二十九章 流血回廊 後編
ただが終わり安息だけに支配された場所は、騎士の無遠慮な声によって台無しにされる。
心当たりの多すぎるセンセイは、その事にどれだと言いたくなったが、相手から吐かれる気勢は、どうにも苛烈な敵意を含んでいる。
そこに少しの怯えがあったのだが、光を失って彼は少しだけ驚いていた。そういえばとも思うのだが、相手の呼吸が読める、その今にも襲い掛からんとする騎士たちの意志が手に掴み取るように感じられた。
目で見ていたときには感じることすら出来なかった、それらの感覚にむず痒い物を感じたが、それ以上にこの戦いを無粋で汚そうとしている二度目の闖入者に、どうしても殺意を向けたくなる。
職務に忠実な騎士達、だが蛮勇と言うしかない。
だがその男はかたわのめくらだ。姿だけを見るのなら、彼は戦いすらままならない人の欠陥品と例えられても仕方が無い。実際そうであるし、その事を否定する事は誰にも出来ないだろう。
欠陥を抱えるとは、どうあっても同情にしろ侮蔑にしろ、そうとしか見られないという事実は消せはしない。騎士達は実際そう思い彼を侮っている、先ほどの戦いを見ていないという理由もあるだろう。
この男はその程度では何一つ変わらないという事を、知りはしないのだ。ただ闘いの結果で光を失ったと、そう勘違いしているだけに過ぎない。
何より彼らは見てしまっている。センセイが行なった殺戮の後を、血の連なる首の残骸たちをその光景を見てしまった以上、侮りや侮蔑以外にも義憤と言う別の感情があるのもまた事実だ。
戦いの始まるいや、神童の妻フジと別れてから、半刻も要さないほどの時間、彼は一人の従者に襲われた。当たり前のように彼は剣を抜き、新しい剣の試し切りと言った具合に斬り殺した。
当然の話だ。自分に刃を向ける人間に、躊躇いを向けるほど彼は優しい人間ではないし、抵抗は殺される側が行なうべき義務だ。
しかしだ呪いはもはや成立しているのだ。その兄妹の殺し合いと言う、軍神を汚さない為に突き動かされた者達は、心の弱い者から次々と動いていた。だが彼らは全て実力が伴わない、彼に殺気を向けて第一歩目を踏み出す瞬間には首を切り落される。
傍から見れば一方的な虐殺だ。見るものが見ればと言うが、その現場と状況を判断すれば、戯れに人を殺害し続けたようにしか見えない。
一部の正気だった人間はその光景を見て、彼が正気を失って殺し始めたといっただろう。
センセイとアイシャを戦わせるという事態を避ける為に、歯車が包まれたように彼の行なった行為は知れ渡り、戦いを見て熱狂しているもの達以外は、彼に恐怖し弾劾する。
死体の全てが武器を持っていたことなど、目にも入る事は無いだろう。それ以上に転がる首達の残骸が、そのような視点を奪い去る。
そして誰もがこう結論を出すのだ。
センセイは正気を失った殺戮者だと、この闘いには相応しくない存在だ。誰もが否定し始める、牢に入れて処刑してしまえ。
同時に軍神に殺されてしまえと言う物も居る。どちらにせよ大抵の人間が死んでしまえとと願っている事は間違いない。
人殺しにはそういう応報が訪れるのは、そうやって生きてきた彼の業という物だ。
「貴行が起こした殺戮、申し立てをするまでも無い事だ。あれほどの惨劇を起こして、何か言う事があるのか」
一体どれの事だろうと思う。
殺すだけなら随分と殺した、しかも戦いも知らない様な存在達まで徹底的に、過去を問いただされているようで痛む心は、彼がまだ正気である証明なのだろう。
一生消える代物ではない、そしてその事に彼は口が開けるわけが無い。過去を糾弾されるのは、彼にとっては最も望むことでありながら、その痛みに耐え切れるほど強靭でもない。
彼の周りを囲んだ騎士達は、動くなと切っ先を向けて牽制するが、目の見えない彼にそのような事をしても無駄である。とは言え、光を失っても見えないというだけで圧力が変わるわけでもない、実際にされればストレスは凄まじいだろう。
