十二章 繋がりと言う言葉の絶望
それは落雷と見紛う一振りだった、感情が纏わりついたそれは、ただの一振りでありながら地面を焼いているようにさえ見える。
おぞましい声が聞こえた、聞くに堪えないノイズが響いていた、その全てを一瞬で切り裂いた姿は、かつての子供の姿しか知らない魔女にはどう写っただろうか、あの軍神をしてよけられないと言わしめた、いや受ける事すら難しいと断言された男の一振りが、どれだけ痛烈だった。
軍神と彼は剣においても性格が違いすぎる、軍神は圧倒的な存在とそのまっとうな剣において他者を屈服させるが、彼は純粋に無駄がない、その武器の力を全て斬る事ベクトルで持っていく。
そんな一撃だからこそ、彼女が常に展開している、無意識系六層防御さえも切り裂く程鋭い一線であった。
ただ一瞬で起きたそれは、彼女の右肩口から左の横腹を一条の線が駆け抜けたという事実を、淫靡に切り裂かれた服から覗く、淡くは初雪のような肌に薄く浮かぶ赤い線において証明させる。
致命傷には程遠いが、その一撃で殺されかねないと確信する事の出来る一振り。
体中から彼女は汗を噴出したように、服に汗の染みを刻み、喉の水分さえも汗に盗られた様に声がうまく出せなかった。
「なにを……」
「お前は言いやがったんだ」
それだけでぞっとする声だ、誰にも聞かせた事のないような地の底で鳴動する溶岩のように赤黒く溶けた熱く重い声。覇王はそれだけで声を失った、失敗したと頭に声が反響する。
「俺に何を言いやがったんだよお前は」
完全に理性が飛んでいた、目は血走り獣の様な表情に、牙の変わりの剣はさらに食い付くような剣気を溢れ返させて獣臭の様に酷くそれが立ちこめ、吐き気のするような濃密な空気が流れる。
問題を起こすつもりは、彼には一切なかった、だが流石にあの暴言を耐え切れるほど彼は優しくない。何よりそれだけは、それだけは、いっては成らない言葉である。
普段なら温和極まりない彼だがこのとき、、この場所で紡がれたあの言葉を受け止めることなど出来はしない。
誰にだって言ってはいけない言葉がある、目の前の彼にとってそれが、今の類の発言だ。
妹の為に動けなどと彼が言われて動くわけがない。そんな事が出来るほど、彼は腹芸に富んでいる訳でもない、むしろ不器用すぎるぐらい不器用なのだ。
諦めて逃げればいい物をそれもしない、それどころか抗おうとして見せる、馬鹿ではないかと、最初にそんな言葉が浮かんでしまうぐらいには愚直である。
「何を言ったんだ今、お前」
だから、そういう言葉を紡いではいけないのだ。
彼は人の言葉を真っ直ぐと受け止めてしまう。良い事であれ、悪い事であれ、その顛末がこれだ、剣と言う分野において極みに立ってしまった男、その分野なら軍神すら上回るその男の逆鱗に触れてしまったのだ。
完璧と言う存在である軍神に背を追わせる男が、その武器を振るうのだ、ただ怒りの銃弾を込めて、なにより今の彼の剣に彼女は対抗できない事を理解させられる。魔法の構成よりも先に、間違いなく剣は襲ってくる、しかも容赦なく意識と意識の断続した間隙中に。
剣聖ですら行っていた事だ、それを上回る彼はさらにその上を行くに決まっている。
清浄の間隙に一撃を刷り込ませるぐらいの事はやってのけるに決まっているのだ。思考を操る魔法使いにおいて、そこまでの領域にたどり着いた剣士は、もはや天敵以外の何者でもない。
どうしても魔法使いは剣士より遅いのだ、そもそも魔法と言うのが学問である以上、闘いの方ではない、彼女のように戦場でも活躍できる魔法使いはそうはいない。殲滅力という点においてなら最強の一角にはなれるかもしれないが、本来はここに出ること事態が場違いと言っても過言ではない。
しかし覇王と呼ばれた彼女だ、剣聖レベルなら対処が可能であった。
だからこそ彼女は最強の一角と数えられたわけだが、今回ばかりはそうは行かない。相手はさらに上だ、さらに恐ろしいほど突き詰めてくるに決まっていた。
対処が出来る範疇じゃない、どう戦略を組み立てても、先の先をとられて斬り飛ばされるのに決まっていた。これは強さと言うよりは相性が悪すぎるのだ、他の剣士であればそれにさえ対処が可能だったのかもしれないが、どこまで行っても学問の徒である魔法に関わるものが、ただ闘争限りを尽くす場所において彼女は場違い極まりなかった。
しかしそれでも二世紀を超え生き抜き続けた魔女がそれをよしとする筈もない。
彼よりも長く闘争の場に居た女が、その程度の事を覆せないのであれば既に死んでいなくてはおかしい。逆境を覆す、それが英雄が英雄たる資質であるのだから、だから彼女とて奥の手を持つ。
