序章 昔語りの嫉妬
ああ、待っていたよ。とは言っても、大抵の人は僕のことなんて誰も知らないだろうけどね。
あなたの目の前にいる男は、実は貴族なんだ。多分見えないだろうけど、そういう存在なんだから仕方ないだろ。
結構有名だから知ってると思うけど、北方における至上の剣なんて呼ばれるルーベス辺境伯、いや剣聖のほうが通りがいいか、僕は男の息子という奴さ。知っての通りだろうけど、英雄の血統なんて国からは呼ばれ、国境付近で帝国と睨み合いをしている。軍事的には最前線とも言うべき地方の守護者、それが僕の父親だ。
そしてこの僕は嫡男、つまりは次代ルーベス辺境伯になる為に生まれてきたわけだ。
そうである筈だったんだよ。
自分で言うのもなんだが、僕には才能があった。
凡百には劣らないだけの才能がそれもその筈だ。剣聖と覇王なんて呼ばれた魔法使いの母から生まれたんだ。血統だけだけなら王国随一といってもいい。
そしてそれに相応しい教育も受けた。これで劣っているのなら、本当の意味での無能だったと思うよ。だが両親に褒められるのが、唯一の生き甲斐みたいな哀れな少年は、必死になって努力して、優れた後継者としてスクスクと成長して行くわけだ。
だがそうやって頑張っていたはずの僕は、辺境伯の後継者としての地位を奪われる事になる、知っているだろうあれだよあれ、世界最強によってね。
あれは妹は俗に言われる天才だ。いやあれは天才なんてもんじゃない、父と母を超えた化け物だった。
妹は生まれて始めて持った剣で、僕を打倒し、魔力においても僕を超越し、技術を持って僕を隔絶した。たった五歳の子供に九歳の僕は容易く負けた。それだけでも笑えただろうけどね、既にその段階で剣聖を超えていたんだ。分かるかい、神眼を持つとされたあの剣聖を、君なら分かるだろうそれがどう言う事か。
哀れな兄はそんな隔絶とした能力を誇った妹と比べられる事となった、結果はわかりやすいだろう。同世代では敵のいなかった筈の兄は優秀だった筈の兄は、あれよあれよと言う間に一つの称号を授かるのさ。
それがどんなものか誰でも分るだろう、与えられたのは無能さ、両親も領民も何もかもが僕をそう例えてくれたよ。さらに泣けるのが、そもそも妹は僕のことを比べる対象にすらしていない事だ。
凄まじいピエロだったよ、こっちは必死に追いつこうと努力していたんだからさ。比べる土俵にすら立てないのだから、笑うしか本当にない。
かくして辺境伯の後継者であった僕は、この家一番の出涸らしとなった。
妹はあらゆる意味で優秀だ、笑顔一つで人を引き連れ、勉学さえも簡単に吸収し、いつの間にかその分野を習熟している。
結果として残ったのは、僕と妹の絶望的な差だ。何一つ僕は妹に勝てなかった、死ぬほどに努力して差をつめようとした。寝る間さえないほどに努力しても、結局何一つ妹には敵う事は無かった。この段階で寿命を削る禁術にすら手を出しているんだよ。
それでも届かないのさ、転化って技術だ。君も知っているだろう、だがこれをした事すら誰も気付いてもらえないのさ、この僕はもはや存在がなかったねあの家じゃ。
そんな時だよ。
とうとうと言うか、ようやくと言うか、両親は思い出したように僕が邪魔になったのか、違う家に養子に出されたのさ。
公爵家の後継者だったはずの僕は、その下の下、男爵家の養子となったわけだ。
その際に言われた言葉も傑作だ。駄作よ、アイシャさえ居なければお前は立派な後継者だった、なんて実の父親が言うんだ。傑作だろう、もはや存在さえ意味が無いといわれたのさ。
流石に泣いたよ。ちなみに母親はただ薄く笑うだけで、何も言わず視界にすら入れない。この時流石に分かってしまった、当時まだ十二の僕だったか、自分は随分と前からこの家に必要の無い存在だったと。
あの時は泣いたね、本当に泣いたさ、悔しくて、悔しくてさ、いやそれ以上に苦しくて、ひたすらに剣を振っていたよ。
長年やっていた習性だろうか、いや今になって分かるけど、努力って自分を裏切らないんだよ。たった一つ信用できたのが、あの時の自分には努力だって。
だいぶ正気じゃないよね。
けど、本当にあの当時信用できたのはそれだけだったんだ。それからさ、努力以外が信じられなくなってきたのは、十二歳の餓鬼の発想じゃないだろう。
ただな、あの時には実は一人だけ味方がいたんだ。この世でたった一人だけ僕にも、味方が居たのさ。
