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十五章 羽ばたく片羽

 先にこれを語るべきだろう、彼の望みは達成される事は無かった。


 結論を述べればそういうことになるのだろう。たとえばその事についての謝罪が、いま目の前で行われているのだからどうしようもない。


「すまない」


 そう土下座をしたのは神童だった。自分に活を入れて歩き出せるようになったと言うのに戻ってきた時、その目標の一人は彼に謝罪した。

 それが一瞬何のことか分らなかったのは仕方が無いが、彼は嫌でもその言葉を理解し、彼は血の気が引いたように顔を青く変えて言った。


「なんだよ、なんだよそれ」


 何よりもその神童の姿を見て理解するしかなかった。だからこそ彼は顔を青くさせたともいえるのだが、頭に入る情報が全て消え失せたように真っ白になる。

 喉の奥が焼きついたように声すら出せなくなっていく。


「…………っ」


 だがその姿が彼を絶望に変えてしまった。

 目の前までが白くなり、彼は一瞬立ったまま意識を失ったような感覚に陥っていただろう。


 彼が居なかった時間の間に、最後の神童と不敗の戦いは終わった。

 その戦いもまた名勝負だったと言って過言ではないだろう、その闘いは彼らにとって誇るものであれ軽んじられるものではなかった。

 その結果は起こるべくして起こったものなのだろう、真剣同士の殺し合い、その意味を彼らはここでようやく理解したのかもしれない。


 不敗は死んだ、心臓に向けての一刺し、神童が操る時差剣戟による見事な一撃であったが、不敗の操った剣も見事の一言だっただろう。それを見切った神童が凄まじかったのだ、だがそれは完全とは行かなかった。

 相打ち狙いで襲い掛かった死者の剣だ、自分が殺されても相手も殺すと言うそういう心構えの剣だ、生き延び次の相手を望む彼にはそこに心構えに対する据わりの差があったのかもしれない。


 死者の一振りは彼の腕を命の代わりの切り取ったのだ。


 命を取られなかっただけ儲け物と言うしかないが、剣士としてそれは致命傷以外の説明しようがない。

 人間の腕はバランサーであり、片腕での剣術など、極めるにしても望外の時間が掛かる代物だ。最初は剣を振るうだけでも、剣の重さが相乗して、勢いを止められないまま横転する事は避けられない、片腕になると言うのは、それだけ剣士としては重い枷となる。


 剣の威力は落ち、行き着く間もない斬撃など不可能に変わり、必然的に片腕だからこそ起こる剣の軌道の選択肢の減少、さらには精緻なる剣の扱いさえ出来なくなるだろう。相手の油断を誘えるかもしれない、だがそれは奇襲にしかならずこれから始まる試合には一切無用ない技術だ。

 つまる所、神童は彼との闘いを前に剣士として死んでしまったのだ。


 これから元に戻るには時間が掛かりすぎる、彼が最も戦いたがった相手に手が届きながら彼はまともに戦う事すら許されないのだ。ましてやそれが利き腕なのだから、どう言う事か誰にでも分かる話だろう。


 それは全盛期の力は出せないと言う証明行為だ。

 かつての剣術はもう二度と戻らない、彼が積み上げた理合いの全てが消え失せたのだ。生涯の全てが消え失せる。

 魔法で直せばいいと、そう思うもの居るだろうが、一度切り落とされた腕を接合したところで、神経の伝達などの誤差が生じ、酷い時には自分の腕でさえ感染症を起こし死亡する事の方が多い。


 なにより日常生活にすら辛うじてと言うレベルまでしか回復する事は無い。そんな状況で剣を振る事が出来るかと考えてもらえれば、奇跡という証明行為を実行するだけの事になるのは仕方の無い話だろう。

 例えばだ、彼が惨殺しようとした覇王は、魔法が使えなくなり、これらから先二度と歩く事が許されず、子を産む機能を失い、糞尿の始末すら出来なくなったと言えばわかりやすいだろうか。


 ただ死なないだけでセンセイは十二分に母親と言う存在を壊している。

 回復魔法が蔓延すれば死ぬ事すら許されなくなると言うわけには行かない。ただ殺されないだけで後遺症という名の地獄に悩まされることになる。


 だからこそ神童はその場で土下座をしているのだ、実直すぎると言えばそうだが、もうお前と戦う事ができないと言っているのと同じだ。彼はそれが認めたくなかった、それだけを心の縋りのしていたのだ、それを奪われれば彼は本当に折れてしまう。

