-4- 遠い日の紙飛行機
菫と友達になって数日、相変わらず誤解は解けないままだが、目覚ましが鳴り、着替えて、学校に行く。
学校へ行くという感覚にいつまでたっても慣れないまま……今日の授業を確認して、宿題やプリントの提出がないか再度確認する。
大体こんな工程で準備を進めるが…昔の俺には縁のなかった工程が新たに加わった。
「菫と何話そう…」
俺には友達が出来た。
花島 菫、エアマジック・エンジェルズで攻略可能なヒロインの1人ではあるが、ヒロインの中で唯一好感度が可視化されていない謎多き存在。
クラス女子は俺をずっとゴミでも見るような視線を送るが、菫は違った。
こんな俺に手を差し伸べて、満面の笑みを浮かべてくれた。心の穴が…少し埋まった気がした。いや…気がしたんじゃあない。埋まったんだ。菫が埋めてくれた。
そんな優しい菫が俺に話かけたせいでどんどんイメージが悪くなっている。
汚名返上の為、俺は主人公である清崎 春真にエアマジックで勝負をかけることにした。
一見何の因果関係もないように見えるが……この世界は俺が大好きな恋愛シミュレーションゲーム。エアマジック・エンジェルズを忠実に再現した現実。
そして…この世界の法則とかはゲームに似たようなものが存在する。
簡単に言うと、イベントを起こせば必ず未来に変化が起きるということだ。
そして、俺は強制的にイベントを起こして変態の噂をかき消そうとて思っている。
エアマジックは結構人気があるスポーツだ。決闘となれば多くの人が見に来る。
そこで勝利すれば、イメージも若干よくなるし、その場で事情を説明してもらえれば…噂が消えるのは早くなるだろう。
「さて、行きましょう。作戦は覚えていますか?」
「あぁ…」
「試合が始まると私は口出しできないので」
「分かってる」
サヤ、絵に描いたような銀髪の美少女だが、こいつは…かなり毒舌を放つ女だ。
正体は不明。人間でないのは確か…色々と俺を助けてくれるが…どうやら介入できる一線が決まっているらしく、試合前にアドバイスをすることはできる。だが、試合中にアドバイスをすることはできないようだ。
イベントの補助は出来るが、発生したイベントに対しては干渉できない?その辺のルールは分からないが、まぁ…あくまでも俺の問題なので、サヤにはアドバイスをする義務すらない。
だが、何故か今回は積極的に助けてくれている。
最初の頃はゴミ扱いしてたくせに…最近妙に優しい。
「なぁ…サヤ」
「どうしました?体調でも悪いですか?」
「あ、ありがとう……」
「いきなりどうしたんですか…気持ち悪いですよ」
「か、感謝ぐらいしてもいいだろう!」
気持ち悪いことを言っている自覚はある。
だが…サヤはこの世界に来て何だかんだ嫌がりながらも俺の面倒を見てくれている。
諦めないで進んだから菫とも出会えたんだ…サヤに対しての恩は大きい。
今は何も返すことができない…とりあえず言葉だけでも感謝しておこうとしたのに…こいつ…本当俺のこと嫌いなんだな。
「あなたに感謝する心があってとても感動しています。これは少し評価を見直す必要がありますね。0.001ぐらいは上げてもいいと思います」
ほとんど上がってないじゃあないか、どんなクソゲーのヒロインだよ……ってか冗談を言っているならもうちょっと声に感情を込めろ。
※※※
学校に到着した俺は視線を窓に固定しながら、窓ガラスに映る教室の風景…とくに主人公の席を注意しながら見ていた。
菫はまだ来ていない。兄弟が多いから朝は息つく暇もないだろう…
「来ましたよ」
サヤの言葉と同時に立ち上がり、主人公の席に向かう。
ちょうど教室に入ってきた主人公、清崎 春真は俺をみるなり後ろからついてきていたマヤたんを庇うように立つ。
青い髪に中々のイケメン…まぁ主人公と名の付くぐらいだから、これぐらいイケメンじゃあないと納得がいかない。
身長も俺より高いし、体格も結構いい。制服からも覗ける細マッチョだ。
だがしかし…この警戒心……もし好感度なら俺は今頃ホモエンドだったろうな。
「お前…何の用だ。もう朝礼が始まるぞ、自分のクラスに戻ったらどうだ?」
へぇ…予想通り俺がこのクラスなこと知らなかったみたいだな。
作戦通りにいって何よりだが…こいつ少しバカなんじゃあないかと思ってしまう。
