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しつこいやつ③

「答えろ、何者だ、なぜここにいる」


 警戒しながら尋ねると、彼女は一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに力を振り絞って話し始めた。


「待って、私は敵じゃない。私は、この森の近くの村から来たの。ドラゴンが村を襲い、私は、逃げるしかなかった」


 彼女の声は震えていたが、真実を語っているようだった。その証拠に彼女の身体には小さな裂傷がいくつか見え、さらに足元から膝辺りにかけ泥にまみれていた。「大丈夫ですか?」ユリーカが心配そうに問いかけると、若い女は口元に微かな笑みを浮かべながら頷いて見せた。だが、霧がかった森の奥から再び響く唸り声に、その表情は瞬く間に崩れ去った。


「こっちへ、ドラゴンから身を隠せる場所があるの」


 ドラゴンのものと思しき唸り声が地響きと共に聞こえ、そしてそれが収まった時、女がそう呟いた。微塵も信頼などしていないが、ここでドラゴンと遭遇するより、彼女独りを――――仮に盗賊の類だとしたら、その仲間たちも含め――――対処する方が遥かに簡単であると悟り、俺はその言葉に従うことにした。


 そうして、時々聞こえる地響きのような物音と、その主のものと思しき生物が発する唸り声に警戒しつつ、魔女の森と呼称にふさわしい荒れ果てた森を、女に付いて歩きまわった。


「ここよ」


 女が立ち止まり、その先に見えたのは、不自然なほど綺麗に空いた洞窟だった。自然的に作られたものでもなければ、人間の手によって掘られたにしては大きすぎるため、それが巨人族などの巨大生物によって作られらものと推察できる。そして、居住するために造られたものにしてはあまりにも簡素なため、それは誰かの一時的な隠れ家であることもまた考えられた。


「言われるがまま付いてきちゃいましたけど、本当に大丈夫でしょうか」


 頂点が見えない岸壁が大きく口を開けたような洞窟の入口を前にして、ユリーカが俺の袖をつかみながら震えた声でそう言ってきた。だが確かに、このまま女に付いて行くには危険すぎるため、俺たちは入口を前にして立ち止まり、「ここは?」と再び女に尋ねた。すると女は。


「いいでしょ、ここ。私が見つけたの。隠れ家なんだぁ」


 まるで子供が秘密基地を自慢するような、そんな無邪気をもって、彼女は入口の前で両手を広げた。その小さな体と対比すれば、洞窟の甚大さが余計に目に付いた。感覚を研ぎ澄まし、洞窟の奥の方へ意識を向けてみるが、特に生物の気配も無ければ、女から流れる微弱なもの以外の魔力も感じられないため、ひとまずは安全にも思えた。


「何かあれば、すぐに撤退しよう」

「うぅ、分かりました」

「離れるなよ」

「離れませんよぉ…………」


  そうして俺たちは、女に先導され、遂に洞窟の中へと足を踏み入れた。ただでさえ肌寒い季節だと言うのに、中はもっとヒンヤリとして、まるで粉々に砕かれた氷の粒が大気を埋め尽くしているかのようであり、息をするたびそれを実感した。天井は見上げるほどに高く、岩壁は無骨で荒々しい。石の表面には、年月を重ねた苔や木の根が絡まり、古の時を感じさせた。足元は滑らかで歩きやすく、足を踏み出すたび、砂利が心地の良い音を奏でる。奥へ進めば光はほとんど届かず、僅かな光源だけが壁に怪しい影を投げかける。


「ここ、ドラゴンの巣じゃないですよね?」


 震えるユリーカが斜め下から俺に問いかけてきた。けれど彼女の言う通り、この洞窟はまさに巣穴といった感じだ。俺が彼女の問いにそう答えようとしたとき、先頭を歩いていた女がこちらへ振り返り、その緋色の眼を妖しく輝かせる。