 心を支える糸が、ぶつんぶつんと音を立てて切れているのが、嫌でもわかり彼は苦渋に歪んだ顔を止める事が出来なかった。


 しかしそれは彼との戦いを心待ちにした神童とて同じ事、それどころか剣士としての命脈すら立たれた今では、こう土下座をさせていることすら本当は申し訳ないといえるが、一つだけ呟いたそんな状況で。


「どうすりゃいいんだよ」


 神童にも聞こえないポツリとした声、どうしたらいいのかと悩むが、いくら彼でもわかるのだ、普通に戦えばもう神童との勝負は間違いなく自分が勝つと、確信ができていた。一朝一夕で片手の剣が極められるようなら、この世に剣士など必要ない。

 今までの積み重ねが消えた剣士と、常態ですらその剣士を上回る実力を見せる彼では、あまりにも勝負が見えてしまう。


 闘いにすらならない果し合いを、果し合いと呼ぶような事があるのだろうか。

 だが神童は退くつもりの無い目で彼を見ていた。この無様を見せた自分を疾くと殺してみせよというような悲壮な決意がある。

 彼はこの状況ですら負けを考えていない、その事に彼は怯えるしかなかった。


 自分の無様を認めた上で、俺はまだ戦えると言い張るのだ。これが負けん気の強さと言うわけではない、彼らはここで分かれたとしてもいつか殺しあう、早いか遅いかの問題なのだ。たとえ不敗に負けていたとしてもこの戦いは免れる事は無かっただろう。

 憧れが目の前にいる、それは二人共々同じ事だ。同じく憧れたのだ、届かぬ目標を掲げ崩れながらも歩く男を、己の目標を奪ったものにすら尊敬を示す男を、しかし末路はこれだ。どちらも報われない。


 悔しかっただろう、恨みすら抱いただろう、こんな状況を作り出した己の未熟を、神童はそれを心と体に刻み付けているのだろう。

 己の矜持の全てをへし折って彼に頭を下げたのは、この状態の男と戦ってくれと言う事、それに気付いたセンセイは、相手を見誤った自分に酷く恥ずかしく思い目をそらしたくて仕方が無かったが、ここでその視線から目を背け様なんて考えを抱けるほど彼は、強くは無い。


「はっ、はは、不服は無いが」


 沸き立つ心の歓喜が彼にもある感情の燻りに火を灯す。

 それは復讐にも似た感情、彼が持ちえてそれしか行えなかったはずの何か、だがそれが熱を持ち声を上げていた。

 彼はここまで相手に認められた事も求められた事も無い、そういう人生で、そういう歩みばかりだった、隣に立つものなど居ない、敵になるものすら居ない。


 彼は始めて対等を得たのだ、だが足りない、誰でもいいほかの誰でもいい、彼は始めて憧れから一人を対等に見たのだ。自分と同じだと、同じラインに沿い、当たり前のようにぶつかり合わなくてはならない存在。

 これをきっとライバルなんていうのだ、こいつには負けたくないと思う相手、だが負けるならこいつ以外有り得ないと、そう、彼とだけは対等でありたかった。


「それにはちょっとばかり」


 妹などには思わない感情、ぶつかり合うべき好敵手、尊敬が何時しか相対に変わりぶつかり合う、だがそれだけでは足りなかった。剣士の全てを失ったと言っていい利き腕の切断、これがある限り彼は同等足り得ない。

 ふと彼は自分の利き手を見る、二つついた腕の一本だ。


 じゃまだなこれ、心にそんな感情が沸いた。


 なぜ自分の腕は二本あると不快な感情をあらわにする。これからの事なんて一切考えない打算的な感情であるが、彼にとってはそれが全てに変わりつつある。

 目の前に神童と対等に戦いたいと言うそれだけ、そのために見た自分の腕が意味する事など一つしかないのに、それが彼の剣士のしての人生を破滅させる行為であるのは言うまでも無い。