ただ彼にとって辛いのは過去であり。それを糾弾しようとする騎士たちの言葉であった。
王の前で不敬極まる騎士の態度といえばそうなのだが、彼はもはや看過できる人間ではないのだ。
彼が歩いてきた今日の道のりにある、キーケス回廊と呼ばれる場所は白金回廊と呼ばれるほど、美しい白色に包まれた場所であった。
だが今はその影は消え失せ、死臭が漂い死体を啄ばむ黒い鳥達が死体を租借しながら、おいしそうに鳴いている。目を抉り出され、皮膚を抉られ、そうやって処理できない死体たちが、惨劇をさらに彩り、死体に慣れている物ですら耐えかねる有様であった。
そして彼の癖といえば癖である。首を切り落すという手段が、あまりにも平等に行なわれすぎて、それが気味の悪さを引き立たせ、魔人が感じたような彼の斬るという手段が、そのままですら死体が生きているような錯覚をもたらす。
不用意にその死体に触れれば動き出すようなその錯覚は、触れる事すら躊躇われる負の芸術といっても過言ではなく。死体が啄ばまれる現在ですら誰でも死体に触れようとする事が出来なかった。
そんな死体を作り上げた彼は、奇異されても仕方ない。
少し時間をかければ、娘を殺された母親が、まだ生きていると言い張り死体を処理させないという事態にも陥る事になる。
技量を極めすぎた結果の副作用なのだろうか、一生懸命に切り落された首を一生懸命つなげようとする母親の嘆きは一昼夜消える事は無い。
「知ったことじゃない」
しかしそんな嘆きを彼は踏み潰す。
そうするしか無かっただけではあるが、彼は強くならなければならなかった。神童を殺してその妻を殺して、自分が守るべき全てを殺してきた。
だから自分が殺した人々のからなる怨嗟など、彼にとっては安息ですらある。自分はようやく恨まれるのだという、あまりにも歪んだ心の充足。
それを十全に表現するように彼は引きつりながら笑う。
いつものように自分を偽らない為の笑い方だが、彼は元々顔が整っているが、卑屈を極めたようなその笑みはまるで相手を馬鹿にするように歪み、語った言葉を一層醜悪なものへと変えていく。
「それより君達、人に剣を向けてるんだ。殺されても知らないぞ」
彼からすれば忠告だった。
ただ挑発するような言葉に、小馬鹿にする様な笑みだ。相手がどう取るかは目に見えていた。本来なら彼は捕縛ではなく、その場で斬り捨ててもいい程の大罪を犯している。
彼らからすれば処刑するとして、温情をかけていると言っても過言ではない。王の前という理由があったしても、それはあまりにも彼らからすれば侮辱が過ぎた。
まだ騎士の統括をしている年配の男が抑えているから彼は死なないだけだと、勘違いをしているだけ。だが観客たちは泣き叫ぶように言う、騎士達に逃げてくれと願う。
敵うわけが無いと、その戦いを見ていたから知っている。光を失った男は、それすら気にせずに戦える何かがある事を、だからこそ神童は死体を晒していた。そして彼が勝利と言う形で幕を引いたのだ。
「貴様がおとなしく捕まれば」
「無理だな、どう考えても無理だ。俺はこの後軍神と戦わなくちゃいけない、それは絶対だ断らないといけなくなる」
その不穏な声を聞き流石に騎士達の表情に怯えが混じる。
彼から発せられる言葉は、ある意味では最後通告のように重く響く。口から当たり前のように吐かれる死刑宣告を聞いて、何一つぶれる事無く殺意を向ける姿があまりに自然で、呼吸をするように人を殺すことを告げる。
当たり前の姿が、ぶれてずれて狂っている。どうすればこうなるのかと、彼を作った人間に問いただしたくなる。人はこうまで終わってしまえるのか、何故ここまで終わらせた。
その問いに答えられる一人は、蒼白とした表情で現実を認識出来ていない。
あまりに純然たる事実を突きつけられた少女は、生まれて初めて受ける悪意に、何が起きているのか今が現実なのか、なにより自分は何でそこまで兄に悪意を向けられるのかが理解できない。
