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しつこいやつ②

 冷たい朝、薄霧が漂う森の直中。肌寒さを感じさせる風が、色づいた葉をゆっくりと揺らしている。俺たちはジャケットの襟を立てて寒さに耐えながら、互いの存在を確認するように目を合わせた。そうして、目覚めた場所を仮の拠点とし、そこを中心に探索する計画を立てた。空高く群れる羊の様な雲の、さらに上空に位置する太陽と2つの月から、大体の方角を決め、出発した。


 柔らかな日差しが木々の間から漏れ始めていた森の中は、静寂に包まれ、足元には枯れ葉が絨毯のように広がっている。カサカサと鳴る足音だけが響く中、慎重に歩みを進めた。


 森の奥へと進むにつれて、木々はさらに密集し、その幹は太く、苔むした表面が秋の冷気を纏っていた。葉の間から漏れる光は、斑模様となって地面に映し出され、まるで古代の絵画のような幻想的な風景を作り出している。


「綺麗な場所ですね。」と、ユリーカが白い息と共に囁くように言った。その声は静けさの中で、まるで森に溶け込むように柔らかく響いた。「そうだな。時間が止まっているみたいだ。」俺は木々の一本一本に目を走らせ、敵兵、野生動物など、脅威になりそうなものは無いか、引き続き警戒の目を光らせた。


 冷たい空気が肺に染み渡り、その新鮮さを感じながら、俺たちはさらに奥へと進んでいった。森の中は色とりどりの葉で満たされており、赤や黄、橙の葉が散りばめられた地面は、まるでパレットのようである。戦場とは遠くかけ離れたこの長閑さは、手の届かない幻想で頭の中を一杯にしやがる。


 ふと、ユリーカが立ち止まり、耳を澄ました。「水の音がする。」俺はその音に耳を傾けた。確かに、遠くから微かに流れる水の音が、静寂の中で心地よく響いていた。そうして音を頼りに進んでみれば、やがて小さな清流に辿り着いた。それは落ち葉を乗せて静かに流れ、透明な水が太陽の光を乱反射して輝いていた。


「ここで少し休もうか。」と、俺は提案した。出発してから2時間ほどは経過しただろうか、ユリーカも静かに頷いて顔をほころばせたので、俺たちは清流のほとりに座り、しばしの休息を取ることにした。風が葉をさらい、時折舞い上がる落ち葉が小川の淵を彩る。…………この静寂さ。最期に思い浮かべるのは、是非ここであってほしいものだ。


「隊長、野戦食はまだありますか?」

「ああ、駐屯基地で沢山持たされたよ」


 体力消費の激しい空騎兵が、空中でも手軽にエネルギー補給ができるよう設計された棒状の野戦食は、高カロリー高タンパクでありながら、ポーチを圧迫しないコンパクトさを兼ね備えている。だが、よほどのことが無い限り、ほとんどの空騎がこれに手を付けない。理由は簡単、クソ不味いからだ。けれど、今はそんなことを言ってる余裕はないので、仕方なくポーチから取り出し、包装紙を破って中身とご対面する。


 俺は手元の野戦食スカイバーを見つめ、ため息をついた。そして意を決してひと口かじる。すると、まず強烈な苦味が口内に広がり、すぐに酸味が追いかけるように押し寄せる。ビッグフットの血を原料に作ったシロップの濃厚な甘さが一瞬だけ救いのように感じられるが、ネバネバとした液体が喉に引っかかり、生臭さが居座る。硬いバーを何度も噛むたび、その不快な味わいを耐え忍ぶしかなかった。


「これ、開発部はよくOK出したよな。奴ら試食はしなかったのだろうか」

「きっと彼らの上官は、高級ランチを食べながらGOを出したに決まってます」

「っは、あり得る。そのうち“アンデッドの骨粉入りスープ”とか出してきそうだな」

「開発部の人らには言わないでくださいね、本気でやりかねないので」

「やれやれ、本格的に民間企業に外注した方がいいように思えてきたな」


 あまり食に拘りは無いが、しかし味に無頓着な俺でもこの酷さには腹が立つ。そして、眉をひそめながら苦悶の表情で“スカイバー”を食すユリーカの様子から、彼女もまた同様であることが見て取れた。そんなこんなで、俺たちは吐き気のする野戦食を、互いの会話で紛らわせながら完食した。もし開発部奴らが、現地の兵士に恨みつらみを言われる覚悟でこれを作ったのなら、大成功だろう。おかげで会話は盛り上がり、兵士同士の絆は深くなるのだから。