「ここが俺のクラスだ。清崎 春真」
「何で俺の名前を…」
ここは適当にごまかしておこう。
「俺はエアマジックが好きなんだ。全国で優秀な成績をとったお前の名前ぐらい知ってる」
「へぇ、それは光栄だな。公衆の面前で女の子の胸に触れる勇気ある人に覚えてもらって」
嫌味が露骨だな…どんだけ嫌ってるんだよ…まぁ…でも後ろのサヤと比べるとまだまだ甘口だ。
「正直、色々話したいところだが。お前の性格上、俺が何を言っても聞かないと判断した。だから…お前に決闘を申し込む」
「決闘…?何でお前とそんなことしないといけないんだ」
まぁ、普通は断るだろうな。だが…お前がこの言葉を聞いて断ることは出来ない。
「エアは嘘をつかない」
「――っ!」
エア、エアマジックの競技に使われるボールのことだ。
自由自在に変化するエアだが…その形は使用者の心を映し出すと言われている。
これは…とある有名な選手が残した言葉だ。その選手を追って主人公はエアマジックを始めた。
「俺が、本当に変態なのか。エアに聞いてみようじゃあないか。これならお互いが納得できるはずだ」
「……いいだろう」
主人公は俺を睨みつけたまま頷く。
殺気にも似た鋭い視線を送る主人公だが、後ろの毒舌女に比べるとぬるま湯もいいところだ。
「俺が勝利した時に要求するのは2つ。一つ、俺の汚名返上に力を貸す。二つ、俺と俺の友達のエアマジック部への入部を認める。以上だ」
「もし負けたらどうする?」
「自主退学する」
俺の言葉にクラスがシーンと静まり返る。
負け何て存在してはいけない。
負けたら全部終わるんだ。マヤたん攻略の道も、菫との楽しい学園生活も全て絶たれる。
これは自分への警告でもある。絶対に負けてはいけないんだ。
「試合はミニゲーム、放課後は場所の確保が難しいから昼休みでいいな?」
「あぁ」
決闘に合意して俺は自分の席に戻って行った。
マヤたんは空気がつかめていないらしく、おどおどしていたが…何ともマヤたんらしい。その姿に何故か少し勇気をもらう。
※※※
休み時間。
「古山くん?ちょっといいかな??」
「あ…う、うん…」
菫がニコニコ笑いながら俺の手を握った。
痛い…いつものソフトタッチじゃあない…完全に怒ってる…
「決闘ってどういうことかな??」
「ちょっと色々あって...」
怖い…すごく怖い…いつも優しい分、怒った時の恐怖度が段違いだ。
「ちゃんと会話しようとしたの?」
「い、いいえ…」
「決めつけはよくないよね?ねえ?」
「ご、ごもっともです…で、でも…」
「でも??」
怖い!手が痛い!菫ってこんなに怒ったら怖いキャラだったっけ?
菫ルートはあまり覚えていないから…で、でも…こんなにキレた菫は初めてだ…それだけ俺のことを思ってくれてるってことかな…
「あ、あいつのこと…俺は知ってるんだ……あいつは…一度思い込むと聞かない性格なんだ…」
「ふう…百歩譲ってそうだとして、決闘のことも認めるよ?でも…負けた時自主退学するって言ったよね?」
「は、はい…言いました…」
「何でそんなこと言ったの?」
「絶対に負けないから…」
「相手はエアマジック経験者、古山くんも選手だったの?」
「うんん…初心者…」
「それでも勝てるの?」
「うん……」
多分負け犬の遠吠えに聞こえると思う。
俺が現実の負け犬だとしても…残りの力全てであいつの喉笛を噛み千切ってやる。
絶対に負けるわけにはいかない。菫の為にも…
「…私、古山くんのこと信じたい。でも…負けたら古山くん。いなくなるんだよね?」
「そうなるかも……」
「……それじゃあ、私は負けた時の保険。一緒に頭下げて退学だけは勘弁してもらうよ」
「えっ…でも――」
菫は俺の口に人差し指を当てて少し子供ぽい笑顔を浮かべた。
「古山くんも好き勝手にやったでしょう?だから私も好き勝手やっちゃうから。反論は認めません!」
「――っ」
本当…菫には頭が上がらないな。
余計に負けられない…これ以上、菫に迷惑をかけるわけには行かないんだ。
※※※
決戦の時が来ると、創と菫はエアマジックの試合会場に案内された。
エアマジックとは、アタッカーとシールダーが1名ずつ1チームで対戦、透明な特殊なボール、【エア】を使用し、それを相手側のゴールに入れるスポーツ。
