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第1話 たぶん、ちょっとおかしいらしい


 異世界で、俺に与えられたスキルは《幸運》だった。


 勇者や剣聖、大魔導士みたいな、聞いただけで強そうな力ではない。


 魔物を一刀で斬るわけでも、空から炎を降らせるわけでもない。


 何故か旅に出ようとしたら、周囲の魔物が風邪で寝込んだり、手に入れるべきアイテムがそこら辺に落ちてたりした。


 そのうち世界は平和になった。


 だから向こうでは、俺は英雄というより村人として暮らしていたんだ。


 畑を見て、薬草を干して、困っている人がいれば手を貸す。最後には、魔王と呼ばれていた相手の世話までしていた。


 討伐とは、たぶん少し違う終わり方だったと思う。


 そんな異世界から帰ってきて、数日。


 俺はダンジョン管理機構の入場施設にいた。


 白く磨かれた床。広いロビー。行き先ごとに並んだゲート。空港に似ているけれど、搭乗口の先にあるのは飛行機ではない。


 淡く揺れる、半透明の門とワープホールだった。


日野枝連理(ひのえれんり)さん。登録完了です。Ⅰ式ダンジョンなら、本日から入場できます」


「ありがとうございます」


 受付で受け取った探索者端末の黒い画面に、自分の顔が薄く映る。


 黒髪に、二重だけれど少し糸目寄りの目元。


 異世界では落ち着いて見られることが多かったけれど、こうして見ると、まだ十八歳前後の青年にしか見えない。


 フード付きのライトジャケットに、動きやすいパンツ。


 背中には街中でも使えそうな黒いリュック。


 腰に提げた初心者用のバールだけが、ここから先が普通の外出ではないことを教えてくれる。


「《終点地下街》は初心者向けですが、魔物は出ます。くれぐれも命大事に」


「分かりました。まずは様子を見るつもりで行きます」


 ロビーの案内板には、Ⅰ式ダンジョン《終点地下街》と表示されていた。


 木箱中心。低危険度。低収益。


 最後の言葉だけ、妙に現実的だった。


「……だいぶ世界は変わったなぁ」


 俺が知っている日本には、ダンジョンなんてなかった。


 コンビニも電車もスマホもある世界に、当たり前の顔でダンジョンが混ざっている。


 異世界から帰ってきたのに、こっちもこっちで不思議な場所になっていた。


 俺は端末をかざし、《終点地下街》の門をくぐった。



          ◇



 次に足をつけた場所は、古い地下街のような空間だった。


 割れた床タイル。錆びた案内板。シャッターの下りた店の跡。


 そこに石造りの柱や、見覚えのない紋様が混ざっている。


 日本の地下街に似ているのに、異世界の遺跡にも近い。


「えーと、本日の木箱候補地点です。壁の湿り方、床のひび、通路の曲がり角から見て、ここは過去三回、木箱出現率が少しだけ高かった場所です」


 通路の先で、真剣な声がした。


 ひとりの女の子が、床のひびをのぞき込むようにしゃがんでいる。


 ミルクティー寄りの栗色の髪が、肩の下でやわらかく揺れていた。


 その横には、黒い小さな球体が浮いている。


 三つのレンズと、羽のような薄いパーツがついた小型ドローンだ。


 女の子は、そのドローンへ向かって話しているらしい。


「ただ、前回は壁際ではなく、倒れた案内板の裏でした。なので、今日は湿りだけではなく、物陰も確認します。木箱は、出る前から気配があります」


『今日も地味で安心する』

『木箱観測ガチ勢』

『開ける前が本番の配信』

『木箱の気配とは』


 宝箱……?


 宝箱に対してそんなに……?


