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九章 負け犬と負け犬

 それはどう言う事だと、誰かが呟いた。

 比べる必要のない最強、理不尽の塊、対国家専用兵器、万人の慈母、様々な賞賛と恐怖を並べ立てられる軍神。

 生きながらの神とさえ言っても過言でない相手を、彼は敵として見ていた。


 それを当たり前のようにいってしまった彼の言葉は、まるで高度な冗談を吐いている様にすら感じる代物だ。

 起こるのは失笑に近い何か、それ以上に何を言ったのか理解するまでの処理のほうに彼らは追われていたのかもしれない。ぽかんと開いた口は、まるで彼をあざ笑うように歪み、一人心の弱い男は視線をそらしていた。


 見たくない物を見せられるようだった。彼はこういう目を知っている、理解ができない、それ以上に意味がわからないだろうか。

 馬鹿なことを言っていると思われるならいい、それはいわれて仕方のない行為だ。だがそれ以下に見られるのは彼もいやに決まっていた。

 理解できないと思われるのがいやなのだ、なんであれと戦う事を考えるのと聞かれるのが一番いやだった。


 国を理不尽に蹂躙して打倒しておきながら、その国の人間に支持されるような反則になぜ敵意を抱けるのかと、そもそもなんで彼女を敵と見れるのか、誰もがそう言う目で見てくる。

 それがいやなのだ、自分だけがそう思う、誰もが妹の味方をして自分は異常者として見られる。

 じりじりと心が焼かれる、それが嫉妬であったのは言うまでも無いが、それが彼の表情を酷く歪にさせていた。何で彼女を敵に出来るのと不思議な目で見られる事だけが彼は許せない。


 自分だけが異常者だ、まるで世界に一人だけと言われるような虚無感に、心が悲鳴を上げて、その場で喉に刃を突き立てたくなる衝動に駆られながら、嫉妬の感情が彼の命を救う。

 不思議な話だろう、ここにいる群を抜いた使い手達の中でも彼女は別格だ、何より一番の異常事態は、それほどの使い手が彼女と戦い勝利を目指していない事実。


 ただ一人軍神の刃を届かせると言った男を、彼の憧れた神童すらも視線で言う、どうしてそんな風に思うのと。


 世界で一人、もっと言うなら妹は世界中が味方、頭の痛くなる苦痛が、この場で悲鳴を上げさせそうになる。

 何一つ無駄だと言われているようだ。沈黙だけが降り積もる中、容易く起こるはずの雪崩も無く、誰もが彼をまるで化け物のように見ていたのだ。言っていることは誰もが理解が出来るが、なぜそうなるかが分からないと言う顔、軍神となった妹はすでに彼らにとっては、戦う相手ですらなくなっているのだ。


 ここが、国の最強を決める戦いの場であったとしても。


「わかっていたけど」


 つらいと嘆く、見たくなかった物だけが見えてしまう。

 憧れたものすら軍神には、無意味だと言う事実が刻まれる、ああなりたいと思ったはずのそれすら、それは飲み込んで強大になっていた。

 何でなんだろうと悩む必要もない、それが妹なのだ、居ても居なくても彼を食いつぶす、史上最強の存在。


 そしてまた刻み付けられる。

 神童ですらやはり及ばないと言う事が、憧れが台無しにされて怪我された気分に、喉の奥から悲鳴がこぼれそうになるのを嫌でも感じていた。

 それを押し込めるのは誰も理解してくれないと分かっているからだろう。


 軍神とは人を魅了する聖女でもある、何一つ彼がかなうところなんて無い、彼女の汚点の部分が彼といってもいいぐらい、完璧な存在。

 ここで千の言葉を弄しても届かず、万と言葉をつないで絶望させられるだけ、この世の完全無欠が彼女であると、彼女からこぼれた悪意の結晶は、吐き出したい感情を飲み込みながら、それでも溢れる憎悪に腐臭すら混じった嫉妬の目を下から見上げて彼らを射抜く。


 お願いだからそんな事を考えてくれるなと、必死に頭を下げながら彼は願うのだ。

 お願いです、そんな事を考えないでくださいと、あれは完璧なんじゃない、純粋無垢なんてこの世には無いんです、完璧なんて無いのです、お願いだからそう思わないでくださいと。

 だが意味は無い、彼女は完璧で、完全で、絶対であるのだ。

 人という種族に対して完全なまでに優位に立てる反則の結晶は、彼の憧れなど関係なく容赦の無い大波を持って浚って行った。


 ああなりたいと思った、そうなればきっとこんな事を考えずにすむと、無意味だった。何一つ欠片も絶やさず彼の希望を焼き払う。

 惨めだった。涙がこぼれ溢れる筈の心が、ぎしりぎしりと軋みを上げているのが嫌でも分かった。壊れる本当に後もう少し力が入れば彼の心は壊れてしまう、それを救っているのですら妹である。


 ただ妹にささげる唯一の感情が彼を救っている。

 ここまで落とされても彼が足掻ける理由はそこだけだった、また奪ったなと、お前はまた俺が大切にしたかったものを奪ったなと、このときばかりは彼女が目の前にいたら叫んでいただろう。


