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三十二章 自殺者の論弁

 血が床に滴り落ちていた。一つのうめき声、押し殺したように響く音は、夜の帳に酷く反響していた。さえぎるものも無い筈なのに彼の耳の酷く残っていたる。

 また殺さなかった、彼はそんな事を心の中で呟いていて愕然とする。自分の心が当たり前のことのはずなのに酷く不快に響いた。まるで自分が殺す事が当たり前のような物言いは、彼の本質を示しているように思えてなんとも言いがたい悪寒を感じる。


 彼に戦いを挑んできた無双は、満面の笑みのまま彼を見ていた。

 一体何が理由だったのか分からない。またも妹だったのかすら、ただもう一度やろうと彼に言ってきた。

 断ってみても、逃がさないと通路を塞ぐ彼女に煩わしさを感じていたが、その程度で人と戦えるほどの理由にはならない。仕方なしに道を引き返す事にしたのだが、問答無用と彼に襲い掛かってた彼女に対して、容赦などする事も無く剣を振り一合にて決着する。


 彼女の持っている魔法剣もまた、一つの伝説を飾る事が出来たであろう剣だ。それを数時間で手に入れた彼女の豪運ぶりもさる事ながら、その様な代物を躊躇いも無く両断して見せた彼の技術もまた異常と言うしかないだろう。

 聖剣殺しといってもいいセンセイの軌跡を受け損ねた彼女は、そのまま片目を切り裂かれ、地面に転がり呻き声を上げていた。


 二人の間で起きた事態は、それぐらいの事であった。これが後の大英雄の姿とは誰も思えないだろうが、この時代においてザインザイツとは御前試合に登場した剣士の全てに及ばぬ剣士であったのは間違いない。

 それでも剣神に挑んで生き延びたその実力だけは間違いない。彼の剣は首を絶つのだ、それを二度もよけきった彼女の実力を否定する者はこの当時の人間ではいないだろう。

 

「たたた、いた、剣士の命である目を斬るなんて、自殺しろって言ってるかな」


 切り裂かれたか為を押さえながら、二度と光のともる事の無い目に、少しの後悔を彼女はしているが、理解するしかないだろう。この剣士は自分相対したどの敵よりも強いと、魔法剣を切り裂くなんていう非常識は、あの軍神にだって出来ない。

 こと剣において、剣神が最強である事を否定することはもはや誰も出来ない。


 だから自然と賞賛の声がでたのだが、随分と彼女らしい物言いは、自分自身で空気を読めと言いたくなる代物であっただろう。それに対して憮然と返した彼の言葉も他意外なものではあった。


「両目とも光のささない人間に言う台詞じゃない。挑んできたあんたが馬鹿なだけだろう」

「乙女を傷ものにして何を言う君、基本的に乙女を傷つけた場合は十割男が悪いんだぞ」


 そんな不等式は知らんと斬って捨てそうな彼だが、あまり日常生活を経験していないためか少しばかり動揺している。そうなのかと納得しそうな彼だが、あいにくと自分が出来る事が少ない事を理解している為、止めを誘うと剣を突き出してみた。

 無駄に優れた剣士である彼の神速の突きは、手加減されていたとは言え、心臓に悪いものでザインザイツは必死になって間合いから飛び退く。


 どうにかよけきったその突きの速さ、涙が出そうになったが、必死に堪える彼女の姿は、さすが十六の子供と言ったところなのだろう。


「知らん、死なないだけましだろう」

「どうかとおもう、絶対にどうかと思うよそれ。ほら少しばかりの読み物なら、ちょっと甘酸っぱい感じのロマンスがあってもさ」


 これがかつて軍神信者だった彼女の姿だ。

 今は剣神信者とでもいえばいいのだろうか、どちらにしろ彼に魅せられたと言うのは随分と教育上最悪と言っていいだろう。

 元が奔放な傭兵と言う気質の所為なのか、それとも彼女生来のものなのかは分からないが、多分後者なのだろう。


「冗談にしても酷い、子供の父や母の絵の様に無垢な悪意しか見えやしない」

「親愛に彩られた子供の絵をなんと言う侮辱で塗りつぶすんだ。君は酷い奴だな」

「善意の押し売りって奴だろう。アレほど迷惑なものって無いよな、言ってる本人だけは自分が素晴らしい人物と勘違いできる所とかが特に、自画自賛の発展系くさいやつ」


 シニカルに笑うセンセイの姿に、流石に引いてしまうザインザイツだが、それは仕方の無いことだろう。

 どこまで人の全員を悪意にしか捉えられないのだと思うほど、彼の根性は捻くれている。これが神童だったのなら、敬語になったりとある意味では猫を被っているのと変わらない状態になるのだが、それは彼が尊敬している人物だからであり、それ以外に欠ける配慮などさらさら無い。


