終章 その少女はただ前を向き
「彼は絶望だけじゃない」
私は明星の言葉を耳に残しながら痛む体を引き摺っていました。
どうにか冷静になった彼女のおかげで、大事には到らなかったのですが、その中で彼女は随分と私に情報をくれました。
その中で私はあの闘いの中心人物の一人であった、そう告げられました。
ですがここまでお膳立てをされて、気付かないほど愚かでも私はありません。
この英雄同士の戦いの結末を知り、それからの事を知っているのは間違いなく、私の叔父なのでしょう。どう考えてもそれしか残りません。
私がこの十二年を叔父と呼んだ人は、叔母さんであったようです。いえ、冗談を言うことではないのでしょうが、きっとあの人が軍神その人なのでしょう。
セインセイズ、そしてあいつ、きっとそうやって言い分けていたのもその辺りが、彼女の含む所であったのは間違いありません。
同姓同名の別人などと、私を揶揄していたように、出会った時から思えば随分と皮肉ばかりに塗れた会話をした物ですが、明星様にも随分と言い分があるのでしょう。私は知らないのではなく覚えていないのです。
ですが、彼女の言葉が事実なのであるなら、きっと私は軽率な発言をしたのは間違いないでしょう。
それについては反省しますが、残念ながら私は図太い女でして、だからどうしたとしか思わないのも事実です。あいにくと彼が絶望しかしていなかったなんて事を認めてしまえば、それ自体が彼の人生を馬鹿にしたのと一緒です。
彼の人生は後悔と絶望しかなかったのでしょう。それは絶対的な事実で、私が否定してはいけないことなのかも知れません。けれど、それでもと、私は思うのです。私が知る彼なら、きっとそれすらも人生だと飲み込むと、どこかで私は彼を英雄のように崇拝しているのでしょうか。
否定できないのです。彼の人生がまるで絶望の虚飾にまみれた代物だなんて、認められないんです。
当事者だという私は何も覚えていません。彼がどう言う人物だったかも、いったいどんな会話をしたのかも、一人だけ蚊帳の外なのです。
早足に帰る私は、きっとそれを聞けば、きっと家族すらも無くなると分かっているくせに、止める足もなく早く早くと心が走り出していました。だってもう叔父さんは理解していたと思う、私がこれを調べるとき家族が無くなる事ぐらい
あの人はそういう人だって私は知っているし、堅物だけど優しい人だった。
ただ一度決めたら変えない頑固者だった事はよく覚えている。よくそれで人と喧嘩した物だ、足が悪いというのに、そういえば馬鹿みたいに強かったっけ。
これまでを振り返りながら、確かに色々とおかしい人だったと、私は笑います。楽しい時間でした、これからそうなるのか、それとも別の何かが待っているのかは分かりません。
ただそれを問いただすことが、間違いだなんて私は思いません。家族に隠し事があるのは仕方ないことです。そう言った物を穿り返す私が無粋なだけなんですが、これだけはちゃんと聞いておくべき話です。あの時、あなたは何故と何故私を家族に加えたのですかって。
どうあっても私はそれを問い正さなければならないのです。あの日々がただの虚飾であるのならと考えたら、私もあの当時の軍神と変わらない無邪気なだけの不見識の存在に、なっていたのかも知れません。そして今それが正しいのか、問いただすための証明行為なのです。
きっとそれが、私の間違っていない行為だと信じています。
「ね、そうですよね」
そうやって私はひとりの家族に話しかけました。無愛想な表情で、じっと私を見る目はいつもと変わりませんが、見て分かる美形なので独身がもったいないと何度も言っているのですが、私の意見に耳を貸してくれない頑固親父、それが私の叔父であり養父のセインセイズ=ニーロスヴォルフです。
いつもと変わらない仏頂面で、ずいぶん冷たい印象をもたれる人ですが、これでも意外と優しいんです。気に入らない人には、容赦なく男女問わず拳を向ける豪傑ですが、自慢の叔父です。
「やっぱり正解まで行き着いたか。むしろあのお膳立てでそれを理解できなかった時の事を考えてさすがに転職の準備をさせようと思っていたのだが、無双あたりに喧嘩を売るようなこと言ってるんだろアイシアス」
「両腕もってかれると思いましたけど、すぐに落ち着いてくれましたよ。私は失神しましたけど、英雄ってすごすぎると思いましたよ。それよりもあの人は強かったんですよね、叔父さんも」
