表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
能ある鷹は爪を隠すが、裏切り者には容赦しない ~陰キャを演じる天才ハッカーの俺を嘲笑った幼馴染たちが、社会的制裁で破滅するまで~  作者: ledled


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/11

鳥籠のカナリアは、もう歌わない ~選択を間違えた幼馴染が、幸せの残骸を抱いて眠るまで~

古びたオフィスビルの三階。

蛍光灯の光がちらつき、埃っぽいカーペットの匂いと、安っぽいコーヒーの香りが混ざり合った空気が淀んでいる。


「おい橘! この伝票、計算合ってないぞ! 何回言ったら分かるんだ!」


課長の怒鳴り声がフロアに響き渡る。

私の肩がビクリと跳ねた。


「す、すみません……すぐに直します……」


私は小さくなって頭を下げた。

二十二歳。

本来なら、大学を卒業して新社会人として華やかにデビューしているはずの年齢だ。

なのに私は、従業員十人足らずの小さな運送会社で、最低賃金に近い給料で事務員をしている。


「ったく、これだから高卒は。顔だけ良くても脳みそ空っぽじゃ使い物にならねえな」


課長が吐き捨てるように言って、自席に戻っていく。

周囲のパートのおばさんたちが、クスクスと笑いながら私を見ている。

「若いってだけで採用されたのにねぇ」

「化粧ばっかり濃くて、仕事は遅いし」


聞こえるように言われる陰口。

私は唇を噛み締め、パソコンの画面に向き直った。

涙が滲んで視界が歪む。でも、ここで泣いたら負けだ。泣いても誰も助けてくれない。

そんなことは、もう五年前に嫌というほど学んだはずだ。


キーボードを叩く指先を見る。

ネイルは剥げかけ、ささくれができている。

高校時代、毎月サロンに通って手入れしていた自慢の指先は、今や見る影もない。


あの日々。

私が「一軍女子」として輝いていた、あの日々。

今となっては、あれが私の人生のピークだったのだと、痛いほど思い知らされている。


***


私は、弱かった。

誰よりも弱くて、臆病な人間だった。


中学時代、私はクラスの中で目立たない、地味な生徒だった。

いじめられていた時期もある。「空気が読めない」「トロい」と陰口を叩かれ、トイレで水をかけられたこともあった。

そんな私にとって、唯一の避難所が図書室だった。

そして、そこにいつもいてくれたのが、幼馴染の相沢駆だった。


カケル君は、優しかった。

何も言わずに隣に座り、私が泣き止むまで本を読んでいてくれた。

彼の存在だけが、私の心の支えだった。


でも、高校に入学した時、私は決めたのだ。

もう、惨めな思いはしたくない。

いじめられる側じゃなくて、いじめる側に回りたい。

カーストの下位じゃなくて、上位に行きたい。


だから私は、必死にメイクを覚え、流行りの服を着て、無理をして明るく振る舞った。

運良く、クラスの中心人物である西園寺蓮司くんや佐藤ミカちゃんのグループに入ることができた時、私は天にも昇る気持ちだった。

「これで私は安全だ」「私は選ばれたんだ」

そう錯覚していた。


その代償が、カケル君を切り捨てることだったとしても、当時の私には安い代償に思えたのだ。


あの日。

蓮司くんに「罰ゲーム」を命じられた時、私は一瞬だけ躊躇った。

カケル君は幼馴染だ。私の恩人だ。そんな彼を晒し者にするなんて、ひどすぎる。


でも、蓮司くんの目は笑っていなかった。

「やらないなら、お前がターゲットな」

無言の圧力が、私を襲った。

中学時代のトラウマが蘇る。またあの日々に戻るの? 一人でトイレで泣く毎日に?