なあ、誰だと思う、誰だと思う。本当に笑える限りだけどさ、俺を庇った奴が居るんだよ。
いや失礼、ちょっと荒くなってしまったけど、お分かりかもしれないが妹だ。
あいつは能力はともかく精神はまだ餓鬼でさ、今考えてみれば、それがあいつに付け入る唯一の隙だったのかもしれないけど、あの両親からずいぶん純白なものが生まれたと思うよ。
そんな奴が、俺になんて言いやがったと思う。
「お兄様、何でアイシャを置いてどっかいっちゃうの」
だとよ。
流石にその言葉を聴いた時に思ったよ。お前の所為だって、お前が優れすぎていたからだって、いやそれ以上に僕が無能だったというべきだろうか、ただあの時はそんなことすっぽ抜けてたと自信を持っていえるよ。
その時に僕は何をしたと思う、きっと誰もが笑うよ。妹を殺そうとしたのさ、正直あの時は殺意しか無かったよ。目の前が真っ白になるって言うだろう、あれを始めて経験した。
自分の今までの全てを感情を込めて妹を殺そうとしていたのさ。努力を重ねた結果か分からないけれど、感情で人は剣を抜けるのという事だけが分かったのは、重畳と言う奴かな知りたくもなかったけど。
多分だけど結果はもう分かっていると思うけど最高だったよ、笑えるぐらいに最高さ。妹は何事も無く避けて、俺に一撃加えてで終了。
その時の言葉も覚えてる、そんな不意打ちの訓練反則だよお兄様だってよ。努力しても届かない壁はさ、今でも覚えている僕の最高の攻撃を、はははは、訓練呼ばわりさ。
そしてあの当時の集大成を上回る一撃で気絶。
それから色々あってさ、あいつにだいぶ奪われたんだよ。いやあいつの所為で奪ったが正しいのか、何回も何回も奪っていったよ、途中から絶望すら分からなくなったよ。
ま、そのおかげで一つの決意が出来たけどな。
別に妹が悪いわけじゃないが、殺してやるってさ、俺は妹を殺してやるって、絶対に殺すって、殺して、殺してやるって、あいつだけは絶対に殺すって決意したんだ。
それを決意した時のあいつは十二歳だったか、いや十歳だったか。そんな子供に俺はそれしか考えられなくてさ、それから十年近くたったけどさ。有名だから知ってるだろうけど今のあいつは、もはや人間じゃない。今は神なんて呼ばれてるよ、一人で一国を落とすだって、なんの冗談だあれは人間じゃない、確かに間違いなく神様って奴だよ。
僕もだいぶって言うか、軍隊ぐらいならどうにか出来るあんたもそうだろう、だが国なんて単位は無理に決まっている。けれどあいつはそれを成し遂げられるのさ、それに関しては麗しの父と母に感謝だよ、本当に感謝しかないね、ふざけるなって具合だよ。
我が呪うべき妹である軍神様は、俺を敵とすら認識できないほどに強大だ。
だからさ今も悩むんだ、どうやったら妹を殺せるって、どう考えても一方的な虐殺しかされない、どうやったて妹を俺は殺せないのさ。
あいつは俺よりもあらゆる意味で勝っている、知恵でも策でも何でもかんでも、あれだけ勝てる要素が無いんだ、勝っている部分は間違いなくあいつと反対の卑屈な心だけだ。これだけは間違いなく勝っていると言える。
あとは性格の暗さ、根性が腐ったところか、全部同じだっていわないでくれよ。嵩増しして少しで勝ってる部分を増やしたいんだよ。あいつと違うって事を明らかにしておきたい。
さて君にお願いというのはさほど難しいことじゃない、あの軍神相手に暗殺しろなんていうほど僕も無粋じゃない。
あれを殺せる唯一つの機会、軍神を軍神とさせないたった一度の機会をよこせ。分かり辛いかいようは、建国祭の御前試合の権利を譲れって事さ、僕が選ばれないのあの軍神の兄だからってだけ、それ以上に知名度が無いだけだ。ある意味ではあるんだけど、随分と酷い悪名でねこれをばらせば、兵士が飛んでくるんだよ。それを教えろだっていいけど、誰にも言うなよニーイロスって言うんだ。
おいおい、そんな表情するなって、俺にとってはこの名は誇りなんだ。絶対に消すわけにはいかないな。
そんな訳で、寄越してくれないかい、駄目なら無理やり奪い取るしかなくなるんだ。僕は確かに軍神より弱いが、君より弱いと思ったことは無い。
後ろ向きな自己批評は正直言ってて泣きそうになるからどうでも良いんだが、僕があいつを殺す為にそれを寄越せ、俺とあいつが対等に殺しあえる場所を寄越せよ。
ああ、嫌がっても駄目さ、拒否しても奪い取るし、なによりもう終わりだ。俺からのその場所を奪うのなら命に保障はしない、どうあっても殺すしかなくなる。
