『君に愛される価値はない』と婚約破棄されましたが、助けてくれた冷徹公爵様の心の声が『尊い』とピンク色で大暴走している件【シリーズ】
『君に愛される価値はない』と婚約破棄されましたが、助けてくれた冷徹公爵様の心の声(テロップ)が『尊い……息ができない……結婚したい』とピンク色で大暴走している件について
人の本音が視えてしまうというのは、想像以上に味気ない。
王城の夜会ホール。
数百のシャンデリアが煌めき、紳士淑女が扇子の裏で会話を交わすこの場所は、私――ララ・クロフォード伯爵令嬢にとって、文字だらけの騒々しい戦場でしかなかった。
「……ララ。本当に君は、地味で可愛げがないな」
目の前でため息をつくのは、私の婚約者であるラルコフ。
金髪碧眼の、絵に描いたような王子様(※ただし性格を除く)。
彼はグラスを片手に、さも憂鬱そうに私を見下ろしているけれど、その頭上に浮かんでいる『文字』は、彼の表情とは裏腹に雄弁だった。
『(ああもう、あっちでミランダと話したいのに。なんでこの金づる女の機嫌を取らなきゃいけないんだ? 今日のドレスも色がくすんでて貧乏くさい。……いや待てよ、ミランダの親父さんが提示した巨額の投資話が決まれば、もはや小金持ち程度の伯爵家の支援なんて不要か。うん、そうだ、そういうことだ)』
……ドス黒い。
明朝体の太字で浮かぶそのテロップは、彼の顔を覆い隠すほど大きくて、浅ましい欲望に満ちていた。
なるほど、新しいスポンサーが見つかったというわけね。
そう、私には視えてしまうのだ。
人の強い感情や本音が、まるで前世の乙女ゲームの字幕のように、その人の頭上に浮かんでしまうのが。
普段は意識して視界の端に追いやったり、人混みでは焦点を合わせないようにして『ノイズ』として処理しているのだけれど、これだけ至近距離で強烈な悪意を向けられると、嫌でも目に飛び込んでくる。
「申し訳ありません、ラルコフ様。私の話術が拙いばかりに」
私は、心を無にして謝罪の言葉を口にする。
傷つかないわけじゃない。
いつだって、知らなくていい本音を知ってしまうのは、胸のどこかを画鋲で刺されるようなチクリとした痛みが走る。
でも、気づかないふりをするのだけは上手になった。
『(謝るなら金を出せよ。……まあいい、ミランダとの愛のためにも、今日こそはこの地味女を切り捨ててやる)』
ラルコフの頭上に、不穏なテロップが流れた。
切り捨てる?
私が首を傾げる間もなく、ホールの中央で音楽が止まった。
「注目していただきたい!」
ラルコフが声を張り上げる。
周囲の視線が集まる中、彼は私の腕を乱暴に掴み、ホールの中央へと引きずり出した。
そして、その隣に、ピンク色のドレスを着た愛らしい女性――ミランダを並ばせる。彼女は最近爵位を買った成金商人の娘だ。金払いの良さで社交界に取り入っていると聞く。
「ララ・クロフォード! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する!」
ホールがどよめきに包まれた。
婚約破棄。
物語の中ならドラマチックな展開かもしれないけれど、現実は残酷で、ただただ惨めなだけ。
「り、理由は……何でしょうか」
「理由だと? 貴様のその陰湿な性格だ! ミランダをいじめ、私の金を使い込み、あまつさえ社交界で私の悪評を広めたそうだな!」
身に覚えのない罪状が次々と読み上げられる。
ラルコフの頭上には
『(全部でっち上げだけど、これで慰謝料は払わなくて済む! ミランダとの結婚には邪魔なんだよ! 俺って天才!)』
という、黒いゴシック体の文字が躍っている。
ああ、なんて浅ましい。
こんな男のために、私は必死に花嫁修業をして、家のために耐えてきたのかと思うと、涙も出なかった。
「ラルコフ様ぁ、私、怖いですぅ。ララ様が睨んでますぅ……」
ミランダが、ラルコフの腕にしがみつく。
彼女の頭上にもまた、鮮やかなテロップが出ていた。
『(やったぁ! 公爵家の親戚筋であるラルコフ様ゲット! これで私も名門貴族の仲間入りよ! パパのお金最高!)』
……だめだ。
もう、何も言いたくない。
反論したところで、彼らの「設定」は変わらない。周囲の貴族たちの頭上にも、『面白くなってきた』『クロフォード家も終わりだな』という冷ややかな字幕が浮かんでいる。私のフィルター越しにも、その悪意は突き刺さってくる。
私は一人ぼっちだ。
世界中の誰も、私の本当の声なんて聞いてくれない。
視界が滲む。
せめて最後くらい、凛としていたかったのに。
「衛兵! この女をつまみ出せ! 二度と私の前に顔を見せるな!」
ラルコフが勝ち誇ったように叫ぶ。
私は観念して、目を閉じた。
――その時だった。
キィィィィン……。
空気が、凍りついた。
比喩ではなく、物理的に肌が粟立つような冷気。
騒がしかったホールが、水を打ったように静まり返る。
衛兵たちが動けない。ラルコフが息を呑む。
カツン、カツン、カツン。
靴音と共に、人垣が割れた。
現れたのは、夜の闇を凝縮したような黒い軍服を纏った、長身の男性。
銀色の髪は月明かりのように冷たく輝き、切れ長の瞳は氷河のように青い。
カシウス・フェン・ウィンターフェルド公爵。
若くして国の北方を統べる「氷の処刑人」。
その冷徹さと、国益のためなら貴族ですら躊躇なく断罪する無慈悲さで、泣く子も黙ると恐れられている、この国で最も危険な男。
(……どうして、公爵様がここに?)
