悪役令嬢の異常な愛情 または私は如何にしてざまぁするのを止めてもふもふを愛するようになったか
誰にとは言わないですが謝っておきます。
ごめんなさい。
「トレイシー・ストレンジラブ公爵令嬢!……お前を未来の王妃として迎え入れるわけにはいかない!王太子タージドソンの名をもって、この婚約を破棄する!」
わたくしの名はトレイシー・ストレンジラブ。
今、王宮の庭で行われているガーデン・パーティーでスタンリア王国の王太子であるタージドソン殿下から婚約破棄を突きつけられていますわ。
「お前が聖女アンヌにした悪行の数々、余に気づかれぬとでも思ったか!
斯様な者を王室に入れる訳には行かぬ。余はここにトレイシー・ストレンジラブとの婚約を破棄し、婚約者の罪を贖罪すべく、アンヌ・スコットを新たな婚約者とする!」
「タージドソン様っ!」
アンヌ・スコットと呼ばれた聖女という名には似つかわしくない肩出しの華美なドレスを身に纏った女がタージドソン殿下の左腕に抱きつく。
非常識な行為ですが、周囲に意識をやってもそれを咎めるような視線はないわ。
王太子派と、平民であったアンヌを聖女に祀り上げ王族と婚姻させたい教皇派で周囲を固めていますわね。
わたくしはため息をつき頭を下げました。
「婚約の破棄、承りました」
わたくしは精一杯動揺を表に出さぬよう淑女の礼を取ります。
「うむ、ではアンヌにお前の犯した罪を謝罪せよ」
それは困りましたわね。何に謝罪したら良いのかしら。
「殿下、わたくしは彼女に罪を犯していませんわ」
「なんだと!言うに事欠いて貴様!アンヌは貴様の心無い言葉に酷く傷ついたんだぞ!」
「怖かったです、タージドソン様……」
殿下が怒りを露わにし、アンヌが殿下を見上げ、瞳を潤ませます。
「ああ、言葉ということは彼女とお話しした時でしょうか?『貴族も多く在籍する学園に通うのだから言動には気をつけなさい』とぐらいしか会話した記憶がありませんわ」
「そうですわ!でも、もっとわたしを見下すように言われました!とても傷ついたんです!」
「そうだ、悪役令嬢め、謝罪せよ!」
なんだこいつら。馬鹿ですわ。
「なんだこいつら。馬鹿ですわ」
「なんだと!」
おっと、つい口に出してしまいましたわ。
「仮にわたくしの言葉が彼女を傷つけたとして、それは彼女が平民であった時のことですの。罪と言われるほどのものでは到底ありえませんわ」
「余の愛する者を傷付けて罪ではないと抜かすか!」
殿下が叫ぶのでわたくしも声を張り上げます。
「婚約者がありながら、他の女性に懸想するのはそちらの有責ですわ!」
その時、わたくしの感情の昂ぶりによって、わたくしの魔力拘束の1つが外れてしまいました。
放出される魔力、それも死を強く想起させる攻撃的な魔力が周囲を威圧します。みな顔を青褪めさせたり、膝を突いたりしました。
わたくしはあわてて魔力を引っ込めます。
「貴様、魔力も持たぬ無能であるはずでは。なにをした……」
「冷静さを欠きましたわ。御前失礼いたします」
タージドソン殿下の問い掛けには答えず、踵を返します。
視線の向かう先に立っていた令息や兵たちが慌てて道を空けました。
わたくしは会場であった庭園を抜け、王宮の庭の小道を歩きます。
人目に付くのがいやで、城の回廊には戻らずそのまま別の庭に。
わたくしはこのスタンリア王国で最も大きな魔力を有しています。ただし、魔術師ではありませんの。ええ、わたくしの魔力は厳重に封印されているので。
その理由は、わたくしが適性のある魔術系統に問題がありますの。それは『原子力系統』。ええ、神代の文明を滅ぼしたとされる滅びの焔に至る系統。わたくしはこれが扱えることが判明してから、魔術を学ぶことを禁じられましたわ。
