ローザンヌは王子様に婚約解消を申し出られる ~この世界にも土下座ってあるんですね~
ローザンヌ・ディ・ポータンスは、ポータンス公爵家の長女である。
ヤマガラ王国三公爵のひとつ。政と工と農に得意分野を住み分けた内の、農を担当する家が、ポータンス家だ。
苛烈とは程遠い担当分野の家に生まれたにも関わらず、ローザンヌの評判は、強烈なものだった。
曰く、近寄るものを皆傷つけるため、公爵家内に彼女のための離宮が設けられた。
曰く、彼女に受けた仕打ちの苛烈さに心を痛め、彼女についた従者は皆、彼女について口にすることができない。
曰く、離宮は、見るだけで目が穢れるほどの容姿を覆い隠すためのヴェールである。
曰く、あの温厚な当主、ラッツ・ポータンスですら、彼女には滅多に会いに行こうとしない。
ある日、彼女に婚約者が割り当てられた。
よりにもよって、というべきか、有力な家との繋がりを強固とするため、王家は各家に連なる家から順番に妃を迎える慣習があり、ヤマガラ王国第二王子であるバラタ・アラ・ヤマガラの婚約者は、ローザンヌ・ディ・ポータンスとなった。
顔合わせは、彼女の父親の懸命な訴えにより、王城ではなく、彼女のための離宮にて行われた。王族がぞろぞろと訪れて半刻ほど、魂を抜かれたように出てきた。
その姿は、公爵家に勤める者、王城に勤める者に多く目撃された。
中でも当事者である第二王子は、放心から回復するまでに数日かかるほどだったのだ。
彼女の齢が十を超えた頃から広がった噂は、既に国中に届いていた。
広大な領地を誇るポータンス家領内の民は、それでも彼女が生活する世界を守ろうとする献身的な当主を強く支持していた。
多くの国民は、長い時間の中で広まった噂から第二王子を気の毒に思い、しかしポータンス家の、家族を想う姿に石を投げることもできず、せめて国継ぎの第一王子でなく、第二王子の相手で良かった、と口にせずとも物語っていた。
それなのに、彼女を理解するためだろうか、月に一度は彼女のために公爵家に通うバラタは、ひたむきで真摯な男として評価された。
それはそれとして、バラタ王子の通う貴族学院には、ここ二、三年で時折現れる噂があった。
息も止まるほどの美麗な容姿をした女性を見かけた、という噂だ。
瞬間的に広まっては、いつの間にか消える噂。一年に一度程度流れる噂。
その姿を見た者は意識を手放し、その後、彼女を求め、彷徨い歩くと言われる実しやかな噂と合わせ、学院の怪談のひとつとして取り扱われた。
怪談が正体を現したのは、バラタ王子の卒業の日だった。
王子は、眉目秀麗、才気煥発なことから、彼を慕う同年代の女子学生に多くアプローチを受けた。
そして立場はあれど、ハーレムの如きその状況。
敵意を抱く男子学生もいて良いものだが、気の毒な婚約者持ちという同情的な部分もあるためか、それとも生来の性格によるものか、敵もなく、大変に穏やかな日々を重ねた三年間を過ごした。
そんな彼も学院に通う最終日、卒業式を終え、記念パーティーの会場でのことだった。
彼は、会場に現れたある女性を一目見ると、婚約解消を申し出た。それは、強い感情の発露であった。
周囲は、王子の姿に動揺した後、言葉をなくした。
悪役令嬢を取り巻く物語の転換点として、そういう話のお決まりとして、婚約破棄は壇上から、多くの有力貴族を侍らせた状態で、任意の女性を守るかのような姿勢で行われるものと認識していた。
あたかも断頭台に自分が立たされたかのように、絶望的な気持ちに包まれた上で、謂われなく、理不尽な内容を告げられるものだと考えていた。
それがどうだ。今、目の前に広がる光景は。
我が国の第二王子といえば、光を打つばかりの艷やかなプラチナブロンドのヘアを肩まで伸ばしており、弱い光ですらも彼を照らす後光の如きものとして取り扱う、美の化身のような存在だ、と評した文章を読んだことがある。
翡翠のような淡い緑色のその瞳は、これまたキラキラと光り輝き、眼差しを向けられた女性は倒れ伏さんばかりの幸福感に包まれるという。
騎士団でも十分な活躍を約束されるほどの実力を誇る彼は、日々の鍛錬により、大変しなやかな体をしているそうだ。
長身で、頭二つほど私より背が高く、均整の取れた体付きをしているとのことだった。
本日は、我が学園の卒業記念パーティー。
卒業生代表として立った彼はさぞ立派なものだっただろう。
真紅に染められたビロード地の衣装を身にまとい、裏地が黒、表面は赤という主張の強い、背中までのマントを背負っていた。
傍から見れば大変美しい姿であったのだが、どうしたものか。
私の今の目線からは、彼の髪とマント、震える体しか見えぬのだ。
周囲は、王子、王子、どうされたのですか、と声をかけ、戸惑っていた。
そして、こちらを振り返った瞬間、全員、絶句していた。
それはそうだろう。
何が起きているというのか?
