婚約破棄されましたが自由になれたことの喜びに思わず踊ってしまいました
「ジーナ・ド・ココミック! おまえとの婚約を破棄する!」
彫刻みたいに綺麗な顔をした金髪の貴族令息がわたくしに指を突きつけて、大勢の皆様が見てらっしゃる舞踏会のど真ん中で、そう仰いました。
いいえ。婚約者ですけど、わたくしその方のお名前なんて覚えておりませんとも。だって……、だってわたくし……
「やったぁー!」
思わず両拳を握りしめて、高すぎるところにあるシャンデリアよりも高く、掲げてしまいました。だってわたくし、嬉しかったんですもの。
「な……、何が嬉しい!?」
婚約者の金髪イケメンがうろたえながらも、婚約破棄に続くお決まりの台詞をまくし立てました。
「おまえは自堕落で、社交界の集まりにもろくに顔を出さず、自室に籠もって自分の好きなことばかりしている! そんな女だとは思っていなかった! 貴様は我ら名門貴族の一族の一員となるには相応しくない!」
「……なんて、ほんとうは他に好きなひと、出来ちゃったんでしょ?」
わたくしが指差しながらそう言うと、そのひとはあからさまにうろたえました。
「なっ……!? なにを……!?」
「すごくえっちな身体した、しかも都合のいい女のひと、出来ちゃったんでしょ?」
「そのようなことは……!」
「うん。どーでもいい」
わたくしはにっこりうなずくと、その場でひとり、踊り出しました。
「じゃっ! ごきけんよう!」
優雅にカーテシーを繰り出すと、踊りながら外へと向かいました。心はウキウキです。だって結婚なんてめんどくさかったんですもの!
わたくしは中庭をスキップしながら走り抜け、お城の外へ出ると、町の色んなお店を見て通り過ぎながら、ずっと笑っていました。
あの方、わたくしを自室に引き籠もってばかりとか仰ってましたが、どちらかというとお外の開放感のほうが好きでしてよ。
お父様に政略結婚を強いられ、貴族の令嬢として生まれたことを呪っていましたが、婚約を破棄されたことで太陽はぽかぽかと微笑み、風は爽やかにわたくしのドレスを翻し、大きな自由がわたくしを包み込んでくれました。
一族の恥さらしとして家からは追い出されることでしょう。家出の機会を狙っていたわたくしには願ってもないことですわ!
これでわたくしは自由よ! 自分のメンツとかプライドとか、婚約者から暴言を吐かれたとかどうでもいいわ! だってこれで自由なんですもの! キャホー!
楽器屋の店頭に試奏用のヴァイオリンが置いてありました。御主人に断ってからそれを手に取ると、踊りながらそれを弾きました。偉大なる大作曲家、ネル・ヴァーナ・カートコバーン様のお作りになったあの危うくも自由なメロディー、『フレグランス・オブ・ティーンズ・スピリット』を、優雅にくるくると踊りながら奏でると、町の人々が集まって来ました。
「わー、かわいい」
「素敵」
「いいねえ!」
口々にそう言いながら、皆様がわたくしに見とれて笑顔になりました。一緒に踊ってくれるチビっ子にも囲まれて、わたくしはますますニコニコになりました。楽器屋の御主人もニッコニコです。通りかかった猫も足を止めてお座りをして見ていてくださいました。
これですわ! この自由! 快感!
結婚なんてしたらめんどくさいことだらけになって、雁字搦めにされて、夜中にポテトをつまみながら好きな本も読めなくなるところだったかもしれませんわ!