何しろ彼女は理由を知っているが、それを理解していないのだから当然だ。
彼女が生まれたときより狂っていた歯車が、ここでようやく瓦解しただけの事。
そして溜めていた感情を吐き出した彼は、彼女よりも随分と落ち着いた姿に見えた。たまりにたまった膿が出てきたのだ。
すぐにたまる代物とは言え、神童のおかげで随分と心は穏やかなもので、静かな安息が流れている。
そこにさらに心を充足させる他殺願望の後押し。今だけは彼は救われているのかもしれない。きっと誰もその事を知らないだろう、人殺しが優越の笑みをこぼしていると勘違いしているのかもしれない。
しかしそう勘違いされても仕方ないほど、彼は静かな空気の中に佇み、罵声が彼を避けるように響いていた。
「それがどうしたのだ。罪を負ったののなら然るべき報いを受ける。そのような事赤子でも分かるわ」
そこに無粋に割り込んでくる声だからこそ、少しだけ彼は邪魔だと思った。
だが同時に納得もする。そうだ自分もいつか報いを受けなくてはいけないと、忘れていたわけではないが、復讐にかまけすぎていたのも事実だ。
いつか来るであろう報復の時、そのときにはきっと甘んじて自分はその災禍に晒されるだろうと思いながら、杖代わりの突いていた剣を構える。
「言いたい事は分かる、それに対して取るべき行為も分かっているだが」
「それは正気の行為か、分かっていながらそのような」
今はその報復すらも斬り殺さなくてはならないのだ。
ただ自業自得の重みに息を吐きながら、過去を賛美する逃避論者の戯言をさも自分の論理のごとく心で語る。
自分でも分かる醜悪さ、その穢れはきっと晒されるいつかの代償に積み重ねる。
彼が作り上げた怨嗟の形が、自分が許されないという事実を教えてくれた。いつか来る剣がようやく見えて、彼はただ一つの安堵の息をこぼした。
復讐さえされないほどに、全てを終わらせた存在に、願いに願った剣が作られたのだ。
「分かっていても止められる様な気持ちじゃない。諦めきれる思いでもない」
そして誰もが見ている前で罪を重ねる。ゆったりと動くその体、どこかで王道や魔人の声が響いた気がするが、今はもう前へ、ただ前へと進むしかなかった。
感覚の隙間を通すようなその移動、だがそれは全ての人間と言う範囲の代物で、人はそれを時を止めたとでも行ったかもしれない。
「だから悪いな」
ただ一つ絵が飛ばされたように、棒立ちしたままの騎士とは不釣合いに、彼は剣は振られ、ただその一線が早すぎただけだと周りに勘違いさせる。
当たり前のように彼が行なう首狩りの一太刀は、やはり一瞬生きている事を錯覚させる静寂がある。
神童との戦いを見た者達は、彼が容易く捕縛を受け入れるとは考えていなかった。そしてこの結末があることも誰もが予想がついていた。誰が悲鳴を上げるように騎士達に逃げろといったのだ。
しかし彼の剣に止める間など無い。
ここには王道も軍神も魔人も居る。だが彼女達が動くことは出来ない。
それは自分たちが引き金になる事を意味していた。一人使い物にもならない存在が居るが、彼女が動けばその時全てが台無しになる。そういう意味では無自覚ながらに懸命な対応だ。
彼女の行動次第で彼の引き金は容易く弾かれる。そうすれば残されたの本当の意味では血の惨劇だっただろう。
もしではあるが王道や魔人が悪し様に彼を批判すれば、水を得た魚の様に人々は意を得たりといった具合に叫んでくれるだろう。この人殺しと、出て行け、そんな風に罵声の限りが彼の降り注いだだろう。
しかしそれが無意味である事を彼は証明して見せる。殆どの人間が、彼が振った後、王道達が動いていた時の自分達の状況を見せ付けられる。それが自分達に降りかかると理解出来たからこそ、彼らは理解していなくても口を開けなかった。
そして包まれていた静寂、誰が何が起きたかなど理解もしいない少しの間、その中で誰かが「あ」と呟いた。
