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十章 君臨そして蹂躙


 たった一人の軍神は、その寂しさを今になって感じるようになった。

 体でさえ感じていた父の温かさじゃない、家族が欠けたという喪失感を感じていたのだ。いくら彼女とて死人を生き返らせるほど人を止めてはいない。

 奪う事だけならば人類など超越したものだろうが、それは完璧などというものは無く、世界の所業だ。

 だが死者を生き返らせる等、この世の破滅を意味するだけの代物だ。


 しかし数時間前まであった温かさは既に居なく、唇に灯った僅かな感触だけが、父がいた事だけを思い出させる。しかしそんな淡い記憶も、彼女は塗り替えられようとしていた事に無意識ながらに気付いていた。

 それぐらいには鮮烈だったのだ、あの軌跡再現と言う御伽噺は。

 彼女はどういっても剣の求道者の一人である、だからこそ兄のやった事を見てすぐに結論を出したのだ。


 あれは見た事があった、彼女と兄の最後の訓練の時、彼女はそこで思うのだ。

 兄はあの段階ですでに父を越えていたと言う事実を、彼女だって剣聖の実力は十二分に知っている。あの人は剣を振られてからでも十分に感覚で対応できる人間だった。


 軌跡再現は所詮だが、自分の剣を再現する技術に過ぎない。極めた人間が使えば想像を絶する話だが、極めても居ない頃の彼の剣で剣聖が殺せるはずが無かったのだ。

 なにより彼女からしてみれば、何が起こったか分からないにしろ、致命傷になるはずの一撃に対して、しかもあれほどの未熟な剣気に晒されて、受けが出来ないと言う事にさえ驚いた。


 自分であれば動にでも対処できると言う判断だろう。

 そんな事が出来るの僅かな人間だ、だがその僅かな人間だけをこの御前試合は集めているはずなのだ。

 それが当然剣聖であっても同じ事のはずだ、しかしそれすら出来なかった。反応する事も無い速度で、多々首を切り落とされる。


 兄は最低でも十二の時には父を越えていたことになる。

 このときに彼女は気付くべきだったのかもしれない。あの時兄が自分を殺そうとしていた事実に、だが彼女は気づきもしない。


 うわぁと、震えながら声を漏らす。

 顔は真っ赤になってひどく嬉しそうなのが印象的だ。しかし周りはそれが見えなかっただろう、灰色の髪で視界を隠し表情を隠すしていた。体が震えるのを隠す事も出来ずにいた。

 すごいと彼女は声を漏らす、お兄様はやっぱりすごいやと彼女は喜んだ。


「あれで手加減してたなら、お兄様はどこまで上っているの、今の剣の鋭さはきっとあんなものじゃないんだろうし」


 そういえばそうだったと思う、夜少しだけ合わせた剣、酷く歪んではいたが、彼女の知る兄の軌跡だった。

 だがその軌跡は間違いなく、弱くはあったのだ。しかし彼女が受けた時、間違いなく二の太刀が来ると感じた、それに対して自分が反応できないという確信も。


 今までよけられないと思った攻撃など彼女は経験した事すらないのだ。

 だから次が見たかった、国ですら彼女を殺せなかった、その事実を拭い去る剣士がどれほどのものか。

 その片鱗を見て彼女は変わってしまうのは仕方のない事なのかもしれない。


 彼は間違いなく技量において妹を上回っているのだ、何を突き詰めればそうなるか分からないが、それはつまりこの世界において剣において最強という事に他ならない。

 最もその程度の事が、軍神に対して意味がある訳が無いのだが、それでも震えた。今彼女の前には自分を超える存在が居るという事だ。


 生まれてから今まで、常に頂点に立っていた少女は、今見上げる立場に変わったのだ。

 父の死体を前に表情すら見えずに体が震えているが、周りから見れば悲しみだったのかもしれない、だが間違いなく歓喜であった。

 ずっと見上げ続けた男が知らないうちに見上げられた瞬間、だがその時間が短くなるのはいうまでも無い、だが彼は今だけ完璧の一角を崩していた。


 国を蹂躙し、最強を貫くそれに気付かぬうちに確かに上回っていたのだ。


「お兄様が剣を見せてくれたんだから、次は私の番。これが私ですって見せないと、なんかおいていかれそうな気がする」


 無意識なのだろうが、彼女は彼との距離感に気付いていた。

 それがすごく寂しい事にも、彼女に落ち度なんて何一つ無いのだ、ただ妹が兄を慕うだけ、だがそれが一番許されないという事を知ったとき、彼女の表情はどう歪むのだろう。

 そしてその顔を見てどれだけの人々が彼を敵とみなすのであろう。


 切り離された父を見ながら思うのは、これからの闘いで兄に見せる剣のこと、軍神と呼ばれた彼女が見せるのは、ただの蹂躙だけだというのに、それでも軌跡再現と比べても引けをとる事の無いはずの剣の形。


