十九章 悲鳴
十九章 悲鳴
彼は衝撃の事実と言ってもいい内容を言葉にしながら、冷めた様子でそう語った。
この王国で起こった中でも、惨劇と呼ばれる反乱は、起きたんじゃなくて起こされたんだと彼は言った。
それを懐かしむように王道に言う。あのときが来るまで俺って結構幸せだったんだと、反乱など一つたりともおきていなかったあの日々が壊されるまではと、聞こえない筈の過去の嗚咽を聞くように、彼はそう笑っていた。
「その日の朝も家族で食事を取って、剣の鍛錬をしながら、まだ小さかった妹の面倒を見てたんだ」
あの時はただ新しい兄妹の世話に手を焼かれていたなと、苦労をにじませた。
彼女はどうにも聡明な子であったと、それに母上が弟を生んでしまった所為で、少し微妙な空気があの頃流れてたっけと、彼は困ったような表情をしていた。
少し居心地の悪い屋敷から逃げるように、いつも庭で剣の鍛錬や、領民達との交流を深めて、少しでも新しい自分の家族達に認めてもらえるように努力をしようなんて青臭いことをあの当時は考えていた。
こう見えても俺って結構優秀な跡取りになるべく努力してたんだぞと、王道に笑いながら告げる。
「けど直系が生まれたときには家臣団や、家族内の軋轢を考えて、父上と話して、弟に継承権を譲れないかと打診して酷く怒られたことを覚えているよ」
弟が可哀想じゃないかと、それに折角生まれた跡取りなんだと、必死になって説得しようとしたが頑として受け入れられる事はなかったんだよと、少しだけ優しい表情で彼は言う。
妹一緒にいさせられたのも、彼女と結婚して、彼に対する継承権の正当性を訴えるつもりだったのだろうなどと、ひねくれた考えをしていたけれど、間違っちゃいなかったんじゃないかと思うけれど、それぐらいには家族に認められていた。
「あれは産まれて初めての事だったよ。家族の団欒なんて忘れてたから、随分と驚いていたのを覚えているよ。それで自分はもう英雄の血統じゃなくてニーイロスの地で果てようなんて思ったもんだよ」
それぐらい、それぐらいには、当たり前を感じられたと思う。
あの時にはもう、自分の本当の妹の存在なんてはっきり言って忘れていた。
「随分と前向きなような後ろ向きな様な発想だな」
「ああ、妹が生まれてから、両親からも心からも領民も家臣からも、実家と言うか生家にいた頃には何もなかったんだよ俺、一人で剣ばかり振るってだけで、見てくれてたのは優しい妹様だけだったよ」
だがあっちは普通に接してくれたからそれだけで十分だった。
「父上は実は剣聖より厳格で公正な人物で、絶対に嘘を言わない人だったんだ。そんなひとから当主の能力があるのはお前だけだって言ってくれたっけ。生まれてきた子には申し訳ないが、私の後継者はお前しか考えられんって」
嬉しくて仕方が無かった、そうもらした言葉は、随分と寂しげで、もう二度と戻らないものだというのが簡単に理解できる代物であった。
「そんな人に王国が行った仕打ちは悲惨の一言だったけれど」
「ノンノールズか、厳格な人物であればあるほど、確かにそれは酷い話だ」
大反逆者ケーリヒト=ニーイロス・ノンノールズ、存在しない貴族という意味のノンノールズを与えられた王国誌最悪の反逆者の一人は、四方反逆者と同じく王国にとっては軽蔑の対象となっている。ちなみにではあるが四方反逆者こそ王国に対して敵対している軍国や帝国と言った他の指導者なのだが、それと同格と言うのだから、王国に尽くし続けた男に対してどれだけの侮辱か。
まして貴族と呼ぶ事すら許されないか、生きていたのなら気凄まじい侮辱に憤死さえしていただろう程の仕打ちだ。
「だがなんというか、俺の生家がやったことは、ある意味ではそれよりも最悪だったよ。あの日起きた始まりの地獄はなんというか、一方的な理不尽だったからな」
あの当時、誰一人意味がわからなかったんだ。
自分達の身に何が起きてるかなんて全くと言っていいほど分らなかったんだと、何度も何度も、彼は困ったように彼女に何度も告げた。
「男爵領は元々が僻地だった、正直貧乏貴族といっていい、領地持ちだから他の王都の無官貴族よりは裕福だっただろうけれど、そんな場所ではっきり言って反乱が出来る体力すらなかったんだけれど、そこに行き成り生家の父の直属の部下であるクランウェルクが来た」
