八章 自分を測る定規
控え室に戻りゆっくりとした息を吐いた。
己の武器すら抜かずに剣聖を切り伏せた惨敗と言う名の剣士、御伽噺の体現者となったそれに対して、奇異の視線が向けられないわけもなく、なんとも控え室に微妙な空気が流れていた。
彼らは聞きたかった魔法使いならいざ知れず彼らが剣を司るのなら、どうやってそれを身に着けたのか、彼らは問い正したかっただろう。なにしろそれはある意味では剣を極めた一つの形だったのだ。
だがそんな技術を彼は小手先だと思っている、過去の再現とはつまりは未熟な自分の剣を使うと言う事だ。それでどうにかなるような敵がこれから出てくるわけがない事を理解していた、あれは誰にも見えないところで、不意打ち紛いに使うからこそ価値のある技術であると、彼は思っている。
未熟な自分の剣で勝利を得ることが出来るほど甘いわけが無いと、それは彼の言うとおりだろうが、鍔迫り合いからの回避不能のタイミングの斬撃など使い道は様々であっても、その使い方を彼は認めることが出来ない。
彼が殺すべきそれは、その程度の小手先ではどうにもならない理不尽なのだ。
過去の剣が彼の生涯だとしても、その程度でどうにかなるほどあの妹は軽くないと、だがそれは彼が自分で手に入れたはずの力だと言うのに興味が一切無い。
雑魚をさらう時には使い勝手のいい技程度の感覚なのだ。
実際にここにいる全ての剣士が一度見たならあれをどうにでも出来る存在ばかりだ。だから見せた。これより数戦のち彼はあの妹と殺しあうのだ。
だから自分を無理矢理にでも高める必要があった、小手先ではなく自分を磨く為の時間の質を無理やり伸ばすしかなかった。
「そのために犠牲になって貰ったんだあの人も」
半分は復讐だったが、それぐらいの感情を交えてもいいだろうと思う。あの人がこちらをかまわなければ、間違いなくこんな事にはなっていないのだ。
そう思えば自業自得だと、軽く鼻で笑ってみせる。少しだけ過去の溜飲を下げられた気がするが、根本的にはただ殺すだけの人だった為、どうにも復讐と言う感覚を抱けずにいた。
自分がこうなり果てたのはあの人の所為であったと言うのにと、その事実に困った顔をするが、何一つ父親には感情がわかなかった。それにそんな事を気にしても、自分が変わることがない事ぐらい分かっているのだろう。
歓声の奥ではまた妹が人を引き連れる行動でもしているのだろうが、無自覚なくせに随分と先導がうまいと彼は笑っていた。見えもしないと言うのに妹の行動なんて、大体が絵本中に出てくる英雄の行動を予測していれば正解なのだから、本当に何かに作られたような精巧さだ。
選ばれたと言うが、神が思う完璧をつめこんで作った人形のようにさえ彼は感じてしまう。
そんな彼女の有様が、彼にとって不快なもので、彼の暗い劣等感を苛む。あれは生きていてはいけないものだと、拒絶反応を体が起こすように、彼の体は細かく震えていた
それがいまさらの勝利に対する余韻でないことぐらい当人も理解済みだろうが、頑張るといった意地だろう、頬が歪みながらも笑みの形を作り上げようと必死だ。
前進はしているのだろう、卑屈であろうとなんであろうと、神経痛で歪んだような笑みだが、妹を思い出して笑顔を作ろうと考える事が出来る様になっていたのだ。それぐらいには強情が晴れるようになったのだろう。
追い込まれないと行動できない自分がひどく滑稽に見えたのか、笑おうと努力だけはしてみせる。心にあるそれが自分を台無しにしていくのは分かっていても、抗ってみようと必死になる。
目に見えて分かる自分の成長に自分はつくづく、誰かにしりをたたかれなければ動けない馬鹿だと納得させられた。
痛感させられる、人は一人じゃ生きていけないのだと、ただ自分を鍛えるように細く鋭くと必死になってきたはずの彼は、思い違いでもしていたんじゃないかと、今までの苦労を馬鹿にしたくなる。
ただ人がいるから、そしてその人の中に認めて欲しいと思った人が出来た、行く先のない支えてくれる杖を彼は目にして、目の色を変えて努力を始めた。
今まで悪かったわけじゃない、今までがあるからこそ彼は、繋がりを人一倍感じて必死になっている。
希薄だったからこそ薄い糸にさえ過剰に反応してしまう。
その反応こそが彼を変えて動き出させる力となるのだから、元々人に依存傾向の高かった男だ、それが化学変化を起こして成長の材料となっているのだろう。
そもそも妹を殺すと言う絆しか持ち合わせていなかったような存在だ、他の感情を与える繋がりが出来ればもろくとも手を伸ばし、その糸が切れたとしてもあさり続ける。