ヴァイオリンを奏でながらニコニコ踊るわたくしを見ていた人々の中から、一人のひげもじゃの大男が前に進み出て、わたくしに言いました。
「その音楽、森のどうぶつたちにも聴かせてやっちゃあくんねえか?」
ぶっきらぼうな言い方をするひとでしたが、とても善良そうな男のひとでした。
彼は木こりで、名前をサムソンといいました。
彼はわたくしを森の奥へと連れて行きました。さすがに不安になり、途中で逃げ帰ろうかとも思いましたけど、町の人たちが安心させるような笑顔で見送ってくれましたし、わたくしもどうぶつにお会いしたかったので、ついて行きました。
森の木々を透かしてキラキラと光が踊っていました。
わたくしはヴァイオリンを携えて、サムソンさんのおおきな背中について歩きました。それは先程の試奏用のヴァイオリンではなく、名工ストラトヴァリウスの作った、お店で一番高価なものです。家を追い出されたわたくしにはお金なんてありませんから、もちろんそれは、サムソンさんが買ってくれたものでした。
町の人の誰かが心配してついて来てくれるのを願ったのですが、皆さんはサムソンさんのことをよく知っているように、笑顔で見送ってくれたのでした。見た目は少し怖いけど、善良そうなその目を信じて、ついて行きました。
「着いた」
サムソンさんが足を止め、言いました。
「ここだ」
そこは森の中の広場でした。真ん中に広い空間があり、それを取り囲んで岩や草の席がありました。でも、誰もいません。どうぶつなんて、どこにも……。
騙された?
ここでわたくしは、この大男からどんなことをされるの?
そう思ってあたふたしていると、木陰から男のひとの声がしました。
「おい、サムソン。その娘か?」
それはとても悪いひとの声に聞こえました。
「そうだ。とてもいいものを持っている」
サムソンさんが声の主に答えましたが、わたくし、何も持っていません!
「出てきて彼女に顔を見せろ、ラビ」
すると木陰から姿を現したそのひとを見て、わたくしは思わずびっくりしてしまいました。いいえ、正確に言うなら、そのひとは人間ではありませんでした。長い耳に赤い眼、短い手足に真っ白なもふもふの体毛をもつ、うさぎの獣人だったのです。
「ジーナさん」
サムソンさんがわたくしを優しく見つめて、言いました。
「彼に、さっきの音楽を聴かせてあげてくれませんか」
彼の語調がとても優しかったので、また、ラビさんが聞いていた通りのどうぶつだったので、気を取り直してわたくしは笑顔になりました。そしてゆっくりとヴァイオリンを持ち上げ、顎で固定すると、弓を走らせはじめました。
ラビさんが言葉を失った顔で、ヴァイオリンを弾きはじめたわたくしを見つめ、すぐに草の絨毯に腰を下ろしました。
すると次々と、木立の間からいっぱい、どうぶつたちが姿を現しました。
鹿の角をもった美しい獣人、猫や犬の姿をしたかわいらしい獣人、おおきな蛇さんもニョロニョロと草の間から出てきて、魂を奪われたように、わたくしに見とれて立ち止まりました。
やがてたくさんのどうぶつたちに取り囲まれると、わたくしも嬉しくなって、調子に乗って、くるくると踊りながらヴァイオリンを弾きはじめます。
「かわいい」
「可憐だ」
「癒やされる」
どうぶつたちは口々にそう言ってくれました。
木漏れ日がキラキラと照らす森の中、幸せがそこにありました。社交界で生きるのが幸せな方々はそれでいい。でも、それが苦痛だったわたくしには、こここそが自分の生きる場所のように思えました。
ここで生きて行きたい。どうぶつたちに囲まれて、自由に、音楽をみんなのために奏でて生きていけたらいいな。人間のわたくしに、それは許されるのかな? そう思いながら演奏を終えると、みんなが嬉しい拍手をしてくれながら、
「すごく楽しかったよ」
「こんな幸せってあるんだね」
「君の音楽がなくなったら、この森が退屈に思えちゃうよ」
そう言って、笑ってくれました。
「サムソンさん!」
わたくしは彼を振り返り、言いました。
「わたくし、ここに住みたいわ! ここで生きて行きたい!」
彼はぶっきらぼうに答えました。
「嬉しいが、そいつは無理だな。ここには人間の好きなものが何もねぇ。金も、豪勢な食事も、あんたが恋したくなるような美形の若者も、何もねぇんだ。ここは人間にとって生きる意味のない場所さ」
「そんなことないわ! わたくし、音楽があって、それを聴いてくださるどうぶつたちがいてくだされば、生きて行けます!」
わたくしは口元に笑みを浮かべ、懇願するようにお願いしました。