「それを聖職者辺りに言うと、聖書で撲殺されるよ。僕が断言してもいい」

「図星ってことだろう。寛容を尊ぶ聖職者が、経典で殴りかかるなんてバーレスクでもなしに、随分と皮肉が利いてる。そんな事あるわけないだろう」

「乙女の勘って言うのは、男なんかの理論よりも随分と洗練された千年以上の練磨があるんだよ。男如きの理性論法なんざ女の前には無力ってもんさ」


 そうかと彼は呟いてみるが、きっと自分が聖職者に襲われたら、躊躇いもせず殺してしまうのだろうと嫌な事を思い浮かべる。そうなるのは嫌だと、内心では思いながらも、どこか他人事のように思えてしまう。


 それはきっと彼がかける配慮は自分が殺した人々だけであり、それ以外の人間は興味がないといえばそれまでなのだろう。

 何度もいっているが所詮彼は過去に生きる人間だ。人の触れ幅において終わったことしか彼にとっては救いにならない。少しばかりザインザイツの言葉に惹かれたような動揺を見せたからと言って、そこから抜け出せるような男ではない。


 と言うより抜け出す気なんて更々無い。

 彼はこのままずぶずぶと底なしの過去に埋もれて、歴史の虚飾に飾られるのがお似合いな男だ。


「じゃあその理性論法から行くと俺の人生なんてのはファルスってことか。皮肉どころか、的を射過ぎて気持ち悪い限りだ」

「後ろ向き過ぎるね。いい事だってあったんだろう、じゃ無けりゃ人生をそこまで悲観できない。こんなの自分より年下に言わせる言葉じゃないと思うんだけど僕は」

「そう言うのは大体自分で斬って捨てた。ああけど楽しかったのはあったな、あれだけだ俺の人生が輝いてたのはきっと、意味と価値があるのはきっとあそこだけだろう」


 目を瞑って思い出せる光景、いつも誰かを殺していた光景とは違う。

 ただ全てを尽くした殺され合い。きっとあの時だけは救われていたと彼は思う。そしてそれ以上の救いもいらないと。


「うわ楽しそうだけど、聞いたら最悪そうなイメージだね」

「神童との戦いだけだ。あそこでなら死んでも良かった、殺されても良かった。生れて初めてだと思うよ。殺した人間に嫌悪感をもよおさないなんて」


 羨ましいとなんて思わなかった事なんて一度っきりだと、流石に口には出来なかったが、気配で彼から感じる空気で彼女はそれとなく気付いていたかもしれない。

 乙女の勘とやらは随分と昔から女性を構築する染色体が練磨を重ねていたらしい。


「すっごい後ろ向きな表情、さっきまでいい事があったって思い返してた表情じゃないよ。人生どこまで損してるんだい」

「一つの救いがあれば十分だろう。後はあれに勝って殺せりゃそれで満足なんだ、それ以外欲しくない。これ以上の重荷はごめんだよ全く」


 少し動きづらそうに彼は体を持ち上げると、剣を突きながらまた歩き出していた。

 目も見えないというのに、しっかりとした足取りはともかく。どこを目指しているのか本人は分かっているのだろうか。

 彼女は彼が歩く方向に驚いて、彼を止めようとするが彼の剣の間合いは居る事を体が拒絶した。


 喋らないだけで彼はこれ以上の足止めは勘弁してくれと言っているのだろうが、彼の向かう先はさすがの彼女も止める選択肢しかない。よりにもよってそこは葬儀場だったのだ、今日彼によって殺されたものたちの合同葬が行なわれている場所。。