 殺してやると、お前だけは絶対に、殺してやると何度でも叫んだだろう。

 今も変わらず彼の憧れとして存在してしまっている神童は、ようやく彼の言葉を飲み込んで理解しただろう、周りと違い笑顔になった。

 感情では否定しただろうが、それでも彼は嬉しかったのだろう。その浚われた心すらも元に戻してしまうほどには、魔剣を殺した男はさらに上の軍神とすら戦おうとすると考えて、彼は本当に嬉しかったのだろう。


 その男は自分ではどうにもならない戦おうとすら考えない相手とすら戦おうとする存在だと思って。


「そうか、すごいな」


 気付かぬ内に彼は言葉にしていた、すごい人だった、自分の無力を認めた上でそう言えたのだ。彼は軍神と戦うなんていえない、はっきり言ってセンセイのいった言葉すら、最初は正気を疑った人間だ。

 彼は眼前で一度軍神を見た男だった、戦う前に屈服してしまうと感じたそれに、彼のライバルだった男を殺した存在は、それと戦おうとしていたのだ。


 あれと戦おうと考えることに賞賛を感じてしまう。あの理不尽と戦おうと考えることに、それなのに弱いという男、どこまで自分が弱いと進行する存在は、常に比べるものが強大すぎるのだろう。

 同情染みた視線を向けるが彼がそれを望む事は無い。


 それに神童の言葉を彼は耳にも入れていなかった。絶望が深ければ深いほど彼は孤独にしかなれないのだ。

 奪われたと絶望したまま彼の耳には届かない。ここで誰が何を言おうとも絶望への伏線だけが練られて行くだけ、本質的に自分が孤独であることを知っているからこそ、理解されるということを彼は考えないのだ。


 今までの人生が彼をそういう人間に変えてしまっている。

 そんな事も知らずに、彼は賞賛を感じ次の戦いに負けられないと再度思うのだ。そんな事を理解できるはずもない男は内に燻る感情のおかげで自殺せずにすんでいるだけだった。


「正気か貴様」


 そんな彼に追い討ちを掛けようとするのが王道である。

 彼女にとって軍神は幼くても憧れの存在だったのだろう、完全に異物を見るような目で彼を見ていた。

 真っ直ぐ、それた常に正しいとは限らない証明行為が、彼女の口から吐き出される。


「勝てるわけが無いだろう、あの御方に」


 誰もがきっと同じ考えだろう、殺したいと願う彼ですら同じだ。

 彼女からしてみればそういう発想すらできない存在、それが軍神であったのだ。だからこそ当たり前のように、聞きたくもない言葉が耳に入ってくるのだろう。

 分かっているのだ、勝てもしないことぐらい、今のままでは自分の刃が届かないことぐらい、全部、全部分かっているのに、お前には無理だと告げてくる言葉は心に突き刺さる。


「これが軍神のお披露目と変わらないのを知らないのか」


 あそこまで真っ直ぐな人間ですら変わりは無い、平等に軍神は魅了し飲み込んでいく。

 恐い、どうやってあれはあんな風に成れるのか、彼は恐かった、自分もこうなってしまっているのではないのかと、恐くて何もいえなくなりそうになる。

 大声を張り上げて耳を塞いで、子供の駄々の様に暴れたくなる、そんな彼女に負けるよりも恐ろしいことを彼は考えてしまったのだ。


「ここにいる全ての存在が彼女に及ばない事を理解しているというのに」


 あの妹に会った時、心が折れたのも全て、そのための前兆じゃないのだろうか、考えれば考えるほど、あの存在の手の中で踊っているだけのようにすら感じてしまう。

 比べることすら出来ないその反則に、ここにいる人間は勝利の言葉を、なにより挑むということすらも忘れているのではないだろうか、そう考えるぐらいには軍神の威光は凄まじいものがある。


「極めた程度で彼女にかなうはずが無いだろう、そう言う存在じゃないのだあのお方は」


 黙らせよう、これ以上言葉を聴きたくないと、彼は心にそれだけを考えるようになる。

 誰一人王道の言葉を否定するものは居ない、それぐらいに彼女は絶大なのだろうが、それを認められるほど、センセイと言う男は聞き分けが良い訳でもない。

 何より聞けば聞くほど、いつか自分もああなるんじゃないかと言う恐怖と、本来であれば彼女の様になる筈だった自分の姿の様で、身震いするほど、それがおぞましく見えていた。


