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十三章 軍神の証明


 その光景を見ていなかった軍神は酷く驚いた様子であった。

 母親が無頼の男に殺されかけたと言う。彼女とて母の実力は知っている、負けぬとは言わないが、それでも凡俗に負けるような人ではない。

 一つ目の驚きはそれだった、そして二つ目の驚きが彼女を襲う、彼のことを知っている王から直接告げられた、犯人は兄であると、それ以前に彼は自分のした事を隠していない。

 公衆の面前でそれを堂々と晒している、


 歩いている途中に見られ、闘技場内まで母を投げ込む姿も、ただ見られていないのは、其の闘いのみだ、圧倒的に屈服させた剣の冴えだけを見られていないだけ。

 だがただの人々に彼の剣を聞いて返る言葉など、早すぎて見せませんでしたか、ただ不用意に剣を振ったのが当たりましたぐらいの内容しか返ってくる事は無い。だが聞いたものによってそれは反応が変わるだろう。


 剣を振るそれが不用意に振られて当たった。

 なん冗談だとだれもが思うだけだ、その程度で覇王がこうなる筈が無い。何かしらの要因がある、だが何の要因だ。

 それを理解しえるのは、多分ではあるが妹、神童、不敗、王道、無双、そして覇王ぐらいだろう生きているものであれば。


 精神の間隙などと言う、奇妙奇天烈としか言いようの無いそんの間に剣を入れ込んでくるような非常識な使い手たちは、そしてそれに対処できる使い手はそれぐらいだ。

 だが人によってその間隙を見切る目が違うのもまた事実、本来彼らクラスの使い手たちはその、間を操りながら戦う者なのだ。その目が優れていれば優れているほど、勝敗に影響してくるのは仕方の無い話だ。


 断線する意識の隙をうかがい続ける、ただそれだけの事、だからこそ覇王達はそれに対して異常な警戒を見せる。

 しかしだ犯人の男はそれに対して不用意に斬りかかった。

 つまり意識していようが、何があろうが、その男はその間隙をさらに割断して、踏み込むその目と剣の妙、その段階にいたればもはやただ斬りかかるだけが絶命地点。

 まともな思考をしていたら正気を失い様な感覚を綱渡りしているようなものだ。晒される相手などもっと地獄なのだろうが、そこまで人を突き詰めて、彼は軍神に勝てない、彼女はそれさえ上回る。


 その事実を知っているからこそ、センセイは妹に怯えるのだ。

 世界を分割するような精神の間隙を見出しても届かない、強くなればなるほど彼は、彼女に届かない事を教えられる


 とは言うが、いまだだれも彼の剣を知らない。それを知るのは次の日の話であり、そのときですら彼は己の剣を見せられないだろう。

 その時こそ、彼と言うメッキが剥がれる時だ。

 ただいまは存在する軍神だ、彼女はまた背筋にいやな寒気を感じていた。忍び寄るこどくを否応無しに感じるのだろう、母は帰ってこないかもしれないと言う恐怖が浮かぶ、そしてもう父は帰って来ない。


 孤独は当たり前のように彼女に忍び寄り始めた、一人の恐ろしさを知らないからこそ、彼女は孤独に対して耐性が無さ過ぎる。

 彼女の回りにはいつも人がいる、だから喪失の恐ろしさを知らないのだ。まして身近なものたちの喪失を経験したのは、父が最初であったのだ。兄との別れは、一抹の寂しさも会ったが永遠の別れではなかった。


 だがその別れは間違いなく、気付かぬうちに彼女を侵食し始めていた。

 呪いは伝播する孤独は常に地獄の象徴だ、一人も関わるものが居ないのならば、人など生きていく価値はない。

 何かに関わるからこそ人は人の価値を得る。その価値が無い者等は、ことごとくがその存在の馬脚を現し首を吊って行くだけだ。奇妙な果実は常に、その辺に転がるただそれだけ、その果実たちは、断絶と言う名の孤独の中で、区別され区分され消え失せる。


 その果実の一つと成り果てつつあるのが彼女、完成されすぎた純粋無垢は、本来それこそが孤独だという事を周りの所為で気がつかない。彼女はそれに晒されているのだが、今ままで感じた事すらない這いよる恐怖は、知らず知らずの内に彼女の喉を嗄らしてしまうほど、確実に至近に近づいていた。

 分らないのだ、それがなんなのか、子供の時ふと感じる寝て起きた後、本当は自分がいる世界は変わっているんじゃないだろうか、もしかすると母と父はレンタルされた人々ではないだろうか、そんな自分と他者との隔絶を彼女は知らない。