 どう考えたって遺族に対して喧嘩を売っているようにしか思えないだろう。

 だが彼から放たれる剣気が、獣染みた彼女の危機察知の感覚に動くなと指示を下す。全身全霊を込めて体が動くなと自分に意思を下していた。


 今までの空気がなくなった彼の姿は、殺戮を旨とする神の長。死神たちの棟梁といっても差支えが無い。

 彼としては神童に対する鎮魂を捧げたいのだろう。しかしそこには神童の死体は無い。多分葬儀と言う言葉だけを耳にして偶然ここに来たのだろうが、仮にも彼は四方卿の一人だ。剣聖や不敗そして彼女と同じく、この国の軍事的序列最上位の人物。市民には悪い話だが、別格の扱いを受けても仕方が無い。


 現在は霊安室で夫婦共々、防腐処理を施されゆっくりと眠っている。

 その隣では不敗に、剣聖と言ったこの国の大人物達も眠っているが、どうしても予想していない事態である為、少しばかり死体の人口密度が上がっているが、これも明日までの話だ。


「ち、ちょ……っと、まってて、そっちには神童なんていない。いないんだよ」


 彼の空気に呑まれて声が出せなかった彼女は必死になって声を上げる。

 一度は誰も救えず彼に殺させてしまった身だ。どうにか化け物の恐怖を拭い去り、声を上げると、驚いたような声を上げる。


「え、なんで」

「いやいや、そっちは騎士達の一般葬だよ。南方武卿である彼が一般人と同じ葬儀されるわけ無いだろう。貴族だったんじゃないのか、流石の僕も真っ青だよ」

「あ、ああ、そうだった。同類だと思ってたから、適当な感じで葬儀上げられると勘違いしてた」


 酷い侮辱である。


「平然と言い切ったよ。僕も少しばかり愕然としちゃうよそれ」

「そうだそうだよな。あの人は俺と違うんだよ、ただちょっと人としての本質が似てるだけで、ちゃんとましな人だったんだよ。だから憧れたって言うのに、酷い侮辱をしていた。反省しなければ」

「いや、あの剣を極める事しか考えてなかった人格破綻者だったし。同類だよ、思いっきり同類だけど、ただちょっと身分が違うだけだよ」


 同類と言われる事に酷く嬉しそうな彼の表情に彼女は戸惑ってしまう。

 彼としては人生で憧れた二人目の存在だ。あんな風になれれば強くなれると、勝手に思って勝手に憧れて、二人が同じだったからあんな奇跡が起きた。

 そんな人間と同類と言われる事は、彼にとってどんな賞賛にも勝るだろう。強いてこれと同格のものと言えば、人殺しと言う罵倒ぐらいだろうか。


「わかんないよ、流石にわかんない。まともな思考じゃないのだけしか分からないや」

「当たり前だろう。家族を殺そうなんて考えるのは、人非人ぐらいもんだ。そんな奴がまともならこの世は悪夢に決まっている。ただもう俺はそれしか出来ない、まともでいられるわけが無い、あの人がいなくなった今俺には本当にそれしかないんだよ」


 その声に酷い冷たさを感じた彼女は声を出せなかった。

 自分の狂気を自覚しているのであれば、人はそれを正気と言うのだ。自分がまともじゃ無いと自覚したのなら、生きているだけでさぞ地獄であろう。

 自分が狂っている事を受け入れられる人間なんてものは、狂人にだって存在しない。狂人と言うのは狂気と言う正気を持って正気を狂気としているだけに過ぎない。それを自覚したまま歩くと言うのは、ただの化け物だ。


 この精神性が彼を剣神にてしまったのだろうと、言わなくても理解する。

 こうやって自分の心を痛めつけ続ければ、目の前にいるようなそうとしかいえない人間が出来るのだろう。

 例えば死神としか言いようが無いような、剣しかないような、復讐しかないような。ただそれだけの人間に成り下がれるのだろう。


「それは僕も勘弁して欲しいね」

「だろ、だから明日で全人類の都合の悪い悪夢はおしまい。それまで悪夢を存分に楽しめ、目が覚めてたら綺麗な朝日が拝めるさ」

「その朝日を斬殺しようとしている君に言われるのは心外だよ」


 その反論に返す言葉はなかった。

 彼にとっても妹はきっと太陽だ。その光を彼は消そうとしている。

 だがそこにためらいなんて無いだろう。きっと殺すと願い続けて、それだけしかない男なのだ。

 ただ否定できないだけ、口にポツリと出すのは負け犬の遠吠えだけだろう。


「そうだったら俺を呪えよ。むしろ呪ってください、恨まれるのも呪われるのも随分と慣れたからな。いっそそれだけに成れればきっと俺は幸せだろうし、そうなるべきなんだろう」


