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ビルの脱退後、ライク・ア・ローリングストーンは新しいベーシストを迎えずに作品を作り、ツアーに周りました。
「ビルはバンドを去ったわけじゃないからな。あいつの代わりが出来るベーシストはいない」
しかし、作品にもツアーにもベーシストは必要です。ベースがなければ、彼らの音楽は平坦なものになってしまいます。
「どうして彼を使っているんだい? 彼のベースは、上手すぎる」
サポートとしてベースを弾いているのは、ダリル・パストリアスです。言わずと知れた大物ベーシストで、世界一の名に相応しい技術を持っています。僕も彼の作品は好きで、よく耳にしています。しかし・・・・
「ビルの変わりは見つからない。それが答えなんだよ。ビルの真似をしたベーシストは大勢いるさ。けれどそんな連中をバンドに入れてみろよ。それこそつまらないものになってしまう。だったらいっそ、真逆をと考えただけだ。ダリルは最高のベーシストだ。ライブ中に俺たちがどんな行動をとっても、ダリルならついてこられる。他にはいないんだ。俺はダリルが適任だと感じている。チャーリーだってそうだ。以前と変わらず、楽しそうに叩いているだろ?」
僕にはやはり、ダリルの演奏がライク・ア・ローリングストーンには不釣り合いに感じてなりません。正式なメンバーでないのが救いにはなっていますが、ファンからの評判もいいとはいえません。
「だったらロンに弾かせてみればどうだい? ロンのベースは、素晴らしいよ」
「それも考えたさ。スタジオでは試したことがある。けれど少し、違うんだ。ロンのベースは、なんというか、変なんだよ。フー・アー・ユーのベーシスト、ジョンによく似ている。つまりは変態ベーシストだな」
フー・アー・ユーはライク・ア・ローリングストーンが世に出てからすぐ、西の大陸から出てきたバンドです。暴力的なライブが人気となっていました。その言葉が、若者から熱狂的に受け入れられていました。当時の世界に対しての怒りに満ちたその言葉は、世界を支配していた会社からは脅威とみなされていて、厳しい規制を受けていました。そのためか、フー・アー・ユーは今でも世間的には有名にはなれずにいます。僕としては、あまり好きなバンドではありません。その言葉があまりにも直接的で、時にはただの悪口にしか聞こえないからいです。しかしその音楽そのものは、悪いとは思いませんでした。
「それでもダリルよりはよかったんじゃないのかい?」
「そいつは違うな。俺はダリルのベースが好きだ。ロンのベースより、しっくりとくる。それにな、ロンがベースを弾いたら誰がギターを弾く? 正直言ってな、ロン以上のサイドギターは見つからない」
それは事実です。僕の好みとは言い難いのですが、ロンのギターがなければ、それはもう、今となっては、ライク・ア・ローリングストーンの曲ではなくなってしまうのです。
「けれど心配はするな。ダリルはあくまでも、サポートだ。あいつにはあいつのバンドもあるからな」
二千九百五十一年十二月一日、ダリル・パストリアスはこの世に生まれました。下流階級の家庭に育ち、子供の頃から地下での音楽に触れていました。両親の影響があったわけではなく、家の近所に音楽の街があり、ダリルに取ってそこは遊び場の一部だったのです。ダリルは始め、ドラムを演奏していました。小学生の頃に地下でのライブを見ていて興味を持ち、触らせてもらったのがきっかけです。当時はまだ子供が楽器に興味を持つのは珍しいことだったので、大人たちは面白がり、叩いてみるかと誘いをかけました。
「あの言葉は嬉しかったよ。あそこから僕の音楽人生が始まったんだ」
ダリルは物覚えがよく、器用でした。あっという間にドラムを習得し、大人たちよりも上手になりました。中学生の頃には、すでにステージに上がって演奏をしていました。
「けれど少し、調子に乗ったんだな」
ダリルは運動神経もよく、学校でサッカーをしていたといいます。世界の大会にも地域代表のメンバーとして選ばれるほどの逸材でした。しかし、練習中に足の怪我をしてしまい、その選手生命が断たれてしまいました。
「地獄の日々だったよ」
その怪我で断たれたのは、選手生命だけではありませんでした。ドラマーとしての生命もが断たれてしまったのです。
「けれど僕は、当時から楽観的な人間でね。兄の影響かな? ドラムがダメならベースを弾こう。すぐにそう考えたんだ。ベースを始めたのは、兄よりも僕が先なんだよ」
ダリルには双子の兄がいました。当時はすでに亡くなっていのですが、今でも人気が衰えず、ベースの神とまで呼ばれています。普段の僕はああいう音楽は聴かないのですが、彼の作品は魅力的で、今でもたまに、心が疲れた時などに好んで聴いています。
「兄は僕が怪我をしたから、ドラムを始めたんだよ。それまでは音楽好きではあったけど、サッカーの方に夢中になっていたからね。けれど怪我をした僕を見て、僕の代わりにと、思ったんだろうね。兄もサッカーは上手だったよ。僕と同じに代表のメンバーだったからね。けれどそんな兄もまた、僕と同じ怪我をしてしまったんだ。ついてないよな。当時の世界は、二人の偉大なサッカー選手を失ったんだ。と当時に、未来のドラマーをも失ってしまった。兄のドラムもまた、素晴らしかった。兄と一緒に演奏をするのは、刺激的だったな。後の姿からは信じられないほどに激しいドラムを叩いていたからね」
ダリルはベーシストとしてデビューをすると、すぐに人気を得ました。色々なバンドから誘いを受けて、サポートとして活躍していました。
「まさか兄もベースを始めるとは思わなかったよ。それもああいう形でね。悔しいけど、兄は天才だね」
ダリルがデビューをしてから数年後、双子の兄もデビューをしました。ソロでの、ベースだけの作品でした。当時はすでにブライアンのソロが発表された後で、音楽だけの作品も多く登場していました。しかし、ギターだけというのはあったのですが、ベースだけというのは革新的でした。当時ベースはリズム楽器として認知されており、ギターとのユニゾンはあっても、ベースが先頭になって曲のメインとなるメロディーを奏でるという発想はありませんでした。曲中でさえ、ベースでソロをとるということはありませんでした。今でこそ普通になっていますが、それを始めたのが、ダリルの兄だったのです。
「一時は兄の真似をしたこともあったけど、それが無意味だと気がついたよ。兄には勝てない。死んでしまった今でさえ、一番は兄なんだよ」
二千九百八十七年九月二十一日、ダリルの兄が亡くなりました。当時はすでに違法になっていた薬物に手を出し、過剰摂取で死んでしまいました。
「兄はライク・ア・ローリングストーンのファンだったよ。一度は一緒にライブをしたいと、よく言っていたね。その願いは叶わなかったけど、こうして僕がサポートとして参加していることを知ったら喜ぶだろうね。僕はいつか兄に会って自慢をするつもりだよ」
僕は少し、ダリルのことが好きになりました。