・・・王子は土下座していた。
「本当に申し訳ない。もうこの時しかないから申し出る。私たちの不徳の致すところだ。この婚約を破棄していただきたい。解消していただきたい。
君が大変な時間を割いて、王位継承者の家族として必要な教育を収めてくれたこと、大変感謝している。これは、私を始め、家族一同感謝している。
ただ、公爵家でもそうだろうが、君という存在があまりにも高潔であり、その姿が美し過ぎることが問題になっている。
私は、君の隣に立つと思うだけで震えが止まらない。
どうか、どうか。学生という、身分の差を無視することができるこの場において、私は恥も外聞も捨て、心からの謝罪を申し上げる。
この最後の場面において、どうか平に申し上げる。僕との婚約を解消するよう、国王陛下からも働きかけられている。
君にも、この婚約を望まぬものと心から思っていただきたい」
王子は、そう口にした。
婚約解消ということは、第二王子である。
大層な身分である。
頭を下げることは、確かに問題となる。
土下座など尚更だ。
今更だが、私、ローザンヌは転生者である。悪役令嬢がどうの、という時点で今更だが。
とはいうものの、以前の自分というものは、まるで記憶にない。
前世は男であったかもしれないし、女であったかもしれない。
いつの時代を生きたかもわからないし、いつ死んだかも分からない。
だが、所々、断片的ながら、いま自分が息をするこの世界とは違う世界に生きていたのだという記憶が、私の中にはあるのだ。
私は、この身に数年前に浮かび上がった。元の人格は、私が乗っ取ったのか、もしくは同化したのか。
そもそもが主張の乏しい子だと、私の記憶が物語っていた。
ローザンヌは、何年か前から、離宮に隔離されていた。
世話係もおらず、大きな部屋の前にはそれはそれは見事な鉄格子、そして天井から床までの薄いが何重にも張られたヴェール。
人との接点を持たされていなかった。
育児放棄とか、そういう次元ではない。
自身のことを自身で完結させられる性格をしていたローザンヌという奇跡によって成立していた生活だ。
ローザンヌは、何故自分が隔離されたかを理解していなかった。
ある日、ここに住むように言われたので、その通りにしていた。
人形のような子どもだった。
隔離されて育てられた身であるが故に、世間一般で食べられた食事がどのようなものかを理解できていなかった彼女が、周囲との違和感を感じ続けた要因は、私にあるのだろう。
私の元々の人格は、第二王子の婚約を期に一度、離宮から本邸に居を戻し、家族と食事を伴にした時に浮かび上がった。
家族との食事は、何年も何年も空いた久しぶりのことだった。
にこやかな男性が何人かいて、にこやかな女性が何人かいて、無表情な男性も無表情な女性も何人かいる空間であった。
隔離されて数年、接点がなくなってから久しぶりに見る顔や初めて見る顔。
心の底では、誰が身内か分かったものではない、と思っていた。
・・・会話のない空間だった。
ローザンヌは、警戒心の強い子に育っていたが、それでも食事についての興味に突き動かされる子だった。
記念すべき場で出されたメインディッシュに嬉々として口をつけたのが、最後の感情だ。
火が通り過ぎた肉に、喉が渇くほどの塩がかけられたものを食べ、これも美味しくない、と体が拒絶すると同時に、私が表層に出た。
私の記憶が、ローザンヌの根源に、最初からあったせいだろう。
ローザンヌは今まで、食事を美味しいと思ったことがなかったが、隔離されているがゆえに、このような食事なのだ、とまだ見ぬ世界に期待していたのだろう。