「彼女の言う通り、ここはドラゴンの巣穴だよ」

「その主は?」

「今はいない、というか、もうずっと不在。今頃どこかで野垂れ死んでるんじゃないかしら」


 最初の怯えようはどこへやら、彼女はどこかそっけない態度、というか、まるですべての事に対して無関心のような口ぶりでそう言った。なんとも掴みどころのない女である。そして彼女は疲れ果てた様子から一転し、洞窟内をまるで我が家のように馴染んだ足取りで歩き回った。その動作には迷いがなく、その確信に満ちた態度がさらに妖しさを増させる。


「ここ、村の古い伝承に出てくる場所なの。」彼女は自信満々に語りながら、暗闇の中を軽やかに進んでいく。彼女の足取りは確かで、石の上を滑らかに歩き、足元の障害物を巧みに避けていた。「ここを知ってるのか?」俺が問いかけると、彼女は振り返り、微笑んで頷いた。「ええ、何度もここに来たわ。この洞窟は、村の人たちにとって特別な場所なの。」その声は自信に満ちていた。


 そうして彼女は巨大な石柱の間をすり抜け、複雑な模様が彫られた壁に手を触れた。その動作はまるで旧友に挨拶するかのようで、彼女が手を滑らせると、模様の間に刻まれた古代の文字がぼんやりと浮かび上がり、俺はその光景に目を見張った。


「この模様は?」ユリーカが尋ねると、彼女はまたしても優しい笑みをもって答えた。「これは、古代の守護者がこの洞窟を守ってきた証よ。彼女の力が、今もこの場所を守っているの。」女の言葉は、まるで伝統を受け継ぐ者のように堂々としていた。


「さ、ここがいわゆるリビングルームよ、どうぞくつろいで」


 女が壁にかかった松明に魔術で火をつけると、ぼんやりとだが空洞の内部も先ほどより鮮明になった。そして彼女が“くつろいで”と言った場所を見ると、そこだけ砂利が掃けてあり、藁が広く敷き詰められているのが認められる。どうやら彼女は、ここで寝泊まりしているらしい。それを裏付けるように、女がここで過ごしていることがわかる痕跡を次々と目にするようになった。不気味な巨大さを誇る空間だが、細部に目を向けると、生活の温もりが感じられるエリアが存在しているのだから。


 まず目に飛び込んできたのは、小さな焚き火の跡だった。黒く煤けた石が円形に並び、その周囲には使い古された鍋や調理器具が置かれていた。近づくと、微かに香ばしい香りが残っており、つい最近まで火が使われていたことがうかがえた。「ここで暮らしてるのか」俺が呟くと、女は頷いた。「ええ、火を使えばこの洞窟も少しは暖かくなるの。」彼女の声には、長年の知恵と経験が滲んでいるように聞こえた。


 周囲を見渡すと、壁には手作りの棚が取り付けられており、その上には乾燥させたハーブやキノコ、その他の食材が並んでいた。棚の一部には、瓶詰めの保存食がきちんと並べられており、長期間の生活に備えていたことが分かる。


 さらに奥に進むと、簡素なベッドが目に入った。石の床の上に厚い毛皮が敷かれ、その上に粗末な布団がかけられていた。ベッドの周りには小さな木箱があり、その中には日用品や衣服が整然と収められている。


「ずいぶんと居心地よくされているのですね」ユリーカが感心して言うと、女は「ここしか住む場所がなかったから、工夫するしかなかったの。」と言って、照れくさそうに笑った。


 他にも所々に手作りのランプが取り付けられており、女が一つずつそれに明かりを灯すと、その光が洞窟内を柔らかく照らし、ランプの暖かな光が石の壁に影を落とした。「全部あなたが作ったのですか?」あまりに完成された生活空間に、ユリーカが驚いて尋ねると、女は誇らしげに頷いた。「ええ、少しずつね。奥には泉もあるのよ」と、付いて来いと言わんばかりに女が小走りに奥へと行くので、俺たちも互いの顔を見合わせて彼女に付いて行った。そして彼女の言う通り、洞窟の奥には、小さな泉があり、その周囲には彼女が育てたと思わしき小さな植物が並んでいた。水が流れる音が静かに響き、洞窟内に安らぎをもたらす。その泉は清らかで、彼女が生き延びるための重要な水源となっているようだ。