 ただ彼は納得するように頷いた。自分と言う存在を鑑みて、あの日妹に必死に頭を下げていればどうにかなった筈なのだ本当は、皆を救ってれと恥も外聞も無く、必死に叫べば彼はあの惨劇を救えた。

 自分が積み上げる後悔もきっと無かった。

 今の様に泣き叫ぶ人々の姿なんて存在しなかっただろう。もしかしたら自分は随分と昔に殺されていただろう。そうすれば誰もが幸せなままだったと彼は断言できた。


 そして振り返った自分を思い出しながらザインザイツに話しかける。


「人殺しには死ぬべきだ。どんな理由があろうとも、殺人と言う手段を持って動くような存在は死ぬべきだ、人に頼ればいい、ありとあらゆる人間に媚び諂えばいい、そんな事もせずに全ての手段を失っても、己の矜持など溝に捨ててでも抗い続けなくちゃいけない。

 それが出来ない人間に生きていく価値なんてある分けない。人殺しの理由を人の所為にする奴なんて死ねばいいんだ。俺はそういう人間だ、全部妹の所為にしている。全部妹の所為だと言って、我が侭を言いながらあいつを殺したがっている。

 その為だけに人を殺して平然としている。ただ邪魔を排除していると言う感覚しかない。人は死ねと笑っているだけ、人殺しと言うのはこういう奴だ。全ての手段を殺人でしか終わらせられない卑怯者の代名詞だ」


 その全ての言葉が自分に返ってくる。

 自身の罵倒を繰り返しながら、感情を握り締めてただ硬く硬くと心を潰す。罵倒全部が自分に帰ってくると言うのも滑稽な話だが、彼は自分か妹の罵倒しかしない。

 だがそれは人殺しである彼女にだって帰ってくる話だ。この御前試合に出てきた全ての人間は人殺しである。彼の言っている言葉は自覚してしまう言葉でもある。

 ザインザイツお前はただの人殺しだ。英雄であるわけがないと、義務を言い訳にした、生業を言い訳にした卑怯者だ。


 自覚ない自分への罵倒は、彼女にだって突きつけられる言葉だ。

 なんて無残な人類信者であろう。誰よりも人殺しを容認しない殺戮者は、彼女にありがとうとだけ告げると神童の安置された霊安室に向かっていった。

 それを止める事は彼女には敵わなかったが、自然と彼の後ろを彼女は後ろを追いかけるように歩き出す。


 何か言わなくてはいけない事があるとでも言う様に、必死に彼の背中を追いかけていた。

 彼もそのことは気付いていただろう。だがもう言うだけのことは言った、語るべき言葉も彼女にはない。

 ただ最後の別れだけは済ませたかった。

 明日死ぬであろう自分の決意を語るためだけに、死体は何一つ語らない事を知っている敗残者は自分を唯一認めてくれた人に最後の別れを伝えたかった。


 引きづられる剣の音は、夜にやけに響く。いつの間にか彼の後ろを歩いていたざいんざいつの姿を幾人かの人が見たが、このおかげでこの夜彼は誰一人殺すことは無かった。これはきっと彼女が褒め称えられるだけの行動だったのだろう。

 霊安室は闘技場の中にある。そこを迷うことも無く、目も見えないくせに平然と歩く、彼女の理解からは随分離れためくらは、見張りである兵に止められ剣を向けそうになったが、一応権力者のザインザイツのとりなしもあって、霊安室まで一つの騒動も無く入る事が出来た。


 その事を彼は感謝もしたが、口に出せる言葉はもう数少ない。

 ぽんと彼女の頭を撫でると、出て行ってくれと申し訳なさそうに呟いた。よく自分の妹にしていたことだ、首を切り落した最愛の妹に、我が侭を言い出すとこうやってあやしたと過去に笑う。