 しかし、その女の子の目は真剣だった。


 たぶん、好きなものを見ている人の目だ。


 ちょっと怖い……。


 邪魔をしないように横を通ろうとした時、彼女がこちらに気づいた。


「あっ。すみません、通路をふさいでいましたか?」


「いえ、大丈夫。配信中……なのかな。こちらこそ、映り込んでいたらすみません」


「いえいえ! この配信、ほとんど私と木箱候補地点しか映らないので、人が映る方が珍しいくらいです」


 それは配信として大丈夫なのか、少し判断に迷う返しだった。


 女の子は立ち上がり、丁寧に頭を下げる。


安曇乃々(あずみのの)です。低級ダンジョンの木箱出現記録を配信しています」


日野枝連理(ひのえれんり)。今日、登録したばかりで」


「今日ですか? では初心者さんですね」


「手続き上は、そうなるね」


「手続き上?」


「えーと。昔、別の場所で魔物に近いものは見たことがあるので」


 乃々さんが不思議そうに瞬きをする。


 そこで、横に浮いていた黒いドローンが俺の方へ少し向きを変えた。


「あ、この子は《フライ》です。私の配信用ドローンで、木箱をいろんな角度から撮ってくれる相棒です」


「宝箱専用なのかな?」


「ほぼ宝箱専用です。正確には、宝箱と、宝箱が出そうな場所専用です!」


「かなり絞られた相棒だね」


『初心者さん見てるよー』

『木箱専用ドローン』

『用途が狭すぎる』

『でも仕事は丁寧』


 異世界で村人をしていました、と説明するには、少し時間が足りない。


 そう思った時、床に散らばっていた細長い紙片が動いた。


 古いレシートのような紙が集まり、半透明の塊になる。


「わ、わわっ……! レシートスライムです! 経費の怨念みたいなやつです!」


『レシートスライムw』

『地下街っぽい敵』

『経費の怨念は草』

『低級なのに嫌なリアルさがある』


「乃々さん、こっちへ。そこは間合い」


「えっ、はい!」


 俺は乃々さんとレシートスライムの間に体を入れ、バールを低く構えた。


 レシートスライムが跳ねる。


 半透明の体の奥に、紙片が厚く重なった芯のような部分が見えた。


 異世界で見た粘液系の魔物と、構造は近い。


 俺はバールの先を差し込み、横へ払った。


 芯を外されたスライムの体がほどけ、光になって消える。


 床に残っていたレシート片も、後を追うように光へ変わった。


「……え?」


 乃々さんが目を丸くする。


 フライのレンズが、俺の手元と消えた魔物の跡を何度も行き来した。


『今の何?』

『初心者の処理じゃない』

『バールで核抜いた?』

『木箱観測配信に急に変な人きた』


「連理さん、本当に今日登録なんですか?」


「登録は今日なんだよ。そこは本当」


「そこ以外が気になる返事です……」


「危なそうなものから人を遠ざけるのは、前からやっていたので」


 乃々さんは少し黙ったあと、配信画面を見た。


「皆さん。たぶん木箱より先に、変わった方を見つけました」


『草』

『草超えて木箱』

『人を候補地点にするな』

『でも分かる』


 俺としては、あまり目立つつもりはなかった。


 ただ、乃々さんは怖がっているというより、面白いものを見つけた顔をしている。


 その時、倒れた案内板の影に、小さな箱が見えた。


「乃々さん。あれは木箱で合ってる?」


 俺が指差すと、乃々さんの表情が変わった。


「……木箱です」


 声が低くなる。


「倒れた案内板の裏。壁の湿りは弱いですが、死角としてはかなり良い位置です」


「本当に、そこまで見るんだ」


「見ます。木箱は、見つけた瞬間から楽しいので」


 その言い方が、少し良かった。


「分かる気がする。中身が分からないものって、それだけで少し楽しみだから」


「連理さん、宝箱マニアの素質があります」


「素質が必要なの?」


「そうです。開ける前の時間を楽しめる人は、宝箱マニアの才能がありますよ」


 フライの三つのレンズが、木箱と俺の手元を映す。


「あの、連理さん。開けるところ、撮らせていただいてもいいですか?」


「もちろん。乃々さんがそこまで大事に見ていた箱なら、俺もちゃんと開けたい」


「ありがとうございます!」


 俺は木箱の前にしゃがんだ。


 近くで見ても、本当に普通の箱だった。


 異世界の宝物庫にあった箱のような圧はない。けれど、何が出るか分からないと思うと、指先が少し落ち着かない。


「本日の木箱です。低級素材、低級ポーション、壊れた小物などが主な排出候補です。期待しすぎないでください。私は期待しています」


『矛盾してて草』

『それが木箱の礼儀』

『だいたい小銭』

『たまに壊れたスプーン』


「期待しすぎず、でも楽しむ。宝箱の前では、それが礼儀なんです」


「なるほど。じゃあ、楽しんで開けてみるよ」


 俺は留め金に指をかけた。


 異世界で《幸運》を得た時、周りはあまり期待しなかった。


 でも俺は、その力のおかげで大きな不幸から少しずつ外れてこられたのだと思う。


 派手な英雄にはならなかった。


 それでも、生き延びて、穏やかに過ごせた。


 その《幸運》が、宝箱のあるこの世界で何を起こすのか。


 ほんの少しだけ、知りたかった。


 留め金を外し、蓋を持ち上げる。


 その瞬間、箱の隙間から紫の光が漏れた。


 それが何を意味するのか、俺には分からない。


 けれど、乃々さんの顔から血の気が引いた。


 コメント欄も、さっきまでのゆるい空気を失っている。


『紫?』

『待って』

『木箱だよな?』

『紫!?』

『Sランク演出じゃないの?』

『いやいやいやいや』

『終点地下街の木箱だぞ?』

『木箱から出ていい色じゃない』


「連理さん」


「はい」


「それ、普通じゃないです」


「……みたいだね」


 蓋が完全に開いた。


 紫の光が、地下街の天井まで広がる。


 その中心で、白銀の髪が揺れていた。


 淡い氷青の瞳。


 白と淡青を基調にした、幻想的な服。


 レースとリボン、結晶のような装飾が、光の中で静かにきらめいている。


 少女だった。


 けれど、人間というより、もっと澄んだ何かに見えた。


 高位の精霊。


 その言葉だけが、自然に頭へ浮かぶ。


 少女は、光の上に立つようにして、ゆっくりとこちらを見上げた。


 そして、静かな声で言った。


「……レンリ」



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