そして、口にした待望のメインディッシュ。
期待が否定され、心が折れたのだろう。
私の記憶の弊害だ。私は、どうやら美食家であったようだ。
元々の人格には悪いことをしたのと同時に、隔離よりも食事が堪えたのか。今思い返すと、大変申し訳ないという気持ちと同時に、そう思った。
私としての意識が浮かび上がった時、口の中に広がっていたのは、前世で旅行した際に食べたダチョウステーキの食感と、岩塩を舐めた味に似たものだった。
何だこの味は。何だこの状況は。誰だ、この外国人は。
口に出さなかったが、頭は凄い速度で回転した。
目の前の磨き上げられた銀皿に映った自分の姿を目の当たりにし、ああ、私は昔見たアニメのように、良く分からない世界に転生したのだなと思った。
動揺は、していたように思う。
しかし、喜怒哀楽を人前で隠すよう育ち、その後、人から引き離されたローザンヌの体は、驚きを表現しなかった。
きっと、周囲から見ても、一瞬前とその後で中身が変わるほどの変化が起こったなど、気付かれることはなかっただろう。
物音一つない空間であったと記憶している。
何事もなく食事を終え、住み慣れた離宮に戻った。
家族はこれを期に本邸に移ることを考えていたのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。
私は離宮にスタスタと帰った。
どことなく落胆した空気は背中に感じたが、接点が今までなかった存在と急に近づくのは、厳しい。
それに、誰からも呼び止められはしなかった。
翌日から、離宮という隔離された空間でやることもなかった身に、教育が追加された。
教育といっても、同じ部屋に誰かがあるわけではない。
遠く離れた鉄格子の先から聞こえる声を元に、運び込まれた書類を確認し、随時対応する、というものだった。
書類の内容を確認し、物によっては書き、物によっては声をかけて対応し、処理する。
数日と経たず、書類の扱いに慣れた。
また、何度も何度も訪れてくる男の子の相手をした。
格子越しに話しかけられるせいで、姿を影でしか知らない。
ここまでの流れから、婚約者だということは理解したが、頭の中でラベルを付けただけのことだった。
時折、追加される書類をまたこなし、日々を重ねて本日。
たまに離宮に顔を見せる父から、私が通っている学校の卒業記念パーティーがあるから参加するよう言われた。
驚いた。
私は、通ったこともない学校に通っていた、ことになっていたらしい。
追加された書類のどれかが、学校が課した特別な課題だった、らしい。
一度か二度か、離宮を連れ出されて書類に関する受け答えをさせられたことがあったが、あれは進級に関する面談的なものだった、らしい。
そして、何の思い入れもないまま、卒業となるとのことだ。
すべて、伝聞状態の事実である。
今更知った。
しかも、何の思い入れもない学校の、同学年に誰がいるかも分からない卒業を祝うための舞台に、私は行かなければならないようだった。
告げた父は、鉄格子から離れていく。早々に立ち去ろうとしていた。
父の名前を呼び、歩みを止めさせる。
驚いたことを伝えると、父もまた驚いたのだろう。しばらく立ち止まったままとなり、誰かとともに離宮を出ていった。
その後、離宮に直接つけられた馬車に乗り、半ば強制的に会場まで運び去られた私は、係の者に声をかけた。無視された。
声をかけて誰も口を開かない特殊な状況を、頭の何処かで認識しつつ、学校の中でも光をともした場所を探した。