 きっと素晴らしい人生だった。

 絶望ばかりしかなかったが、きっとあそこで笑えたことも、神童と戦えたことも、絶望を拭い去るだけの価値はあったと彼は思っている。

 だがそれでも止まれないのだ。それしかない、それしかないから。


「分かったよ。出てくるまで待ってるから、子供みたいなあやしかたは止めてくれ。こう見えても西方武卿なんだ、色々と形式があるでね」

「悪い、困ったことに女性の扱いはあやす位しか知らないんでな」

「僕はなんと言うか、本当君みたいな夫が欲しい気がするよ。弱い男だけど、これが母性をくすぐると言う奴なのかな。甘やかしたくなる」

「お断りだ。生きてる限り、もう絶望だけで十分だ。それだけで生きていける、それだけで歩んでいける。それだけで死んで行ける。もういいだろう、これ以上はもう話すことは無い」


 そう言うと彼女を扉の前に押し出す。少し強引に彼女の背中を押していた為、少し後ろにつんのめるような形でバランスを崩していたザインザイツは「うわ」と声を上げて、倒れそうになる。

 その時偶然ではあるが、彼は彼女の顔に触れてしまい手に粘性を帯びた液体がつくのを感じた。ありがとうと言って立ち上がる彼女を気にせずその液体の付いた手を近づけると、随分と慣れ親しんだ匂いだった。

 

 一体それが何であるかを理解した彼は、呆れた様に溜息を吐き彼女に告げた。


「いい加減目の治療しろよ。血塗れで多分見張りもびびってたから」

「それは早く言うべきだ。これ一応一張羅なんだから。お気に入りが血塗れで台無しだよ」

「そればかりは、めくら相手に言う台詞じゃないだろ。気付かないお前が悪いぞ流石に。一応付いてきてくれて感謝してる、またあとでな」


 扉が閉まると、彼は中から鍵をかけたのか扉が開くことは無かった。


「嫌味の一つも出てきたら言ってやろう。こっちは傷ものされてるんだ、暴言の一つも吐いても許されるさ」


 だがそれだけじゃ飽き足らないのか。頬を歪ませて厭らしそうな表情を作っている。

 嫌がらせをしてやろうと言う悪戯心を台無しにされた彼女は、せめてと耳を済ませた。本来なら聞き取れるわけが無いが、そこはザインザイツ魔法を使い音を中から引き出す。

 しかし彼が語るべき言葉はもはやない。


 ただ決意を決めるだけの事だ。

 夫婦の前に立ったまま剣を杖にゆっくりと冷たい床に座る。地面に転がる剣の反響に思わず彼女は耳を扉から離すが、別に彼が気付いた様子は無い。

 そして少しの間、音も無い静寂が続いていた。二度ほど彼の呼吸の音が響くだけで、いくつの時間をかけたのか分からない程に長い静寂が続く。


 死人に語りかけるのだ。言葉が必要なわけが無い、なにより死人が語りかけてくれるわけでもない。ただ答えが欲しいわけでもなく、センセイは自分の悲鳴を吐き出して決意を作り上げるだけ。

 既に決まっていることなのに、何度もためらって怯えた心を打ち直す為に、その思索が終わる頃、彼は少しの眠りについていた。外でザインザイツが怒っているかも知れないとも思ったが、あの彼女の性格だきっと寝ていると核心をして楽しげに息を吐く。


 ただ朝の光を肌に感じながら、ここが霊安室であった事を思い出す。こんな薄気味悪い死体だらけの場所でよくも眠れたものだと関心もするが、ここだからこそきっと自分は眠れたのだろうと彼は思っていた。

 ここは誰もが静かに眠る場所だ。誰一人彼を邪魔するものは居ない。しかしまだ戦いは始まらないとは言え、準備は色々とある。最後に世話になった人間に挨拶するのもいいだろう。

 王道とザインザイツそれ位しかいないが、彼にとっては珍しく生きている繋がりだ。どうせ今日が終われば自分はどうあっても死ぬのだ。


「自殺者の身辺整理と一緒か。いいか、じゃあ父上、神童、フジさん、今日あいつを殺しに行ってきます。好きに見ていてください、こっちも好きに生きて死にますよ」


 ただ軽く手を振って、晴れ晴れとした声を出しながら、彼は死ぬ為に歩き出していた。

 


執筆BGM

amazarashi クリスマス

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お、作中少ないギャグ描写だ、ありがたい
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