どうやら始まったみたい③
「遅かったなオフキー! 歌の練習でもしてたのか?」
オフキーが現れるや否や、ノイズは得意の冗談で笑ったが、その瞬間オフキーの強烈な回し蹴りがノイズの横っ腹にヒットした。「次そのコールサインで呼んでみろ、今度は首を引っこ抜いてやる。」彼女はそう言ってノイズを睨むが、しかしノイズの偉丈夫に左程ダメージは無かったようで、彼は飛行姿勢を崩すことなく、依然笑い続けていた。
「アンバー1を呼んだということは、つまりそういうことかノイズ」
「察しがいいな、つまりそういうことだ!」
オフキーの特異能力は【歌唱】。セイレーン種である彼女の歌声は、戦場で聞いたら最後、永遠に目覚めることは敵わない。聞くだけなら最強に思えるが、けれどその歌声は対象を選べないため、下手をしたら味方まで眠らせてしまう。そしてもう一つ、彼女の歌には致命的な弱点がある。何を隠そう、彼女は音痴なのだ。歌によって眠らされた後、必ず悪夢を見るほどに――――善く言えば付加能力ではあるが――――ゆえに彼女はオフキーのコールサインを嫌っている。
「オフキー」
「だから言うなと…………!」
「サルナフロント攻略戦を憶えてるか、あの時と同じ要領でやるぞ!」
ノイズとオフキーは中堅の軍人で、軍歴はかれこれ50年以上にも及ぶ。だから当然、サルナフロント攻略戦にも参加したわけだが、どうやらその際の作戦を今回も実行するらしい。しかし彼らは戦術を把握していても、俺とユリーカはそれを知らない。
「タワー31、聞いてたか?」
『ああ、その戦術は頭に入ってる。要は、白兵戦が行われている所から少し奥まったところでセイレーン種が歌い、敵の勢いを殺す。その間、他の隊員は援護に徹するって戦術だ。ちなみに耳栓は持ってるか?』
「持ってる訳ないだろ、そんなもん」
野営地で使うために持ってくる兵士はいると聞くが、日中の、ましてや戦闘中にポッケに忍ばせてる奴なんて聞いたことが無い。随分と破綻した戦術だと耳を疑ったが、「隊長、これを!」しかしユリーカは違った。一体どこから持ってきたのやら、彼女は軍から支給されるスポンジ状の耳栓を俺に手渡してきた。「何で持ってるんだよ…………。」俺がそれを耳に詰めながら問うと、「戦は段取り八分ですよ。」と言って親指を立てた。
「だっはっは! シェイキー、お前はいい嫁さんになるぜきっと」
「貰ってやんなドラグーン」
「なんでそうなる」
お前らこそ、と言い返してやりたかったが、ここは戦場、それを言うのはまた今度だ。と、出かけた言葉を腹の奥に仕舞った。
「さて、自分の管制官から話は聞いたな。アタシが歌って、お前らが防御。いいね」
「了解しました」
「っしゃあッ、いっちょやってやるかァ!」
行動開始。
俺たちは味方の上空500メートルを飛び、敵味方が入り混じっている場所へ向かった。地上部隊から向けられた歓声や、指笛の音を浴びながら。そうして白兵戦が行われているエリアの上空へ到達し、そこからはさらに飛行速度を上げて翔ぶ。『ここから敵のキルゾーンだ』クインの通信と同時に、こちらへ向けて弓を引き絞る敵の後衛部隊を遠くに確認する。
「オーク3、お得意の音速で吹き飛ばしてやんな!」
「アファーム、耳塞いでろよ」
「耳栓してますよ!」
音速を超えるとソニックブームと呼ばれる衝撃波が、俺の飛翔する方向に向かって作り出され、同時に、大きな爆発音を生み出すらしい。それは敵に混乱を生み出し、一時的な士気の低下、また敵の姿勢を崩すなどといった、副次的な効果が期待されると、軍の研究者から伝えられた。さて如何に。
『いいぞドラグーン、音越えを確認した。お手のもんだな』
「敵の驚く顔が見たかったぜ」
もはや景色に同化したようにしか見えない敵の大軍を尻目に、体を傾けて重心を左に移動させ、脇を少し開く程度に右腕を伸ばして、空を裂くように左へ旋回、そのままオーク隊の方へ舵を取る。敵の陣形は空から眺めた際に把握している。このまま端の連中も驚かせてから帰ろう。
「いいねぇオーク3、俺もそうやってド派手に飛びたいもんだぜェ」
「ノイズ、喋ってないで仕事しな!」
「おいおい俺のアイデンティティを奪うつもりかオフキー、俺は口も動かすが、それ以上に体も動かすんだ」