これ以上は隠しても無駄かと溜息を吐く。それと同時に魔法を解いたのか、淡い瞬きと共に叔父さんは姿を変えました。そこには灰色と言うよりは銀色の髪を揺蕩わせた、えらい美人がいました。
どこか少女と言う佇まいに、これがあの聖女と呼ばれ、そして不釣合いに軍神と呼ばれた、国殺しの大英雄アイシャ=エイジアス=クラウヴォルフと言う存在なのでしょう。問答を無用に人を魅了する稀代の傑物の一人。
そして大惨劇王都御前試合で行方知れずとなった、剣神と対を成す死戦の勝者。
「もうこの口調で十年以上もいた。さすがに当時変えられないが、それはご愛嬌としておいてくれ。聞きたい事があるのだろう」
「はい、と言いたいのですが、私は叔父さん、叔母さん、どちらがいいかまず教えてください」
「いまさら呼び方を変えられても困る。叔父さんでいい、そもそも私みたいな歳の女に叔母さんとはずいぶんと喧嘩を売ってるうと思うぞアイシアス。お前はおばさんと呼ばれたいのか」
相変わらず、ずいぶんと直接的な嫌味を言ってくる人だ。
そして何より酷く遠回しにおばさんと、お前も言われるのだと言ってくるあたり、私を育ててくれた叔父さんのままなのだろう。
考えても見れば姿が変わったからと言って、その人の考えや思考が変わる訳ではないのは当たり前の事でした。
「では叔父さん、あの日私は彼を殺したのですか」
「ああ、心臓をぐさりと一突きだ。私は分からないままにお前を殺そうとしたよ、だが兄さんはそれを許さなかった。その結果足を切り落とされて今に至る、最もその時にお前の両手足を持っていったんだが兄さんがそれを許すはずもなかったよ」
「叔父さんが私をですか、当然ですよね。私は仇になるんですから、けど両手足どういう事です私は五体満足ですよ」
身内だと思っていた人間に、さらりと言われる言葉は、ずいぶんと重くて涙が出そうです。
明星様の言う事に嘘はなかった。やっぱり私は人殺しの一人だったようですが、それを認識するとずいぶんと心が重くなった気がします。
それでもひとつ心救われる事があるのなら、おじさんは私に憎悪の視線を向けていない事ぐらいでしょうか。
「いまさらそんな事は思っていない。その手足は私が治したんだ、兄さんの願いを無視できなかった。あの人の最後だけは無駄に出来なかった。あの人は死にかけのお前を私の前に差し出して助けてくれって言ったんだ。
自分を殺した相手を助けてくれって、血を吐きながら意識だってまともになかったというのに、君を助けてくれって、自分の所為で人殺しをさせてしまったって、自分はどうでもいいから助けて下さいだって。
それがどんな冗談か分かるだろう今のお前なら、あの人は私を殺したかったんだ。八つ裂きにしたって足りなかったに決まっている、それでも私だけを殺すために生きてきた人だったんだ。そんな人が私に頭を下げて、必死になって救いを懇願しているんだ」
あんな純粋な願いを、私は見た事が無かったと言った。死をその背に抱えた人の願いなのかと、どうあっても心臓を貫かれれば、回復魔法ではもう間に合わない。
復讐に狂った人生の末路に、彼は人を救うことを選んだのだ。
命の最後を自分を殺した人間に使うなんて暴挙の為に。
そんな発想を私は出来るなんて思わなかった。必死だった叔父は言う。今までの兄なんかよりも、もっと恐ろしい何かに彼女は突き動かされた。ただ深くそう告げた事に介入の言葉を私は忘れてしまった。
つまり彼は、内に秘めていた絶望よりも、必死になって私を救いたいと願ったという事だ。
私は愕然とする。
私はそこまで願われるような事はしていない。私はただあの人を殺しただけなんだ。剣神はいったい私に何を願ったと言うのだろう。そのことを考えても口に出せなかった。
叔父も私が何かを言いよどんでいる事は分かっているのだろうが、それをじっと見るだけで問い掛けようともしない。
これはいつもの教育だ。私は助けない自分でどうにかして見せろと言う叔父なりの教育法。成人を迎えた私になぜこんなにも容赦なく鍛えようとしてくるのか、ただそこに少しだけいつもの表情とは違う何かがあって、それでふともしかして口にされたくないからなのかと、脅えのような物が感じられた。
それでもこれだけは、聞かないといけないのだろうと思う。あの剣神が叔父さんが、私に何を望んだのか、何を願われたのか。
「あの人は何故そこまでして助けてくれたのですか」
これだけは聞かなければ、私はきっと後悔してしまうと思った。
そしてこの言葉はきっと叔父さんにとって一番聞かれたくない言葉だ。なぜならきっと叔父さんは彼の願いを知らない、それでも答えられると思ってしまった。