疾風と呼ばれ、英雄の右腕などと呼ばれている人物だ、騎士の完成形の一つと称されていた人物だ。
王道の一度だけ会った事があるが、その忠誠心たるや、未だに彼女の憧れであると言っていい存在で、騎士の見本となるべき存在だが、あの反乱で死んだ一人だ。
四方卿と呼ばれる四人の辺境伯は逸脱した力の持ち主ばかりだった。
だがしたの人間も引けをとらない、神童の妻、疾風に、魔人の両翼、不敗の百装騎士団、英雄達の部下もまた凄まじい存在たちがそろっている。
何しろ英雄達に付き従うのだ、それ相応の何かを備えている。
「そこでようやく何が起きているのか知らされることになった。誰にとっても寝耳に水の事だったが、彼らの要求してきたのは、反乱をしていた人物達には随分と優しいものだったよ。男爵家一族の死だけだったからね」
それで優しいと言えるのかと言う疑問がわいた王道だが、冷静に考えれば反逆者がその程度で許されると言うのだからましな慈悲だと言えない事も無いだろう。
なにより領民にまで飛び火ししないのであれば、これほど優しい判決も無いかもしれないが、無実の罪を着せられたとなれば話は別だろう。
「けれどだ、こちら側は無実だ、理解不能の罪を押し付けられただけに過ぎない。そして父上はよりにも寄って堅物を堅物で固めたような男だったんだ」
「理不尽に対して断固たる態度を示したわけか、厳格であると言うことが難点に変わるときか」
「だが、どうあっても勝てるわけが無い、あの時は妹がいたと言うだけで絶望だった。そして騎士団総数三千名が既に陣取っていたと言う状況だったよ」
だが、実際にはその領地に向かったのは五百八十名。元々最強と呼ばれる騎士団の一つであり、剣聖の薫陶を得ている騎士団だ、一人で十人分と働きはする。つまりは単純計算で五千八百名と言う戦力が、警備用の兵十三名の領土に進行していた。
どうかき集めても領民千六百名程度の領地しかない貴族の領に非常識ともいえる攻勢をかけようとしている訳だが、当然それは脅しであってそれ以上の効果を発揮しない筈であった。
「状況を見るに受け入れるしかない状況ではあった。だから父上は時間稼ぎを企んだわけだ、クランウェルクは慈悲のある男でもあったからある程度の融通が利くと思っていた」
「王に対して釈明をさせてくれと言うただそれだけ時間稼ぎという訳か、だがそうはならなかったと」
「ああ、結果はそんなことが許される状況じゃなかった。王はこちらの釈明を利く気もなかっただろう。あっちは王からの裁可として動いていると言う状況だから余計に、その信任状まで見せ付けられれば、父上も何もいえなくなったよ」
もっともそこまでは良かったんだ。
彼はそう呟いた。その言葉の意味が、どれだけ重いものか理解できない筈も無いだろう。
「受け入れるしかない状況だった。領民あっての領主だと思っている父上だからこそ、当然のように受け入れたよ。領民に一切手を出さないのならと言う条件付だったが、だが未来を知ってる王道お前なら分るだろう」
それがなされなかったからこそ彼はここにいるのだから。
唯一の慈悲で、最後に別れとして一日だけ猶予を与えてもらって最後の団欒を過ごしていたんだ。家族で泣いたよ、こんな結末かと、だが領民には被害が出ないのだなんて父が言っていたと笑った。
誰もがその堅物さに本当にこの人は貴ぶべき者の意味を理解していたのだろうと、彼は目を瞑って思い返す、自分が見た中であれほど貴族を体現した人は居ないと。
彼は義務のために死を選んだのだと、あれが上に立つものが憧れ、下の者達が望む理想像だろう。
それを父に持った自分はなんと恵まれていたのだろうか。
だからこそ彼はその次の言葉を紡ぐのに、怒りを込めるしかなかった。殺意を溢れさせるしかなかった、多分そのときに王道は彼を見て初めて、そんな感情も出来るのだろうと感慨を抱いたのだろう。
彼が妹関係にしか発揮されないその感情は、増悪の全てを尽くしたそれと変わりは無かった。その感情を吐き出すのを押さえようと、二度三度と口が動くのをためらうような仕草を見せていた。
「そのときに起きたのさ、たった一人の騎士が、領民の娘を陵辱したって」