嫌だ。絶対に嫌だ。


私は保身を選んだ。

カケル君なら、きっと許してくれる。

彼は優しいから。私たちが幼馴染だから。

「これはただの遊びだから」って後で謝れば、きっと笑って流してくれる。

そんな都合のいい甘えがあった。


だから私は、彼の目を見て、嘘の告白をした。

そして、彼が信じたフリをした時、私は安堵した。

これで蓮司くんたちが喜ぶ。私の居場所は守られる。


「……ごめんね、カケル君。私たち、住む世界が違うの。勘違いしないでね」


その言葉を吐いた瞬間、私は心の中で「ごめん」と叫んでいたつもりだった。

でも、それはカケル君には届かなかった。

当たり前だ。私は彼を踏み台にして、自分だけ助かろうとしたのだから。


その報いは、すぐにやってきた。


カケル君が学校を去り、蓮司くんが逮捕され、ミカちゃんがいなくなった後。

クラスの悪意は、全て私に向かった。


「裏切り者」

「自分だけ被害者ぶるな」

「男好きのクズ」


昨日まで笑顔で話していた友達が、私をゴミのように扱った。

教科書は破られ、机には菊の花が置かれた。

蓮司くんという盾を失った私は、ただの無力な獲物だった。


カケル君が味わっていた地獄を、私は数倍の苦痛と共に味わうことになった。

彼が守ってくれていた図書室のような場所は、もうどこにもなかった。


***


「はぁ……疲れた……」


夜九時。ようやく残業が終わり、私は重い足取りで会社を出た。

最寄りのコンビニで半額になった弁当とお酒を買う。

これが私の毎日のルーティン。


狭いワンルームのアパートに帰り、電気をつける。

散らかった部屋。シンクに溜まった洗い物。

この薄暗い部屋が、今の私の世界の全てだ。


テレビをつけると、華やかなバラエティ番組が流れていた。

雛壇に座っている若手女優は、私と同い年くらいだろうか。

キラキラとした笑顔。手入れされた髪。

私とは、本当に「住む世界が違う」。


「……なんで、こうなっちゃったのかな」


缶チューハイを開け、一口飲む。

安っぽいアルコールの味が、喉を焼く。


もし、あの時。

蓮司くんの命令を断っていたら。

「カケル君は私の大切な幼馴染だから、そんなことできない」と言えていたら。

きっとグループからは追い出されただろう。いじめられたかもしれない。

でも、カケル君だけは、私の味方でいてくれたはずだ。

彼と一緒にいれば、どんな辛いことでも乗り越えられたかもしれない。


カケル君は、すごかった。

あんなにいじめられていたのに、裏ではずっと努力して、力をつけていた。

私なんかよりずっと強くて、賢くて、かっこよかった。


そんな彼を、私は「陰キャ」と見下し、あまつさえ切り捨てたのだ。

見る目がなかったなんてレベルじゃない。

私は、ダイヤモンドをドブに捨てて、メッキのアクセサリーを拾った大馬鹿者だ。


スマホを取り出し、検索履歴を見る。

『相沢駆 現在』

『相沢駆 彼女』

『相沢駆 年収』


画面に表示されるのは、成功者としての彼の輝かしい姿ばかり。

モデルのような美女とパーティーに出席している写真。

海外のカンファレンスでスピーチしている動画。


「かっこいいなぁ……カケル君」


画面の中の彼は、もう私の知っている「カケル君」ではない。

「相沢社長」「相沢氏」。

遠い、遠い雲の上の人。


でも、心のどこかで期待していたのだ。

幼馴染という絆は、そう簡単には切れないはずだと。

私が謝れば、泣いてすがれば、昔みたいに優しく頭を撫でてくれるんじゃないかと。


そんな甘い幻想が、あの日、六本木の路上で粉々に砕かれた。


『僕に幼馴染はいない』

『君が今、どんな人生を送っているのか、僕は知らないし、興味もない』


あの冷徹な目。

私を、道端の石ころを見るように見下ろした、あの目。

そこに愛も憎しみもなかった。

ただの「無関心」。


それが一番辛かった。

憎まれているなら、まだマシだった。憎しみは感情の一種だから。

でも、無関心は存在の否定だ。

私の人生は、彼にとって「どうでもいいこと」になってしまったのだ。


「うぅ……っ……」


酔いが回るにつれて、涙が止まらなくなる。

弁当の唐揚げが、涙で塩辛くなる。


寂しい。

誰かにそばにいてほしい。

「陽菜は可愛いね」「陽菜は特別だよ」って言ってほしい。


スマホのアドレス帳をスクロールする。

登録されているのは、会社の人間と、親と、あとは……

数合わせで行った合コンで知り合った、どうでもいい男たちの連絡先。


『今から会える?』


衝動的に、一人の男にメッセージを送る。

すぐに返信が来た。


『いいよー。いつものホテルで』


軽い返事。

彼は私のことなんて好きじゃない。ただのセフレだ。

私も彼のことが好きじゃない。ただ、一人の夜が怖いだけ。


「……行かなきゃ」


私は立ち上がり、少しだけ化粧を直した。

鏡に映る自分を見る。

充血した目。やつれた頬。

こんな顔で、よく「幸せになってね」なんて言われたものだ。


カケル君の最後の言葉が、呪いのように頭の中でリフレインする。


『幸せになってね』


皮肉にしか聞こえなかった。

私が幸せになれないことを分かっていて、突き放すために言った言葉。


「なれるわけ……ないじゃん……」


私は部屋の電気を消し、鍵をかけた。

夜の街へ向かう足取りは重い。


雨が降り出していた。

傘を持っていない私は、濡れるに任せて歩いた。

冷たい雨が、熱った頬を冷やす。


交差点の大型ビジョンを見上げる。

そこには、またカケル君が映っていた。

CMの中で、彼は未来を見据えて微笑んでいる。


「カケル君……」


手を伸ばしても、届かない。

画面の中の彼は、私の方なんて絶対に見ない。


かつて、図書室で彼と二人きりで過ごした時間。

夕日が差し込む窓辺。本のページをめくる音。

穏やかで、優しくて、温かかったあの場所。


あれが、私の本当の居場所だったんだ。

私が一番大切にしなければならなかった「世界」だったんだ。


自分で壊してしまった。

自分で火をつけて、燃やしてしまった。


今、私の手の中にあるのは、灰だけだ。

そしてこれからも、私はこの灰を抱きしめて、生きていかなければならない。


「さようなら……私の、王子様」


私はビジョンに背を向け、地下鉄の入り口へと降りていった。

薄暗い地下への階段は、まるで私の未来へと続く道のようだった。


男の待つホテルへ向かう電車の中。

窓ガラスに映る自分の顔は、死人のように生気がなかった。


私は目を閉じた。

夢の中だけでもいい。

あの図書室に戻りたい。

カケル君の隣で、静かに本を読んでいたい。


「……カケル、くん」


無意識に、彼の名前を呼んだ。

でも、誰も答えてはくれない。

ガタンゴトンという電車の音だけが、虚しく響いていた。


鳥籠から逃げ出したカナリアは、広い空を飛ぶこともできず、泥にまみれて声も失った。

もう二度と、美しい歌を歌うことはない。

ただ、冷たい雨に打たれて、震えているだけだ。


これが、私の物語の結末。

ハッピーエンドなんて、最初から用意されていなかったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