「そろそろ行くか」

「はい!」


 味はともかく、補給効率の面で言えば非の打ちどころがない完全食のため、野戦食を完食したユリーカの顔には血の気が戻り、艶も帯びたように見えた。それはきっと俺も同じで、筋肉痛で重かった身体が、すこし軽くなったように感じられた。そうして探索の続きをするため腰を持ち上げ、冷たい清流を手にすくい軽く顔にかけた。そうすれば突き刺すような冷たさが顔から全身へ伝わり、緩んだ緊張感もふたたび張り巡る。


「こんな時間が続けばいいのに」


 ユリーカが空を見上げて呟いた。“戦争なんて”そう言っているようにも聞こえた。そう聞こえたのは、今もなお、頭の中心に居座る姉さんの幻影のせいだろう。ユリーカの一言に、俺は小さく微笑んだ。だが次の瞬間、突如として空気が一変した。


「た、隊長…………今の、見ました?」

「一瞬、影が走ったが、なんか飛んでったのか?」


 ほんの一瞬だった。ユリーカが言葉を発したのと同時に、瞬きをしていたら、きっと気付かないくらいの速度で、何か大きな物体の影が地面を通りすがったのは。そしてその数十秒後、炸裂音と突風が、木々をなぎ倒すかのように奥からやって来た。


「何だ今の」

「分かりませんが、隊長が音越えをした際に聞こえる音に似てました。でも、比較にならないくらいの速度でした」

「馬鹿な、そんな速さで飛ぶ生き物なんて聞いたことないぞ」

「ホントですってば! ほんの一瞬だったのでハッキリとは確認できませんでしたが、かなり大きな生物に見えました」


 宙から飛来した岩石を観測した研究者が、その速度を計算した結果、音速をはるかに超える速度を算出したと聞いたことがある。つまり俺は、それを生物だと言い張るユリーカを半ば信じられず、取り合わないつもりでいた。だが、依然として彼女が空を見上げていたため、俺もその視線を辿って首を後ろへ倒した時、それがおよそ真実であったことを知らされる。


 遠くから低い唸り声。それは次第に大きくなり、ついに腹を突き破るような轟音が空に響き渡った。


 そして確かに目視した。巨大な影が木々を震わせながら、上空を急速に通り過ぎさっていったことを。それはまるで岩の様な色合いをしていたが、しかしそれとは違う、異様な形状をしていた。まるで現実とはかけ離れた、悪夢のようだった。…………確かに目視したあれは、ドラゴンだった。


「嘘だろおい」


 ドラゴン? ドラゴンだとっ?

 

「あたしの、見間違いじゃ、ないですよね」


 竜の時代。かつて世界を支配し、そして種族間大戦で滅ぼされたはずの伝説が、いま俺たちの頭上を恐ろしい速さで翔けて行った。否、もしドラゴンが音速以上の速さで飛ぶのであれば、既に絶滅したものだと認識している俺たちが、それを捉えることは難しかっただけで、ドラゴンは依然、息を続けていたのかもしれない。


「追うぞ!」

「えぇ!?」

「あの派手さだ。俺たち以外も確認したはず。追えば誰かに会えるかもしれない」


 それは建前なのかもしれない。俺は、かつて最強と謳われた生物を、もっとこの目で見たかったのだ。自分たちの危険など顧みずに。「オーク3からタワー31へ、ボギーを確認、これより追跡を開始する」届かないと分かっていたが、習慣づいているのか、俺は自然とクインへ報告を入れていた。いや、ドラゴンのことで頭が埋め尽くされ、無意識が俺にそうさせたのだろう。


「ユリーカ、俺の背に掴まれ」

「ほ、本気ですか?」

「早くしろ!」


 音速で飛べない彼女をここに置いてくつもりも無かったため、俺は彼女を背負って追うことを決めた。ユリーカは渋ったが、俺の催促に意を決した様子で、後ろから抱きしめるようにして、俺の身体に両腕を回した。それを確認したのち、すぐに上空6,000メートルほどまで上昇。最初に見かけた影は既に見えないだろうが、その次に確認したドラゴンはそれほど速くは無かった。俺はドランゴンが翔けて行った方向へ、すぐさま飛翔した。


「魔力が惜しい、簡易防壁キャノピーを頼めるか?」

「ウィルコ」


 空騎兵は防壁魔法によって、バードストライクや浮石との直撃で即死することを防ぐ――――バランスを崩して墜落死はするが――――ただそれに魔力を回していては速度も出ないため、俺は背中のユリーカにそれを頼んだ。人1人背負っているため燃費は悪くなるが、魔力をまき散らす勢いで飛翔速度を底上げた。