彼は、会場の中央まで歩み寄ると、ラルコフの前で足を止めた。
身長差は歴然。
ラルコフが怯えて後ずさる。
「……騒がしい」
地を這うようなバリトンボイス。
表情筋が死滅したような無表情。
ただそこにいるだけで、心臓が凍りつきそうな威圧感がある。
「カ、カシウス公爵……! これは、その、身内の恥さらしを断罪しておりまして……」
「断罪?」
カシウスの青い瞳が、すうっと細められた。
怖い。
絶対に、人を何人か葬ったことのある目だ。噂では、反逆者の首を表情一つ変えずに刎ねたとか。
彼はラルコフを一瞥し、そして――私の方へ、ゆっくりと向き直った。
ヒッ、と喉の奥で悲鳴が漏れる。
目が合った。
射抜くような鋭い眼光。
眉間に深い皺が刻まれ、口元は真一文字に引き結ばれている。
まるで、親の仇を見るような恐ろしい形相。
(怒ってる……絶対に怒ってる。騒ぎを起こした私まで、処刑されるんだ……)
私は震え上がり、死を覚悟した。
けれど。
次の瞬間、私の目に飛び込んできたのは――信じられない光景だった。
カシウスの頭上に、爆発音と共に現れた、ド派手なテロップ。
『(――ッッッッ!!!!)』
え?
『(天使がいる)』
はい?
目を疑った。
いつもの黒い文字じゃない。
ネオンピンク色に輝く、丸ゴシック体。しかも、星やハートの記号が乱舞している。
『(本物だ……。ララ嬢だ……。今日も髪がサラサラで美しい。泣いている顔も可憐だが、誰だこの天使を泣かせた愚か者は。万死に値する。ああ、目が合った。どうしよう、俺の顔、怖くないか? 緊張して胃が痛い。息ができない)』
カシウスの顔は、般若のように怖いまま。
でも、頭上のテロップは高速で流れていく。
『(可愛い。尊い。存在が奇跡。あんな近くにいるのに、触れられないなんて地獄だ。……待てよ、あの男、婚約破棄と言ったか? 破棄? つまりララ嬢はフリー? 独身? 俺にもチャンスが!?)』
テロップが激しく点滅した。
『(結婚したいッッ!!!!)』
ドォォォォン!!
という効果音(幻聴)が聞こえそうなほどの、極太ピンク文字。
「……ぁ……」
私はあまりの衝撃に、ポカンと口を開けてしまった。
状況が理解できない。
氷の処刑人? 冷徹公爵?
目の前にいるのは、どう見ても私の「限界オタク」なんですけど!?
「……おい。ララ・クロフォード」
カシウスが、低い声で私に話しかけてきた。
顔は相変わらず怖い。眉間の皺が深すぎて、彫刻刀で彫ったみたいになっている。
『(名前を呼んでしまった! 変な声じゃなかったか!? 威圧しすぎてないか!? 大丈夫か俺!? 落ち着けカシウス、深呼吸だ、スーハースーハー)』
内心のパニックが全部文字でダダ漏れだ。
おかげで、ちっとも怖くない。
むしろ、必死に平静を装っているその姿が、なんだか愛おしくさえ思えてくる。
「……立てるか」
彼が、黒い革手袋をはめた手を差し出してくる。
ラルコフが叫んだ。
「カシウス公爵! その女に関わらない方がいいですよ! 地味で何の取り柄もない、欠陥品ですから!」
ピキッ。
カシウスのこめかみに青筋が浮かんだ。
その瞬間、彼の背後から立ち昇る冷気が一層強まる。
『(地味? 貴様の目は腐っているのか? この奥ゆかしい美しさが理解できないとは哀れな。ララ嬢の魅力は、その控えめな中に凛とした強さを秘めているところだろうが! あとで裏庭に来い、氷漬けにしてやる)』
テロップが殺気立って赤黒く変色したかと思うと、私に向き直った瞬間、またキラキラのピンクに戻る。
『(手……手を出してしまった。触れてもいいのか? 汚らわしい処刑人の手で、この清らかな天使に触れても? いや、ここで引いたら男が廃る。助けたい。守りたい。一生かけて、この人を幸せにしたい)』
……ずるい。
そんなこと、思ってたの?
誰にも言わず、無表情の下で、そんなに熱い想いを隠していたの?