今回のミニゲームルールは【矛盾】。
アタッカー一人、シールダー一人で行うミニゲーム。先に10点を取った方が勝利。
今回はハンディとして創は先に3ポイント取ったら勝ち、シールダーとして全国大会に出場している春真から初心者がポイントを取るのは不可能に近い。
緊張感が漂う創の待機室では、着替えを終えた創に菫が優しく微笑みながら…
「似合ってるよ!古山くん」
「そ、そうか…?」
エアマジック部の予備の装備と衣装を借りていて、近未来的な薄いグローブに両腕、腹部、背中に取り付けられた丸い水晶のようなミラーが目立つ。
ミラーをタッチすると相手からエアを奪うことができるので、相手から自分の水晶を押されないように注意しないといけない。
「外…何だか騒がしいな…」
「あ…うん…ちょっと噂になっちゃったみたいで、結構人が集まっているの」
エアマジック用の設備が備わっている体育館の2階席はかなり広い。
が…今、その席が120%ほど埋まっている。
悪党と正義の決闘、おそらく観客達はそう思っているのだろう。つまり、創を応援してくれる人は菫しかいない。
「古山くん、ちょっといい?」
「…?」
ふと、菫は創の手を握る。
普段でもかなり温度差を感じるが、今は一段と酷くなっている。
緊張している。だが、創は必死に冷静を演じている様子。
すると、菫は創の手を強く引き、思いっきり抱きしめる。
「は、花島さん…?!」
いきなりの行動に創が慌てていると、菫はさらに創を胸に押し当て、頭を撫でる。
「昔、弟が試合の直前にこれぐらい緊張していたよ…その時、何もできなかったから……少しでも古山くんの力になれたら嬉しいな」
「……」
「大丈夫、大丈夫たがら。古山くんならできる。心配しないで、ね?」
温かい菫の体温が創の緊張を溶かしていく。
涙がこぼれそうになる創だが、ぐっとこらえてそれを力へと変える。
「絶対…勝って汚名返上する」
「うん!」
二人は手を繋いで競技場へと向かう。
そして、創がコートに入った瞬間、周りに半透明なバリアが生成される。
完全にコートを覆うと、向かい側からエアを持った春真が歩いてくる。
「遅かったな」
「まぁ…初めての試合だからな。ちょっと緊張した」
「そうか。だが、手加減する気はない」
「望むところだ」
お互い睨み合いながら創はエアを受け取る。
そして、自分達のゴールの前に立つ。
「これからミニゲーム矛楯、シールダー、清崎 春真対アタッカー、古山 創のミニゲームを始めます。今回アイテム使用はなし、試合時間は20分。春真は10点入れたら、創は3点で勝利。それでは――開始!!」
エアマジック部部長の開始合図とともに、体育館にホイッスルと歓声が響く。
歓声の中、最初に動き出したのは春真だった。疾風の如く素早いスピードで創に接近する。
「…!なっ?!」
春真が創の水晶にタッチした瞬間、エアを思いっきり地面に叩きつけ天井のバリアに当てる創。
天井にエアが当たった瞬間に走り出した創の行動に誰もが驚く。
「ぶちょ!あれも技ですかー?」
謎の行動にマヤは審判をしていた部長に問う。
創が水晶をタッチされてしまったらボールは春真に移行する。
だが、それが行なわれずボールはバウンドして創が走る先に向かっている。
「スティールは相手がエアを持っていないと意味がない...所持している判定外の場所にエアを投げて呆気に取られている間にゴールを狙う戦法だが――こんな戦法素人が出来るのか?!」
そう。部長の言う通り、完全な素人ならできていないだろう。
だが、創はこの数日間サヤに頼んでずっとこの戦法だけを練習をしていた。
身体能力の差は明らかなので相手の弱点を突くことにした。
春馬は真面目...というよりイノシシのように一直線にエアを奪いにくる。
防御に徹されるとシールダーの強みである、特殊な壁…バリアを突破することは出来ない。
「ふう…」
飛んできたエアを掴んだ創はそのままコールに向けてエアを投げる。
得点を知らせる音が鳴り響き見事創が先制点を獲得した。
「創1ポイント!」
「バカ真面目なところはやっぱり主人公だな...」
得点を獲得した創は開始位置に戻り再びエアを手にする。
完全な不意打ちをしたため、観客からはヤジが飛ぶが...今回の得点で春真にスイッチを入れてしまった。