 たった一つ勝っている、彼と妹の差を彼は破滅させようと、考えているだけの話だ。

 彼の生涯の重みの大部分を占める剣、それを今捨て去ろうと、あまりにも邪魔そうに彼はその腕を見た。

 その感情自体が実は異常な事だと気づく事も無いだろう。どこか存在無さ気に薄く笑いながら、彼は頷く。


「じゃあ明日の相対楽しみにしてきます」


 その言葉が出てきたことに、目を丸くした。言わなくても分かったと言う事もそうだが、明らかに今までのセンセイの姿じゃない。他差縋る物を見つけてひっしんに足掻くそれが、今その全てを捨てようと考えたのだ。

 決意と言う重みは、気付かぬうちに固まり一層重いものに変わる。

 何よりどうせ今のままでは彼は、蜂の一刺しすらままならない。そういう打算があったのも確かだろう、だが今までの積み重ねを捨てる男の剣は、復讐を捨てるのと同義のはずだ。


「あ、ああ」


 上ずるように伸びる事に土下座を止めて彼を射抜く目は、驚きが混じり、その後に沸く熱に表情がどうしても緩んでいるようだった。


「ああ、ああ、分ってるさ」


 その言葉がゆっくりと体に滲み、全身に行き渡ると、神童は上ずったような声を出しながら、険しかった表情を緩めた。

 楽しみにしてると笑いながらセンセイは告げると、神童に養生しろと言って部屋から追い出した。彼としてもやらなくてはならない事がある。そのことがなにかは神童には分らなかっただろう。


 だがわかってしまえばきっと彼はそれを止めた。

 腕を失った辛さを最も知る者だ当然の話であるが、そんな事をして勝てるのかと言ったのだろう、あの無慈悲の最強に、片腕だけで勝てるのかと。


「手ん棒の手詰まり、ついでにあいつを殺す事も終わるかもしれないか」


 ひっひっひと笑う、自分がやけくそになっていることぐらいは分るようだが、だが少しだけ楽しくも思えた。妹が頭から抜け落ちる、彼の決意はただ一つに集約しつつあった。

 壊れかけた心を補填する行為なのかもしれない、ひび割れたそれの補修かもしれない。だが彼にとってはそれが全てなのだろう。


 目の前のことにしか真剣になれない、真っ直ぐ向き合うと言うだけなら彼は完成品だ。

 何しろそれだけしか出来ないのだから、だがその決意をしながら妹の事を忘れた彼は、最悪の決断を下していた。


「斬るかこの腕」


 ただ一人の男との決着の為だけに、人類史上に残る剣聖は、ただ堕落への道をひた走り始めていた。

 自室にこもり彼が最初に見たのは自分の剣、後悔をすすり続けた彼の全て。その全てが次に奪うのは彼の剣士としての時間だ。頑丈ではあるが余り切れ味がいいとは言えない剣ではあるが、それを今まで実力でどうにかしてきた。


 しかし今までとは違う、何しろ腕を切り落とそうと言うのだ。

 どこの剣の歴史にも自分の腕を切り落とす技術なんて存在しない。だからこそ彼は椅子と机に立てかけるようにして剣を置く。

 机と椅子の段差がいい具合に、切りやすいように斜めに斬り易く置かれているが、その程度で腕が切り落とせるのなら苦労はいらない。


 狙うのならば上腕骨と肩甲骨の間だが、それを切り落とすには少しばかりの恐怖と、動かなくなるからだが問題だろう。彼はそこまで準備してようやく、自分の腕を切り落とす恐怖を感じていた。

 肩の周りが熱くなり、じわじわと何かがうごめくような感覚が始まり。切り落とす部分がやけに冷たく感じて、しびれ始めてきた。


 今になって恐ろしさが沸いてくる、それを行うと言うだけなのに、そこから一歩も踏み出せなかった。それでも上着を脱いで彼は準備を結う栗とがだが始めるしかなかった、誰かにうなされるように、震えながら表情も蒼白でも。