もう少しで隊と合流するといったところで、今度はノイズが前に出る。イーグル種の基本能力として、数キロ先の細かいディテールまで見通せる視力、圧倒的な持久力による長時間活動、さらに獣化した際の、鋭い爪と戦闘能力の向上が挙げられるが、なんといっても獣人族の強みは特異能力にある。
「オーク1、アルファ【分身!】」
地面に浮き上がるノイズの影が、まるで沼から這い出てくるように次第に形を作ってゆく。彼の特異【分身】は、自分の影から分身を作り出すこと。影ゆえに空を飛ぶことはできないが、獣化した彼の分身のパワーは凄まじく、まさに戦車の如し破壊力を持ち合わせる。だが、彼の特異はそれで終わりではない。
【分身!】
作られた分身がさらに唱えれば、その分身にできた影がさらに浮かび上がり――――。
【分身!】
分身に作られた分身が、またしても自分の分身を作り出す。そうして生み出された三体のノイズ。2メートルを超える巨躯が突如地面から湧きだせば、目前の敵は物怖じし、ひるむ。
「だっはっは! とくと見よ我が特異ッ」
【だっはっは! これで貴様らは袋のネズミ!】
【だっはっは! その表現は違うだろ俺!】
【だっはっは! そう、袋のネズミはまさに俺たちの事よ!】
一つ難点を挙げるとしたら、ただでさえ五月蠅いノイズが、分身によってそのやかましさも倍加するということ。ちなみに分身の能力は非常に魔力を消費するらしく、いくら長時間活動が可能と言っても、せいぜい3体までしか作れないらしい。なお過去の最高記録は9体らしいが、一分と持たなかったらしい。
「相変わらずうるさい特異だこと」
「なんかキモイですね」
「あっはっは、言うじゃないか新兵!」
さて、俺が敵をひるませ、ノイズが分身を完成させた。地上の憂いは無くなり、これで場は整ったはずだぞオフキー。
「アンバー1、今だ!」
「分かってるさドラグーン。アンバー1、アルファ」
オフキーの歌が始まる。
【Fortes viri, qui terram calcant, Eorum sonitus est cor pugnae. Gladium et scutum in manibus, vitam ponentes, Libertatem et spem tuentur.】
相変わらず何を歌っているのか、内容はさっぱりだが、オフキーが言うには、戦士を賛美する詩であるらしい。耳栓をしていても僅かに聞こえてくるメロディーは甘く、どこか切ない感情を引き起こさせる。それはまさしく、戦場に響くセイレーンの哀歌であった。
【In oculis eorum, flammae splendescunt, Timorem nescientes, ad futurum spectant. Dolorem et tristitiam transgredientes, surgunt, Pro amicis, pro familia, pro patria.】
元の歌を知らないため、音程が合っているかどうかはさて置き、純白の翼をはためかせ、優雅に飛び回りながら歌うその姿は、天使と言うにふさわしい光景だった。耳栓をしていても眠気が襲ってくるほどの威力、これを直接聞いた地上の敵兵は、バタバタと地に伏せ入眠していった。あとは味方の兵士がそれを刈り取るだけだ。
「だいぶ片付いたな」
「オフキー、もう十分だろ、退却するぞ!」
「ん゛っんん、了解」
「ところで、シェイキーはどこいった?」
『オーク4はお前らの10メートル下で眠ってるぜ』
何やってんだアイツは――――クインの通信を聞き、俺はすぐさま彼女の元へと向かった。そうして、敵兵に混じって気持ちよさげにヨダレを垂らして眠っていたユリーカを回収し、既に退却を始めていたオーク隊の元へ飛び立とうとした。しかしその時、クインから通信が入る。
『気を付けろオーク3、正体不明の敵影が2つ、そちらへ近づいている、方位180の方向、50メートル先』
クインの指し示す方へ眼を向けると、奴の言葉通り、2つの影がこちらへ向かって歩いてくる姿を確認した。純白の甲冑に紺碧のマントを纏っていることから、ウラシアナの騎士であることは認められる。一人は子供の様な背丈で、もう一人はユリーカと同じくらい、目測で170センチ弱ほどの長身の女だ。
「確認した、歌から逃れたか?」
『いや、アンバー1のアルファでそこら一帯の敵は無力化された』
「どっから湧いてきた」
『不明だ。とにかく気を付けろ』