「ここの住人になりたいの……。そうよ、あなただってここの仲間なのでしょう? 同じ人間のあなたが暮らせているなら、わたくしだって……!」
「すまねぇな。俺は熊の獣人なんだ」
「え……?」
わたくしは彼の姿を、頭のつむじから木靴を履いた足先まで眺めてしまいました。
どこからどう見ても彼は人間でした。ここにいる獣人とは違っています。ただ身体がおおきくて、ひげもじゃなだけで。
「カカカカ!」
うさぎの獣人のラビさんが、横から教えてくださいました。
「お嬢さん、そいつは人間だよ。まったく人間てのは嘘をつく生き物だねえ」
そしてサムソンさんに向かって言います。
「おい、サムソン氏。おまえ、今日、いいものを持ってる娘を森に連れて来るって、オウムに言葉を持たせて知らせて来たよな? でも、おまえが『いいものを持ってる娘を見つけた』って言ってるのを聞いたのは、雪の降る頃だったぜ? 今は初夏だ。半年もの間、おまえはそのお嬢さんを嫁さんにしたくて仕方がなかったんじゃないのかい? なぜ、ここへ来て突っぱねる?」
わたくしは言葉を失くして、ラビさんとサムソンさんを交互に見るしか出来ませんでした。
サムソンさんが? 前々から、わたくしのことを……狙ってた……?
サムソンさんはボリボリと頭を掻くと、仕方なさそうに言いました。
「ジーナさん。俺はあんたと結婚したいなんて、未分不相応なことは考えちゃいねえ。……ただ、あんたのファンになっちまっただけだ」
「ファン?」
「ああ……。去年のクリスマスに、あんたが町のやつらの前で、聖歌を歌ってるのを見てから、あんたのファンになっちまったんだ。ちょうど今日、ヴァイオリンを弾いたみたいに、それはそれはみんなを笑顔にさせてた」
思い出した。
確かに去年のクリスマス、宮廷で行われるクリスマス・パーティーが堅苦しくてしょうがなかったから、一人で町へ出て、町のみなさんと一緒に聖歌を楽しく歌ったのだったわ。覚えてる。黒人の奴隷の皆さんがとてもリズム感がおよろしくて、歌にもパワーがあって驚いて、思わず笑顔になったっけ。
「今日はただ、あんたのことを森の仲間たちにも見せたくて、連れて来ただけだ。すまなかったな」
そう言うと、サムソンさんは腕を差し出しました。
「さぁ、送ろう。あんたは人間の世界で生きるべき人だ。あんたなら家を追放されても立派な音楽家になれる」
彼のわたくしをエスコートする姿を見て、わたくし、わかってしまいました。
「サムソンさん……、あなた、貴族ね?」
「なっ……、なぜ!?」
「婦人をエスコートする仕種が貴族のそれだわ。身に染みついた高貴さは隠せないものよ。……ほら! あなた、やっぱり人間じゃない! しかもわたくしと同じ『元貴族』だわ! あなたが生きているこの場所で、わたくしが生きて行けないわけないじゃない?」
「ジーナさん……」
サムソンさんがわたくしをじっと見つめました。
「貴族の……人間の生活に未練はないのですか?」
優しいそのまなざしを見つめ返しながら、はっきりと言いました。
「ないですわ。だって、人間の生活って、窮屈なんですもの。好きでもない人たちとパーティーで交流しないといけないのよ。どうしてあれをやめないのかしら。嫌がってる人は多いのに、世代が代わっても、ずっと続けてるの。頭がおかしいとしか思えないわ」
そこまで言ってしまってから、言いすぎたと思い、言い直しました。
「……いえ、わかっているの。わたくしがあの世界に合わないだけなの。結婚にまつわるあれやこれやも面倒臭い。社交界の集まりも面倒臭い。でも、人間同士の結びつきを図るためにはあれは必要なことだって……わかっているのよ」
「僕もそうでしたよ」
「えっ?」
顔を上げると、サムソンさんが笑っていました。高貴で逞しい、それでいてとても奥ゆかしくて、優しい笑顔でした。
「僕のフルネームはサムソン・フォン・レゾンデートル。レゾンデートル公爵家の長男でした」
「長男……レゾンデートル家の?」
レゾンデートル家といえば名門です。まさかその家の長男が森で暮らしているなんて……。きっと不名誉な噂が広がらないよう、彼らが必死で隠していたのでしょう。
「僕も人間社会の面倒なしきたりが嫌いで、17歳の時に家出をして、この森に住むようになったんだ」
「あなたが17の時……? するとだいぶん昔のことですのね?」
「いや、ほんの3年前」
「あなた……!? 二十歳ですの!?」
どう見ても40歳ぐらいだと思っていたので、びっくりしてしまいました。まさかわたくしと四つしか違わないなんて!