今まで、誰の本音も汚くて、知りたくなかった。
でも、この人の本音は――どうしてこんなに、温かいんだろう。少し変だけど。いや、だいぶか。
私は、震える手で彼の手を取った。
彼の大きな手が、私の手を壊れ物を扱うように優しく包み込む。
『(――ッッ!! 手が!! 小さい!! 柔らかい!! 温かい!! 俺、今生きてる!! 神様ありがとう!!)』
頭上のテロップがお祭り騒ぎになっている。
私は思わず、涙が引っ込んで、小さく吹き出してしまった。
「……ふふ」
「……?」
カシウスが怪訝そうに眉を上げる。
私は彼を見上げて、精一杯の笑顔を向けた。
「ありがとうございます、カシウス様」
『(笑った……! 天使が微笑んだ……! 破壊力が凄まじい。心臓が持たない。もうダメだ、このまま連れ帰って一生大事にしたい)』
「行くぞ。……こんな掃き溜めに、長居は無用だ」
彼は努めて冷静な(でも声が少し裏返っている)声で言い放つと、私をエスコートして歩き出した。
呆然とするラルコフとミランダを置き去りにして。
周囲の貴族たちが、「あの冷徹公爵が女性をエスコート!?」「まさか……」とざわめいている。
その思考ノイズは、カシウスの巨大なピンク色の文字にかき消されて、もう私には届かない。
目の前の背中から溢れ出る、
『(幸せだ……死んでもいい……いや死なない、彼女を守るまでは……!)』
という、騒がしくて愛おしい心の叫びが、胸いっぱいに響いているから。
◇◆◇
王城を背にして走る黒塗りの馬車の中は、窒息しそうなほどの静寂に包まれていた。
向かいの席に座っているのは、この国で最も恐れられている「氷の処刑人」、カシウス・フェン・ウィンターフェルド公爵。
彼は腕を組み、彫像のように微動だにせず、鋭い眼光で窓の外を睨みつけている。
その眉間に刻まれた皺は深く、周囲の温度を数度下げるほどの威圧感を放っていた。
もし私が、人の心の声が見えない普通の令嬢だったなら、今頃恐怖で気絶していたかもしれない。
あるいは、「これからどこかの牢獄に連れて行かれて尋問されるのだわ」と絶望していたことだろう。
けれど、今の私には、彼の真実が見えている。
『(うわぁぁぁぁ狭い! 馬車の中狭い! ララ嬢との距離が近すぎる! 膝が触れそう! どうしよう、俺の膝、角ばってないか? 痛くないか? いや待て、そもそも俺の体臭はどうだ? ちゃんと朝風呂入ったよな? 香水キツくないか? 加齢臭とかしてないか!? 二十三歳だけど心配だ!)』
カシウスの頭上には、ショッキングピンクの文字が滝のように流れていた。
フォントサイズは特大。しかもパカパカと点滅している。
……うるさい。
視覚的に、ものすごくうるさい。
無言の車内なのに、私の脳内は彼の絶叫で埋め尽くされている。
私は笑い出しそうになるのを必死で堪え、扇子で口元を隠した。
「……何か?」
私の視線に気づいたのか、カシウスが低い声で問う。
顔は相変わらず怖い。般若のお面を被っているみたいだ。
「いえ、何でもありませんわ。……助けていただいたこと、改めてお礼を申し上げます」
私が頭を下げると、彼はフンと鼻を鳴らし、窓の方へ顔を背けた。
「礼には及ばない。……あのような無礼な輩を放置しておけば、国の品位に関わるからな」
なんて冷たい言い草だろう。
でも、頭上のテロップは正直だ。
『(礼を言われたッッ!! 声が鈴の音みたいだ! 天使! 女神! ああ、俺なんかのために頭を下げないでくれ! 尊すぎて直視できない! 窓の外の景色を見るふりをして誤魔化せ俺! 心臓が早鐘を打ってうるさいんだよ静まれッ!)』
……本当に、不器用な人。
ラルコフと一緒にいた頃は、常に『金』『地位』『面倒くさい』というドス黒い文字ばかり見てきたから、この純粋すぎるピンク色が目に染みる。
こんなにも裏表のない(むしろ裏の方が激しい)好意を向けられるのは、生まれて初めてだった。
馬車は石畳を駆け抜け、やがて高い鉄格子の門をくぐった。
ウィンターフェルド公爵邸。
「氷の城」という異名を持つその屋敷は、王都の一等地にありながら、どこか人を寄せ付けない厳格な雰囲気を漂わせていた。
使用人たちも皆、規律正しく、無駄口ひとつ叩かない精鋭揃いだと聞いている。
馬車が止まり、扉が開かれる。
カシウスが先に降り、私に手を差し伸べてくれた。
「……足元に気をつけろ」
『(手汗大丈夫か俺!? 手袋越しだけど湿ってないか!? ララ嬢の手が折れないように優しく、そう、綿菓子を持つように……!)』
綿菓子。
私は内心でくすりと笑いながら、彼の手を取った。
エントランスホールには、執事を筆頭に、ズラリと使用人たちが整列している。
彼らは主人の帰宅に最敬礼をし、私という「突然の来客」にも眉ひとつ動かさず頭を下げた。
さすがは公爵家の使用人。完璧な教育が行き届いているわ、と感心しかけた時。
『(ようこそお越しくださいましたララ様ァァァ!! 旦那様が初めて女性を! しかもこんな可憐な方を!)』
『(旦那様、顔が怖いです! でも耳が赤いです! 頑張ってください!)』
『(今日のお茶菓子は最高級品を用意しました! 早くお出ししたい!)』
……あ、ここんちの使用人、みんなカシウスに似てる。
表面上は無表情でクールなのに、頭上のテロップが賑やかすぎる。
どうやら類は友を呼ぶらしい。あるいは、主人の不器用な恋を全員で応援している「チーム・カシウス」なのかもしれない。
通されたのは、暖炉の火がパチパチと燃える、落ち着いた色調の客間だった。
カシウスは私をソファに座らせると、自らも向かい側に腰を下ろした。
途端に、部屋の空気が張り詰める。
彼は腕を組み、眉間に深い皺を寄せて、じっと私を睨みつけている(ように見える)。
「……茶だ」
短く命じると、執事が滑らかな動作で紅茶とケーキを運んできた。
テーブルの上に並べられたのは、宝石のように美しいプチガトーの数々と、湯気を立てる香り高い紅茶。
「……毒など入っていない。食え」
言い方!