その辺で寝ている兵士や、今朝、俺が山脈でずたずたにした衛兵とは違い――――色合いは同じだが――――二人の騎士が身に着ける甲冑には、控えめだがその絢爛さが目に留まる装飾がアーマーの両肩に施されていた。さらに距離が縮まれば、兜の形や鎧の彫刻においても雑兵とは違うことが確認できる。間違いない、あれは指揮官クラスの敵将だ。
『どうするドラグーン』
「あいつらを殺りゃあ、俺は昇進か?」
『身なりから見て、ひとりは騎士団団長、もう一人はその懐刀ってところか。間違いなく昇進だ、それも飛び級でな』
おいおい、まさか初日でそんな大物に出くわすなんて、ああ、感謝します大いなる大地の母よ、こんな千載一遇のチャンスを与えてくれたこと。
『油断は禁物だぞ、それにオーク4の救出も残ってる。敵わないと分かったら、すぐに退け』
「アファーム、オーク隊は?」
『大丈夫、彼らの管制官にも伝えた。そっちへ引き返してるそうだ。それに、地上部隊も続々とそっちへ向かってる』
「猶予は30秒ってところか」
「オーク3、タリー2ナイツ、エンゲージ」眠ったユリーカを下ろし、俺は奴らの正面に立った。体を獣化させ、臨戦態勢をとる。残り時間は30秒弱、一瞬で決める。――――爪先に力を籠め、前に飛ぼうとする魔力のベクトルを抑え込む。そしてそれが限界に達した時、後方へ踏ん張っていた力の源を、前に押し出した。
事前に傷付けておいた両手の五指から血を抜き出し、右手は剣を、左手は矢を作り、それを敵へ放ちながら首元へと迫る。
「【シェル・ド・リュミエール】」
しかし、放った矢は突如現れた透明に突き刺さり、加えて振りかぶった血の剣は、その物打ちからぽっきりと折れてしまった。
「随分とハデな一撃ですね、“私の盾”をこうも傷付けるとは」
「ったく、ショックがデカくてやってらんねーよ」
金属音が響く中、女の声。それは俺の攻撃を受け止めた透明の奥から、まるで川のせせらぎのような清澄さをもって耳に流れ込んできた。あまつさえ、俺たちの言語を介して。100年近くウラシアナとは戦争をしているから、こっちの言葉を理解する人間が居てもおかしくは無いが、ここまで綺麗にしゃべる奴は初めて会った。
「言葉が通じない蛮族とでもお思いでしたか?」
「っは、随分と流暢だな」
「お褒めにあずかり恐悦ですが、この程度で褒められるとは、獣人の言葉とはいささか単純なのですね」
賢さは魔術の強さ――――獣人の特異能力は除く――――に比例する。こいつの凝った装飾の鎧にも納得だ。佇まいや口ぶりからして、相当な実力者であることが分かる。隣の子供みたいな見てくれをした女からはそれを感じられないが。
「おい、そろそろいいだろ、ちゃちゃっと片付けちまおうぜ」
「まあいいじゃないですか。もう少し原住民とお話がしたいのです」
「っはっは、原住民? 竜人はダガトワルにゃいねえだろ。どうせこいつも他所の国から拉致られたクチさ」
「こら、失礼ですよ」
ダガトワルの内情にも詳しいと来たか。事実、今ではあらゆる国々が禁止にしている奴隷制を、なおも許容しているのは有名な話。なんなら政府が奴隷を買っているのだから、やつらがそれを知っていることについては、特段驚くことでもないか…………ていうか。
「なあ、あまり時間が無いんだが」
「おっと、これは失礼」
俺の催促によって、ようやく女が腰に佩いた直剣を鞘から抜いたが、その時気付いた。枝の様に細い女の剣には魔力を増幅させる効果を持つ、紅魔玉が埋め込まれていることに。つまり彼女は、剣を触媒にして魔術を使用する魔剣士であって、白刃戦はもちろんのこと、中長距離戦についても秀でている可能性が高い。ずいぶんワクワクする話である。あとはこの邪魔な結界を解いてくれれば、存分に戦えるのだが。
「焦らずとも、今、殺して差し上げます」
「いや、先ずはこの結界を」
『オーク3、今すぐそこを離れろッ!』
この女と戦ってみたい。そんな好奇心が、俺の勘を鈍らせた。例えばGAMの魔力を中てられた際、空騎はそれをすぐに感知できるよう、魔力同士の拒絶反応に対する察知能力を極限に高める訓練を行う。だが今回、俺は自らの心を優先させたが故に、奴の初動を見過ごしてしまったのだ。いま女を中心に、尋常ならざる速度で辺り一帯にあふれる魔力。そして依然立ちはだかる防御魔法。ああ、コイツは、端から俺と刃を交える気などなかったのだ。