グッドモーニング②
「ただいま戻りました」
今夜の祝いの席に招待すべく、俺は一度家へ戻った。ここサルナフロントは、俺たちが育った地でもあるが、もともとは、約30年前、ダガトワルが隣国ウラシアナと戦って獲得した領土であった。その後、サルナフロント統治のため入植者を送り込んだのだが、その中にいたのが、俺たち姉弟という訳だ。そうして俺はここで軍隊に入り、今に至るのだが、姉さんは軍人にはならず生産者に回った。
「おかえりなさい」
抱擁力のある柔らかい笑みで、姉さんは俺を出迎えてくれた。竜人族の特徴である黒髪はインクの様に艶やかで、紅の瞳は、夕日の様に明るいほど、その竜人は美しいとされる。姉さんは、まさに完璧であった。ダガトワルでは竜人が少ないため、この美しさを感じとれる者が少ないことが、何よりも悔やまれる。
「今日の訓練はどうだった?」
「それが、遂に音速を超えることが出来ました」
「すごいじゃない! ひらがなの夢も、ようやく叶ったってことかぁ」
2人で使うには少々大きいソファに腰かけると、異国情緒あふれるティーカップをテーブルの上に置いて、姉さんの“カタカナ”は紅の瞳をキラキラと輝かせた。けれどその表情からは、僅かにだが脆さを感じた。俺には生まれ故郷の記憶が無いが、姉さんは既に物心がついていたこともあり、祖国や父母のことを憶えているらしい。拉致された時のことも。だから俺がダガトワルの軍人として振る舞うことに、少々複雑な心情を抱くのだろう。
俺たちは昔、奴隷だった。この街の住人も、それは知っている。ダガトワルに売り飛ばされた後、竜人族と言うこともあって、その珍しさから、買い手はすぐに見つかった。そして運の良いことに、俺たちを買ったのはダガトワルの軍隊だった。――――聞くところによると、貴族に買われた奴隷の扱いは散々なものらしい。主の身の回りの世話はもちろんのこと、酷いところだと、下の処理もさせられると聞く。もし姉さんがそういった奴らに買われていたらと思うと、今でもぞっとする。――――そうして、ダガトワル軍に買われてから、俺たちはすぐにサルナフロントへ送られた。最初は二人とも基地内で暮らしていたが、今では土地と家を与えられ、不自由ない生活を送っている。だから、その恩に報いるかのように、俺はひたむきに尽力してきた。
「それで、今夜基地でお祝いがあるのですが、姉上もご一緒にいかがでしょうか」
「あら、また会食があるの? マクドナルド司令もお好きなことねぇ」
「ええまあ、ですが、今夜のパーティは私の為に開かれるので、ぜひ参加いただきたいのです」
「そう、なら、お言葉に甘えようかしら」
そう言って、姉さんは口元を手で隠しながら微笑んだ。ダガトワルの婦女子は、姉さんの様に笑うことは無い。彼女は、今もまだ存在するか分からない、祖国の文化を重んずる。服装については自ら織り上げた物しか着ないし、食事の際もスプーンやフォークではなく、2本の棒を器用に使う。それも片手で。最初は奇怪な目で見られたものだが、この街の住人もすっかり慣れたようで、もうそんな目を姉さんに向ける奴はいなくなった。
「ありがとうございます、きっと司令もお喜びになりますよ」
「ふふ、久しぶりにお会いしたいわね」
今なお遠い祖国を想っている姉さんだが、別にダガトワルを毛嫌いしている訳ではないらしい。サルナフロント基地で暮らしていた間、ダガトワルの軍人は皆、俺たちに善くしてくれた。それがきっと、姉さんの中の不信感を――――完全にとは言えないが――――きれいさっぱり拭ったのだろう。
そのあと、俺は姉さんを連れて基地へと戻った。基地内は既に祝賀のムードで満たされていた。会場となる空中騎兵団の離着陸場へと向かう途中も、すれ違う誰もが俺に祝いの言葉をくれた。見知った顔ばかりの、まさに実家のような基地内では、姉さんもどこか楽し気な雰囲気でいた。
離着陸場に到着すると、普段の殺風景な景色とは違って、数えきれないイスや机、バイキング形式で置かれた色彩豊かな――――茶色多めな――――料理、また恐らく基地司令が挨拶する際に登壇するのであろう、小さな簡易ステージが目に入った。加えてステージの上には、拡声魔法が掛けられた、末広がりの木製の筒が雑に転がっているのが認められた。
「お、来たな主役ぅ、待ってたぜ」
会場に着くや否や、声を掛けてきたのは黒毛の人狼、クインだった。そして、クインの奴は姉さんの存在に気付くと、「お、おお、お久しぶりですっ、アルファベット婦人」と、見てるこちらも恥ずかしくなるような分かりやすさでたじろぎながら、姉さんへ挨拶をした。この様子だと、今日もクインが姉さんを口説き落とすことは無さそうだと、俺は心の中で安堵する。「どうも、お久しぶりね」対する姉さんも、余所行きの笑顔を作り、この他人行儀の有様である。