理解しているか、お前はとっくに死んでるんだ。
死んだ理由は分りやすいだろう俺の願いを邪魔したからだ。そう言う訳で死んでもらったんだ、あんた死んだ理由はそれが全てだよ、話したくないところもあったから省略はしたけど、今の言葉に偽りは無い、そして語った言葉に嘘はない。。
結局の所、僕は妹を殺したい、あいつを殺せれば他はどうでもいい。その為だけにあんたは死んだんだよ。
呪ってくれて結構だ、殺したいほど妹を思っている兄だ。それしかない兄だ、そのためならどんな手段も用いてやると決めたんだよ悪いな。
そしてごとりと地面に転がった首は、頭によって抑えられていた溜まった血を楽しげに血を噴出している花火の様だった。
椅子に座ったその男の死体はゆっくりと血に染まりながら痙攣を始めていた。血の流れが落ち着いた後、酸素ごとあふれ出しているのか血の泡が首からぼこぼこと形を作り、ゆっくりと服を染めながら死体は血の重みの所為か椅子から転がり落ちる。
「王都御前試合出場権利もらったぞ、名前は、名前はなんと言うんだっけ魔剣は違うし」
ここに一人の魔剣と呼ばれた天才剣士の命が尽きた。
いつ剣を放ったかすら分からないその妙技に、もしかすると死体は歓喜していたかもしれない。死体が震わせた痙攣は、武者震いだったのかもしれない。そう思えるほどに、その剣士の意識のある頭蓋からは歓喜の表情が見えていた。
その男は何を突き詰め続けたのか、殺意という目標を消すこともなく、どの境地まで突き詰めたのか。それをきっと死体は問いただしたくて、なによりもう一度剣が見たくてならなかった。もう一度殺してくれと叫ぶように、喜悦にすら変わったその表情は本当に死んでいる存在なのかと言うほど表情豊かであった。
だがそのようなものが見れるわけがない。何しろ彼は見えなかった未熟があったからこそ殺されたのだ。そのもどかしさに身を捩ろうとするがそもそも存在しない
だから彼は認めるしかないのだ、自分を容易く殺した男を、その感動と賞賛を認め感動すら覚えたのだ。
これほどすばらしい剣士に殺された事に、何かを残さずに死ねないと、生きている最後の声を上げることしか考えられなかった。これまでの剣士の人生を反芻するように、そしてここで終わる自分が後悔などないと言う証明を込めて、死体は最後の声を上げた。
「見事」
流石に驚いた彼は、死体である筈の彼が喋った事に目を丸くして、死体から取り出した参加権利である短刀を地面に転がしてしまう。
不意打ち紛いの方法で殺した相手が、自分に向けて伝える賞賛に、何が起きたのかと現実さえ一瞬定まらなくなった。
誰一人認められもしなかった、その妹という太陽に隠れた夜空の星に、歓喜の声が響いたのだ。
今までとは違う浮ついたはずの笑顔が消え、優しくほころんだ表情を見せた男は自然と自分勝手に殺した死体に頭を下げた。
「父からは駄作と、母からは無関心を、妹からは敬愛を、尋常の勝負じゃなかったけれど名乗りぐらい加えるべきだった。妹の事しか基本頭にない人殺しだからな、生きていると信じて伝えておくセンセイだ。僕はセンセイだ、長い名前なんて覚え辛いだろ」
それだけ言うと彼は踵を返して目的地に向かう。
優れた剣士で、自分よりも素晴らしい人物だったのだろう。だが殺した、不意打ちで、本来なら自分と互角以上の人物だったのかもしれないと。
だが殺した、不意打ちというしかない技術で、それが心臓に棘が刺さった様な痛みを胸につくり、後悔からか彼は殺したと何度も心に呟く。
そしてあの麗しの家族を殺すと、愛しい家族よ待っていてくれ。
頼むから待っていてくれ、きっと殺すと心に叫んだ。必ず殺すと、それが、それだけが、彼にとって最も大きく残る唯一の感情なのだ。
だから彼は殺した男の事を考えながらも、妹に思考が帰結する。それが無粋な事だと分かっている筈なのに、彼はその性分を変えられなかった。
これより始まる王都御前試合
軍神 アイシャ 不敗 ロード
剣聖 グランツウォード 惨敗 センセイ
覇王 レイリアレール 王道 ラストール
無双 ザインザイツ 神童 ヒルメスカ
八名の英傑達によって始まる戦いは、王国史上最悪の結末を迎える。
死者五百三十五名、行方不明者千五百六十二名、重傷者三千五百名、軽傷者六千五百名、後に王国滅亡の遠因となる試合。
その始まりは剣聖の死亡からであった。