父親の方だ。

 自業自得であっても、それ以上ではないだろう。


「強くならないと、本当にそうじゃないければ、戦う前に終わってしまう」


 それよりも戦う前に、壊れてしまう自分が恐かった。

 またあの醜態を晒すのかと、そう考えると足場すらわからず、自分を失いそうになる。あの笑顔が、彼の心を削り続け、ただ思い出すだけだと言うのに、手が思い出すたびに震えて、戦えるのかすら分からなくなる。

 殺した存在としか、絆と呼べる絆の無い男だ。


 しかも、その絆すら自分が殺したと言う、繋がりに過ぎない。

 ましてや最後に殺した男など、自分を最後にまで褒めて死んでいったような傑物だ。彼の重さが一番つらかった、あなたを殺した男は恐怖で動けなくなります。

 そんな事があっていいはずが無いのに、事実そうで、そのまま壊れてしまいそうになる事が、その男の死に様すらも侮辱している事に、センセイはどうしても罪悪感を感じずにはいられない。


 殺した責任の重さ、自己の満足の為と殺したからこそ、彼はそれに捕われ続ける。あの日記を見ればわかるだろうが、人殺しであったとしても、センセイは根が優しかったのだろう。だから、どれだけ人を殺そうとも、割り切る事すら出来ずに、全てを抱えてしまう。

 さばさばと割り切ってしまえば、こうもならなかったのだろうが、そうなるには殺しに向かない心の強さだった。だがそれを抱えて足掻いているからこそ、この状況にあっても強くあろうとする事が出来るのかもしれない。

 センセイの美徳はきっと、その愚直さなのだろう。それこそ自身を破滅させる程の、もはや美徳とすら言い難く変貌してしまった、感情が俺かけている彼を救っているのだから。


 ただその中で、必死に強くなろうと考ても、センセイは心を鍛える方法なんて分からない。

 日課の様に剣を振って、何かが変わるわけじゃないのだ。

 百年の月日が流れたとしても、何も変わらないかもしれないけれど、いつか何かの拍子に、ころりと変わっているかもしれないのが、心という代物だ。

 足掻いてやると思う。結局の所、センセイにはそれだけしか機能が備わっていないのだ。

 頑張ろうと言い続けて実行するだけ、課題は山積していて、その全てをどう乗り越えるべきなのか探し続ける事も、必死になるのも糧になるのだろう。


 必死になっている。ただもう二度とあの無様は、繰り返す事だけはしないと、心に剣を打ち込んで、自分の生涯を相手に刻み付けてやる。

 お前の完璧さなんて俺は許さないと言い張る為に、今度こそ、そう本当に今度こそ。


 けれど彼の弱さが、喉の奥から溢れ出す。


「出来るのか」


 本当に出来るのだろうか、どれだけ素晴らしい気高い決意も、暴力の前には轢殺されるのが当たり間の帰結なのだ。

 意思を張る為の力がなければ、どれだけ確固たる意思が在ろうと、価値があるはずも無い。妹を殺すほどの意思があるとして、妹を殺せるほどの力があるのか。

 己の弱さを見つめ直す度に、また新たな弱さが浮かび上がる、こんな状況ばかりで、前に進んでいるのかすら分からず、彼は声を上げて頭を掻く。


「あーもう、何を考えても悪いことばっかりだ」


 泥沼だった。悪いことばかり思いつく、たぶん妹と言う存在を完全に認識してしまった所為なのだろう。

 一つ決着をつけても、また一つ問題があがって、それが全部、全部、心の問題なのだ。

 三日間で力がつけられたとしてもある程度にしかならない。

 自分の心に問題があるのだ。泥沼のようにはまるマイナスの思考、これなら剣を振っているほうがましだと思うが、また訓練所で剣でも振るっていようものなら、あの侍女が飛んできそうな気がした。


 そうなると流石に困る、御前試合が始まるまであと数時間。寝るにしても微妙な時間は、彼の生涯でも珍しい手空き時間と言う奴だった。頑張ると言う言葉だけで、生きてきたような人間なので、仕方ないと言えば仕方ないかもしれない。

 何もしないと言うのが、どうにも苦手なのだろう。

 無駄に思考を重ねて、泥沼状態に陥ったりと、時間を作ると悪い方向にしか進まない典型は、マイナス思考の塊となりつつあったが、それでも何かしようと考えて、辺りを見回してみるが、さほど自分の暇をどうにかしてくれそうなものは無かった。