まだ首が落ちていないからなのか、はたまた首が落ち始めたからなのか。その声と同じく地面に転がる首と鎧の音。
そこでようやく悲鳴が上がる。
血塗れに染まるのは戦ったものたちの血とは全く違う不浄な代物。目に光さえ差さない者の剣かというほど精妙なそれは、あの者に最初から目が必要なかったとそう思えてしまうほど鋭い。
煩わしい悲鳴を背中に聞きながら彼は歩く。杖にする剣は、自分が剣を納める機会などもう訪れないのではないかと言う錯覚からだが、そうして歩く彼の姿はいつでも人を切りたがる殺人鬼の様相だ。
鞘に収める事の無い剣は、振りかざし続ける恫喝と変わらない。
ただ歩いて居る時ですら抜き身をもって歩く存在を、正気であると証明をする事など、不可能と言うしかない。
そんな彼の態度が一層歪んで世界を崩す。まるで転げ落ちるような連鎖反応だが、ただ悪意だけで人を脅かした彼だからこそ、それが信じられてしまうのだろう。彼は人を斬りたがっているなどと言う世迷言が真実味を帯び現実として晒される。
老人のようにすら見える彼の歩みだと言うのに、それに対して恐怖を作り上げる。あれは恐ろしい何かであると、もはや誰も言うまでも無く理解していた。
「まて、不届き者」
だがそんな安息の静寂を王は割って入るしかなかった。ここでただ彼を逃がしては、彼の沽券に関わる問題だ。喉から必死に絞り出したような声は、吃音の様にひかかったような発音で吐き出され、王は彼に対する恐怖心を声から認めていた。
そんな声が落ち着いたのを見計らうように、彼の隣に控えていた男が魔法を使い王の言葉を増幅させながら、闘技場に反響させる。しかしその行為に対してセンセイ何も言わない。
それどころか何をするでもなく、王の頭の上に軌跡再現を振りかざす。増幅した声に悲鳴が混じり王の権威を台無しにするような声が響くのだ。
一瞥さえしない彼の態度。さらに恐怖で追い詰められたのか、必死に罵声を浴びせる観客達が現れ、煩わしそうに叫ぶ声の数だけ首さえ切り落される。
次は無い、そう宣告する為だけに行なわれた行為は、母を殺された悲鳴を上げる幼子の声、王の屈辱という形で表される。それだけで彼らは静寂を彼を阻むなら殺されると理解した。
軍を引き連れて来いと、国とだって相手取ってやると、軍神を殺すためならその程度容易くおこなって見せる。そう脅しているのだ、王にまで挑発的に剣を向けた彼は、国そのものを馬鹿にしているといっても過言ではない。
そして同時に容易く敵対できる相手でない事も証明して見せた。
いつでも殺せると王に斬り付けた一振りは、軍神すら反応できなかったのだ。彼らは思うもう一人いたのだと。
国を相手取る神憑り的な存在が、もう一人いたのだ。ただしそれは死を運ぶ風、命を刈り取る疫病の象徴、恐怖としてしか存在できな死の体現だ。
あれは誰だと、誰だったと、全ての人間が彼が消えていく中で思う。確か敗残と言った、なにがだとあれが、負ける訳が無いではないか。
一瞬の戦い、そこには確かに誰もが賞賛する剣の交差があって、そして終わりは全てが台無しになった。剣のみで森羅万象全てを切り伏せる、彼はそういう物だと誰もが思う。
剣ただそれだけを持って全て証明する悪意の証明。彼は認められつつあった、センセイは認められつつあったのだ。
軍神と順ずる相手であると人々に、誰が呟く。それが当たり前のように浸透して行く。
誰もが彼を敗残などとは呼ばない、死の象徴であり軍神の対極、それは神と呼ばれるしかない存在であると。
彼はこうとしか呼ばれないだろう。もはや復讐と剣しかない男だ、これ以外存在しない。誰もが呟いた言葉、それは彼に対する当たり前の事実のように肯定された。
剣神、誰かが呟いた言葉はそんな代物であった。
執筆BGM 麻里圭子 with ハニー・ナイツ & ムーンドロップス かえせ!!太陽を
10-FEET VIBES BY VIBES
笠置シズ子 買物ブギ