「ん゛っん、俺、何か飲み物を取ってきますが、アルファベット婦人は、確かワインがお好きでしたよね」
「まあ、それじゃあ、赤ワインをお願いしようかしら」
「かしこまりました、お待ちください!」
「じゃあ、ついでに俺のも頼む、エールで」
「自分で取ってこい!」
姉さんとの扱いの違いに辟易しながら、俺も自分の飲み物を取りに行くため、クインに付いて行くことにした。その途中、「なあ、お前のお姉ちゃん、好きな食べ物何だっけ」と聞かれたので、「コップ麦のパンと、コーンスープだな」と適当に返した。姉さんは基本なんでも食べるが、好物について正確に言えば米と、変な匂いのする茶色のスープなのだが、当然ここには無い。
そうして陽も暮れ、太陽が茜色を帯び始めた頃、ようやくパーティの開始時間がやってきた。基地内の半分以上が参加するため、かなりの大人数となったが、それ以上に離着陸場が広いため、あまり窮屈さはなかった。そして簡易ステージに、マクドナルド司令が登壇する。
「おほん。えー、皆さま、えー、この度はお集まりいただき、ありがとうございます。今日は、えー、私の部下であり、息子同然のヒラガナが、音速を破った記念として、このような場を設けさせていただきました。耳にタコができるくらい本国からは節制しろと言われておりますが、私はこう言ってやりましたよ“了解、基地司令として、これからは暴飲暴食をしっかり指揮します”とね、ハッハッハ! えー、ちなみに、今の私の様にステージに上がることになぞらえて、新人を初陣へ繰り出すとき、戦場に上げるともいいますが…………」
長くなりそうな司令の挨拶が会場に響く中、同じ席に着いたクインが、俺にこう耳打ちする。
「パーティ好きの割に、はじめの挨拶が下手だよな司令」
「ああ、話が終る頃には、パーティも終わってるな」
それからもマクドナルド司令の長い挨拶は続くが、基地の職員や軍人たちは、そんな彼を放っておいて、すでに雑談を挟みながら食事や飲酒を始めていた。司令の挨拶を真っ向から聞いているのは、アンダーソン副司令だけだろう。もちろん、俺たちも司令の挨拶をBGMに会食を始めていた。
「それで、“バードストトライクには気を付けろよ”と俺は言ったんですが、ヒラガナの奴、なんて返したと思いますか?」
「うーん、なんでしょうか…………」
「“了解、じゃあ鳥人族のやつらにも周知しといてくれ”って言ったんですよ!」
「あっはははは」
そんなことを言った覚えは無いが、クインの与太話には姉さんも楽しそうだったので、水を差さずに聞き流した。軍人と言う職業柄、日頃家には帰れないため、姉さんには寂しい思いをさせることが多い。だから司令官のパーティ好きな性格や、クインの陽気さにはいつも助けられている。彼女の笑顔を見るに、今日ここへ連れてきたことも、間違いではなさそうだったと、俺は胸を撫でおろす。
「しかし驚きました。ヒラガナの奴、ここへ来たときは飛び方も知らなかったクセに、今じゃドラグーンになっちまったんですから」
「本当ね。音速の壁越えはずっとこの子の夢だったから、それが叶って、私も鼻が高かったわ」
「あ、ありがとう。俺、何か飲み物取ってくるけど、姉さんはまだワイン飲む?」
「そう? じゃあお願いね」
自分の話を他人にされるのは存外に恥ずかしいもので、居てもたってもいられず、俺はそう言って席を外した。当然、その間にクインの奴が姉さんに手を出す可能性も考えられたため、俺はクインの奴も誘った。クインは表情と両手を使って“俺もか?”といった意のジェスチャーをしてきたので、あごで返事をした。するとクインは一つため息を吐いて「じゃあ、俺も酒を取ってきます」と言って席を立った。
「おい、邪魔すんなよぉ、いい感じにお前の姉ちゃんと会話が弾んでたのに」
「うるさい、これから二人で司令と副司令に挨拶だ」
「ああ、それもそうだな」
もっともらしい言い訳を考え付いたものだと自分で関心したが、それが功を奏し、クインもそれで納得してくれた。それに、司令官への挨拶はマストである。暗黙の了解として、俺が所属する隊の隊長や、他の上官たちは既に俺たちの席へ挨拶に来てくれたが、基地のトップには、主役であろうと自ら赴かねばならない。それがこの国でのルールなのだ。
「おお、ヒラガナ、クイン、よく来てくれた」
長い挨拶を終えたばかりなので、マクドナルド司令の声はガラガラだった。彼はエールをひと口飲むと――――そのひと口で容器の中身が半分以上消えたが――――口を閉じたまま小さくおくびをして、話を続ける。
「お前ら二人、兄弟の様に育ててきたが、ここまで成長してくれたこと、基地司令としてとても誇らしく思う。なあ、アンダーソン」