 やっぱり素振りかと考えても見るが、あんな訳の分からない迷言を叫んで逃げ出した手前、なんと言うか気まずいし、流石に彼も顔を合わせ難くい。

 羞恥心が無いわけでもないので、一応だが人並みに感情がある彼には、流石につらいのだろう。自分の叫んだ言葉の内容がどれだけ意味不明か、考えれば仕方の無いことだ。

 本当に意味が、意味が分からないのだ。


 これから一体どうしたもんかと、首を傾げながら、取り敢えず自室を目指してみるが、途中声を掛けられた。


「おや、魔剣の頑固者を殺したって奴じゃないか」


 それは神童と呼ばれた南方の守護者、彼の妹ほどではないにしても、才能だけなら豊かな北と南の太陽だ。

 だが彼にはあまり興味の無い話だったりする。神童と軍神では、同じ神の名を冠していても、あまりにも差がありすぎた。


「あ、どうも」

「そう薄い反応だと悲しくなるじゃないか、こっちはあの魔剣を殺したって言う剣士がどんな人物かって楽しみにしてたんだぞ」


 部屋に行ってもいないし、探してたんだと、楽しげに肩をたたいてくれた。

 神童は魔剣のライバルと呼ばれた天才だ。だからこそセンセイに興味を持ったのだろう。

 ただの一太刀で自分のライバルを殺し、当の本人は傷一つ負っていないというのだ。その能力の差に、神童自身驚いていた。

 そんな事が出来るのは、軍神ぐらいだと思ってたのだろう。


「どうやって殺したか、なんてのは御前試合があるから聞かないけど。あいつ満足して死んだのか聞きたくてな、実はあいつを殺すのは、きっと俺だなんて思ってたからさ」

「殆ど不意打ちですよ、見事なんていってくれましたけど、まともな闘いなんか最初から用意してませんでした」


 どうしてもこの御前仕合に出たかったんですと、彼は言葉を繋げた。

 だが逆に彼は驚いた様子でセンセイを見ていた。


「あいつが見事だって、お前よっぽどじゃないか。あの頑固者が人を認めるなんて、よっぽどの使い手だぞ、こっちは馬鹿馬鹿と言われ続けてたのに」


 ただ賞賛で彼を迎えた神童ヒルメスカ、罵倒さえ覚悟していたと言うのに、故人を知っていたのだろう逆に驚いて見せてくれる。

 殺した相手から繋がった縁、それに驚いたままのセンセイだが、それが繋がりとなんて思っても居ないのだろう。

 己の繋がりに関して、あまりにも失いすぎて、彼はそういう事に鈍化していた。


「楽しみになってきた、軍神はちょっとつらいが、一つ目標が出来たってもんだ。二回戦で順当に行けば俺とあんたが当たる、その時に存分に語ろうぜ、剣聖なんか打ち倒してくれよ」


 すごくうれしそうに笑った、絶対に負けないから次の戦いで会おうと、そんな事を言ってくれた人間は居なかったのだ。

 頬が緩むのがわかってしまう程、彼は笑顔だったのだろう。


「分かりました、負けるつもりはないので気にしないでください」

「その時には不意打ちじゃないと、どれだけ魔剣が強かったか教えてやる。あいつと同格の俺だからな、絶対に見せてやれると思うぞ、あんたのその暗い顔を晴らすぐらいには、こっちにもいい目標になるし一石二鳥だ」


 だがあんたも相当強いのは、分かるさと彼は言っていた。

 魔剣相手に一太刀で決着できる腕前、ましてや日々が戦場と言い張っていた魔剣という男の不意をつくなんて異常を成し遂げた偉業に、ヒルメスカは感動しか出来なかった。


 だから彼にとっても倒すべき目標が一つ出来たのだろう。

 目の前の剣士、魔剣を倒せるだけの実力を持った存在。自分の目標がまた定まったと喜んでいた。

 しかしそんな褒め称えるべき目標は、すごくばつが悪そうに呟くのだ。


「目標にしても、意味無い。あなたや魔剣のほうがよっぽど強いよ」


 それに目を丸くした神童の姿があったが、そのあとに困ったような顔をしたまま、視線を左右に動かして動揺している発言の主に、腹を抱えて笑うしかなかった。

 見当違いの発言でもしているようしか聞こえず、彼の言っている言葉がやけに子供っぽく聞こえたのもそうだろう。目の前の魔剣を殺したセンセイと言う男は、自分に自信が無さ過ぎた。


「こっちの勝手だ、そう思えるからこっちがそうするだけだ。あんたはあんたが思うよりは間違いなく強いんだよ」


 一体どれだけ上と比べてるんだと、目に涙を浮かべながら笑って、センセイに視線を合わせて肩をたたく。

 少しばかりその手の力が強かったのは、魔剣はあんたに負けたんだと、あんたが自分の言葉を否定することだけは、許さないと言う意思があったのだろう。そして同時に、それだけ魔剣を認めていたと言う感謝もあった。


「そこまで自分が信じられないなら、俺と戦って勝ったら強いって信じろよ。負けたらそのままでいいさ、あんたが強いって言う男が言うんだそれで十分認められるだろう」


 これから殺しあう相手に彼は、進むべき言葉を与えて、頑張れなんて告げていた。

 こっちは全力であんたとやりあいたいんだよと、格好をつけて気取ったように言ってくれやがった。

なにこの神童の快男児ぶり。

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