 己の口に猿轡を巻きつけ、腕を突き出し斜めに置かれた剣に血を吸わせる為に、腕を脱臼させ脇辺りにプツリと剣を添え皮膚を裂いて、用意を完了させた。


 誰かに切り落としてもらえればよかったかもしれない。だが彼にはそれをしてくれる者ももいないだろう、だからこそ自分でそしてそのまま彼は引くように腕を切り裂いた。

 肉までは一瞬で切れたが上腕骨に当たると随分と硬い感覚にとらわれ、それ以上の痛みが彼の動くを阻んだ。


 そこから肩甲骨との境目に向けてその状態のまま左右に抉りながら、探り当てようとする。そのたび目の前が白くなって、ぎぃぎぃと彼の悲鳴が響いていた。

 左へ右へ、時には後ろに戻してもう一回、ようやく見つけたところで既にもう彼は限界だった。


「ぎ、ぎぃ……あ、ぐい、ははぁぁ、ぐ」


 荒く響く呼吸骨にあたるたびに響く痛みが、さらには失いすぎた血の所為で周りは白んで見え始める。

 そしてようやく見つけた骨の継ぎ目、そこでさらに骨は彼の剣の行く手を阻んでいた。

 普段の彼なら一瞬で切り裂けただろう腕にここまでの無様を広げて、体を揺すりながら、骨を削ってて関節に剣を入れた彼は、テコの原理でそれ無理矢理に傷口を広げて周りの筋肉を切り裂きながらさらに腕を切りやすいようにとする。


「えじ、あ、は―――――ぁっあ」


 肉がプチプチと裂けながら、人が腕を動かすには少しばかり上な光景が浮かんでいた、半ばを超えたたその腕は、刃に支えられて鳥の骨格のように羽を広げていた。


「あ、げ―――あ、ぐ、いぃ、あ」


 そして動くたびに羽ばたきを重ねるが、飛び出す事すら許されず。

 ばたつかせるだけの無駄な羽だ、まして片羽で飛ぶ事など適わないだろう。彼に地を這う姿が似合う。

 痛みに耐えながら必死に体を痛めつけていた彼の猿轡が地面に落ち、舌を噛み切りそうな状況に陥るが、気にする事すら出来ずに体を揺すりながら剣を深く深くと斬り進め続ける。


「ぃぃっい、あ、ぎぇぃぃあが、げっぃ」


 そうやって、ばさりばさりと羽を動かす様は、ゆっくりと力を失い、力尽きて羽は落ちた。

 飛ぶ事すらできない片羽は、無用なものだと地面に転がり落ちる。ようやく飛ぶ事を止めた羽は血塗れになった床に転がったまま、無用な赤を刻み、彼はそれが自分の腕かもわからなかった。


「は、はっは、ああぅ、ぐう、あっっが」


 そして彼の今までの剣はここで結末を迎えた。

 軌跡再現という剣の頂点にまで達した男はここでその全てを失ったのだ。存在したはずの剣の絶技、生涯を通じてて達成した剣士たちの悲願を自分の手によって切り落とした。

 魔法による蘇生が始まりながら、剣に捧げた剣の全てが消え失せる。ただ残した魔力を彼は再生に使っただけ、二度と戻らない腕の幻視痛を感じながら、深く一度目を閉じて、過去の剣を再現した。


「はっはっは、はあああ、は、ははあ、はあ」


 始まりの一振り、勝利の一振り、敗北の一振り、最後の一振り、それが全て終わってしまった。過去の剣を見ながら決別を彼は迎えつつあった、困ったような笑い方をしている、少しだけ捨てた事によって心が強くなったのだろうか。


「はっ、はは、あいつ殺すのどうしよう」


 極限まで弱く変わった男は、弱いまま笑うしかなかった。

 だが歩けるような気がした、少しでもいいから前へと進めた気がした。何一つも持たない彼は、血が止まり不恰好になりながら上着を着なおす。

 いままであったものが無い所為で、服を着るすら苦労しているが、 まだ笑えていた、笑えていたのだ。


 体の重りでも取れたように、沈んでいたいつも彼の表情はそこには無かった。

 

「どうしよう、ああ困った、困ったなぁ」


 弱く弱く、ただ弱く、盲目的なまでに弱く、彼は笑っていた。

 血塗れの体に困りながら、片腕となった剣士は、血が足りなくてふらふらしていたが歩いていけた。


「頑張ろう、まだ時間はある。まだまだ時間はあるんだ」


 少しだけ前向きに、彼は少しだけ歩みを進めていた。


 

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