もっと他に言いようがあるでしょうに!
まるで尋問の前の食事みたいだわ。
けれど、頭上のテロップは必死だった。
『(言い方ァァァ!! 俺のバカ! 何で「召し上がれ」って言えないんだ! ララ嬢が怯えてるじゃないか! 違うんだ、それは王都で一番人気のパティスリーの限定ケーキなんだ! 昨日の夜、執事に命じて並ばせたんだ! 君が甘いものが好きだと調査済みだ! 頼むから食べてくれ! 美味しいって笑ってくれ!)』
調査済み……?
昨日の夜から準備していたということは、今日の夜会で私に会うことを見越していたの?
もしかして、婚約破棄されることも予想して、私を慰めるために?
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
ラルコフは、私が何が好きかなんて一度も聞いてくれなかった。私の誕生日すら忘れていたのに。
この人は、遠くからずっと、私のことを見ていてくれたんだ。
私はフォークを手に取り、苺のタルトを一口食べた。
甘酸っぱい果汁と、濃厚なカスタードクリームが口いっぱいに広がる。
緊張で強張っていた体が、ふわりと解けていくような味。
「……美味しいです。とても」
私が微笑むと、カシウスはふいっと顔を逸らした。
「そうか。……たまたま余っていただけだ」
『(よっしゃぁぁぁぁぁぁ!!!! 勝った! 俺は勝った! 天使の笑顔いただきました! 執事! 執事見てるか! ありがとう! ボーナスだ! 全員にボーナスを出すからな!!)』
頭上で祝砲が上がっている。
テロップの中に、クラッカーの絵文字が乱舞していた。
なんて単純で、愛おしい人なんだろう。
一通りお茶を楽しんだ後、カシウスは居住まいを正した。
場の空気が、少しだけ真面目なものに変わる。
「……ララ嬢。単刀直入に聞く」
彼の青い瞳が、私を射抜く。
「あの男……ラルコフとの婚約破棄を、君はどう思っている?」
それは、一番痛いところを突く質問だった。
私は視線を落とし、膝の上で手を握りしめる。
「……正直、悔しいです」
嘘をついても仕方がない。
「彼のために、必死で努力してきましたから。家のために、良き妻になろうと……自分の気持ちを押し殺して。でも、結局は『地味でつまらない』と捨てられてしまった。私の努力には、何の価値もなかったのかと……そう思うと、情けなくて」
言葉にすると、涙が滲んでくる。
惨めだ。
心の声が見えるせいで、ラルコフの裏切りも、周囲の嘲笑も、全部わかっていたはずなのに。
それでも期待して、裏切られて、傷ついた自分が。
沈黙が落ちる。
カシウスは何も言わない。
きっと、呆れているのだろう。未練がましい女だと。
そう思って顔を上げようとした時。
カシウスが、そっとドアの方へ視線を送るのが見えた。
『(今だ、執事長! 準備はいいな!?)』
心の声が合図を出した瞬間。
わずかに開いたドアの隙間から、白いふわふわしたものがスルリと入ってきた。
「にゃーん」
え?
足元を見ると、真っ白な長毛種の猫が、私の足にスリスリと体を擦り付けていた。
宝石のようなオッドアイ。
信じられないくらい可愛い猫ちゃんが、まるで計ったようなタイミングで現れたのだ。
「……ユキだ」
カシウスが、ボソリと言った。
「私が飼っている。……勝手に入ってきたようだな」
『(よし! いいぞユキ! 俺の秘密兵器! 完璧なタイミングだ! 泣きそうなララ嬢を癒やすんだ! 俺の怖い顔じゃ慰められないから、お前のモフモフに全てを託す! 頼む、彼女の涙を止めてくれ!)』
秘密兵器……!
