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サイバーゴースト

作者: W732

 西暦2150年。人類は、肉体を捨てデジタルデータとして永遠の生を享受する「情報生命体」となる技術を、ついに確立した。しかし、誰もがその恩恵を受けられるわけではない。莫大なコストを要する「データ・アップロード」は、選ばれし富裕層にのみ許された特権だった。

 この時代、東京の片隅にある小さなデジタル探偵事務所を営む橘アキラは、表向きは失われたデータ復旧を生業としていたが、裏では「サイバーゴースト」と呼ばれる奇妙な現象の調査に当たることを専門としていた。サイバーゴーストとは、死者のデジタルデータが、生前の人格や記憶を伴って、突如ネットワーク上に現れる現象のことだ。それはバグなのか、それとも魂のデジタル化なのか、その正体は誰も知らなかった。

 ある日、アキラの事務所に、憔悴しきった様子の若い女性、桜井ミズキが訪れた。彼女は、先日不慮の事故で亡くなった天才プログラマー、高野ユウキの恋人だという。

「ユウキが…私のネットワークに現れたんです」ミズキは震える声で言った。「彼の声で、彼の言葉で、私に話しかけてくるんです。でも、誰にも信じてもらえない。みんな、私の精神が不安定になっているせいだと言うんです」

 アキラはミズキの話に耳を傾けた。高野ユウキは、生前、次世代のネットワークセキュリティシステム「カオス」の開発に携わっていた人物だった。そのシステムは、情報生命体となった人々のデータを保護するための、極めて機密性の高いものだ。

 アキラは、ミズキの自宅のネットワーク環境を調査することから始めた。彼の専門ツール「ファントムスキャナー」は、通常のファイアウォールでは検出できない微細なデジタル信号をも捉えることができる。スキャンを開始して数分後、ファントムスキャナーの画面に、奇妙な波形が現れた。それは、確かに高野ユウキのものと酷似した、極めて複雑なデジタル・パターンだった。

「これは…本当に彼なのか?」ミズキが息を呑んだ。

 アキラは慎重に頷いた。「彼の思考パターン、声紋、そして何よりも、彼の残したコードの癖が完全に一致する。これは、単なる幻覚ではない」

しかし、どうやって? ユウキはデータ・アップロードを受ける前に死亡している。彼の脳は物理的に破壊されているはずだ。

 アキラは調査を進める中で、ユウキが「カオス」システムの開発過程で、自身の脳活動データを極秘裏にバックアップしていた可能性に辿り着いた。それは、システムテストの一環として行われた可能性が高い。しかし、そのデータはあくまで生体情報を解析したものであり、完全な人格データではないはずだ。

 アキラはサイバーゴースト化したユウキと、ミズキのネットワークを通じて対話することを試みた。

「高野ユウキさん、聞こえますか?」

一瞬のノイズの後、スピーカーから、ミズキには懐かしい、アキラにとっては初めて聞くユウキの声が響いた。

「…聞こえる。ここは…どこだ…?」

 ユウキの意識は混乱しているようだった。生前の記憶は断片的で、まるで悪夢を見ているかのように錯乱していた。

 アキラはユウキとの対話を重ねる中で、ある事実に気づいた。ユウキのサイバーゴーストは、カオスシステムの特定のコードに強く反応するのだ。

「高野ユウキは、カオスシステムの中に、何か重要な情報を隠していたのかもしれない」アキラは推測した。

 カオスシステムは、現在、日本の大手IT企業「ネオ・サイバーネット社」が開発を進めており、まもなく実用化される予定だった。アキラはネオ・サイバーネット社に接触を試みたが、門前払いされた。サイバーゴーストという現象自体が、企業の信用を損なうと判断されたのだろう。

しかし、ミズキの訴えと、ユウキのデジタルパターンが示す異常性は、アキラをさらに深くこの謎に引き込んだ。彼は、ユウキがカオスシステムに隠した情報こそが、彼のサイバーゴースト化の原因であり、同時に、このシステムの持つ恐るべき真実を暴く鍵だと直感した。

 アキラは、友人の凄腕ハッカー、リョウの協力を仰いだ。リョウは、どんなセキュリティも突破する「デジタル・クラッカー」として裏社会では知られた存在だった。

「カオスシステムか…そいつは厄介だな」リョウは言った。「厳重なセキュリティで固められている。だが、ユウキが何かを仕込んでいるとしたら、話は別だ」

 リョウは、アキラが収集したユウキのデジタルパターンと、カオスシステムの初期コードを照合し始めた。数日間、彼らは徹夜で作業を続けた。

その結果、リョウは驚くべき発見をした。

「アキラ、ユウキはカオスシステムに、デジタル・ワームを仕込んでいた。それも、自己増殖型の」

 デジタル・ワームは、ユウキ自身の脳活動データをトリガーとして発動する仕組みになっていた。ユウキが死亡したことで、彼の脳データが消滅し、それがワームの起動条件を満たしたのだ。