創もこの戦法は一回しか通じないことをよく知っている。
「(さて、ここからは運だ。性格どおりバカ正直に突っ込んできてくれよ)」
試合開始と同時にまたもや走り出す春真、先程の搦め手は通じない。
創は大きく深呼吸したのち、エアを天井に向かったまた投げる。
「また同じ手か!」
春真が足を止めてエアをキャッチしようと位置を調整する。
それと同時に創は全速力で春真のゴールに向かって走る。
「(なんでゴールに向かってーー)」
疑問は残るがエアを手にすれば問題ない。
そう判断した春真は引き続きエアを取ることに集中する。
エアが春真の手に触れた瞬間――創はすれ違いざまに春真の背中にある水晶にタッチして、スティールに成功。
そのままエアを投げ難なくゴールへ入れた。
「お前――」
明らかに初心者が出来る動きではない。
空中にあるエアをキャッチする時は必ず手に触れてしまう。
春真が足を止めてキャッチするであろうこと、エアが着地する時丁度春真とすれ違うように投げる技量――全てこの先のゲーム内で出てくる戦法ではあるが、今の春真には完全に初見。
「ほんとに初心者か?」
「実戦はこれがはじめてだ。ちょっと事情があって出来てなかったからな」
エアまであと一歩だったので、春馬の悔しさは何倍にも増加しているだろう。
だが…楽しそうに笑みを浮かべた春馬は創に視線を送る。
「次は絶対とる!」
「だろうな」
バカ真面目ではあるが、バカではない。
さすがに二度もやられれば創の行動の全てを警戒され、それなりの対策も取られる。
相手は子供の頃からエアマジックの選手経験があり、去年の大会で優秀な成績をあげている。
こんな予想外のことはいくらでも経験しているので、次は必ず全てを行動を封じれる確実な手を使ってくる。
創がボールを手にすると、ホイッスルが鳴り響く。
「ちっ…」
創がボールを構えたその時、視界に映ったのは自分のゴールを守備している春馬の姿だった。
両者共に一歩も動かない。その様子に客席から疑問の声があがる。
「あれ…?どうして動かないんですか?」
「いい勉強になるから、ここでぶちょークイズ!」
「おお!クイズですか!」
「問題、何故今両者は動かないのでしょうか?」
部長のクイズにマヤは全力で手を上げる。
「はい!」
「井波さん!」
「疲れたから休憩タイムをしてますぅ!」
「ぶぶ!ヒントは、今まで古山さんは避けていたことです」
「避けてた…?」
首を傾げて「うう」と唸るマヤは、そろそろ頭が焼けそうに湯気が出でいた。
見かねた部長は…
「まともに春馬と接近戦をしてない。しないってことは、できないってことだ。今、春馬はその最適解を出している」
「え…それじゃあ」
「今まで見せた技は全て接近戦を上手く交わすものばかり――」
部長の言うとおり、創が攻撃してこないのを確認した春馬は、全力で創に近づく。
今まで搦め手で何とか避けてきた接近戦だが、まともにやれば勝敗は見えている。
「くっ!」
スティールを避けエアを空中に投げるが、泣けせれたエアを空中でキャッチし、そのままゴールを決める。
「ポイント春馬!2対1!」
客席から大歓声が聞こえる。
女子達は軽く悲鳴をあげ、男子を「いいぞ!」など、積極的に声を出している。
創の時と反応が天と地のレベルで違う。
「悪党に卑怯な手でやられていたヒーローが今、立ち上がった。客からはそう見えるのでしょう。さてさて、どうしますか?悪党さん」
菫の隣で試合を観覧していたサヤは創を見つめる。
開始のホイッスル、ボールは春馬に渡り、創にとって最悪な事態になってしまった。
接近戦で春馬にかなわない、そう判断し、ボールを一回も奪われないのが勝利条件だった。
それが崩れた今、試合は一方的なものになる。
「ポイント春馬!2対2!」
手加減などしない春馬は風の如く走り、華麗に点を入れる。
「ポイント春馬!2対3!」
その姿に観客が沸く。
それはまるで、子供の頃、ヒーローショーで悪党に立ち向かうヒーローを応援するように。観客は一つとなり春馬に歓声を送る。
「ポイント春馬!2対8!」
春馬に一度も触れられないまま体力を消耗した創は息が喉まで上がり、必死に息をしていた。
だが、試合はそれを待ってくれない。