でもわたくしのその強大な魔力を王家の血統に組み込むために、陛下からの要望でタージドソン殿下と婚約が結ばれたというのに。
アンヌと言いましたか。彼女が珍しい聖属性の魔術を持とうとも、そもそも魔力量はわたくしにはとうてい及ばないし、元平民として碌な教育を受けていない状態ではわたくしに敵うはずもない。
宮廷魔術師長も武闘派の枢機卿もいないようなあの場においてなら、わたくしが魔力を解放すれば全員殺してしまうことも容易かった。
なんなら今から戻って全員……。
いやいや、殺意に身を任せるなど貴族令嬢としてはしたないですわ。
……でもあのくそ王子たち、わたくしのことを悪役呼ばわりしたんですよね。……悪意が魔力の形をとってわたくしの周りに旋風を起こします。
「にゃー」
しかしその時、足元で黒猫の鳴き声が聞こえました。
「猫さん……」
猫さんはわたくしのドレス飾り紐が気になる様子ですの。手を猫ぱんちの構えにしてこちらを眺めています。
王宮では建国王スタンリーが猫好きだったという故事をもとにたくさんの猫が飼われています。
わたくしは屈み込んで飾り紐を差し伸べました。
「お前はいいね、人間のような地位など持たずに自由で」
猫さんは紐にじゃれ付きつつ、黄色い目に縦長の瞳をわたくしに向けます。
「にゃー」
「ああ、なんかもう全てが面倒だわ……〈変身:猫〉」
多重の魔力の封印のうち、わたくし自身の意思で解除できるごく一部を解放して、昔覚えた魔術を全力で使います。
ぼふんとわたくしの体が煙に包まれたかと思うと、地面に寝転んだかのように視線が低くなりました。
正面には目を丸くした黒猫さん。
わたくしは回廊から庭園へと歩き、池を覗き込みました。
水面に映るのは青い瞳にピンクの鼻、白い体毛のほっそりした体。尻尾はするりと長くわたくしの体にからみつく。
かーわーいーいー。
自分の体ながらとても可愛いわ!
隣に先程の黒猫さんが擦り寄り、わたくしの顔をぺろりと舐める。
にゃーん。
互いの首を擦り合わせる。
もふもふ。
ほんのすぐ後に、王宮の回廊を国王陛下や宰相たちがばたばたと走るのが見えた。
わたくしの魔力の一段目が解放されたことと、突然の婚約破棄騒動に大慌てで走っていくのでしょう。
わたくしは庭でころりと寝転がってそれを眺める。
ん、ハル・チャンドラー宮廷魔術師長ですわ。彼はここで渦巻く魔力の残滓に触れ、ぎょっとした顔できょろきょろと周囲を見渡すも誰もいない。
先を行く者に促されてパーティーの会場へと向かいました。
にゃー。
猫の体になって数日。復讐する気も恨む気持ちもおきないの。
だって1日の大半を眠っているから。
うとうと、うとうと。
ええ、王宮はてんやわんやみたいね。
それはまあ公の場で王の裁可を得ずに王太子が公爵令嬢に婚約破棄なんて宣言して、その直後に公爵令嬢が行方不明なんだから。
もふもふ。
わたくしは寝ている黒猫さんの上に頭を乗せてごろごろと喉を鳴らす。
黒猫さんは迷惑そうな顔で一瞬こちらを見るも、すぐにまた目を閉じた。
公爵令嬢としての嗜みも、煩わしい人間付き合いもない生活。
コルセットも、王太子妃としての教育も監視もない生活。
ごろごろ。
「はい猫ちゃんたち、ご飯ですよ!」
庭猫たちの世話をする担当のメイドが餌を置く。
頭をのせている黒猫さんが立ち上がり、わたくしの体がずり落ちる。もー。
わたくしも皿へと向かうと、メイドがじっとこちらを見ている。
わくわくした瞳だ。ヘーゼル色の瞳が輝いている。
「白猫ちゃんいつからここに紛れているのかしら。おいでおいで」
わたくしに向かってちちちと舌を鳴らし、指で招く。
ふん、公爵令嬢を指で招くような不遜な態度で呼びつけられると思っているのかしら?