「ありがとうお父様」


 血の香る父の体を一瞥する、その表情は少しだけ髪からかぼんやりと口元だけが見える程度だったが、薄く笑っていたような、もっと違う何かのような、だがもう一度だけ彼女は父の唇に別れを告げる。


 口から溢れる生を感じない、その冷たさを感じながらゆっくりと口内を咀嚼する。

 血の味などかまった事ではないのだろう、ただ丹念に慰撫するように、彼女は時間をかけていた。

 彼女なりに、愛情を父に持っていたのだろう。


「本当にありがとうお父様、あなたのおかげで私は大切なものが二つも出来ました」


 なんてことを少女は言っているのだろう。

 ここに誰か一人でも人という物がいたのなら、あまりの事実に実を疑う事であっただろう。

 自分の腹をとても大切そうに彼女は撫でている。


 とても大切なのだろう、その腹の中の何かが、彼女と父と親の間の何かが、大切、大切なのだろう。

 少女はすでに女だというだけだ、比較的珍しい話でもなし。

 だがその言葉はもう決別と代わりはなかった。この言葉を生きていた頃に彼が聞いていたらきっと、その場で自分の刃を首に通していた事だろう。


 そして今の状態と同じ末路を辿っていた。そしてその未来は確実に追い着ていたと断言するべきであろう、彼女はどうあっても彼の軌跡再現という奇跡を持って、父を捨てるのは間違いなかった。

 たとえどれだけ大切な存在が居ても、彼女は彼女であり続けるためにきっと父を捨てた。


「ばいばいお父様、ゆっくり眠ってくださいね」


 それで父と娘は完全に断絶した。最後の絆であるはずの彼女腹の大切なものさえきっと彼女は、絆とすら思わないのだろう。

 穢れのない純粋無垢な少女、アリスといってもいいだろうか、彼女はどこまで睦言を父が囁こうと、靡く事は無い。そしてその声は終ぞ響く事は無いのだろう、彼はその言葉すらも娘になめ盗られたように、悲しげに首を床に転がすだけだった。


 本来使うはずの無かった御前試合の死体安置所、五人も詰めれば限界という狭い部屋の最後の情事、彼の経歴を考えればそれがどれほど酷い扱いかわかるだろう。しかしそれぐらいにくには予想していなかった。

 自分達で真剣有りといっておきながら、ただ殺しあうという意味を四方の全ての国に攻められている国が理解していなかったのだ。


 これは命を削る闘いであるという事実を、これも四方を守る彼らが強すぎた事が原因だ。結果として、中央は彼らがいるからと戦時中でもありながら平和ボケという状態に陥っていた。

 つまりはその不始末の結果だ、国はどう言い繕っても滅亡の危機であった。

 本来であるなら四方を同時に攻められて、敵を追い払い続けるなどというのは奇跡の所業だ、消耗に消耗を重ねて疲弊し、国力の低下もやむ終えない。


 それをとめたのは剣聖、君臨、不敗、死んでしまったが老子といった、四方のいずれ劣らぬ使い手たち。彼らがあまりにも圧倒的過ぎるが為に、国は戦いを忘れてしまった。

 そして極め付けが彼女だ、歩く対国家兵器、字面からして反則過ぎるが彼女はそんな理不尽だ。


 彼女がいれば大陸統一すら容易い、すでに制圧された北方、多少の反乱分子がいるが、彼女がいればそのカリスマでどうにでもなってしまう。

 国力の増大とその背景からの国威の啓発、その全てが軍神という存在の為に帰結してしまっている。

 軍神がこの国を駄目にする、あまりに尋常ではない才覚は時として破滅を用意するのだ。完璧など人間がなるべきものではない、人類が群体として存在している以上、その完璧こそが究極的には弱点となる。