 自分のつながりが実はそうじゃないかと考えた時の絶望なんて知らないのだ。

 人はそれだけで足がすくむほどの恐怖を感じる、だれにも彼に自分は嫌われているのではないだろうかと考える、そんな恐怖を知らない。

 純粋無垢とはすなわち疑わない、そう感じない、額面どおりの感情を受け取る。


 ただ父のいった言葉を受け止める、お前を守ると、お前に会いに来たと言う兄の言葉も、それで彼女の世界は回ってきた。

 しかしそれは幻想に過ぎない、父も母も死ぬ、人は死んで当たり前だ、死なない人間を人は解剖する手段しか持ち合わせてなどいない。


 死に対する孤独という絶望を彼女は知らなさ過ぎる、世界とは常につりあうようになっている。このまま人間が突き進めばいつはその宿業により絶滅する様に、世界がやがて破滅して消え失せるように、全てに終わりが来るという当たり前のことを彼女は理解するべきだった。

 それを教えてやるものが必要だった、彼女を汚さないようにと黒さえ白に塗り固めた、穢れと言う穢れを全て白に塗り固めて、孤独という言葉を忘れさせた。

 知らないのだ、襲い掛かる感情の薄暗い衝動が何か、孤独だ、喪失感だ、人間が絶対に忘れてはならない感情だ。


 しかし彼女はその感情が何か分らず酷い焦燥感に駆られていた。

 誰か助けてと、だがそれを埋められる者は、彼女の兄だけであり、同時に彼だけが彼女のを破滅を願っているのだ、その剣の先は彼女に向いたまま。

 知らず知らずの内に軍神の心に深々と突き刺さる剣と成っていた。


 流石は素晴らしき悪意の固まりか、間接的だというのに随分と卑劣な事が出来てしまったのだろう。

 だがそれは自分に翻る刃でもあるのだ、ただ一人の軍神の感情が彼に集約していく、彼だけに執着していくようになる。腹に納まる温かさなど彼女は気づきもしないだろう、そして彼もまたそれを知らずに剣をぶつけ合うだろう。


 さびしくて仕方が無い事に彼女は気付かない、ただ震えるように小さな体をさらに小さく縮こまらせる。

 兄の犯した事が何を意味するか、母が帰ってくるのか、全部分らない事だが、何一つ彼女の為には動いていないが、本来はそう言う物なのだ。だが確信して言うべきであろう、もし彼女がこの孤独を乗り越える事が出来るなら。

 センセイと言う男は、正気すらなくして怒り狂うだろう。


 彼の孤独の全てを作り上げた女が、それを乗り越える事など彼は断じて、断じて認めるはずが無い。奪うことしかない人生を作り上げる原因となった彼女が、そうなってしまう事を許す筈が無い。