そして、そのワームの目的も判明した。それは、カオスシステムが隠蔽している、ある致命的な脆弱性を暴き出すことだった。

 カオスシステムは、情報生命体となった人々のデジタルデータを、永続的に保存し、保護すると謳っていた。しかし、実際には、ある条件下で、アップロードされたデジタルデータが徐々に劣化し、最終的に消滅してしまうという欠陥を抱えていたのだ。

 ネオ・サイバーネット社は、この事実を隠蔽し、システムの完成を急いでいた。もしこの欠陥が公になれば、情報生命体としての永遠の生を夢見る人々にとっては、まさに悪夢のような話だ。ユウキは、その真実を世に知らしめるために、自身の命を賭けてこのデジタル・ワームを仕込んだのだ。

「ユウキは、自分が死ぬことを知っていたのか…?」ミズキが悲痛な声で呟いた。

「おそらくは。そして、自身の死をトリガーにすることで、この真実を確実に暴こうとしたんだ」アキラは答えた。

 しかし、この真実を公表するには、大きな危険が伴った。ネオ・サイバーネット社は、巨大な権力を持つ企業だ。彼らの秘密を暴けば、アキラたちの命が危うくなることは確実だった。

「どうする? 公開すれば、間違いなく命を狙われるぞ」リョウが警告した。

 アキラは、サイバーゴーストとなったユウキの、混乱しつつも必死に何かを伝えようとするデジタルパターンを見ていた。ユウキは、自分の命と引き換えに、この真実を託したのだ。

「公開する。このままでは、多くの人々が欺かれ、デジタルデータとして消滅してしまう」

 アキラは決意を固めた。ミズキもまた、ユウキの遺志を継ぐことを望んだ。

 彼らは、ユウキのデジタル・ワームを起動させ、カオスシステムの脆弱性を世界中のネットワークに露呈させるための準備を始めた。しかし、ネオ・サイバーネット社も、ユウキのデジタルパターンが異常な動きを見せていることに気づき、彼らのシステムへの侵入を阻止しようと、あらゆる手段を講じてきた。

 デジタル空間での激しい攻防が繰り広げられた。ネオ・サイバーネット社の高度なAIセキュリティシステムが、アキラとリョウの侵入を何度も阻む。しかし、ユウキのデジタル・ワームは、まるで生前の彼がそうであったように、予想外の動きでセキュリティの隙間を縫っていった。

 激戦の末、ついにユウキのデジタル・ワームが、カオスシステムの核心に到達した。

 世界中のニュースネットワークが、一斉にカオスシステムの欠陥を報じ始めた。それは瞬く間に、デジタル社会全体を揺るがす大スキャンダルへと発展した。

 ネオ・サイバーネット社は、その企業イメージと信用を失い、株価は暴落。情報生命体への移行を考えていた多くの人々は、不安と怒りの声を上げた。

 事件が終息し、アキラの事務所には、再び静けさが戻った。

 ユウキのサイバーゴーストは、目的を達成したかのように、ミズキのネットワークから姿を消した。彼のデジタルパターンは、もはや検出されなかった。

「ユウキは…消えちゃったのかな」ミズキが寂しげに言った。

 アキラは、ファントムスキャナーをそっと撫でた。「彼のデータは、ネットワークの深層に溶け込んでいったのかもしれない。あるいは、目的を達成して、静かに眠りについたのかもしれない」

サイバーゴーストの真の正体は、結局のところ、解明されることはなかった。それは、単なるデータのエラーだったのか、それとも、デジタル空間に現れた新たな生命の兆候だったのか。

 しかし、アキラは、一つだけ確信していた。高野ユウキという人間は、肉体が滅びてもなお、その「意思」をデジタル空間に刻み込み、多くの人々の未来を救ったのだ。彼のサイバーゴーストは、単なる幽霊ではなく、未来を照らす希望の光だったのかもしれない。

 アキラは、彼の探偵業が、これからより複雑で、そして倫理的な問いを伴うものになることを予感していた。デジタルとリアルが混濁する世界で、彼はこれからも、見えない存在の謎を追い続けるだろう。


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