 それは固体としてしか存在できない。

 だがそういった英雄は物語に存在する、物語にしか存在しないというべきだろうか、憧れのままで留めておくことが最良の存在。


 だから人は頼ってしまうだ、全てに負けない理不尽を、軍神である彼女を、気づかぬうちに頼り切って、背中に乗るだけ乗って、気付かぬうちに物代を問題としなくなってしまったからこそ。

 この試合において死者が出てしまった。


 剣聖が死んだ事で動揺している王もそうだ、人が死ぬという自体が容易く起きる自称だということを理解しなさ過ぎている。

 そうさせたのは剣聖たちだが、王はその同様を必死に軍神でぬぐったのだ。

 もう王でさえも彼女から逃れる事は出来ない。彼女の魅力は津波だといったが、それは全てを海に戻すからだ、容赦なく自分という海の元に誰も彼もを引きずり込む。


 一度浚われればもがき苦しんだところでどうにもなりはしない。

 ただ彼女を飲み干し呪われるだけだ、それは蔓延した国の病気だ、誰一人治ることを望まない軍神病。


 完璧が故に感染者を吐き出し続ける、傾国の呪いだ。


 そんな病の中心である彼女は腰に下げた剣を一度だけ会場の控え室で抜いた。

 王族と近い者たちだけが使用できる専用の個室でだが、無駄に厚遇を受けるが、彼女にはそんな事には興味が無いのだろう。

 磨き抜かれた刀身が鏡のように彼女の顔を映す、だがそれは彼女の剣ではなかった。

 剣聖が持っていた剣、そもそも彼女はその有り得ない実力の所為か、どれだけ魔力で強化しても武器が一回使えば壊れるという事態に陥る存在だ。


 それが故に武器の頓着した事は無い。

 だが流石剣聖というべきだろう、彼女が懇親の力を込めて武器を振るったとしても、罅一つ入らない。

 握りの部分を少しだけ弄りながら、自分に相応しい剣に彼女は変えていっているが、その剣はかつての彼女の祖先が使っていた剣だ、銘などは無いが、十数代にわたって戦争に向かいながら刃毀れ一つ無い時点でそれは魔法剣の分類なのだろう。


 父が死んでしまった今では、彼女が当主となるしかなくなるが、これで王子との結婚も破談となるしかなかった。北方の英雄の血統はこの国の防衛において欠かす事の出来ない、重要なファクターである。

 その家の継承の証としてその剣を抜いて振ってみたが、流石というべきなのだろうしっくり着たようで少しだけ頬を緩ませた、彼女はここで自分の愛剣を手に入れる事になる。


「ん、いいかんじだ、これで私を見せられるかな。見ててねお兄様」


 彼女は酷く可憐に笑っていた、それが彼にとっては背筋の凍るような言葉であったとしても、才能じゃないのだ彼女はすでに、一個人が人を超越する。ただ上に立つだけの呪いの完成品、それが彼女としか言いようが無い。

 誰にも好かれる、誰にも慕われる、戦うまでも無く分かる断絶、それがアイシャという少

女の存在だ。


「お兄様、アイシャを見ていてくださいね」


 その少女から吐き出される言葉は、どうにも禍々しく聞こえるのはなぜなのだろうか。


「頑張りますから」

 

 天下無敵の理不尽は、兄に見られる事を望んで笑っていた。可憐なままに、花が咲き続けるように、まるでの夢の世界を作り上げるような彼岸の花畑を作るように笑っていた。

 それに晒されるのは、西方の魔人ザインザイツ、ただ一人軍神に抗う男に付けられた毒が効果を示すのかはわからない。

 ただ彼女とて憧れる、不可能に抗う事に、勝てないと分かっているくせに抗おうという気が出来てしまった。だがそれが彼女の前で発揮されるかは疑問だ、男の毒などさほどの価値もないのだ。


 武器を確認した彼女は早々と場内に入る、早く兄に見せたいと心町にしているのだろう。

 そんな中だが、兄は今頃彼女と戦うと息巻いて、参加者に喧嘩を売っているところなのだが、そんな事彼女が知る由もない事だ。

 ただ場内に入った瞬間、それだけで観客達は熱狂する。激しい声が、本来であれば兄のいる場所まで響いていてもおかしくなかったが、それ以上に彼の狂気が濃厚だったのか、そんな声が控え室に届く事は無かった。