ようやく見つけた会場に設けられたゲートをくぐって数歩足を進めたところで、声をかけられ、歩み寄ってきた男性に土下座をされた。
実際、この状況をどうすればいいというのだろうか。
「私は、何をしてしまったのでしょうか。限られた活動しか許されない身ではございますが、可能な限り、努力を惜しまず、過ごしてまいりました。
その立場に報いようと。その立場に相応しいようにと、誰に対しても失礼なく振る舞えるよう日々研鑽を続けてきたつもりです。
高潔?容姿?恐れ多いのですが、そのような言葉で隠すのではなく、どこに問題があったかお教えいただけませんでしょうか」
嘘だ。書類を適当にいなしていただけである。とりあえず、婚約解消は構わないのだが、無礼討ちは勘弁願いたい。
何も知らぬ被害者としての方策を立てた。
努めて冷静に、声の動揺が出ないように、とも思ったが、それっぽく声を震わせて、私は聞く。
王子は土下座したまま、私に答える。
「私は、言葉を飾ったり隠したわけではない。君の容姿。その容姿だ。
私が何故土下座をしているか。本当に謝意を示したいのと同時に、君を見ることで揺らぐ意志を防ぐため。
そして、何も言えなくなってしまうのを避けるためだ。
君の容姿は、神が愛する世界に作り与えた人形とでも表現するべきか。
人間離れした、どこまでも繊細に練り上げられた細工のようというべきか。
呼吸をすることが奇跡のような、彫像のような見た目をしている、
その姿に私は魅了されていた。幼い頃だ。数日は正気を失った。
君を目にした他の者も魅了されたことだろう。君の部屋を覆ったヴェール。それは正しい判断だ。
君を独占したいと思ったことも当然あるが、君の美は、すべての物事の支障となり、そして、戦の引き金になる」
言っておこう。この世界に、少なくとも私の目にする範囲に鏡はない。
故に容姿について褒められたところで、判断がつかない。
絶句が継続しただけだ。
なんだ、その理由。
「君が誰の目にも映らない、自分だけの存在であるならば。君のその姿は素晴らしかったのであろう。
ただ、私は当然第二王子という立場にある。
国内の政治を担う立場の一人として、多くの国内外の有力者と渉外の場に出る必要がある。
そして、婚姻したのならば、君にも同様にそれをお願いすることになる。
これは卒業してすぐ開始されるであろう既定事項であった。私たちは焦った。
君は、その噂こそ、他国に広がってはいるものの、負の側面ばかりの偽りで構成されたものであるため、その姿も周囲の国で認められたことはない。
それは一重に僥倖なのだ。君のご実家である公爵家同様、王家は今更ながら、君の圧倒的な美を恐れている。
君をこの国から奪おうと思う国が出てもおかしくないと考えている。傾国の美女という言葉すら生温い。
君の存在は、きっとこの陸上から、君を奪いたいと想うものが尽きるまで、戦を巻き起こすことだろう。
君も本来であれば、もっと年若い段階で、君は社交界に出ていただろう。それを防いだ公爵閣下は大変優秀である。
また、自身が虜にならないよう、接点をあまり作らなかったのも、有能の現れといえる。彼には報いると誓おう」
父が褒められている。報いてくれるらしい。家としては良かったのだろう。
そして、社交界に出ていない。当然だ。軟禁だ。隔離だ。出るわけがない。理由が容姿にあるなど、聞いた試しがない。
私が認識していないだけで、家族の中には兄弟姉妹もいるのだろう。
公爵家の将来を担う存在として、私ではなく彼、彼女が表に立っているのだろう。
私はどうしたものか?