この強面の公爵様が、こんなに可愛い猫を飼っているなんて。
しかも、私を慰めるために、わざわざタイミングを見計らって投入してくれたなんて。
私は思わず、ユキちゃんを抱き上げた。
温かくて、柔らかい。
ゴロゴロと喉を鳴らす音に、張り詰めていた心が緩んでいく。
「……可愛いです」
「そうか。……なら、もっと可愛がってやれ」
「え?」
「君がここにいる間、その猫の世話係を命じる。……だから、泣くな」
カシウスは、不器用にそう言って、テーブルの上に置かれていたハンカチを私の方へ押しやった。
真っ白な、糊の効いたハンカチ。
「君の努力が無駄だったなどと、私は思わない」
低い声が、静かに部屋に響く。
「あの男は宝石の原石を捨て、泥を拾っただけだ。……君は美しい。その気高さも、強さも、私は知っている」
顔は見えない。
彼は窓の方を向いて、耳まで真っ赤にしているから。
でも、頭上のテロップは、今までで一番大きく、鮮やかなピンク色で輝いていた。
『(君が泣くと、世界が色を失うんだ。君は価値がないなんて言わないでくれ。俺にとっては、君こそが世界の全てだ。愛してる。初めて会った時からずっと、君だけを愛してる)』
直球の愛の言葉。
口には出せない、けれど溢れんばかりの想い。
それが文字となって、私の心に直接降り注いでくる。
ラルコフの『金づる』という言葉に傷ついた心が、カシウスの『愛してる』で塗り替えられていく。
涙が溢れた。
でもそれは、惨めな涙じゃなくて、嬉し涙だった。私って、ちょろい女だな。
「……ありがとうございます、カシウス様」
ハンカチで目元を拭い、私は彼に微笑みかけた。
ユキちゃんが、「よかったね」と言うようににゃあと鳴く。
カシウスは、しばらく呆然と私を見ていたけれど、やがてガバッと手で顔を覆ってしまった。
『(うぐっ……! 涙目の笑顔……破壊力が高すぎる……! 尊い……無理……好き……結婚しよう、今すぐ教会へ行こう、いや待て手順を踏めカシウス、まずは婚約からだ、とりあえずこの空間を保存したい)』
テロップが乱れている。
相変わらず騒がしい人だ。
でも、その騒がしさが、今の私には何よりも心地よかった。
こうして、私の公爵邸での生活は幕を開けた。
無表情な公爵様と、お節介な使用人たち、そしてモフモフの猫。
傷ついた私の心を癒やすには、十分すぎるほどに甘くて優しい場所。
◇◆◇
翌朝、朝食の席でカシウスが言いにくそうに口を開いた。
「……ララ。今日は、出かけるぞ」
ナイフとフォークを持つ手が止まる。
カシウスは眉間に深い皺を刻み、まるで戦場へ赴く将軍のような厳しい表情をしている。
「出かける、と言いますと……?」
「君の身の回りの物が足りないだろう。服も、宝飾品も。……すべて、新調する必要がある」
なるほど、と私は納得した。
実は今朝、実家であるクロフォード伯爵家から一通の手紙が届いたのだ。
内容は簡潔かつ非情なものだった。『婚約破棄され、家の恥となった娘は勘当する。二度と敷居をまたぐな』という絶縁宣言。
私の荷物はすべて処分され、帰る場所はなくなってしまった。
途方に暮れていた私に、カシウスは無表情で、でも頭上に
『(俺が守る! 俺の家にいればいい! 猫の世話係という名目で永久就職だ!)』
という熱いテロップを掲げながら、「……しばらく、ここにいればいい」と言ってくれたのだ。
着の身着のままで追い出された私にとって、彼の提案は渡りに船だった。
「お気遣いありがとうございます。では、仕立て屋を屋敷に呼んでいただけますか?」
「いや」
カシウスが即答する。
彼はコーヒーカップを置き、じっと私を見据えた。
「店に行く。……君と一緒に、選びたい」
え?
それって、つまり……お買い物デート?
彼の顔は無表情の鉄仮面のままだ。
でも、頭上に浮かんでいるテロップは、朝から元気いっぱいだった。
『(デートだッッ!! 初デートだ!! 王都のメインストリートを二人で歩く! 夢にまで見たシチュエーション! どうしよう、何を着ていけばいい? 昨日の夜から服を選びすぎて寝不足だ! ララの横を歩いても恥ずかしくない男でありたい!)』
……ああ、どうしよう。
昨日の夜から楽しみにしてくれていたなんて。
無表情の下でそんなにウキウキしていたのかと思うと、愛おしさで胸がギュッとなる。
帰る家を失った寂しさなんて、彼の騒がしい心の声が吹き飛ばしてくれた。
「ふふ。わかりました。エスコートをお願いできますか? カシウス様」
「……あ、ああ。任せろ」
『(笑顔が眩しい! 太陽か!? はい! 喜んで! 地の果てまでもエスコートします!!)』
心の中の返事が良すぎる。
こうして私たちは、王都の目抜き通りへと繰り出すことになった。
◇◆◇
王都の大通りは、多くの人々で賑わっていた。
カシウスが手配した馬車から降りると、周囲の空気が一変するのがわかる。
「あれは……カシウス公爵?」
「氷の処刑人だわ……目が合うと凍らされるって噂よ」
「隣にいるのは誰? まさか、女性?」
恐怖と好奇の入り混じった視線。
いつもなら人混みの心の声が煩わしくて頭痛がするところだけれど、今日は不思議と平気だった。
隣を歩くカシウスの頭上が、お花畑状態で私の意識を独占しているからだ。
『(ララと歩いてる……! 夢じゃない……! 太陽光の下で見ても美しい。風に揺れる髪が至高。周りの視線が痛いが、これは俺の天使を見せびらかすチャンスでもある。見ろ愚民ども! この美しい方が俺の未来の妻だ!)』
愚民とか言わないでほしいけれど、その自信満々な心の声に、私の背筋も自然と伸びる。