 観客達は王を上回るその少女に歓声を込める、信頼をいやそれを上回る依存を、彼女を見て安心する為に、その中で彼女は愛剣をなじませる為に感度も武器を振って再調整をしていた。

 無双が来るそのときまで、ここまで万全に体を整えなくても勝利など容易いはずなのに、それが少しだけ観客の心に影を落とす。


 控え室のいざこざなど知らない彼女は、無双を楽しげに待ちながら、一度だけ全身全霊を込めて武器を振るう。

 この剣ならどこまでいけるのだろうと、その限界点を診るためというのもあっただろう。そして兄に見て欲しいという感情も、だがその一刀は誰もが目を剥くだけの話になる。その一振りで嵐が巻き起こり、観客が居るはずの席の一角に一つの線を作り上げる。


 ただの風圧だけでそれだ、何より観客に傷一つ付けないその精度、観客席の下にも人がいるはずなのにそれさえ見通してのあまりに容易く行われた神技。

 恐怖を飲み込むその彼女の魅力があるからこそ、誰一人恐慌に陥らなかっただけ暴挙は、彼女に対する依存を深めるだけの結果になる。だがこればかりはそういう演出として彼女が狙っていた、分かりやすく自分の実力を兄に見て貰うために、人の賞賛を彼女は使っただけだ。


 そんな賞賛とともに無双は現れて絶望する。

 その愛剣が壊れていないことを確認し、どこかで兄が自分を見てくれる事を望みながら、彼女はそれでも足りないと、油断無く相手を見据えていたのだ。


「なによそれ、勝てるわけ無いじゃない」


 抗おうと彼女は考えたはずだが、その程度を容赦なく埋め尽くす彼女の存在は、恐怖でしかないのだろう。

 なにより敵意に近いそれを、国を埋め尽くす存在から向けられるのだ、それだけで心を折られたとしても何の不思議があるだろうか。その強大な武器さえも震えて地面に落として無双は恐怖する。


 呼吸をするたびに体が震える、それこそ始まりの合図も気付かぬほどに。

 だがそれでも少しの間、彼女は動かない。相手が隙だらけと分かっていながら、何度もそのタイミングがありながら、力を蓄えるように静かなままだ。


「これじゃ意味無いんだけどなぁ」


 残念そうに呟く、だが彼女に飲まれればどんな使い手もこうなるのだ。

 むしろ抗おうと考えるだけで、十二分に異常事態ともいえる。だがそれでも無双がはむかうのを悠然と待っていた。


 しかしそんな事が起こる事はない。それを分っているくせにゆったりとした時間が流れる。

 いつになったら本領を発揮してくるのかと、残念そうな顔を見せるが、挑発にすらならない。純然たる実力差が、無双に攻撃を許す事は無い。


「だめだよそれじゃあ、頑張らないと、お兄様は頑張ったよ」


 そうポツリと呟くと、彼女の胎からまるで奮い立たせる様に体の中で何かが跳ねた。それが何なのか、それはいいだが、それと同時に彼女は動き、何もしないまま無双は致命傷だけは避けられた一振りによって敗北を完了させる。

 結果としてみれば第一試合と同じ随分とあっけない結末というだけ。


 しかしだ民衆はそれでよかった、彼女が負けないと、圧倒的な存在であると言う証明だけが欲しかったのだ。依存を深めながら彼女の勝利に浮かれ狂う、聖女、聖女様と、激しく彼女だけを賞賛するが、きっと耳にも入れていないのだろう。 

 ただゆっくりと鞘に剣をしまい、くるりと一度だけ場内を見回すと、残念そうに彼女は控え室へと戻っていく。


「お兄様しか私と対等じゃないのかなぁ」


 完璧という孤独を彼女は理解しつつあった。

 無双の怪我を癒して、彼女はいつしか自分の孤独を埋めようと躍起になっているのだ。今までは父が居たから良かった、自分の心に対して必死に盾となった男がいたから。

 だがそれはもう居ない、彼女は本当の意味で自分がひとりだと理解するしかない。そしてそこから踏み出す時、軍神はさらに強くなるのだろう。


 しかしそれこそが彼女を目指す男の絶望の糧にしかならないのだろう。


もうね、なんというかね、あやらまないよ、今回の見所は無双が噛ませ以下という事だけじゃないかな。

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