「ずっと一人で暮らしているのですか?」

「そうよ。でも、この洞窟は私にとって家みたいなものなの」


 その言葉に驚きつつも、彼女の生活感が漂うこの洞窟の一角に感心した。石の冷たさと暗さの中に、彼女の手による温もりと工夫が詰まっていた。洞窟は、ただの冷たい石の空間ではなく、彼女が何十年もかけて作り上げた生活の証だった。その道程は、きっと厳しいものだったに違いない。


「よかったら、今日はここでご飯を食べっていって」

「悪いが遠慮す…………」


 俺がそこまで言いかけたところで、なんと間の悪いことか、ぐるるる、とユリーカの腹の虫が鳴った。これには何も言い訳が出来ず、俺は出かけた言葉を飲み込んで「かたじけない」と、ユリーカを尻目に女に言った。対してユリーカは気恥ずかしそうに「申し訳ない」と、目を伏せた。


 そんなこんなで、洞窟の中での緊張が少しずつ和らぎ、若い女が手料理を振る舞ってくれることになった。俺たちは女に促されるまま、簡素な焚き火の周りに座り、女が用意する料理の香りが洞窟内に広がるのを感じながら待つ。


 彼女は、石の炉に鍋をかけ、持ち寄った食材を手際よく調理し始めた。まず彼女は、乾燥させたキノコとハーブを鍋に入れた。これらは洞窟内で自ら採取し、保存しておいたものらしい。キノコは豊かな風味を持ち、ハーブは料理に深い香りと滋養を与えるのだという。さらに、泉から汲んできた清らかな水を加え、煮込むことで全体にまろやかな旨味が出るようだ。


「このキノコは特別なの。洞窟の奥深くでしか見つからないわ。」彼女は鍋をかき混ぜながら説明した。


 次に、彼女は手作りの保存食を取り出した。それは乾燥させた野菜と果物で、時間をかけて準備したものであることが分かる。スライスされた人参、ジャガイモなどが乾燥され、保存性を高めていた。これらを鍋に加えることで、色とりどりの具材が美しく映えた。


 さらに、彼女は手作りの塩漬け肉を取り出した。彼女はそれを細かく切り分け、鍋に加えた。肉が煮込まれることで、スープ全体に豊かな香りが広がった。


「この肉も狩りで手に入れたの?」ユリーカが尋ねる。

「そうよ。自然の恵みに感謝しなくちゃね」


 最後に、彼女はスパイスを振りかけた。それは、洞窟の深部で発見した珍しい植物から作られたもので、独特の風味と温かみを加えるらしい。そうしてスパイスが溶け込み、スープ全体にほのかな香辛料の匂いが付けたされた。


 かくして料理が出来上がると、彼女は小さな木の碗にスープを注ぎ、俺たちに手渡した。だが、さすがにこのまま口にするわけにはいかない。


「あはは、分かってる。私が最初にいただくわ」


 ストレスを感じさせない彼女の言動には、素直に感謝するほか無かった。そうして女がスープを口に運び入れたことを確認し、俺たちも一口すする。そして今まで味わったことのない、繊細で豊かな風味に驚かされた。洞窟での生活で作り上げられたこの料理は、シンプルでありながらも深い味わいを持ち、あまつさえ心と体を芯から温めてくれたのだ。


「美味しい…………っ」ユリーカがその言葉を述べると、「どういたしまして」と、女は照れくさそうに笑った。「冗談抜きに、旨すぎる」俺も思わず言葉に出してしまう。「あはは、照れちゃうなあ」と、女は身をよじらせた。