彼がこんなに誇らしげにしてくれているのだもの。
私が堂々としていなくてどうするの。
私たちは、王都でも一、二を争う高級ブティックに入った。
店員たちが緊張した面持ちで出迎える。
「い、いらっしゃいませ、公爵閣下……!」
「……彼女に似合うドレスを。あるだけ全部だ」
「ぜ、全部ですか!?」
店員さんが目を丸くする。
私も慌てて彼の袖を引いた。
「カシウス様、全部は困ります。着きれませんわ」
「そうか? ……では、君が気に入ったものを」
『(全部買ってあげたい。店ごと買いたい。でもララが困ってる顔も可愛い。言うことを聞く俺、偉い)』
本当に、心の中が甘やかでいっぱいだ。
店内には華やかなドレスが山ほどある。彼の心を読みながら、気を利かせてくれた彼のために、彼の好みに合わせたドレスを選び、そのうちの数着を試着することになった。
カーテンを開けて、新しいドレス姿を見せるたび。
カシウスは「……悪くない」としか言わないけれど、テロップの反応は劇的だった。
淡いブルーのドレスの時は、
『(妖精……! 水の妖精が現れた! 清らかすぎて浄化される!)』
シックな深紅のドレスの時は、
『(大人っぽい! 色気! 直視できない! でも見る! ガン見する!)』
結局、彼が内心で絶叫しながら「一番似合う」と太鼓判を押してくれた(テロップで)、白と金色の清楚なドレスを購入することになった。
そのまま着て帰ることにした私を見て、カシウスは満足げに頷く。
「……よく似合っている」
『(俺の嫁が世界一可愛い)』
はいはい、ありがとうございます。
顔が熱いのを誤魔化しながら、私たちが店の出口へ向かった時だった。
「だーかーら! 俺を誰だと思ってるんだ! ラルコフ様だぞ!」
「困りますお客様! 入店はお断りしております!」
入口付近で、騒がしい声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声。
まさかと思って視線を向けると、ガラス扉の向こうに、警備員と押し問答をしている男の姿があった。
私の元婚約者、ラルコフだった。
自慢の金髪はボサボサで、服には皺が寄っている。目の下には濃い隈を作り、必死の形相だ。隣には派手なドレスを着たミランダもいるが、彼女もまた苛立たしげに腕を組んでいる。
「た、頼む! ちょっとツケにしてくれればいいんだ! ミランダの実家から金が入ればすぐに払う!」
「現在、お客様の信用情報は停止されています!」
「なんだと!? ふざけるな!」
どうやら、期待していたミランダの実家の資金援助はまだ実行されていないらしい。それどころか、すでに借金まみれで店に入れてももらえないようだ。
その時、ラルコフと目が合った。
「……ララ!?」
ラルコフがギョッとしてこちらを見る。
そして、私の隣にいるカシウスを見て、顔を引きつらせたが――次の瞬間、私の姿を見て目を輝かせた。
「お、お前……なんだその豪華なドレスは!?」
彼は強引に警備員を突き飛ばし、店内へなだれ込んできた。
「ララ! 待ってくれ! やっぱり俺が悪かった!」
「ラルコフ様!?」
ミランダの制止も聞かず、彼は私に駆け寄ろうとする。
その目は私を見ていない。私が身にまとっている、最高級のシルクとレースで作られたドレスを見ているのだ。
「俺にはお前が必要なんだ! ミランダの親父は出し渋ってて金を出さない! やっぱり俺を理解して(支えて)くれるのはララ、お前だけだ!」
店中の視線が集まる中、恥ずかしげもなく復縁を迫るその姿。
あまりにも自分勝手で、滑稽だ。
彼の頭上には、焦りと欲望の混じった汚い色のテロップが出ている。
『(ちくしょう、捨てなきゃよかった! 公爵と一緒ってことは、あいつも金持ってるのか!? だったらヨリを戻せば、借金もチャラにできる! 俺って天才!)』
……本当に、救いようのない人。
心底ガッカリしたと同時に、不思議なくらいスッキリした。
こんな男のために泣いていた自分が、遠い過去のように感じる。
「ララァァァ!!」
彼が私の腕に触れようとした、その時だった。
「……触れるな」
カシウスの低い声が響いた。
それと同時に、店内の気温が急激に下がる。
パキパキパキッ!
ラルコフの足元から、無惨な音と共に床が白く凍りついた。
比喩ではない。カシウスから放たれた殺気が、物理的な冷気となって周囲を侵食したのだ。
「ひぃっ!? つ、冷たっ!?」
ラルコフが悲鳴を上げてその場に縫い止められる。
カシウスが、私を背に庇うように立つ。
その背中は広くて、頼もしくて。
そして頭上のテロップは――。
『(俺のララだ! 絶対渡さない! 近寄るな! シッシッ! ゴミはゴミ箱へ! ああもう、ララが怖がってないか? 大丈夫か? あとで美味しいケーキ食べさせて記憶を上書きしなきゃ!)』
……怒っているのに、私の心配ばかりしている。
なんて優しい「処刑人」様なんでしょう。
「か、カシウス公爵! これは横暴だ! 私はただ、元婚約者と話を……」
「話すことなど何もない」
カシウスは冷徹に言い放つ。
「彼女の実家……クロフォード家は、愚かにも彼女を勘当したそうだが、そのおかげで私が彼女の後見人になることができた。彼女の全ての負債は私が肩代わりし、クロフォード家への融資も全て引き上げさせてもらった」
淡々と告げられる絶望。
「ついでに、貴様の実家への融資もな。……今頃、貴様の屋敷には借金取りが殺到している頃だろう」
「なっ……!?」