出来るだけ感情を抑えようとした結果だろう、より一層冷淡な感情の振るい方に、剣の切っ先でも突きつけられたような悪寒を感じて王道の表情は強張る。
事実云々よりも彼の言葉が恐かった、剣の振るい方の一つがこれかと逃避の思考を考えるほどに。
「父上は激怒した、当然だ、最低限の約定すら守らない者達の言葉が信じるに足る筈が無い。玉砕してでも抗うべしと」
とは言っても、常備している兵すら警備の為だ。
警官を戦場に出したところでまともな戦いが出来るわけが無い。あの当時戦力になりえる存在は、困った事に彼一人であったと、そのために彼はあらゆる方向を考えるしかなかった。
「父の言葉を実現する為にはどうしても邪魔を用意するべきではなかった。足手まといを引き連れても勝てるわけが無いと断言できたなら当然の話だ。だから囮は自分が引き受けると言ったよ、正直な話あの当時からあの程度の軍なら薙ぎ払える自信はあった」
実際全員首を切り落としてやったと、釈明の弁明も無く容赦なく全員殺してみせたと彼は言った。
時間は三十分も掛からなかったと思うと、その時にクランウェルクもついでに殺したのだろうが、草を刈り取るように殺した為、何時殺したかも覚えていない。
あの時は自分大分正気じゃなかったから仕方ないだろうと、弁明のようなものを言ってはいるが、用はそれぐらいには彼も領民に手を出された事に対して怒りを覚えていたのだろう。それを止めなかった面々全てに殺意を向ける程度には。
「それからだよ、あいつが、あいつが」
だがそれから彼の顔が蒼白になってゆくまで、さほどの時間を要する事は無かった。むしろここからだった彼の恐怖は、先ほどの怒りが嘘のように彼は恐怖で表情をゆがめている。感情がころころと変わるのはいいがその反応は今の言葉を聞く限りではろくでもない。
彼は一向に口を開こうとしなかった。異や何度も喋ろうとはしているのだ、だが反芻する過去に対して恐怖が浮かび口を噤む。
「どうしたんだ」
「悪い、思い出すのもいやだったんだ。最初はそう、何が起きたか俺にもわからなかった」
彼は何度もそう言っていた。分らなかったと、その光景の意味が理解できなかったと言った。
父たちはもう領民を逃がしてどこかに、向かっている筈だった。だがそれは叶う事は無い、館に向かって走り出したとき彼は見てしまう。
「何もかもが終わっていたよ」
目を覆いたくなるような、絶対ないはずのその光景を。
彼らを助けようと尽力している筈の領主に向かって突き入れられ農作業の道具、日用品の刃物、木を切る鉈、何もかもが領主に突き刺さっていた。
何が起きたのか分らない、わかりたくなかった彼は、喉の奥が震える、何もかもが終わったような絶望を吐き気するような奇声に混ぜて感情さえ吐き出しつくしてもなお足りないその声を、まるで耳鳴りのように響かせた。
はっきりいって自分でもあれほど感情を絶望にして撒き散らしたことはなかったと確信できると、彼はただそのときの自分を克明にあらわして見せた。
ただ自分は現実から逃れるように悲鳴を上げてその現実を認識していたと。
「領民に殺されかけている父上の姿がそこにはあった、守るはずの存在に、存在を否定されている姿が」
過去と現在が入り混じるように、彼はそのことを吐き出す。
今もなおまぶたの裏に焼きついた彼の絶望は、いや彼が妹怯える最大の要因が、その目の前にはあったのだ。
「なによりそれだけじゃなかったんだ、こりえないはずなんだそんなことが、誰もが子供も大人も老人も性別も関係なく、誰もが行っていたんだ父上を殺すという作業を」
まるで精神に障害でも生じたように、レミングの自殺のように、その事実が偽りであろうとなんであろうとかまわない。まるで統一された意識があるように、誰もが同じ事を行おうとする。
ただ殺す作業を義務的に淡々と、ただ違うことがあるとするなら。
「誰もが殺したくないって叫びを上げながら、勝手に体が動くと泣き叫びながら。悲鳴の全てがそこには会ったよ、軍神様、聖女様、私はやりましたと叫びながら、完全なまでに、あいつの願いに沿って動く人形がさ人であると叫び足掻く必死な人々が」
彼にとっての絶望が、たった一人が後悔を重ねる全てがそこに、存在していたのだ。