 思いがけず振る舞われた手料理はあっという間に完食。この料理はまるで、厳しい環境の中でも生き抜く力と、その中で見つけた小さな幸せを象徴しているかのように輝いて見えた。料理については、エネルギー補給くらいにしか考えていなかったが、まさか絵画の如し主張の激しいものだったとは知らなかった。


 そうして食事が終わると、今度は奥の泉での水浴びを女から提案された。もちろん浸かるのではなく、桶ですくって浴びることをだ。これにはユリーカが大層よろこんだ。なので先発は彼女に譲り、俺は料理の後片付けを手伝うことにした。


 俺が皿を洗い、女の手がそれを受け取って拭き上げた。そうやって皿洗いの水音が響く中、、焚き火の明かりが女の顔を柔らかく照らし出しだす。インクの様に艶やかな黒髪、太陽の様に輝く緋色の眼は、奇しくも美しい竜人の基準を満たしていた。だが、竜人とは違い、彼女の瞳孔は丸く、オマケに耳はエルフの様に長い。整った顔立ちも、エルフ族の血からくるものなのだろうか。


「君、竜人なんだね」


 彼女の横ずっぽうを流し目で観察していたおり、彼女が俺にそう尋ねてきた。ちょうど彼女の出自について考えていたため、まるで心を読まれたような話題にギョッとする。


「そうだが…………角で分かったのか?」

「うん。でもその角、竜人族でも珍しい形してるね」

「俺はこの国の生まれではないからな」

「どこか遠い所から来たの?」

「ああ。小さい頃、祖国から連れ去られたんだ」

「つらいね」

「いや、その時の事は覚えてないんだ。物心がつく前だったから」

「そっか。じゃあ君は幸運だぁ」

「そういうアンタは、エルフなのか?」

「あぁ、うん、そう。耳で分かった?」


 ここまでの質問と、何とも歯切れの悪い返答に、俺の中の不信感が増してゆく。なので俺は、少しカマをかけてみることにした。「だがその耳、エルフにしては短いな」否、エルフ族の耳の長さについては、彼女くらいの妙齢であれば若干の差はあれど、一体に同様である。


「エ、エルフの耳の形はそれぞれだよ」その答えと、これまでの彼女の言動から、疑念が確信に変わった。「それに…………」と、言葉を続けようとする彼女を差し置いて言う。


「竜人族も、きっと角の形はそれぞれだろう。だが俺は、姉弟以外の竜人を、この国で見たことが無い。アンタ、竜人族は俺が初めてじゃないな?」


 それと、この森には鳥のさえずり一つ聞すらこえなかったのに、彼女はここで狩りをしていると言った。おそらく嘘なのだろう。森と言えば、そもそも彼女と出会ったとき、彼女は“近くの村から来た”と言った。しかしこの洞窟内では、まるで十年以上はここで暮らしていたかのような口ぶりだった。他にも挙げたらキリがないが、俺は今述べた事実を彼女に突きつけた。そうすれば彼女は、ただ無言で顔を上げ、俺を見つめてくる。


「隊長…………?」


 ここでユリーカが水浴びから戻って来た。だが夕食の一件があったせいか、彼女はアーマーを身に着けず、鎧下だけを纏った姿だった。そしてユリーカは、俺と女の間を吹き抜ける緊張感を察して、ただ口をつぐんだ。


「答えろ、アンタ何者だ」


 腰に忍ばせていた短剣を、女の首元に差し向けて問うことも出来たが、ここまで――――今もだが――――彼女から敵意を感じることは無かったため、それなりの誠意として、短剣の代わりに目をもって睨み据えた。すると女は、これまで見せてきた柔らかい笑みや、頬を赤らめて照れていた表情がまるで作りものだったかのように、今度は屈託のない笑みを浮かべてこう言った。


「いいよ、教えてあげる。でもそれは、あのワイバーン(亜竜)を殺した後に」

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