苦渋をにじませるように私をじっと見た叔父さんは、私が問いただした意味をきっと答えてくれるだろう。けれどそれを口にすることが辛くて仕方ないのか。
開けようとした音の音色を口を何度も閉ざして、酷く長い躊躇を繰り返した。
その言葉は叔父さんが口にしてはいけない大罪を犯すかのような意味を持っているのだろうか。
「アイシアス、お前が殺してあげたからだよあの人を」
その言葉にきっと、私は一瞬何もかもが思考から飛んだと思う。
殺してあげた、自分を殺してくれたから、そんな言葉が会っていい訳がないのに、私はその言葉を納得してしまった。
何より納得のいかない言葉で、それでいて納得しか出来ない言葉。彼が死にたがってた事なんて知っていた筈なのに、私はそのことを肯定できなかった。人に言わせてはじめて理解できる言葉、現実を認識させるたった一つの逃避手段、だからこそ彼はその世界に栄えたのだ。
「あ――――」
この世で最も優しい言葉、それを何より望んだ彼だからこそ生きているなんて苦しみから解放されることを誰よりも喜んだ。
そんなこと私が一番分かっていたはずだ、だってあの時に彼は謝ってたんだから。
「何でこんなことで」
ぼやけた記憶の中から、その言葉だけが頭に浮かんできた。
奪うことしか出来ないからと、傷付ける事しか出来ないからと、私のお母さんを返してくれないと、そうだ彼はそう言ったのだ。
だかごめんと、そんな風に悲痛な表情で、私しか知らないその顔で彼はきっと泣いていた。誰よりも奪われることの辛さを知っている彼は、それ以外の手段を用いることすら出来ずに、ただ破滅に向かってきっと後悔の涙を私に向けた。
そんな言葉で私は彼を思い出した。なんて報われない言葉なのだろうと、そして何より救いのある言葉なのだとも思う。そんなことが救いになった彼の人生はきっと、本当なら哀れと言ってあげるべき話だった。
だから叔父さんは口をその言葉を言うことを躊躇ったのだ。自分がそういう人生に追い込んだ事を知っているから、たった一人彼女すらも上回る化け物となった剣神は、きっとそんな風に復讐を行った私を見て自分を思い出したのだろう。
自分を思い出すしかなかったのだろう。
私と彼は同じだった。意味もなく理不尽に大切なものを奪われて、そうやって壊れていったのが彼、踏み止まったのが私、ただそれだけ。きっと誰よりも対等な軍神である叔父さんよりも、私は彼に近かった。
鏡合わせの軍神よりも、きっと私は彼に近かったのだ。復讐に狂って、母の仇を打とうとたくらんだ私は、そしてそれを成し遂げてしまった私は、誰よりもきっと剣神に近い。隣り合うことも出来ない、ただ同じ居場所を押しのけ合うそういう存在だったのだ。
私はそんな彼を殺した。動機なんて覚えていないけれど、母を殺したことを恨んでいたからだけじゃないと思う。それよりももっと簡単に、私は彼を殺したかっただけ、すべてを奪ったから、私が望んだ世界を奪い去ったから。
そんな姿がどうしようもなく彼と私は被ってしまう。
――――僕はさ、奪うことしか出来ないんだ、だからさ
きっと彼はこの後にこう言うつもりだったんだと思う。私ならきっとそういうと確信を持ってしまう言葉があった。
だがそれはきっと彼にとっては望む言葉でも、聞かされる側にとってはどれだけ辛い言葉だろう。
「復讐はこれでお仕舞いにしよう」
私は自然に出てきた言葉がきっと、正解なんじゃないかと思う。
その言葉があったからなんだろうか、それとも何か別の理由があるのか、私はそうやって踏みとどまってしまった。
きっと私も剣神になる可能性があった、きっと誰もが剣神になる可能性があった。多大の地を奪い尽くす殺戮者の本質がある、きっと彼はそれを止めてしまった。それがきっと彼が出来た最も偉大なことなんだ。
全てを奪うなんて、誰にでも出来る事を、必死になって否定した人殺しは、自分の願いすらも諦めて剣神をやめてしまった。
だから彼は叔父さんに頭を下げることが出来た。復讐をやめて、ただ命を繋ごうと、そのことに価値があるんだと言い張るために、剣神はきっと自分を間違えたのだ。
凄い、彼は本当に凄い。私が彼なら間違える事なんて出来ない。
だんだんと明瞭になるその世界で、彼の顔が浮かんでそれで、ああと思ってしまいました。
なら私は一体彼に何をしてあげればいいのでしょう。きっと与えるだけ与えて彼は逃げ出したのです。そう考えるとこういう復讐もあるのかと、笑えてきますが、そのことに対して被害者一人である叔父さんは、一体どう考えるのでしょうか。