「貴様が選んだ道だ。地獄の底で後悔するがいい」
カシウスが店員に目配せすると、店の奥から屈強な警備員が現れ、動けないラルコフを両脇から抱え上げた。
「は、離せ! ララ! 助けてくれ! ララァァァ!!」
ズルズルと引きずられていく元婚約者。ミランダも「もう知らない!」と彼を見捨てて逃げ出していく。
その情けない絶叫が遠ざかっていくのを、私は冷めた目で見送った。
ざまぁみろ、なんて言葉は使わない。
だって、彼にはもう、私の感情を動かす価値すらないのだから。
店内に静寂が戻る。
カシウスが、恐る恐る私を振り返った。
眉間の皺が深くなっている。
「……すまない。不快な思いをさせた」
『(最悪だ……初デートなのに……ララが悲しんでたらどうしよう……俺がもっと早くあいつを始末しておけば……)』
落ち込んでいる。
テロップの文字が、しなしなと萎れている。
私は彼の腕に、そっと自分の手を添えた。
「いいえ、カシウス様。……とてもスカッとしましたわ」
「……え?」
「私、今すごく幸せなんです。素敵なドレスを着て、世界で一番素敵な男性に守っていただいて。……過去のことなんて、どうでもよくなりました」
私が彼を見上げて微笑むと、カシウスは目を見張り、それから耳まで真っ赤にして口元を手で覆った。
『(世界で一番素敵……素敵……素敵……! 言われた! 俺のことだ! 録音したい! 神様、俺は今、宇宙一の果報者です!)』
頭上でファンファーレが鳴り響いている。
その騒がしくて温かい心の声を聞いていると、自然と笑みがこぼれてくる。
「行きましょう、カシウス様。……美味しいケーキが食べたいです」
「ああ。……行こう。店ごと貸し切るか?」
「ふふ、普通でいいですよ」
私たちは腕を組んで、光の溢れる街へと歩き出した。
すれ違う人々が、今度は羨望の眼差しで私たちを見ている気がした。
今の私は、きっと誰よりも幸せな顔をしているはずだから。
◇◆◇
夢のようなデートから戻った夜。
私たちは夜風にあたるため、庭園に面した広いバルコニーに出ていた。
空には満天の星。王都の喧騒から離れたこの場所は、静寂に包まれている。
隣に立つカシウスは、相変わらず石膏像のように硬い表情で夜空を見上げている。
手すりを掴む手には力が入りすぎていて、革手袋がミシミシと悲鳴を上げていた。
「…………」
無言だ。ここに来てからもう十分ほど、彼は一言も発していない。
けれど、私には視えている。
彼の頭上で繰り広げられている、脳内大パニック映像が。
『(今だ! 今しかない! 雰囲気は最高だ! 言え! 言うんだカシウス! 「愛してる」って! いや待て、「結婚してくれ」か? ダメだ、今日デートしたばかりで求婚は重い! 引かれる! 逃げられる! でも誰にも渡したくない!)』
ピンク色の文字が、ものすごい速さでスクロールしていく。
無表情な顔とは裏腹に、彼の中身は沸騰寸前だった。
『(ああああ、ララが寒そうにしてる! 上着! 俺の上着を貸すべきだ! スマートに!)』
バサッ。
カシウスが突然、自分の上着を脱いで私の肩にかけた。
包み込まれるような暖かさと、微かな石鹸の香りに、胸の奥がきゅんとなる。
「……夜風が冷える。着ていろ」
ぶっきらぼうな声。でも、耳は真っ赤だ。
「ありがとうございます、カシウス。……優しいのですね」
『(優しいって言われた! 天使に褒められた! もう一生この上着洗わない!)』
ふふ、と笑いそうになるのを堪える。
彼は深く息を吸い込み、決死の覚悟で私に向き直った。
青い瞳が、まっすぐに私を捉える。
「……ララ」
「はい」
「私は、不器用な男だ。言葉を飾ることも、女性を喜ばせる振る舞いも知らない」
知っています、と心の中だけで答える。
でも、誰よりも誠実で、誰よりも私を大切に想ってくれていることも知っている。
「君は……私の心の拠り所だ。君が笑うと、私の凍りついた世界に色がつく」
カシウスが一歩、私に近づく。
頭上のテロップは『(結婚したい結婚したい結婚したい)』と暴走しているけれど、彼の口から出た言葉は、とても慎重で、優しいものだった。
「どうか、私の隣にいてくれないか。……結婚を前提に、私と交際してほしい」
差し出されたのは、指輪ではなく、彼自身の震える手だった。
ああ、この人は。
心の中では今すぐ私を閉じ込めたいほど愛してくれているのに、私の傷ついた心を気遣って、ちゃんと「手順」を踏もうとしてくれている。
その誠実さが、何よりも嬉しかった。
ラルコフとの関係で冷え切っていた私の心が、じんわりと溶けていくのがわかる。
でも――。
私には、まだ彼に伝えていない「秘密」がある。
このまま黙って手を取るのは、フェアじゃない。
私は勇気を出して、彼の手を握らずに見つめ返した。
「カシウス。……お返事をする前に、貴方に言わなければならないことがあります」
「……何だ?」
カシウスが固まる。
テロップが『(まさか……断られる!? 好きな人が他に!?)』と青ざめている。
「私には……人の心の声が、文字になって視えるのです」
「……え?」
時間が止まった。
カシウスの無表情が、ほんの少しだけ崩れる。
「貴方が初めて私を助けてくれた夜会の日から、ずっと。……貴方の心の声も、全部視えていました」
言ってしまった。
気味が悪いと、化け物扱いされるかもしれない。
私は怖くて、視線を伏せた。
沈黙が痛い。
やがて。
カシウスの頭上に、ポツリ、ポツリと、文字が浮かび上がった。
『(…………視えていた?)』
『(俺の心の声が?)』
『(初めて会った時から?)』
