#9
美加は佐藤に無言でナイフを渡す。佐藤は少女からナイフを受け取ると、その場に座った。それは、まるであの時の屈辱と土下座させられた悔しさを体現したかのような正座だった。
佐藤はナイフを逆手に握り直し、左手を柄尻に添え、しっかりと握り締め・・・・・・そのまま両手を高く上げた。恐怖で刃先が震えていた。
しかし、黒崎の顔、姿、声、自分への仕打ち。それらが佐藤の脳裏にフラッシュバックした。
・・・・・・・・・ザシュッ!
佐藤は自分の腹にナイフを突き立てていた。
「黒崎課長はっ! アイツは! 僕を、何度も! 何度も!」
服越しに肉を裂く音を立てながら、ナイフを引き抜き、再び突き刺した。
耐え難い激しい痛み、口の中に広がる鉄の味が滲み出てくる。
『何だ、その態度は‼ お前舐めてんのか⁉』
何度も切腹する佐藤の心には、黒崎への恨み辛みが支配していた。
『ご! め! ん! な! さ! い! だろ』
彼の心を抉った言葉が反芻される。涙もいつしか血涙に変わり、腹部にはおびただしい血が流れ、土汚れた白いワイシャツが憎悪の深紅に滲んでいく。
「うぐっ・・・・・・グググ・・・・・・ゲホッ」
血に染まり、徐々に弱っていきながらも、痛みに悶えながら腹部に刃を突き立てる佐藤の様子を間近で見ている美加にも、心境の変化があった。
彼の鬼気迫る姿に、美加も次第に恐怖に変わったのだ。
「い・・・・・・嫌っ! もうやめなよっ! ねぇって!」
気が付けば自身を取り乱しながら、蹲る佐藤の体を支えるように押さえていた。
佐藤はそんな美加の言葉に応える事無く、六度目の切腹で意識を失ったのか、そのまま前のめりに倒れ込んだ・・・・・・。
佐藤と美加の様子を耳にしていた人達は、ただただ黙って息を呑んでいた。
『・・・・・・こにいるの・・・・・・ん事しなさーい!』
そこに甲高い男性の声が混じり始めた。踏む足音も。その音声は徐々に明瞭になっていく。
遂に現場に五木と田中が到着した。そこで二人が目にしたのは、ぐったりと前屈みで蹲る佐藤と、両手が血に汚れながら彼にしがみつく美加だった。
少女は二人に気付き、次第にその張りつめた頬に溢れてくる涙を伝って緊張が緩んでいくように顔を震わせ、
「・・・・・・・・・助けて」
と、弱々しくも、悲痛の声で訴えた。
五木も少女の訴えに形容しがたい表情を浮かべ、小走りで美加に寄り添う。
そして彼女を優しく、強く抱き締め、
「あなたは一人じゃないのよ・・・・・・・・・あなた達は、一人じゃないんだから!」
勇気づけるように、美加と佐藤に何度も何度も言葉をかけた。
自分とは何の関係もない赤の他人である五木の温かさに触れた美加は、寄り添うようにその身を預けて泣いた。佐藤の震えた指先は、射した光へ向かおうとしていた。