つみかさねゆく
9/20少し改稿しました。ブローチ→ペンダント。
以下はフィクションである。
昨年の暮れ、最初に雪の降ったあくる朝のこと、ある池の畔で、老婆の遺体が発見された。
行き倒れ、である。
事件性はなかったらしい。だが身元のわかる所持品もなく、行旅死亡人扱いで官報に載ったのが年明けて七草、その後役所の手で火葬され、この女の存在は、焼き場の煙の如く空たかく消えてしまった。
はずで、あった。
荼毘に付した寺の住職が四十九日を終え、本堂に祀った遺品を取り片付けた際、ある発見をした。奇妙な形をした、小さなペンダントである。この他愛ない装飾品から、老婆の身元が知れることになった。
無論警察も検査した品だ。だが、ペンダントと女の繋がりは、住職のような俗物で、かつ、相当な老爺でない限り、気づき得ぬものだったのである。
女は、往年の女優であった。
名女優ではない。零れるような若さと美貌をもって銀幕に現れ、往時のスタア達の伴侶として、嫉妬と羨望の炎に灼かれ消えていったあの無数の女達の一人であった。
住職が彼女を覚えていたのには理由がある――。
老婆の死んでいた池には、遙か昔、大きな地震が起こるまで、侘しい温泉が沸いていた。
そこにロケが来たのである。何もない田舎町のこと、住職を含め、若い男らは撮影班を遠巻きに、映画館でしか見たことのない『本物の』スタアを見に集まったのだ。
彼女はある無頼漢の恋人で、全く無名の新人であった。
ロケは雪を待っていた。幾日も幾日も、撮影は始まらなかった。女優は温泉脇に立てられた小さな風よけの板の影で、着物を着て震えていた。見物は一人また一人と減っていった。やがて、寺の息子とあと2,3人を除いて、野次馬は居なくなってしまった。
そして――雪がきた。
監督が何か言うのが、荒い風越しに住職の耳に届いた。と、女優はするりと帯を解くと、着ているものを足元に落とし、囲いもない吹きさらしの野に、白い肢体を晒して立ち上がったのだ。
女優は温泉に歩み寄ると、躊躇なく湯に脚をつけた。そして、膝上まである温泉の中に進み出て、そこで振り返った。
住職が女の裸を見たのは、これが最初である。
それは細く、凛々しく、そして、絶望的に遠かった。
封切り後、住職が映画を見に行ったのは言うまでもない。
主演のスタアが誰だったか覚えていない。だが、当のシーンで、女優の裸体のアップを見たとき、住職は思わず息を呑んだ。
シーンは湯の中を歩く女優の後ろ姿から始まった。長い髪は背の中央まで伸び、途中からわずかにカールがかかっている。そこに雪がちらちら絡まっていた。湯を漕いで進む女優の尻が、鴨の尾羽のように、小さく左右に動いていた。やがて女優が振り向くと、カメラは少し首を上げて、下腹を巧みにスクリーンの下に隠した。
微笑んだ女優は、まだ娘であった。隠さぬ若い乳房の間に、変わった形のペンダントが揺れていた。住職の青春は、このワンカットを写真のように覚えていたのである。
女優はその後何作かに出演したが、ほどなく鳴かず飛ばずとなり、二十四で引退したと記録にある。その女優が、なぜここで死んだか?
作品は女優のデビュー作であった。このシーンは、彼女にとって初めての『見せ場』であった。当時十九の彼女が、何を思って湯の中に立ったか、そして、彼女にとってこの場所が何であったか、勝手な想像しか許されていない。
しかし、私は思うのだ。
彼女は冒険の一歩を踏み出した、あの瞬間に帰ろうとしたのである。女優になる前の少女としての時間ではなく、また、引退してからの不明な年月にでもなく、あの一瞬に向かって、あくまでもあの一瞬に向かって、手を伸ばそうとしたのである。
これについては、やや納得がいく。その事実に対して――私は思うのだ。
作家は賤しいと。
かなり昔の話ですが、ある有名なラブコメ漫画のシリーズで、後半大変ぐだぐだになるものがありました。というのも、作者が作中で駒のように使ってきたキャラクター達に対して、作品終了までに収まりがつくように、新キャラを投入したり人間関係を編み直したりして、主人公やヒロインだけが勝ち逃げの形にならないように作品を再編成したんですね。作品のスタイルを一時的に変えてです。当時自分はまだ子供でして、なんでこんなことするのかなーなんて思ったものですが、それだけ作者が作品と作中人物を愛していたということなんでしょう。そんなことをする実力も度胸も自分にはありませんが、ちょっと羨ましいですね。