人目を憚るように、公爵邸の敷地の最も中心。しかし、建物に挟まれた檻の中で今まで過ごしてきた私は。
「君は理解しているだろうか。今きっと、君を見ながら放心した周囲の人間がいるだろう。
いま私は、恥を捨てて頭を下げたまま話しているが、ここにいる誰も私の言葉を言葉として認識していないだろう。
君を長く見てまともに過ごせる存在などいないのだから」
なるほど、ヴェールで覆われた生活、会話どころか音のなかった家族との食事、声のかけられなかったあの夜、そして会場に向かうまでの無視された時間。
周囲の顔を見て、理解した。呆けていた。誰も彼も。なるほど、放心していたのか。
言葉が出てこないどころか、動きが止まっていた。目だけ、瞬きを忘れたように私を映している。
何の魔法だ。魅了とか、そういう魔法がある世界なのか、ここは。
「そうなのですか」
私の声は、感情を失ったように聞こえたかもしれない。そうでないかもしれない。
腑に落ちた。隔離の理由が分かった私は、少しだけ興奮していたほどなのだが。
しかし、これが本当であれば、私はまともに生活ができないではないか。
鏡のない世界で、自身の容姿は理解できない。
そして他者の容姿も正直、理解できない。
幼い頃の記憶はあるが、この世界の美というものが私は分かるわけではない。
血が濃いのか、私が言うのも難だが、この世界で接した人物は誰も作られたような容姿ばかりであった。
私の前世の記憶から言うに、きっとこれはゲームの世界が元になっているとか、そういう類のものなのだろう。
作画者が同じ、ということを、実在の存在に置き換えた際、ここまで似たような顔になるのか、とそう思った。
その中で私が飛び抜けて美しいと言われたところで、私の目からしたら否である。
立場を考えるに有力な存在の私は、比較的美人として描かれていたのだろうが、そう大きな違いではない、と認識していた。
周囲をもう一度見る。立ち呆けている卒業生の顔の違いがまるで分からない。
入力されたスクリプトがおかしいのか、画像として複製して置いただけというような、確かに整ってはいるが、それが屋敷のメイドとそこまで変わるかと言われると私には分からない。
というか、これは作画の問題なのだろうか。それとも、人の区別がつかない病や呪いなのだろうか。
この世界にいる人間の顔の区別が私にはつかない。
冷静に考えてほしい。私は日本人であった。
日本人は、西洋に住む皆様の、しかも大変似通った方々の顔の違いをどこまで分かるかと言われれば、違いが、言うて分からんのである。
なんか整っているな。なんか鼻が高いな。そんなことは認識できるが、父親は父親だな、と全部ラベルを張って覚えていたようなものである。
しかもヴェール越しだ。そのラベルの正確性の確証はない。
ここに連れられる前に声をかけた父が驚いていたのは、感情の乏しい私が驚いた、という事実に驚いたとかではなく、執事とか、そのような人だったから、父と間違えられて驚いた可能性すら出てきた。
王子は私自身の顔を褒めてくれているが、私自身はその婚約者の顔を認識していなかった。
会ったことなど、幼い頃に一度会ってからはすべてヴェール越しだ。
記憶にもない。
何なら今、影武者に変わられていたところで、何の偽りもなく騙されるであろう自信がある。
「また、高潔さだ。容姿だけでこの影響力だが、君に処理してもらっていた書類にも戦慄した。
君のその周囲一切を公平に見る姿勢。それは王家として大変魅力的なものであることは分かるが、本当に公平に本当に違いなく取り扱うことができる君はあまりにも異端なのだ」
理由がまた王子の口をつく。公平とは、何のことだ。
その種はきっと、先ほどの話の通りである。区別がつかないのだ。誰も彼も。
着ている服が豪勢だな。そうじゃないなぐらいで立ち位置を判断している。
どのような立ち回りをしているかで認識している。
同じような衣服を身にまとっていた時、私は男性Aと男性Bの区別がつかない。本当に区別がつかない。
結果、誰が言うものに対しても、届く書類に対しても、区別のつけようがない。
これは、書類の作りも悪いと言えた。
事実ベースでどこどこ領の問題がこのように起こっていて、どこに解決させるか、どのように解決させるか、というものばかりだからだ。
私が自分なりの尺度で答えるのは、それが誰にとって利になるものか、は判別がついても、利を持った誰か、利を持てなかった誰かの判断がつかないため、答えをぶれさせることができないからだった。