何かによって壊れた心は、人の絆によって少しずつではあるが、その心を取り戻そうとしているのかもしれない。だがそうだとしても彼は、その壊れた心を引きずり出して向かい合うことが必要なのだろう。
多分それこそが呪い、妹を殺そうと決意させた、そして妹に狂うほどに怯えた要因はそこにある。
だがそれに向かい合うには彼はまだ弱い。
弱すぎる、彼を尊敬のまなざしで見るものもいるだろうが、そんな人物達よりも弱いのだ彼は、きっと彼はこのまま戦えば、メッキがはがれると確信していた。
「弱いな、本当の俺は弱い」
そう呟いてしまうのも仕方のないことなのだろう。
笑顔を刻んで反抗の態度を見せても、引きつる様な表情には、何より震える体は、彼の心の弱さをいやいや回りに見せ付ける。
人を殺したことがないのかと思うほど、真っ青な顔と笑顔、そして震える体、だがその線は薄く、薬を使っているのではないかと言う疑問のほうが周りには浮かぶだろう。
だとしたら随分きめて掛かったものだ。
しかしそうとしか思えないほど彼は色々と変貌を色濃くしていたのだ。少しばかり周りもそういう関係の心配をしてしまう。
確かに中毒症状のようだが、それでも今の彼は恐怖に抗っているのだ。
「何だあんた薬でもやってんのか、顔真っ青だぞ」
その中の一人が話しかけてきた、神童であるが、今の彼がその程度でどうにかなるほどまともではないことぐらい誰でもわかるだろう。
彼の言葉に対して首を横に振る、やってないさそんなものと、震えながらも口に出そうとするが、どうしても声が出ない。
啖呵を切ったときとはまったく違うその弱弱しさに、本当に薬に逃げているように思えてしまう。あれほどの奇跡を納めた男は薬に逃げるような男であろうかと言う疑問もあるが、そんな彼の状況が許せない女が声を上げる。
「軟弱な、それが剣聖に勝った男の姿か、見苦しいにも程がある」
最後の最強であり普遍の王道ラストール、多分この中で最も軍神に近い女だ。
剣聖ですら彼女には負けると断言できる、ただ実直を極めた騎士、八詩篇と呼ばれる魔法剣の中の曇天と荒天の二刀を預かる双房の騎士と呼ばれることもある。
これから後に大魔法使いとの戦いを控えていると言うのに、随分と気が立っていた。多分それは彼があまりにも弱々しく見えたからなのだろう。
仮にもここにいる剣士全てが成し遂げることの出来なかった、軌跡再現と言う奇跡を使いこなす男に彼女は尊敬すら抱いたと言うのに、蓋を開けてみればそれが嘘の様に惨めな姿。
勝者であるはずの男は、ここにいる誰よりも自分が敗者だと言い張るように存在していた。
「それが魁たる男児の姿か、誰よりも剣を極めている男の様とは思えん、あれはなにか私たち未熟な剣士に対する侮辱か」
尊敬した男の姿がそれだ、ましてやあの技術を見れば分かる、剣と言う技術においてなら、王国の深遠に立つ傑物だと、そう彼らは見せられていたのだ。
分かるだろうか、誰にも勝てないと思っていた軍神の年齢以外の分野で勝利を収めたようなものなのだ。
そう尊敬した男がこうなったら怒りしか覚えなくても仕方ないと思われるが、それを真正面から表現して見せたのは、彼女ぐらいだっただろう。
闘いには間違いなく不向きな長い髪に、女性としての意地を刻んでいるのか、赤茶けたその髪の色は、荒野の様に枯れた風に靡く様にかさりと舞う。
どこで剣を習ったのか追求したいほど傷の体や顔に、本当に鍛えているのかと追求したくもなるが、逆に傷がないことが彼女の強さの証明なのだろう。
ただ真っ直ぐに相手を見据えるその姿には好感すら抱くが、意志の強すぎる瞳は視線の強さに大抵の人なら目をそらしてしまいたくなるだろう。後ろめたさがなくても、彼女の真っ直ぐすぎる態度は、妹とは違ったベクトルの正しさだ。
「剣聖を倒すほどの使い手なら、前を向いて真っ直ぐに前を見詰めて、慢心なく次の為に磐石に備えるのが常ではないのか、お前のしているのは自分は弱いんです、だからかまってくださいと言っているようにしか私には思えん」
不愉快だったのだ、そこにいる男は自分よりも優れた何かを持っているのに、僕は何も出来ませんと怯える姿が、自分達に挑戦を仕掛けておきながら、終わってみればそれかと思うほど弱い心。
強さと背反するような姿は、彼を一瞬でも尊敬したものには、不愉快にしか感じられないだろう。
「不愉快だ、そして何より惨めじゃないのか、それだけの才覚を持って何に怯える、何に怯えるのだ」
そんなの決まっていた、彼は怯えていたのではない、抗っていたのだ。
確かに周りには怯えているように見えるだろう、彼らが敵にしない敵を彼は敵とする。その圧倒的な存在は軍神、たった一人だけ神の名を与えられた人類の反則。