「へへへ……」
横からラビさんがお話に加わってきました。
「いい具合に話が合ってるみてーじゃねーか。よし、サムソン! プロポーズしろ!」
「おっ……、俺は……!」
サムソンさんは一人称がコロコロ変わって面白いひとだなとわたくしは思いました。
「俺はただの、ジーナさんのファンの一人なんだ。それに彼女は婚約を破棄されて喜んでいる。結婚なんかしたくないんだよ」
「決めつけないでくださる?」
わたくしは思わず吹き出してしまいました。
「わたくしが嫌なのは、お家のためにお父様から無理強いされる結婚ですの」
「えっ!?」と、とても期待する表情で、サムソンさんがわたくしを見ました。
「それじゃ……、俺と……いや僕と……いや、私と、結婚してくださるのですか?」
真っ赤になった彼の顔をかわいいなと思いながら見つめながら、わたくしは答えました。
「まだあなたのことを少ししか知りません。結婚を前提のお付き合いでしたら、して差しあげてもよろしくってよ」
サムソンさんが拳を高く掲げて喜びました。太陽よりも高く掲げ、雄叫びのようなものをあげました。
それから一年後、わたくしとサムソンは、森の広場で結婚式を挙げました。
結婚式といっても簡素なもので、彼なんていつもの木こりの服のままでした。
出席者は森のどうぶつたちだけ。といってもみんなが集まってくれたので、それはそれは賑やかでした。
「綺麗だよ、ジーナ」
真っ赤な顔のサムソンが、わたくしの顔を覗き込みながら言いました。
「やっぱり君にだけドレスを用意してよかった」
「いつもの葉っぱの服でもよかったのに」
そう言いながら、わたくしの顔は幸せいっぱいに笑っていました。
「ありがとう。こんな綺麗なドレスを着せてくれて」
あの楽器屋さんで、ぽんとわたくしに銘器ストラトヴァリウスを買ってくれたサムソンは、大金持ちでした。木こりの仕事はとても儲かるらしい上、使うことがないのでたんまりとお金を持っていたのです。
いえ、彼が一文無しだって、わたくしはよかったのです。その優しさと気の合うところを好きになったのですから。
それでもやっぱり、一生に一度の幸せな日に、人生で一番綺麗になれたことは、忘れられない思い出になりました。
「ところでサムソン」
「ん? なんだい、ジーナ?」
「そのひげもじゃの大男は変装だ、とかいうことはないの? 熊さんの着ぐるみを着てるとか? 脱いだらすごい美青年だとか?」
「ないよ」
あっさりと彼が言いました。
「これが僕のほんとうの姿だよ。木こりをやってたら筋肉がつきまくって、こんなに逞しくなってしまった」
ははは! と笑う彼の逞しい腕に抱きつきました。安心と喜ばしい気持ちでいっぱいでした。熊さんみたいなこの姿が嘘だったらどうしようと思っていたのです。
「おめでとう!」
「サムソン! ジーナ! 仲良しおめでとう!」
「仲良しおめでとう!」
どうぶつたちが祝福の言葉をくれました。
森の生活は不自由で辛いことも多いけど、大好きなみんなとサムソンがいれば生きて行けます。
初めて会ったあの日と同じ、木漏れ日がキラキラと二人を照らす中、わたくしはサムソンと口づけを交わしました。