 青空を切り裂きながら、地上の風景を刹那に駆け抜けてゆく。視界には広がる地平線と大地が見え、山脈は蛇のようにうねり、谷や丘が次々と現れては消えていく。すべてがぼやけた線となり、目まぐるしく変わるパノラマのようだった。風が怒涛の勢いで吹き抜けては、耳をつんざくように響いていく。――――雲の層が前方に現れた。だが白い塊は進行方向に応じて割れていき、まるで道を開けるように俺を迎え入れた。そうして雲を突き抜けた瞬間、一瞬の白い閃光が俺たちの周りを包んだ。


「これが、音速なのですね」


 彼女の目にも、次々と変わる風景が映し出されているのだろう。山々が連なる大地、広がる平原、海岸線の波が打ち寄せる様子。すべてが、俺の速度に応じて目まぐるしく変化し、そして彼女を包み込んでいる。速さ、景色、この感覚は、誰もが経験できるものではない。だが、その中でも俺は冷静さを保ち続けた。スピードを楽しむ一方で、常に前方の1点に目を据え続ける。


「シェイキー、見えるか?」

「ボギー確認、見えます」


 俺の見間違いではなかった。豆粒の様に小さな点が、すぐそこに迫っていることを確信したのだ。だがこの速度のままでは追い付いてしまうため、俺は少し速度を緩める。――――しかし妙だ、あのドラゴン、魔力ではなく翼で飛翔している。じゃあ、俺がここまで追ってきた魔力の痕跡は、“最初の影”のものか?――――そう訝しむも次の瞬間、ドラゴンが魔痕を辿るように降下を始めた。


「俺たちも降下する。ここからは自分で飛べ」

「うぅ…………了解」


 しばらく滞空し、ドラゴンが完全に森の中へ姿を消したことを確認すると、その後を追う様に俺たちも森の中へ足を踏み入れる。


 先の森での休息が、まるで遠い記憶のように感じられた。小川のほとりでの穏やかなひと時、柔らかな日差しが木漏れ日となって降り注ぎ、羊雲が高く浮かんでいた。風が優しく葉を揺らし、鳥たちの囀りが響く中、俺たちはそこで疲れを癒した。だが、今踏み入れたこの森は全く異なる空気を纏っていた。木々は高くそびえ、枝は互いに絡み合って、まるで不気味な壁のように立ちはだかっており、そして陰鬱な緊張感が漂っていた。風が吹くたびに、葉の擦れる音が不気味に響き渡り、鳥の声ひとつ聞こえない。


「不気味ですね。」彼女が呟いた。声が震えているのがわかる。


 突然、遠くで大きな影が走り抜けたのが認められた。瞬間、葉がざわめき、地面が震えた。俺は立ち止まり、息を呑んだ。そうして影の正体を確認する間もなく、森の奥から低く唸るような音が聞こえてきた――――ドラゴンだ。その恐ろしい存在が、この森のどこかに潜んでいる。


「気をつけろ。」あまりの静寂ゆえ、自分でも分かるほど、俺の声が低く囁いたのが分かった。心臓が高鳴り、冷たい汗が背筋を伝う。


 ドラゴンの気配は、空気中に漂う緊張感として肌で感じられた。森の奥から再び唸り声が響き、地面が微かに振動。俺たちは互いに目を合わせ、進むべきか、立ち止まるべきかを迷った。だがその瞬間、背後で枝が折れる音がした。恐る恐る振り返ると、またしても影が一瞬だけ見えた。ドラゴンの尾が大きな木の間を滑り抜けたのだ。囲まれているのか…………?


「進むしかないが、慎重にな。」俺は決意を固めた。そして周囲の音に神経を尖らせつつ、再び歩みを始めたが――――パキッ、と落ち枝を踏み抜く音が背後から鋭く切り込んでくる。俺はその音に凍りついた。心臓が耳の中で鼓動し、全身に緊張が走るなか、反射的に身を翻し、血で作り上げた剣を構えた。


「誰だ」


 しかしその正体はドラゴンではなく、一人の若い女だった。腰にまで伸びた黒髪に、夕焼けの様に染まった緋色の瞳。まとう衣服はところどころ素肌が露わになっているくらいひどく綻んでおり、今にも倒れそうなほど疲れ果てた表情をしていた。

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