幸せな幻想世界
A氏の生活は満ち足りていた。
彼は仕事では上司から信頼され、同僚には頼りにされていたし、家に帰れば美しい妻と可愛い息子が笑顔でA氏の帰りを待ちわびていた。
そんな順風満帆な人生を送る彼だったが、唯一の満たされない物があった。
それは刺激だ。彼は順風満帆の人生だからこそ波乱に満ち溢れた冒険に対する欲望が人一倍強かったのだ。
そんなA氏はフルダイブ型のVRゲームをプレイすることが何よりの楽しみだった。
フルダイブ型のゲームだと英雄となって世界を救うこともできるし、戦闘機のパイロットになってドッグファイトを楽しむこともできる。
当然そこに命の危険はないし、何より飽きたらログアウトコマンドさえ口にすればすぐにログアウトできるのだ。現実の刺激不足になやむA氏とってフルダイブのゲームは最高の娯楽だった。
そしてA氏は今日もいつものようにVRゲームをプレイしていた。
彼の目の前には討ち滅ぼされた魔物達と魔王。すぐ後ろには美しいお姫様が泣きそうな視線でA氏を見つめていた。
「ついに、ついに魔王を討ち取ることができました!」
「ああ! やっと、やっと倒す事ができた!」
「貴方のお陰で世界は救われます。本当に、本当にありがとうございます!」
A氏は勇ましく手に持った剣を掲げ、頼もしい笑みを浮かべた。
たった今、A氏が魔王を倒したことにより世界が救われた。そのお姫様が流す涙はまさしく本物で、これがゲームであることを忘れさせるほど美しい滴が彼女の頬からこぼれ落ちる。
そしてぞの瞬間、彼を中心に青い光が迸る。これはログアウトの際に発生する光で、つまりこれでこのゲームはゲームクリアということだ。
だがその光を見た姫様は焦ったように首を振った。
「だ、ダメです行かないでください! まだ貴方には何も、何もお礼をできていません!」
「すまない姫様。俺は行かなければなりません」
このログアウト時に発生する光を逆手に取るとは、なかなかいい演出をするじゃないか、とA氏は内心舌を巻いていた。
「さようなら。お姫様。また会う日まで」
「いやです! 行かないで!」
「なかなかいいゲームだった」
そして彼は現実へと引き戻された。
ーーーーーーーー
A氏は今の余韻に浸りながらゆっくりと体を起こした。すると愛しい息子が彼の目を覗き込みながら話しかけてくる。
「おかえりパパ。今度はどんな内容のゲームだったの?」
「凄かったぞ。今回は剣と魔法の世界だ! パパは勇者として世界を救ってきたんだ!」
「すごい!」
彼はいつもVRゲームから戻るとその内容を息子に即座に伝えていた。フルダイブ型のゲームは言わば夢を見させるような物なので、時間が経つにつれその内容を忘れてしまうのだ。
だからこそ彼が息子に自分が体験したことを伝えるのは自分自身のためでもあった。
「すごいなぁ。早く僕も大きくなってVRゲームをプレイしたいや」
「ははは。お前はまだ小さいからな。大きくなったらプレイさせてやる」
「本当!? 約束だよ!」
「あぁ。もちろんだとも、愛する息子よ」
このゲームは子供に悪影響を及ぼす可能性が捨て切れていないため子供のプレイは許可されていないのだ。
そしてぞの無邪気な瞳を若干曇らせながら、息子は口を開く。
「でもパパ、もしそのゲームからログアウトできなくなったらどうするの?」
「ははは。それはないよ」
「どうして? もしゲームが故障したらゲームの世界に取り残されちゃうんじゃないの?」
「大丈夫さ。VRゲームには全て強制ログアウトが実装されているからね!」
「強制ログアウト?」
「そう。どんなゲームでもある特定の行動をとれば絶対ログアウトできるんだよ!」
そう言いながらA氏は両手の拳を握りしめ、自分の頭頂部を軽く5回小突いた。息子は不思議そうな顔でA氏を見つめている。
「あはは変なの。お父さんが自分の頭を叩いてるよ!」
「あはは、だろ? だけどこうやって5回頭を叩けばどんなゲームでもログアウトできるように共通のプログラムが埋め込まれてるのさ! だからお前が心配しているようなことは起こらないよ」
「そーなんだ! よかったよ。大人になるのが待ち遠しいなぁ」
「さぁ、大人になるためにも早く宿題を終わらせるんだ!」
「えー! それとこれとは関係ないよぉ」
A氏は朗らかに笑いながら息子の頭を撫でた。
やはり現実もいい物だなと彼は思った。
だが次の瞬間青白い光の粒子が彼を中心に溢れ出した。