「むむむ、ではこれで……」
彼女は懐から猫じゃらしを取り出す。
ふりふり。
くっ、そんなもので釣られると……。
隣の黒猫さんが、皿で餌にかぶりついていた三毛猫さんが、メイドに飛びかかっていく。
「ほら、もう一本」
ふりふり。ふりふり。
わたくしもーー!
……くっ……本能には勝てなかったよ。
数分後、わたくしは他の猫さんたちと共にメイドの熟練の技で撫で回されて、お腹を上にして寝転がっていました。
そしてさらに数日後。
わたくしの体がひょいと抱え上げられる。
「メイドから見知らぬ猫が紛れ込んでいると聞きましたが……何をやっているのです。レディ・ストレンジラブ」
金の御髪の下。片眼鏡をのせた端正なお顔から灰色の瞳がわたくしを覗き込みます。
ハル宮廷魔術師長ですわ。
「にゃーん」
「にゃーんではありません」
わたくしは小首を傾げる。
「みぃ……?」
「くっ……、みーでもありません」
ハル魔術師長は庭の楡の木の根元に座り込むと、わたくしを膝の上に乗せました。
「いいでしょう、猫のふりを続けられるなら、わたしも独り言として話しますのでお聞きなさい。
タージドソン殿下は国王陛下に叱責されていますよ」
魔術師長の手がわたくしの背中を撫でていきます。
「当たり前です、どれほど優秀な聖女とて貴女の力には敵わない。万一争いともなれば癒す間も無く全て殺されてしまうのだから。
まあ、アンヌとかいう女の魔力は歴代聖女と比べて雀の涙のようなものしか無いようなので論外ですがね」
まあそうですわね、彼女からはろくな魔力も感じませんでしたので。
「にゃー」
「殿下はそんな貴女の力を王家に取り込むための婚姻だったという自覚がないようでした。この後、教育係や側近の首が切られることでしょう……物理的に」
あらあら。
「なーご」
「ただ、これに関しては陛下や私たちも反省しています。貴女の力を強く多重に封じてしまったことで、普段の魔力がほぼ感じられない状態にまでしてしまっていた」
まあ、それは当然のことと思うのですけどね。
わたくしはごろごろと魔術師長の手に喉を擦りつけます。
痩せ気味で、魔力を蓄えるために髪を伸ばしているため女性にも見間違えられるという魔術師長の手は、それでも男性的でありごつごつとしていました。
「〈解呪〉しますよ」
わたくしは身を捩って逃げ出そうとしますが、しっかりと抱え込まれています。
ハル魔術師長の手から白い光が発せられ、わたくしの身体に浸透しますが……何も起きませんでした。
「……やはりわたしの魔力では貴女には及びませんか」
無念そうな表情でこちらを覗き込みます。
「また来ます」
「にゃーん」
ハル魔術師長はわたくしを芝生の上に優しく下ろすと立ち去りました。
数日が経ちました。わたくしはまだ猫としてごろごろと日々を過ごしていますの。
よくやって来られる人間の男性がまた今日もみえて、わたくしを抱きかかえて座りました。
「タージドソン殿下は謹慎となり、アンヌとかいう聖女もどきは淑女としての教育を受けることとなりました」
あらまあ。
「殿下は彼女の教育が終わるまで謹慎とのことですが、彼女では教育がまともに進むようには思えませんしね」
「にゃー」
「ストレンジラブ公爵、あなたのお父様は領地へ帰ると近隣諸侯を取り纏めています。軍事行動を起こそうとしていることを隠しもしません」
まあまあ。
「レディ・ストレンジラブ。あなたは〈変身〉の魔法を維持し続けることが危険だとご存じのはず。一時的な変身はともかく、永続的な変身は貴女の知能を獣に近づけていきます」
まあ。
「猫の体では人の魂を、猫の頭では人の知恵を維持できぬのです。
貴女がわたしの言葉を理解できなくなった時、ただの猫となってしまうことでしょう」
「にゃー」
男性がわたくしを抱く力が強くなったので、するりと抜け出して駆け出します。
彼は哀しげな瞳でこちらを眺めていました。
たかいところをととととあるいてぴょん。
くろいのとはなをあわせてあいさつ。
もふもふ。
おきにのこかげでごろごろ。
ちょろちょろねずみ!