 口か震える、耳を澄ませばきっと恐怖で歯の根すら合わず、カチカチと負け犬の証明が響いていたかもしれない。


「負け犬は黙っていてくれ」


 だが本来負け犬の男は、聞きたくない言葉を塞ぐ為に、喧嘩を売ってしまう。

 それが一層、周りの空気を悪くさせるという事ぐらい分かっていても、彼は自分が憧れた存在たちから、妹の賞賛なんて聞きたくなかったのだ。

 自分だけの特別であって欲しかった、誰だってそうだろう憧れは特別であって欲しい。だがそれが凡人に成り下がる時、失望以外の感情が抱けるだろうか。


 そのための言葉ではあったがあまりに辛辣すぎる言葉でもある。

 彼女が否定した言葉を全て彼は一言で斬って捨てた。空気が悪くなど頃の騒ぎじゃないだろう、ここに居る人間全てを負け犬扱いしたのだ。

 それだけならいざ知れず、その事実を否定できないような発言をしてきた王道は、言葉も泣くただ顔を真っ赤にして殺さんばかりに彼を睨んでいた。


 神童が一人、目を丸くして驚かせていたが、彼ぐらいだろうそれからすぐに笑えたのは。

 否定させないのだ彼は、そのタイミングで言い切った。言葉の全てが負け犬といって過言ではない王道の発言、否応無しにに自分でそれを認めた顛末。

 

 結局のところ、軍神という膨大な壁を敵として認識していたのは、心が一番弱いくせに抗い続けたセンセイと言う存在だけで、他は戦わずして軍神に負けている者達と言う、あまりにも分かりやすい壁が出来たのだ。

 彼らも気付いてなど居なかっただろう。当たり前に、軍神は強すぎて比べる対象ではなく崇拝の対象だったのだ。


 自分よりも幼いそれに彼らはそんな感情しか抱いていなかった。

 敵にするのすらおこがましいと思っている者ばかりなのだろう。そういう絶望があったからこそ彼は、全てのことを聴きたくなくて耳を塞いだ。

 世界が無音だったら良かったのにと思うほど、このノイズばかりの世界を拒絶した。


「否定できないなら、最初からこの場所に来なければ良かったんだ」


 一触即発という状況に変わりつつある、だが彼らはここで剣を振るうことは出来ないだろう。何しろそれを行えば自分達で認めてしまうことになるのだ。

 負け犬であると、彼の言葉の全証明を自分たちでしてしまう。かといってそれに対する適切な反論が彼らにあるわけでもない。


 彼らとしてもセンセイの言葉が聞きたいものではなかっただろう。

 殺してでも黙らせる必要がある程度には、彼の言葉もまた真理を突いていたといえるのだ。


「お前に軍神を倒せる力があると言うのか」


 苦し紛れの王道の言葉、だがそれは彼にとっても言いたくない部分だ。

 この男は嘘が付けない、というよりもうその意味を分かっていない。強がりであってもここではあるといえばよかったのかもしれない、そうすればまだうまく回っていけたのかもしれない。

 しかし彼はそういう人物だったからこそ、抗うことを止めなかったといえるだろう。


「ない、俺はあんた達より弱いんだ、ここにいる誰より弱い」


 どこがと神童は思った、その卑屈な心の癖に、彼ら聞けば気高い宣誓のような言葉。

 自分で弱さを認めることの出来る剣士が、居ること自体が奇跡のような話だというのに、それでも強くなろうと抗い続ける精神は何より崇高なものではあるのだ。


「でも、それでも譲れないものもあるんだ」


 心の弱さは弱点であっても止まる理由ではないと言い聞かせていた。

 何度も心に言い聞かせていた、止まる要因であったとしても、諦める要因じゃないと、この時の言葉を後に生き残った者達に深く刻まれることになる言葉だ。


「俺は純粋無垢も完璧も絶対も何一つ認めてなんか居ないんだ」


 己の弱さを自覚し続けて、逆に弱くなった男の言葉は、なぜか心に深く残るものになってしまうのだった。

 彼のこの言葉に反論が出来たものは居なかった。この後に軍神と戦う無双だけが、その言葉を聞いてどう思ったかは分からないが、一人として彼の言葉に対して、反論できたものはいなかっただけの話。


「俺はあんたも十分強いと思うんだけどな」


 神童は呟く、悪かったと席をはずしたセンセイに向けて。

 彼は弱いなんて思わない、十分に強いじゃないかと、困ったような顔をする。センセイの言葉を聞いて思ったのは、勝てる気がしないだった。


「不可能に挑み続けるなんて、弱い奴が出来ることじゃないんだぞ」


 そして困ったように出された言葉が、彼に届くのは明日の昼、センセイと神童の闘いの中での話しになるのだが、それはまだ遠い事である。

 そして少しばかり考え込むようになったほかの参加者達、彼らは心に残り続けるのだろう、先生のいった言葉、軍神を敵として抗うことについて。


 ただ不思議なことに、一人を除いて誰もが軍神よりも先に、彼と戦ってみたくなったと言うなんとも不思議な結論に落ち着くのだが、それは別に悪意などではなく、その必死な男と剣を交えれば彼の言ったこの場の結論を出せるような気がしたからというだけである。

 それと負け犬と自覚させられた仕返しぐらいの考えだが、一人を除いて随分と楽しげな顔であったのは間違いない。


「異端め」


 王道 ラストール 彼女をのぞいた誰もが、確かにそう思ったのだ。

ようやくまた一人汚れてきましたね。

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