魔女の中でも彼女しか使うことは出来ないだろう振動発動、彼女が感じる振動を構成と捕らえ、発動すると言うだけの技術だ。詠唱と言う存在が本来であれば必要な魔法だからこそ、声と言う振動を使って構成を編み上げ発動させる。
振動を声と捉えて魔法を使う術ではある、その辺にある振動を声と捉えるのだ、つまり構成さえ省ける彼女なりの無詠唱では及ばない、さらに次の段階の詠唱法。
「お前は俺に何を言ったんだ」
だが、だがそれを使ってもなおその剣士は彼女を上回るのだ。
常識外の構成で放たれた魔法は本来なら命を奪うことなんて容易かっただろう。しかしそれより先に、展開された魔法が発射される一瞬でその構成は断ち切られ、覇王の両足は水平に切り落とされた。
まるで達磨落としの様に、がくんと上半身が地面に落ちようとする自然現象を彼は許さぬと、覇王の腹に剣を突き立て壁に貼り付ける。
「答えろよ」
「――――――っ」
「答えてみろよ」
この男は本来であれば、尋常ではないのだ、心が折れていなければこの程度を容易く成し遂げる。
軍神であってもあの振動詠唱を阻む事は難しい、だがそれを彼は成し遂げるだけの技量がある。
「誰が誰を抱けって言いやがった」
背筋が震えた、覇王は甘く見すぎていた。呪いなんて物じゃない、息子に在るのは呪いじゃなくて、もっと別の何かだった。
心に刻んだそのようなもの既に踏み越えていた、ただ別のものに変わってしまった。本来ならば抱いてあげると言えたかもしれない、可愛い息子と今なら言えたかもしれない。
だが無理だ、これは無理だった。
彼には軍神しかないのだ、ある意味依存に近い、軍神だけに恐怖を感じ、殺意を抱き、彼女だけを呪う、そういうものに過ぎない。
彼に繋がっているのは常に死体ばかりだ、自分達がそう仕向けたからこそ彼はこうなってしまったのだ。
そんな軍神の為だけの悪意を練磨してきた存在に、あの言葉は失敗であり、自分のいった言葉のおろかさに、いや自分の呪いに対しての慢心振りに、彼女は後悔するしかなかった。
彼程度の実力では確かに軍神には及ばないだろう。しかし彼女程度を圧倒する実力を彼は備えているだけの事だ。
今まで見下したものにここまで容易く敗北させられた彼女の胸中はどういうものなのだろう。突き刺された貼り付けのそれは、笑っていた、笑うしかなかった。
「素晴らしい、すばらしい、素晴らしい」
気持ち悪く彼女は笑う、ここで自分が殺されるのを厭わぬ様に。
魔女の血が、魔女の血が、その流れる魔女の血統が、感動の笑いをこぼしてしまう。こんな事があるのかと彼女は笑うしかなかった。
「まさか、えへへへ、ここまで自分の目がふし穴だなんて、殺されても仕方がないかも知れない」
目を見開き自分を殺すべく荒れ狂った息子を見る。
その言葉を聞いて止まっているのだろう、先ほどまでの悪寒の走るような感情は一切ない。こんな所でお前は何を言うんだという疑問が顔中に張り付いているだけだ。
ある意味闘争においって最も彼が欠落していた部分だろう。精神と言う部分は、最も今の状態ではまともな構成も編めない為、緩やかに殺されるしかないのは、覇王も同じではある。
「極端の可能性、そんな物が生まれるなんて、死ねなくなる」
「黙れよ」
「素晴らしい息子、ああもどかしい、名前が思い出せない、なんて名前だ、素晴らしいのに」
嬉しかった彼女は息子を褒めた、名前も知らない息子を褒めた。
多分だが自分がつけた事も覚えていないだろう息子を、まるでいつくしむ母親のように笑って褒めた。
その所為で彼女は腕を捩じ切られるわけだが、頑張ったとポツリと呟いた母、その事を気にすることもなく二の腕を掴むと、握力のままにぐちゅんと回る。
「その程度なんだろう俺は昔から」
「っ―――あ、ぎぅ―――――いいい、あ、が」
それだけで腕の皮膚と筋肉が捩じ切れた、さらに腕を握りつぶすように力を込めるとそのまま関節をつなげている靭帯もろとも引き摺りだす。幼子の腕は彼の握力で、骨ごと握りつぶされたままそのあたりに投げ出される。
べちんと少しばかり間抜けな音が廊下に反響していたはずだが、覇王の押し潰した様な悲鳴が上回る、ぱくぱくと金魚のように何度も口を開閉作業の勤しみながら、舌を噛み切ったのか、酷く血が口から溢れている。
「げあ―――けっつ、ああぐ、ぎああ」
「そもそも俺もあんたの名前を覚えていないんだけどな」
そして次の腕が彼の手に捕まる、酷い痛みは彼女の頭を焼き、己に対しての感覚の果てを見るが、それはただしにかけていると言う証明で、白黒と視界が点滅しながら無機質な表情で、淡々と作業をこなす動作が突き刺さる。
地面に転がり、達磨のようになった彼女は、ゆっくりと自分の重みで切られて行く体に恐怖を感じ、喉の生きを飲み込み血の混じったせきをしながら、それでも耐え切れない衝動を嘔吐として吐き出す。