「ええ、全くです。ドワーフのように小さかった頃が、つい昨日のことの様に思い出されます」
そう言って、副司令はおいおいと涙を流した。「なあ、全くだよなあ!」と、彼に感化されたのか、マクドナルドも大声で泣き始めると来た。全く、オーク族の偉丈夫が二人そろって涙もろいとは、ここまで面白いものだろうか。と、俺たちは緩んだ顔を見合わせ、ジェスチャーだけで“呆れ”を表現し合った。そうして、二人の大男が仲良く肩を寄せ合って泣きはらしたの見届けると、ようやく話が前に進み始める。
「すまんすまん、みっともない所を見せてしまったな。まあ要するに、お前ら二人は俺にとって息子も同然だ。これからも、よろしく頼む」
「はい、こちらこそ、これからも世話になります」
「おう」
俺の言葉に司令が頷き、話はここで一区切りつく。まあここまでは社交辞令みたいなもので、「それでだな」から始まる司令の雑談は、酒に酔っているせいもあってか、およそ30分弱にわたる長話となった…………。
「まあ要するにだなっ、お前ら二人は俺にとって息子同然ってわけだっ、ガハハハ」
「司令、それはさっきも言っておりましたよ」
同じ言葉が何度も繰り出されては、副司令がマクドナルドに指摘をするのが通常である。これを如何に愛想よく聞き流せるかがキモとなるのだが、適当に相槌を打ってるだけでも司令は満足するので、それほど苦労することではない。そして、これでは埒が明かないと判断した副司令が、俺たちに気を使ってこう言ってくる。
「さあ、それじゃあ二人とも席へ戻って、食事の続きをしなさい」
「はっ、失礼します」
「それはそうとアンダーソン、俺の話が長いと噂になっているようだが、今後、始まりの挨拶は無い方がいいだろうか」
「そうですね、その方がパーティも早く始まりますから」
「なに! それじゃあこういうのはどうだろうか…………」
そんな2人の会話を最後に聞いて、俺たちはその場を後にした。自分たちの席へ戻る途中、マクドナルド司令の長話と、苦労人のアンダーソン副司令について、再度話に上がったことは言わずもがなだろう。そうして席へ戻った俺たちだったが、そんな俺たちを待ち受けていたのは、口元をへの字に曲げた姉さんだった。
「ちょっと、二人ともどこ行ってたの」
「あぁ、ごめん、司令の長話に捕まってしまってて」
「そうなんですよ、俺たちは何度も戻ろうとしたんですけど、司令が」
そんな言い訳をすると、姉さんはぷっと吹き出して、納得がいったように笑って見せた。
「そういうことか、マクドナルドさんは相変わらずね」
「困ったもんだよ」
「それはそれとして、私のお酒は?」
「…………あ」
「すいませんっ、クイン、すぐに取ってまいります」
そんなこんなで、楽しい会食も終わりを迎え、俺と姉さんは、再び祝いの言葉を四方から受けながら基地を後にし、疲れた体を引きずって家へと帰った。クインはと言うと、アイツは今も基地暮らしのため、管制官仲間と今も酒を飲んでいることだと思われる。基地司令も言っていたが、俺たち姉弟の他にも、奴隷商から買われた子供たちがあの基地で育った。見知った顔が多いのも、幼馴染や親の様な人たちしかいないからである。つまりあの基地は存外に居心地がいいわけで、姉さんのように外へ出た者もいるが、ほとんどは軍人になったのだ。
「クインも大きくなったわね。人狼らしく、毛の荒さも一層強くなったように思えたわぁ」
「風呂の後、毛を乾かすのに苦労しているようですよ」
「あはは、あの毛量じゃあ、タオル一枚でも足りなさそうね」
クインの話以外にも、基地の人たちを取り上げて俺たちは会話を楽しんだ。長い帰り道もあっという間に感じるほど、久しぶりに会話が弾んだように思えた。俺自身が規則的な勤務体制ではないため、主に日中に活動する姉とは家ですれ違うことが多い。家に帰る時間も、寝る時間もバラバラ。俺も含め、基地の職員や軍人が家族と一緒に食事ができる日というのは、今日みたいな日に限られることが多いのだ。
「明日も早いの?」
「ええ、早朝から訓練がありますから」
「それじゃあ、早く寝なさいね」
「はい、姉上も、ゆっくりお休みください」
明日からはまた、訓練の日々が始まる。現在、隣国のウラシアナとは睨み合いが続いているが、再び戦闘になれば、緊急出撃も余儀なくされる。そうなれば地上部隊の支援や、敵空中騎兵との戦闘でしばらくは家に帰れない日々が続くことになるだろう。二度と帰れないなんてこともあるかもしれない。覚悟はできているが、それが揺るがない自信は無い。姉さんを一人にさせてしまうこと、それが、躊躇いになってしまうことが恐いのだ。明日、戦争が終ってほしいと何度願ったことか。しかしそれは、叶わない願望であることを知らされる。