私なりに、将来を見据えていたのだ。利をもたらした、もたらさなかった誰かと言葉をかわす将来を。
全体として最適であろうという、最大多数の最大幸福の原理に則って机上の空論を展開していた。
私には。選べる手段がそれしかなかった。
「高潔などでは」
「高潔でなければ、なんと呼ぼうか。あまりにも異端であり、あまりにも怖いものである、その判断を。
王家であっても貴族であっても。君はきっと、訴えたその相手が平民であっても、およそ同じ決断を下すのではないかと」
そうだろうね、と思いはした。
貴族か否かの判別はできる気もするが、ただ生まれが平民です。今、貴族の服を着ています、となった日には、私にはもう手の打ちようがない。
きっと区別がつかない。どこそこの誰々は平民上がりである、と誰かが問題視していて、そうか、じゃあそれが誰なのか、分からない、となりそうだ。
「そんな君が折衝の場に立つということを私たちは大変危惧していた。
そこまで誇り高く気高い存在だと私は思っていなかったし、君の親だってそう思っていなかった」
頭を下げたままの彼に私は言う。
「ならば、私の知らないところで結ばれた婚約を、私の知らないところで解消していただければ、こんな場に来ずとも、王子殿下が恥という姿を晒さずとも良かったのではありませんか」
私の口をついた当然の質問も、王子は否定する。
「これは別に私の一存だけを伝えるわけではない。王家と公爵家は契約を交わしている。この婚約に伴う契約だ。
君が不在で進められたこの婚約を巡る契約において、王家は間違いを犯した。
・・・いや、間違いと呼ぶには失礼だが、君の意思が本件の継続に関して強く配慮される内容が盛り込まれている。
君を大切にするべく結んだこの契約は、君も知っているかもしれないが、魔法契約だ。
君が心から望んで破棄したいと思わない限り、継続される強い契約なのだ。
王家は、いま、その書類を前に固唾をのんでいる。破棄された瞬間に燃え尽きる契約書がどうなるかを」
「分かりました。破棄されるよう願うと誓いましょう」
その言葉にホッとした王子は、嬉しげに顔を上げ、そして固まった。
王子様も固まるのか。言っていたことの信憑性が高まってしまった。
噂に聞いていた通り、翡翠色の目をしているが、他の者との違いはあまり分からなかった。
キラキラピカピカした背景を担っている気はしたが、それくらいだろうか、違いは。
どちらかというと、魔法とやらがあることに驚いていた。ファンタジーだな、と。
「石ころ蹴って当たった誰との区別もつくでなし。この婚約に思い入れもなし。
契約解消、契約解消、燃えろよ、燃えろよ、燃えてください」
効果があるのかどうかも分からないことを呟き、私は会場を後にした。
書類が燃えていると良いな。心から望む、そんなことをローザンヌはしたことがない。上手くできていれば良いのだが。
ところで、私は婚約解消後、また他の誰かと結婚をするわけにもいかないだろう。
いないことが国益になるのなら、国を出ましょうかね、と、適当にその辺を目指して歩き出した。
私の容姿に価値を見出したとして、高潔と評された無差別の中身を知って、価値を見出した誰かが、その後私をどうするかは分からない。
ただ。私を求めるがゆえに、私を求めるもの同士が争う可能性がすでに存在しているというのなら、まだ、国外に混乱を運ぼう。
思い入れはないが、私の対応した書類の成果が無駄になるのは、時間がもったいない。
はてさて、籠の鳥は飽きた。
何か美味しいものでも求めて流浪しよう。他の国なら美味しいものがあるかもしれない。美味しいものに出会えば、私は消え、ローザンヌの人格が復活するかもしれない。
可哀想な子だった。少しは報いてあげたい。
しかも、どうやらこの世界には、魔法があるという。
魔法という理外の存在がある可能性に満ちた世界ならば、前世でも食べていないほど、美味しい料理だってあるだろう。
そうして、ローザンヌは歩き始めた。
自身の歩む道が、美食に通じると信じて。
彼女を巡った世界の争いを、彼女はまだ心の何処かで信じていなかった。
遠い王城では、歓声が響き渡っていたと言う。
学院は、迎えに来た従者たちによって正気を取り戻したり、正気を取り戻さなかったり。
慌ただしい国内と反対に、ローザンヌの心は凪いでいた。
読んでくださって、ありがとうございます。
悪役令嬢モノを書きたかったです。
思いついたものは、イメージと異なっていて、残念でした。精進します。