「ポイント春馬!2対10!」
ついに逆転、観客は今までないぐらいの歓声で春馬を応援する。
風のような春馬を追ってさらに体力を消耗した創は地面に膝をついてしまう。
体力的にもそろそろ限界、勝ち目は……見えない。
『ざまーみろ変態!』
誰かが大きな声でヤジを飛ばした。
『みっともないな!』
『退学決定だなハハハ!』
集団心理だろうか?最初のヤジを引き金に客席からヤジが激しく飛ぶ。
『女の敵!』
『やーいニート確定!』
『ゴミ!』
『かーす!』
ヤジが激しくなるにつれ、創の息がだんだん荒くなる。
『え……皆さん、ヤジは止めてください』
部長がマイクで注意するも、ヤジは止まらない。
荒くなる息、創は今の状況に昔の出来事をフラッシュバックしてしまう。
周りを囲むクラスメイト、無慈悲に飛んでくるヤジ、ずぶ濡れの自分。
「くそっ!」
創は地面に伏せたまま思いっきり床を殴る。
息が荒くなり怒りと悲しみだげかこみ上げてくる。
サヤの力で数日間を数ヵ月に伸ばして特訓したが、春真とは積み上げてきたものがあまりにも違い過ぎる。
「お、おい!大丈夫か?!」
今まで、ずっと理不尽な集団心理を押しつけられていた。
自分は間違っていない。だが…周りは自分を否定した。
最善をつくしただけなのに…その最善の先には絶望が待っていた。
殴られ、金をとられ、物を捨てられ…自分という存在まで消された。
助けを求めても誰も手を掴んでくれない。信用していた親ですら自分を見捨てた。
その時から世界が歪み、モノクロに見えた。
だから…色のある世界に逃げたかった。だが…その色のある世界すらモノクロに変わって行く。
辛い、痛い、何で…何で自分がこんな痛い想いを……嫌だ…嫌だ、嫌だ、逃げたい、逃げたい…嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
「ふう…」
バリアの外から観察していたサヤが注射器を手にする。
これ以上は危ないと判断し、介入を決めたその時……一人の女子が飛び出す。
『いい加減にして!!』
館内のスピーカーがハウリングし、キィ!と耳の痛い音が響く。
全員が耳に手を当てている中、ハウリングが収まると……
『古山くんのこと何にも知らないのに!何でそんなこと言うの!みんなは古山くんがどれだけ楽しそうに笑うか知ってるの?!どれだけ悲しそうに涙をこぼすか知ってるの?!女の子に手を繋がれただけで耳まで真っ赤にして!ちょっとからかうとすごく慌てて……そんな…そんな古山くんが今までどれだけ心を痛めて来たか知ってるの?!』
菫は息を大きく吸って再びマイクを手にする。
『私にも分からない。でも知りたい!だから私はずっと古山くんのそばにいる。いつか教えてほしいから!だから……私と古山くんの学園生活を邪魔しないで!!』
言葉を出し切った菫は荒く息を吐く。
一度静まった客席が騒めくが、これ以上ヤジは飛ばない。
「はぁ…はぁ……」
膝をついていた創がゆっくり立ち上がると、春馬を押し出す。
創の拳には真っ赤に血が滲み出ている。
「お、おい…お前血が…」
「気にするな……早く試合を」
「だが、その傷はさすがに…」
「いいから!!早くしろ!!まだ試合終わってないだろう!!」
声を荒げる創の瞳には赤い炎が映っているようだった。
諦めない、絶対に…絶対に自分は勝利を手に取る。
理不尽な過去を乗り越えて、理不尽な今を乗り越えて、理不尽だと決めつけていた自分を乗り越えて……
「分かった。部長」
「あ、あぁ…」
部長がホイッスルを鳴らす。
最後の合図、それが館内に響くと敵を打つ悪霊の如く、創が春馬に向かって走る。
春馬からエアを奪えなかったら負ける。何としてもエアを奪う。
創は全身の力を振り絞って春馬に襲いかかる。
「くっ!」
「う――っ!!」
必死に水晶を狙う創。
今まで軽々と抜けていた春馬だが、根強いアタックに少し押されている。
だが…経験の差が大き過ぎる。
「うぁ!」
右にフェイトをかけ、左に抜けた春馬、創は重心を崩してしまい前に倒れかける。
これで試合は終わり、誰もがそう思っていたところ……
「行かせるかよおおおおおおおおおおぉ!!」
ゴールに向かっていた春馬の背中に創が食らいつく。