 なによりそうなったところで彼が勝てる様な彼女でもない。


「なんなんだろうこれ、何でお母様がこうなって、お兄様が原因なんだろう。何でなのかさっぱり分らないや」


 そして彼女はそんな事を呟く。

 はっきり言っておく、彼女の所為ではない、彼女が原因ではあるが彼女の所為では断じてない。

 悪いのは全て兄であり、父であり、母なのだ。

 何一つ彼女は悪くない、生まれ持った才能が人よりも優れていただけ、それを認めてそれ以外を捨てた父と母の所為だ、そして壊れた悪意だけの塊のようになった男の所為だ。


 己のみを投げ出すようにソファーに座り、フリルのついた服がしわくちゃになっているが、見てくださいと願った兄は、彼女を見るどころか母を破壊していた。

 うわ言の様に彼女に逃げなさいと告げる母、問いただそうと兄の部屋に向かうが、彼がいる訳もなかった。

 先ほどの事で関係者に呼び出されていると考えれば妥当だが、それよりも先に逃げ出したのが正解だろう。


「誰か教えてよ、私じゃ分からない、寂しいな。こんな事初めてだし、何で寂しいんだろう、これが寂しいなんだよね、分らないや」


 人が作り上げた純粋無垢は、途方に暮れていた、一体何が起きているのか分らないのだ。

 それが恐くて、誰かに聞きたくても、だれも答えてくれない。だれも彼女を汚そうとしない、だから彼女の心は真っ白なまま。

 だがそれが良い訳が無いのだ、この二人の兄妹は、どちらも誰かがいない。一人は殺して、一人は周りが消した。


 こんな状況でも彼女は綺麗なままだ。純粋無垢なまま、だがそれだけだった。

 どちらも誰かがいない、身を寄せる人だったり話し相手だったり、人が足り前に持つものが全て手の平からこぼれて行く。


 彼らには当たり前が無い、その代わりに非常識が与えられた。

 妹には全てが、兄にはその異常性を突き詰めたような剣の才覚が、しかしそれ以外が余りにも欠けている。

 だからこそ彼らは壊れているのだ。世界に善性などというのは利益として写るだけの物、悪性など嫌われるだけがいい所、ただそこに利益があれば変わるだけ。


 平行線を歩く二人は、何一つ与えられない、ただ連れ添う人がいない。周りに人がいない、自覚している兄と妹の差はいつか如実に現れるのだろうか。


「誰か教えてください、とても私は困っています。誰もいないので無駄な抵抗です、えーと誰かに聞けば良いなら、と入ってもお母様が心配だから動けないしもう」


 先に起きた惨劇のせいで、辺りは酷く混乱している。本来ならもう少し早く行われるはずだった神童と不敗の戦いもそうだ。

 未だに始まっていない、周囲に迷惑をかける術には、とんと困らない兄ではあるが、思い出す度に少しだけ心がほっとした。考えなくてすむからだと彼女は気付いているだろうか、もうセンセイと言う存在は彼女の中で重要な位置を占めている。


 それが母親の言うとおり魔女の血筋から来るものなのか、それとも剣士としての才覚なのか、愛情なのか、親愛なのか、全部を羅列してどれに当てはまるのだろうか。

 けれど考えるだけでほっとした、自分はこの世界に一人だけじゃないと無意識に感じられたから、それだけが彼女にとって押し寄せる恐怖に対する対抗手段になっている。


「すごいなお兄様は、けどお兄様があんなことしたから私は、あれ……あれ、お兄様のせいだ全部、私がこうやって困ってるのも全部お兄様の所為だ。意地悪だな、お兄様は意地悪過ぎる、何であんな事したか分らないけど、意地悪ばかりだ」


 そして振り返って見ると大体原因が自分の兄だと言う今更の事実に気付く。

 父を殺したのも母をああしたのも、全部兄だったのだ。それに対して意地悪で済むような状況を既に超えているが、彼女はそう捕らえて憤慨していた。

 昔はもっと優しかったのにと、色々苦労したのかなーと自分の知らない兄を思い浮かべてみるが、全く分らない。


 兄の領地だった場所は滅んで見る影も無いという。一体なんでそんな事になったか彼女にはさっぱりだ、詳しい事は父が何一つ教えてくれなかった。ただ兄は死んだものだと思っていたぐらいだ、けれど生きていて彼女の前に現れた。

 自分でさえも剣だけなら負けると断言できるただ一人として、だからこそ彼女の兄は彼女にとって特別になったのだろう。


「軌跡再現なんて使えるようになってずるいな本当に」


 有り得ないと思っていた御伽噺に過ぎない、かつて剣の極みにいた達人が、かつての剣を再現し自分を練磨したというちょっとした御伽噺に出てくるだけの内容だ。しかしそれを兄は完成させた。

 彼女には絶対出来ないと思っていた事を作り上げたのだ。

 

 本来は過去の軌跡を再現して、自分の剣を見つめ直す為の技術とされている。練磨の為の達人の修行法といってもいい。それを攻撃として使うなどという荒業もそうだが、彼はあの技術をある実戦レベルまで既に鍛えている事。

 本人も気付いていないだろう、何しろ御伽噺ではただの訓練の為の技術なのだから。

 そもそも彼の技術は、御伽噺に師は剣を振ってもいないのに木を切り倒したと、その一文だけが到達点と呼ばれた軌跡再現が歴史に残されているだけ。


 今の己の技術があって、精神の間隙にかつての剣を滑り込ませる。不意打ちとしてなら完了系といっても差し支えの無い技術だが、そのことに彼女は鼻を鳴らした。まるでそのことが誇らしいというように、恐怖を忘れて満面の笑みだ。

 何よりちょっと自慢げでもある、独り言を楽しそうに笑いながら彼女は告げる。自分の目の前にいない兄に向けて。


「けど、私だって使えるようになったよお兄様。これで一緒だね」


 絶対に聞きたくも無い言葉を紡いでいた。

 

軍神の非常識さその一ぐらい?

今まで主人公の強さばっかり見せてきたから、妹さんも見せないといけないなーと思いました。あげたら落とす、これが私の矜持です。

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