「叔父さん、ちょっと関係ない話だけど、何で男になったんですか」
「兄さんに殺されたお前の弟の鎮魂だよ。最も生まれることはない子だった、だからせめて私がその子の代わりに慣れればと思っただけだ」
「そうですか、私の弟ですか。じゃあなんで私を子供と認めてくれたんです、仇なのに」
それは剣神が望んだからなのか、それとも別の理由なのか、私には分からなかったけれど、聞かなくてはいけない気がした。だってあなたは私を殺したいほどに憎んでいたはずですと。
そのことを叔父さんは否定しませんでした。
「否定できなかった、あの人の言葉を否定したら、私はきっと軍神に成り果てる。純粋無垢になってしまう、それだけはもう嫌だった。私は誰もが肯定する世界でなんて生きていたくなかった」
「三十路を過ぎたおばさんの言う台詞ですか、なんと言うか斬新過ぎて乙女ならぬ御姑って感じですよね」
「茶化すんじゃない。そんなのは全部後付だ、本当はお前の名前を聞いたとき、兄弟をやり直せるんじゃないかと思った、お前は知らないだろうが兄さんの体を使って蘇生させている。だから兄さんが生き返るんじゃないかと思った。
そうなるまでと思ってお前を育てていたんだよ本当は、いつかやり直せるんじゃないかと、無理に決まっていた。私は母親だ、子供に対してそんな気持ちを抱けるわけがなかったよ」
「ようやく本音を口にしてくれましたか。その言葉は私もずいぶんと救われます、私はあなたの家族でいいんですね」
ならそれでいいですと私は笑いました。
それでいいんです、それ以外私は望みません。それが彼の復讐なら、私は受け入れて家族を続けましょう。
「凄いなよくお前は受け止められたな」
「凄いのはあなたのお兄さんです。そして私の仇ですよ、あの人は復讐なんて当たり前のことをやめさせたんですよ。理由がどうあったって、あの人はきっと正しくなかったから、誰より正しくなれたんです。
その方法が間違っても、それでもきっと彼は私たちを救ってくれましたよ。ほかの誰も救ってくれなかったですけど、よりにもよって殺した相手と殺したかった相手だけは救ってくれたんです」
そうだきっと彼は報われなかった。きっと救われなかった。
その人生は後悔と絶望に彩られた代物で、消え去るような太陽の輝きも全部自分で刈り取ったそんな人物だ。彼は救われたのか、私はあえてはっきりと言うしかないだろう。
彼は救われなかった。
結局何一つ成し遂げられなかった。
全てを台無しにして殺されて消えた。
歴史の墓標に名前だけを残すただ残骸だ。
人殺しはそんな代物だ、嫌われて捨てられて、けどそれでも彼の人生はきっと絶望だけじゃなかった。
「そんな人いませんよ普通、全部自業自得だったですし原因の一人はのうのうとまだ生きてる、こんな不幸なことはないのかもしれないけれど、彼は誰よりも間違えたんだからそれが正解なんです」
「なんでそう言えるだ」
「だって彼は救いなんか求めてないんですよ。彼が求めていたのは最初から最後までひとつだけだったんじゃないですか」
それはきっと復讐ですらない、彼がそうなったのは、たった一つの始まりからだ。
そのとき彼が望んだことは、たった一つだけ、叶えられなかった一つだけなんだ。
最後の無意識ですら、誰かを救おうとした人だ。彼が成し遂げたかったのはきっとそれだけ。何時でもいい、きっとどこかで奪うだけの人生じゃなくて、彼は誰かを救いたかった。
誰も救えなかった彼だからこそ、誰かを救いたかったのだ。
私にとっては疫病神みたいな人だったけれど、きっとそれだけは間違いじゃない。彼は救いなんて要らなかった。救われたくなんかなかったんだ。
「叔父さん、きっとさあの人は、誰かを救いたかった。ただそれだけなんだよ」
その言葉に風が吹いた。まるで彼が正解と言うかのように、優しく頭をなでるような風が吹いて、私達家族は涙を流して、そして笑う。それで彼のことはお仕舞い。
後はただ前に彼が奪って、彼が救った、数奇な私の人生を、ただ一歩一歩と歩いていく、そして誰か一人を救えればきっとそれだけで、彼の人生はきっと間違っていたと言える。
私は彼を正しいなんていってやらない。彼の人生は間違っていたと言い張ってやる、彼の人生にはきっとその言葉が相応しいから、だから誰が彼の人生を正しいと言っても間違っていると言い続ける。
人を救う事を間違えなければ出来なかった。そんな彼の人生にはそれが一番相応しい言葉なんだ。
執筆BGM ナナムジカ アメノチハレ




