外伝 現場
あの日に起きた惨劇の場所、かつての王都であり、四カ国同盟の中心地となった場所です。
今もなお彼らの戦いの後が色濃く残る場所、そう考えると少しだけ心が躍ります。あの当時王国最強たちが連綿と名を連ねながら、あまりの悲惨さゆえに、王国しに記される事すら反対された王都御前試合。
とは言ってもそれから三年後には滅びてしまうのですが、そんな最悪極まりない御前試合、そこで始めて剣神は姿を現しました。通説では復讐の為だそうです。
神童と呼ばれた剣士のライバルであった魔剣と呼ばれた剣士を殺す事によって、御前試合の権利を勝ち取ったそうです。彼を今まで調べてきて思うのですが、このとき彼が御前試合に現れたのは復讐と言うのは違うんじゃないかと、思うようになってきました。
あの男爵領にしてもそうですが、もしあれが彼がした事なら首を刈り取ると言う行為こそが、彼の慈悲なのではないかと、苦しませない為の優しさなんじゃないだろうかと思う様になってきたのです。
彼は殺す時に好んで首を切り落としていたと言われています。
そのために、どこかでは首切り剣士などと呼ばれていた事もあるそうです。ですが、もしです、あの頭蓋の葬送が彼の仕業であるとするなら、いくらなんでも少しばかり異常すぎます。
ただ絶命させる事を考え、一瞬で体の機能を抹消させ、抵抗の機能を奪いかつ、苦しみを最小限で押さえる。彼が彼なりに考えて出した結論としか私は思えなかったのです。
そんな彼が剣神と呼ばれる所以となった戦いの記述を思い出します。
それが神童と呼ばれたものとの闘い、そこで彼は始めて自分を人に見せたとされます。
剣神と呼ばれる前には、実は彼に異名なんてありませんでした。
御前試合には敗残と書かれていますがそれは偽名ですし、随分と皮肉の聞いた冗談だと私は笑いそうになりました。
最もですが、彼の来歴を考えれば、意図的に隠されたものであったのかもしれないとも思いますし、かれはあの当時の国民全てに嫌われる凶事を、当たり前のように行い、闘技場を混乱に陥れています。
英雄の血統が家族に暴行と言うか、殺意を向けて惨殺しようとしたなんて醜聞伝えられるわけなので仕方がありません。彼は隠されるしかなかったのです。
きちんと残っている資料とその当時の話を聞く限りでは、あきれて笑いが出ると同時に違和感が立って仕方が無かったからです。彼は惨殺を好まない人だと思っていました、それをひっくり返されたのも驚きです。
しかし隠されたのも納得というしかありません。
なにしろ惨殺する気しか感じませんでした。それを聞いて当然のように目を剥いて私も驚きました。
母親の手足をもぎ取り目を抉り、綺麗な髪を引き千切り、それを背を刺す刃の前に投げ捨てたようです。
あれあの当時だと王道でしたか、彼女もまた彼の所為で人生を台無しにされた人でしたが、こんな光景ばかり目の当りすれば、誠実な人も歪もうと言うものです。
国王殺しを成し遂げた英雄とされていますが、随分と歪んだ遍歴を辿った彼女もまた可愛そうな人なのでしょう。
そんな惨劇が起きた場所に私は向かいました。
今回は同盟のほうから許可を貰っているので、剣神の祭儀場と呼ばれるようになった、軍神と剣神の戦いの場に向かいましたが、ここで何が起きたか良く分りませんでした。ここもまた死体の山といって差し支えなかったでしょう。
あの当時の戦いの激しさが目に浮かぶ様です、闘技場は切り裂かれ、観客達もまたかなりの人が死んでしまいました、いっぱい人が死んだのです、その中には私の母もいました。
養父から聞かされたぐらいなので詳しくはわかりませんが、私の母は彼に殺されました、あの当時の惨劇から生き延びる事が出来た者達は観客には居なかったそうですから、当然と言えば当然の話ですが、今も私が彼を追っているのは、そういう事もあるのでしょう。
復讐なんてつもりもありません、何より誰も彼に勝つ事はできません。
そう考えれば困った話です、恨み言ぐらいなら言えるのでしょうかと、ここで命を失った母に問い質してみたい物ですが、どうにも否定されそうです。
彼にとっては、私の言葉なんて何の価値も持たないのでしょう。本質的にはあの日記の言葉がきっと彼の全てなのでしょう、あの最後の言葉が、その為に起きた犠牲は随分と大きなものです。
ですがそんな彼が一度だけその内情を吐露したのもここだったと言う事です。
神童と呼ばれた剣士、私が思うに彼とは軍神と違って意味で似た物同士だったのでしょう。何より本来であれば間違いなく彼は、神童を殺すほどに呪っていたと言う自信があります。
御前試合の中でも名勝負中の名勝負とされる二腕の剣、この闘いが後の御前試合の命運を分けたとされます。
これは成功した彼と、成功する事が無かった彼の戦いです。
どれだけ彼を罵倒する言葉があったとしても、この戦いだけは誰もが彼らを賞賛しました。前日に吐き気をもよおす程の凄惨な光景を見せつけた彼に対して、人々は惜しみない賞賛を与えました。
それほどまでに凄まじい戦いだったのでしょう、そんな人間を賞賛できるとは私は思えないのに、彼はそれを行ったと言うのですから。
最も私は当時を知りませんし、それを知っている人もしみじみと凄かったとしか教えてくれません、きっとその言葉が全てなのでしょうが、それだけは見てみたかったと思います。
私の母はそれを見たのでしょうか、それとも見ていないのでしょうか、それさえ私は分りません。
私はかつての彼の日記をここに来てからよく読むようになりました、ここでも私の想像よりももっとひどい事が起きたのでしょう、ですが彼はここですら生きていました。誰にも認められない人生を歩いてきたはずの彼が、ここで賞賛を浴びたのです。
素晴らしい事だったでしょう、ですが彼がそう捉えたかは別の話です。不の感情には随分と敏感ですが、行為に関しては随分鈍感なような気がします。目を瞑ってもなんと言うか捻くれた子供と言うイメージでしか私は彼を見ていません。
必死な人だったと言う事と、随分と弱い人だったと言う事、そして誰よりも強かった人だと、そんな風に見た事も無い人を思い浮かべてちょっとだけ笑いそうになりました。
これじゃ駄目だと、彼の壊れた場所を思い出します。随分と牧歌的で、あそこに居たら彼はきっと幸せなままだったのかもしれません。そう考えると嫌でも表情は強張ってきたと思います、ですがあそこは地獄だったのです。
多分誰も見た事の無いような地獄だったのです、心が壊れても仕方の無いようなきっと地獄だったのでしょう。
全ての要因であるあの場所を知る人に話を聞きたいと私は思うようになりました。ですがあの当時彼を知っている人は全て死んでいます。
もし聞くなら本人なのでしょうが、どこにいるのかすらわかりませんし、そもそも生きているのかも良く分っていません。
ですが聞いてみたいものです、あの日あの時、どんな事が起きたのか、私は彼に会って聞きたくて仕方がありません。
あの時あなたは何故と。
二腕って書いてふたわって読みます。