テロップの文字が、だんだんと震えだす。
『(えっ、じゃあ、「天使がいる」とか、「結婚したい」とか、「髪の匂い嗅ぎたい」とか、「可愛すぎて辛い」とか……全部?)』
私は小さく頷いた。
すると。
『(あああああああああああああああああああッッッ!!!!!!!!)』
カシウスの頭上が、爆発した。
ピンク色の文字が四方八方に飛び散り、まるで花火大会のフィナーレのような惨状になっている。
『(恥ずかしい! 死ぬほど恥ずかしい! 俺の中身ダダ漏れじゃないか! クールな公爵を演じていたのに! ただの変態だと思われてないか!? 穴があったら入りたい! 地球の裏側まで逃げたい!!)』
カシウスが両手で顔を覆い、その場にうずくまってしまった。
耳も首筋も、茹で蛸みたいに真っ赤になっている。
「……カシウス?」
「……見るな。頼むから、今は見ないでくれ……」
指の隙間から、消え入りそうな声が漏れる。
なんて可愛い人なんだろう。
嫌悪でも、恐怖でもなく、ただ自分の愛がバレていたことを「恥ずかしい」と思ってくれている。
私はしゃがみ込み、彼の背中にそっと触れた。
「ふふっ。……ごめんなさい。でも私、貴方のその騒がしい心の声が、大好きなんです」
「……っ!」
カシウスの体がビクリと跳ねる。
「ラルコフ様といた時は、黒くて汚い文字ばかり見てきました。だから、貴方の綺麗なピンク色の文字を見た時……本当に救われたんです」
私は、彼の真っ赤な耳元で囁いた。
「貴方がどれだけ私を大切に想ってくれているか、言葉にしなくても伝わってきました。……だから、私でよければ、よろしくお願いします」
カシウスがゆっくりと顔を上げた。
その顔はまだ真っ赤だけれど、瞳は潤んでいて、熱っぽい光を宿していた。
「……本当に、いいのか? こんな、中身がうるさい男で」
『(こんな格好悪い俺でも、いいのか?)』
「はい。貴方がいいんです。……貴方の騒がしい愛に、もっと触れていたいですから」
私が答えると、カシウスは耐えきれないように私を抱き寄せた。
壊れ物を扱うような優しさで、でも、もう二度と離さないという意志を込めて。
彼は私の耳元で、震える唇を開いた。
心の声ではなく、確かな彼の「肉声」で。
「……ありがとう。ララ、愛している」
『(愛してる愛してる愛してる! ありがとう神様! 一生守る! 絶対に幸せにする!)』
震える声と、頭上に溢れる絶叫のようなテロップが重なる。
二重の愛の言葉。
でも、私には文字よりも、彼の口から紡がれた不器用な一言のほうが、ずっと熱く、愛おしく響いた。
カシウスの心の声は、きっと一生止まらない。
でも、それが私たちの「日常」になるのなら、悪くないかもしれない。
月明かりの下、私たちは初めて、恋人としてのキスを交わした。
彼が無口でも、もう不安になることはない。
だって、彼の愛はいつだって、目に見える形で、そしてこれからは言葉としても、私に降り注いでいるのだから。
◇◆◇
あれから数ヶ月。
私は公爵邸で、カシウスの婚約者として穏やかな日々を送っている。
すぐに結婚、とはならなかったけれど、お互いのことを少しずつ知っていくこの時間が、今はとても心地いい。
「ララ。……仕事が終わった」
執務室のドアが開き、カシウスが入ってきた。
相変わらず無表情で、眉間には皺が寄っているけれど……。
『(ララーッ! 会いたかった! 3時間ぶり! エネルギー切れだ! 補充させてくれ! 膝枕して!)』
頭上は今日も通常運転だ。
ピンク色の文字が、部屋中を埋め尽くす勢いで溢れている。
「お疲れ様です、カシウス」
私は苦笑しながら、彼に駆け寄った。
カシウスが私を抱きしめ、ほっとしたように息を吐く。
「……君の顔を見ると、落ち着く」
『(世界一可愛い。今日も天使。早く結婚式の準備を進めたいけど、ララのペースを守らなきゃ。俺、我慢する。偉い)』
心の中の葛藤が微笑ましい。
私は彼の背中をポンポンと叩きながら、心の中で呟いた。
焦らなくても大丈夫だよ、カシウス。
だって私も、貴方のことがどんどん好きになっているんだから。
私の世界一騒がしくて、愛おしい婚約者様。
これからもその心の声で、私を楽しませてね。
【1/4追記】
アフターストーリーを投稿いたしました!
【アフターストーリー】勘当されたはずの厳格な父が襲来しましたが、心の声が「娘LOVE」の極太マゼンタ文字でした。婚約者のショッキングピンクと混ざって、ただの視覚的公害です
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https://ncode.syosetu.com/n1471lp/
カシウスside番外編もございます!
本編をご覧になってお気に召しましたら、是非そちらもご覧ください!
【ヒーロー視点】冷徹公爵の脳内はピンク色でした。「なぜ私を好きに?」と聞かれたので、隠れてタルトを頬張る姿を見て「尊い」と限界化した日のことを話します。
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https://ncode.syosetu.com/n0502lp/
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触れるもの全てを殺す『死神公爵』様、なぜか私だけ触れても平気なようです
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