だがむしろここで死ねたほうが彼女にとっては良かったのではないだろうか。
人は痛みでどう在ろうと屈服する、たとえ歓喜に濡れていたとしても、人は痛みに耐えることは出来ない。
無意識に体を癒そうと自動蘇生の魔術が中途半端に彼女を癒そうとするから、その拷問は続く。
聞くだけならそれはきっと、執拗に行われる子供への殺戮だったのだろう。
「あ、っつああ、ぎぃぅ、あは、はっ、は、あん」
だがそれでも嬉しかった女は彼を見るのだ。
魔女とは、人の極点を望む者である。彼女らにとって人の限界はどこにあるのかと言うのが命題と言っても過言じゃない。
ましてその可能性である軍神、そしてもう一つの可能性が目の前にあるのだ、その両方が自分の腹から生まれたのだ。
自分の齢を二百五十を超えた魔女は、ようやく生まれた可能性に、狂喜していたのだ。痛みに屈服しながら、その喜びに体を打ち振るわせ、媚薬を嗅がされた少女のように股を濡らす。
この二人の交配の結果が見たかった、だからそれだけが彼女にとっては恐怖だったのだろう。
しかしその発言は随分と余裕があるというものだ
「見るなよ、今まで俺を見もしなかったんだから」
ただ熱いものが目の奥に入ってくる、痛みなど感じないただ暑さだけが、そして暗闇が彼女に振り落ちた。そして宵闇だけが彼女の恐怖を増やしてしまう、完成した傑作がもう見れないと言う苦痛が、魔女を発狂させるのだ。
「俺はもうあんたを見てないんだよ」
いやいやと、血の涙を溢れさせながら、正気さえ狂気に変わるような悲鳴を上げる。
彼の言葉は聞こえない、ただ夜の闇だけが魔女の心を苛む、このまま死ぬとしてもその一瞬まで自分の傑作が見たかったと、彼女はそれだけを願って、叶えられる訳もない。
辺りが血に染まり大理石の上を赤い血が川のように溢れだす。地面にしみる事もなくただ広がり続けるそれは、人の致死量などとっくに上回っているとさえいえるのに、彼はその状態を俯瞰するだけ。
そして突き刺していた剣を抜き去ると完全に下半身を切り離す。覇王には何も感じなかっただろう。彼女の自尊心を抉る為のものだったのだろうが所詮怒りに任せた行為だ、本人はその自覚もないだろう。
後は止めだと剣を振り上げるが、そこに来てようやく彼は理性を取り戻した。
「って、殺すと拙いんだった。馬鹿だな、僕って奴は」
そこまでして、冷静になったところで困ると言うものだが、面倒くさそうに彼は髪を掴むと、ぶちぶちと抜けていくのを楽しげに笑い、そのまま歩いていく。
「二度と言わせないぞ、こっちはなあいつを殺す為にここにいるんだよ」
それだけの為の人生なんだよと、吐き捨てるように母親に告げる。
その事にびくんと動揺する達磨は、必死に声を上げるが、舌を自分で噛み切っていっるのだ、まともに喋る事が出来る筈がない。
だから血の混じった生きが悲鳴のように響くだけ、うるさいと思いつつも彼は何もせずにぼんやりと歩くだけ。
「あいつとの間に子供か、冗談じゃない、冗談じゃない、全く戯言でももう少しはかつての息子に言う言葉があったんじゃないのか」
それに関しては誰にも求めないけどと笑う。
もう彼はそこに居る達磨を母とは認めていない、存在を認めていない、断じて認めるはずが無い。
「家族なんて居ないのに、と言うか家族だった人たちって、俺は全員殺してるじゃないか」
思い出したかように、その所業を忘れていたように、一篇たりとも忘れていない過去を振り返る。
彼に繋がっているのは全て死体だけだ。
生きている繋がりは殺す為だけ、彼は殺す事しか出来はしない。それ以外の機能が存在しない、人としては不完全そのものだ。
「ラーキスさん達はすごい優しかったんだけどな、メイニアなんて俺をお兄ちゃん行って慕ってくれてたっけ、ランズロックの牧場の夫婦は体が小さいからって牛乳を無理矢理飲ませてくれってたっけ」
そうやって一度振り返った過去、彼が住んでいた男爵家の日々。
だがそれを一笑に伏す、思い出すたびに笑うしかない、自分にはその資格など無いと言う事実を受け入れるしかなかった。
卑屈を突き詰めてなお足りなその表情は、険しく歪んだ己への罵倒だった。それを嘲る様に、自分自身の顛末を告げるように吐き捨てる。
「全員俺が殺したんだけどな」
そうやって大切な物ばかりを殺したのだ、いまさら生んでくれた母親や、父親に何の罪悪感を感じる必要があるのだろうか。
そして困った様に途方に暮れた様に彼は呟く、困った様に、困った様に、泣き出しそうに。
「それで次は誰を殺すんだろう、あいつの所為で」
ここのテーマは一方通行。もう少し描写を細かくしても良かったかも、というか最近キーボードがおかしい、新しいの買うかな。執筆に時間が掛かりすぎる。