それはまるで、獅子の首に食らいつくハイエナ。
水晶を思いっきりタッチした瞬間、春馬の手にあったエアが創の手に強制移動される。
「くっ!」
ボールを奪われた春馬は素早く方向を変え、創の前を立ち塞ぐ。
お互いがわずかな距離を置いて睨み合う。
精神を研ぎ澄まし、相手のわずかな動きを観察する。
汗の流れ、呼吸で揺れる体。相手の全てに五感を研ぎ澄ます。
「「はぁ…はぁ…はぁ…」」
これ以上搦め手は通じない。
ここで新たな手を作るしかない。
考えろ!創は自分を追い詰めながら頭を200%回転させ、自分の手にある物の存在を再認識する。
エア、それは使用者の意思で形を変えられる不思議なボール。
ずっと搦め手ばかり練習していたが、エアを変化させたことは一度もない。
アタッカーはエアの形を変化させることができる。だが…アタッカー全員ができるわけではない。
半数以上のアタッカーはエアを変化させられない。それほどエアを形にするのは難しい。
心を形にする。それは人々が思っているより遥かに難易度が高い。もちろん、創もその事を知っている。
だが……勝ちたい、勝たなくてはいけない。その想いが創の心を熱く燃やす。
「はぁ…はぁ…」
呼吸を徐々に整える。
思い出せ、自分が考えられる最高の飛び道具を。
色々な考えが頭をよぎる……だが。
「――っ!」
春馬が一瞬の隙を逃さず襲いかかる。
何とかエアを守る創だが、思考がかき乱されて徐々に隙が大きくなってしまう。
考えろ、考えろ。自分にできる最善を、この状況を打破する最高の案を。
『大丈夫、大丈夫たがら。古山くんならできる。心配しないで、ね?』
菫の言葉が頭をよぎる。
温かい体温が自分を包む感覚がよみがえる。
そうだ……昔も、こんな温かい感情を感じたことがある…それは……
「いっ―――――けぇぇ!!」
とっさのフェイントで春馬の攻撃を回避した創は思いっきりエアを投げる。
だが、春馬も同時にバリアを行き先に展開する。
バリアは春馬が張れるギリギリの位置だが、確実にボールの行き先を塞いだ。
わずかな間に起きた勝利への分かれ目、エアはすでに創の手を離れ、バリアに向かって一直線、春馬は方向を変えて走り出す途中、誰もが春馬の勝利を確信した。
が………女神はイタズラのように春馬から目線をそらす。
『ピピピピピピ――――!』
不気味な警告音とともに創のアタッカー用のグローブが爆発。
エアはその煙で姿を隠してしまう。
「ぐっ!」
煙を払って手を伸ばした春馬、だが…その手は宙をかく。
「え……」
エアが姿を消した。
まるで魔法のように春馬の視界には何も映らない。
創は前に倒れ、辛うじて意識を維持している。
「ど、どこだ!」
観客たの視線が――全て上を見ていることに気がついた。
春馬が目線を上に移すとそこには―――――ゆっくりと宙を舞う白い紙飛行機の姿があった。
けして早くないスピードで緩やかに進む一つの紙飛行機、やがて…その紙飛行機は春馬のゴールに着地した。
「な、何だ…あの紙飛行機…」
誰もが疑問を抱く中、ポイントを表示する掲示板が更新される。
【3対10】
「えっ……あっ?!3対10。ゲームセット。勝者、古山 創……」
館内が静寂に包まれる。誰もこの結果を理解していない。
だが、試合終了とともに競技場を覆っていたバリアは消え、それと同時に菫が走り込んでくる。
「古山くん!!」
倒れた創に近づき、意識を確認する。
装備の破損により手に怪我をしているが、それより意識がはっきりしていない様子。
「古山くん!古山くん!しっかりして!ねえ…ねえ!」
自分の膝に創を乗せ、必死に呼びかける菫。ほぼ無意識の状態の創は薄い目で菫を見つめる。
菫の目から雫がこぼれ、創の顔に落ちると……創は傷だらけの手をあげて菫の涙を手でぬぐう。
「なか…ないで…すみ…れ………」
そう言って満面の笑みを浮かべる創。
傷だらけの手を自分の顔にギュッと当てて、泣きながら笑みを浮かべる菫。
その時……創の手が力を失い、菫の手からするりとこぼれる。
「えっ……古山くん……?」
気絶した。そう思った菫だが、妙な胸騒ぎが体を動かす。
数秒……創の胸に手を当てていた菫は青ざめた顔で悲鳴のように叫ぶ。
「だ……誰か早く救急車を!!古山くんが息してない!!」