弱く見えて当然だ、弱いのは当然だ、自分は軍神より弱いと言う自覚、恐くて仕方がない、全部を台無しにされると分かっていてそれをやるのだ。
しかし彼女達とは違う発想が、彼を弱者たらしめている。
神童や彼女のような真っ直ぐとした心が欲しいと、それが出来ない事がわかっているのに太陽に手を伸ばし、月に手を伸ばす、届かないと分かっているの何度でも。
「弱いんだよ、弱いからさ、俺は弱いんだよ」
心が、意固地になった心が、本音をポツリと漏らす。
あんたらよりも俺は絶対に弱いと、だがそれを彼らは否定したいだろう。どうやればあんなふうに彼らは剣を触れるか問いたかった、御伽噺すら再現する力があるというのに、何が弱いと。
「なにがだ、どこが弱い。貴様は私達よりも上にいるのだぞ」
「どこがだよ、この中で一番無様じゃないか、この中で一番惨めじゃないか、この中で一番汚いじゃないか、なによりこの中で一番弱いじゃないか」
剣の腕じゃない、そんなのは戦闘だったらどうにでも覆せる。
心が、心が、その何度も折れ果てた心が、心だけが、その無様なまでに足掻く心が、壊れすぎて壊れ尽きた心が、その心こそが誰よりも弱いのだ。
何をだと誰もが問いたいだろう。
その奇跡を成し遂げた体現者は、自分が誰よりも弱いと言い張る。敵に会うだけで怯える心が、その敵のために動いてしまう心が、泣き出して名に病まない心が、そのうちの闇を誰も知らない。
殺す為に鍛えたそれは、彼の確かな力になっても、支えにはならなかった。
「何を言っている、ふざ、け」
下から見上げるその瞳は、どろどろと腐った泉のようだ。水流すらなくただ溜まった水が、異臭を上げて悲鳴を上げる。
つねに真っ直ぐと人を見据える彼女は、初めて自分から目をそらしてしまった。だから理解させられる、彼の弱いと言った意味を、嫉妬の混じったその瞳がどれだけ歪な物か。
「ちょっとまて、弱いのはいいが、そもそもお前は誰と比べているんだ」
神童がその目を見ながらも、二人の間に割って入り仲裁しながら自分の疑問を漏らす。
この中の誰よりも弱いと、それ以前から彼は自分が弱いと言い張っていた。だからこそ疑問に思った、誰と自分を比べているんだと。
それはきっと神童と呼ばれた彼が、昨夜彼と会ったからだろう、その時から色々とおかしかったが、自分が弱いと言い張るところだけは変わっていなかった。
「誰って、それはあなた達」
「違うだろう、お前は確かその前からそんな調子だっただろう。昨日あった時だって」
本質はそこだろう、そもそもだ彼の心なんて誰にも分からない。
しかし誰もが思うのは、誰と比べていると、彼と少しだけ繋がった関係を持った彼だからこそ、いち早くそのことに気付いたのだろう。
いくらなんでもおかしいだろうと、少しは自信を持ってもいい、驕れと言っているわけではないが、それでも誇っていいはずなのだ彼のその成果も実力も。
軌跡再現とはそれぐらいには価値のある証明なのだ
「なによりあんなことが出来るんだぞ、なんでそこまで」
「あんな小手先の技なんて要らない。そんなものに価値なんてない、あの程度で届くはずがないじゃないか」
しかし彼は容易くそれを小手先の技術と言い張る。
流石にこんな事を言い張れば、周りの空気も悪くなるが、彼はそんな当たり前のことを気にしない。
だが対人能力無い彼だ空気が読めない。だから当たり前のように言う。
「自分の未熟な過去を使って意味があるとは思わない。あれは不意打ちの為の技術だ」
そう容易く言ってのける。御伽噺に伝えられたそれを彼は、未熟を使って何の意味があるという。
彼らが憧れたその境地を彼は否定する。あんな物はまがい物の暗殺者の技だと。
「あんなものあなた達にも通用しない。なにより」
一度区切った、言っていいものかとも思ったのだろう。
仮にもあの軍神はこの国における英雄だ、そして目の前にいる彼らの尊敬するべき存在。何より勝利を考えてはいけない反則。下手をすればそのまま襲い掛かられないとも言えないのだ。
だが思案しても結果は変わらないだろう。
神童も王道も、ある程度察しはついているにしろ、口に出すまで確信がもてない。だからこそここで彼がお茶を濁すと言う選択肢は無い。そういう選択をさせてくれない。
困った顔をして仕方ないと心で呟くと、恥じることは無いと、先ほどまでの薬物中毒のような状態を振り払い。
「軍神には全く届かない無用な技術だ」
彼の比べ続ける肉親の存在を彼らに告げた。
遅れてごめんね。そろそろ過去の男爵家反乱編が始まるよ。