はしっておいかける。
わたしつかまえるのへた。
けっきょくみけのがつかまえた。
むむむ。
どやがおされた。
にゃー。
めいどがたべものおさらにもってくる。
ごはん!
もぐもぐ、もぐもぐ。
めいどのうしろにおとこのひと。
はるまじゅちゅちちょー?……なんだっけ。
かなしそうなおかお。
めいどがふりふりとみどりいろのものをふる。
!
ぴょんととびつく。
むふーつかまえた。
がじがじしてるとひょいともちあげられる。
にゃー。
なによー。
おとこのひとはめいどとなにやらはなすとわたくしをかかえたままあるきはじめた。
おしろのなかきらきら。きれい。
おっきなへやのなかでわたくしをだいてるひとがはなす。
なきくずれるひとやうつむくひと。
おとこのひとにかかえなおされる。
かれのからだがぴかぴかした。
まじゅちゅ。
つよいまりょく、それにいのちのほのお。
おとこのひとはわたくしのかおにおかおをちかづけ、はなさきにくちびるでふれた。
まりょくがながれこんでくる。
わたくしのからだがけむりにつつまれて……。
「ご機嫌よう、皆さま」
あの婚約破棄された日の人の姿に戻ったわたくしは呟きます。
「レディ・ストレンジラブ!」
陛下が声を上げます。
「奇跡だ……」
ハル魔術師長が崩れ落ちました。
「トレイシー!」
お父様、お母様が顔を涙でぐしょぐしょにしながら抱きしめます。
「ふふ、お父様、お母様。ただいま戻りましたのよ」
わたくしは2人に抱かれながら疲労困憊のハル魔術師長に話しかけます。
「ハル魔術師長、奇跡でもなんでもありませんわ。貴方が全魔力を使い果たすつもりで解呪をかけたからですのよ」
ハル氏は首を傾げました。
「わたくしの魔力の封印の半分以上が解けたということですの。わたくしの魔力が解放されたら猫の身体で受け止めることなどできないのはわかっていましたから」
「……なるほど」
「それより……」
わたくしは頬を染めてハル魔術師長に告げます。
「未婚の令嬢に口づけしたご責任はとっていただけますか?」
「猫じゃん」
「猫でもです」
「……喜んで」
こうして、全ては終わりました。
わたくしは陛下の謝罪を受け入れ、もはやタージドソン王太子殿下にも聖女アンヌにも何も求めませんでしたが、お父様は公爵領を公国として独立することを求め、小さな国家、ストレンジラブ公国ができましたの。
公国は小さいですが、ハル魔術師長はじめ多数の王宮魔術師がこちらに移住していただき、魔術の研究を行っていただけています。
そうしたらわたくしの魔力と、高名な魔術師であるハル・チャンドラーの名に惹かれ、世界から魔術師たちがこの小さな公国に集まりはじめました。
わたくしも改めて魔術を学び直していますの。
王太子殿下と聖女様?
彼女、アンヌは淑女教育の最中に取り巻きの令息と不義密通をしたとのことで冷めた夫婦になったと伺いました。
公国独立の顛末は広く知られ、国民からの王家の支持も失墜したとか。
公国のわたくしの部屋から窓の外を眺めます。
今朝は良い天気ですわ。
尖塔の上には公国旗。
ストレンジラブ公爵家の紋章に白黒の猫が描かれたそれが翻ります。
「にゃーん」
わたくしが呟くと、背後から抱きしめられました。
「ふふ、トレイシーは猫が抜けないのかな」
「ええ、愛しきもふもふたちですもの。ハル、貴方の次ぐらいに愛していますわ」
そうそう、あのメイドと猫たちもいただいてきたのでした。
もふりに行かなくては。ハルと一緒にね。
Lady Strangelove or: How I Learned to Stop Zamaaing and Love the MofuMofu