4.ビーズワーク
「あ、ここだよ、手芸屋さん」
九階建てのビル。自動ドアを入ると、暖かな空気が体を包んだ。
「うわぁ、キラキラ一杯、です!」
予想通り、というか、雪羽は目を輝かせて喜んだ。一階はビーズでなく布を扱うフロアだ。しかし彼女はこのフロアを見て回りたくてウズウズしているようだ。
「ビーズを扱ってるフロアは八階。私、先に行って必要なもの買っちゃうから、他の階とか、見てて良いよ」
そういうと、嬉しそうに返事をして、布に寄って行く。
中学生にしては、少し子供っぽい。それに、今までに一度も手芸店に来たことがなかったのだろうか。そうだとしたら、なかなかの箱入り娘だ。しかしその割に、人通りの少ない小道で遊んでいた。もしかして、近所に住んでいるのか。
エレベーターのボタンを押す。二つあるうち、左側のエレベーターが五階から下りて来た。チン、と音を立てて開いたそれに乗る。乗客は優奈以外、誰もいないらしい。
「あぁぁ、待って待って待って下さいです!」
閉のボタンを押そうとしたとき、ぱたぱたと雪羽が乗り込んで来た。彼女が駆け込んだところで、丁度扉が閉まりだした。
「どうしたの? 見なくて、いいの?」
「いいです! 今日は優奈さんについて行くと決めたのです! ……危うく、キラキラに惑わされてしまうところだったのです」
魅力的なものがたくさんあった上、それを見て回るお許しがでちゃたからつい、そっちへ行ってしまったと。やっぱり、見た目以上に子供らしい。
無意識に彼女の頭をなでていた。
「ほぁっ、何ですかっ?」
「ううん、何でもないよ」
あぁ、可愛い。和んで、とても温かな気持ちになる。
「あぁ、いや、良いことだよ」
「そうですか……? なら、良かったです」
まぁ、そもそも、頭を撫でるという行為で、そんなに悪い感情を抱いているわけもないが。しかし、雪羽は満足そうに、嬉しそうに頷いたから、いい。
たとえ下らない問答だったとしても、それを嬉しく感じてもらえるのなら全然いい。
先ほどと同じく、チンという音を立てて扉が開いた。
八階。ビーズ用フロア。
広々としたスペースに大量の棚が並び、そこに小さな袋に分けられたビーズがかけられている。あまりの種類の豊富さに、最初は圧倒されたものだ。
雪羽も優奈と大差ないようだ。呆然として辺りを見回している。しかし、優奈と彼女の違いは、その後の反応にあるだろう。
「キラキラが一杯ですっ! 色々ありますっ! 沢山ですっ! 目移りがしてしまいますですっ!」
そう言って雪羽は棚に駆け寄り、色々なものに手を伸ばした。
優奈には半歩退いて、まずは初心者用キットのある棚を探した記憶があった。なんだか恐れ多い気がしたのだ。
はしゃぐ雪羽をそのままに、優奈は自分の求めるものがある棚を探した。探すことにも慣れて、求めるビーズの色と大きさ、形、素材など、必要な情報を元にすぐに探し出せるようになった。
袋をとり、手近にあった買い物かごにそれを入れる。ビーズようなので、買い物かごはスーパーなどにあるものの三分の一という小ささだ。
最低限必要だったものの後、他にも色々と欲しいものをかごに入れていった。そういえば、テグスが少なくなっていたな。クリスマス用のキットは今買っておかないと、今後種類が少なくなってしまう。
かごが一杯になり、優奈がようやく落ち着いたとき、雪羽がビーズワークの教科書がおいてある棚を見ているのに気がついた。
「欲しいの?」
尋ねると、雪羽はこくりと頷く。
「ただ、本にも沢山の種類がありますですから、困っているです。どれがいいのかわからないです」
確かに、『初めてのビーズワーク』という題名のものだけでも二三冊ある。悩んでしまうのも尤もだろう。
「私はこれを初めて読んだなぁ」
一冊とって、雪羽に渡してやる。完全な初心者のためのハウツー本。ビーズとは何か、という定義から始まって、簡単なレシピがいくつか載っている。
「でも、それは結構細かい知識まで書いてあるから、もし少しやってみよう、って思ってるだけなら、こっちの方がいいかも」
そう言ってもう一冊、雪羽に渡す。
こちらは工具の説明、レシピを読むために最低限必要な用語の説明が載っている。初心者用のアクセサリーを一つ二つ作るくらいなら、こちらで事足りるのだ。値段もこちらの方が安い。
「ん〜……」
しばらく悩んだ末、彼女は最初に手渡された方に決めたらしい。もう一冊を棚に戻した。
「こっちにしますです。何かキットも買いたいので、見繕ってもらえますですか?」
「もちろん」
手芸屋から出たとき、優奈の手には袋が一つ、雪羽の手には本屋で買った分のを含めて三つ、袋がぶら下がっていた。
雪羽はハウツー本に、初心者向けキット、それに必要な工具一式をいっぺんに買ったのだ。キット内のビーズが傷つかないようにとの配慮のため、工具は袋が別にされている。
しかし、いっぺんにそれだけのものを買うだなんて、どれだけのお金を所持していたのだ。今から浪費癖をつけているのなら、将来が少々不安になる。
時刻は六時半。完全に夜の帳が下りている。しかし、繁華街であるこの街は逆に、夜になって明るくなった印象を受けた。
「雪羽ちゃん、時間大丈夫? あんまり遅くなると親御さん、心配するよね?」
「大丈夫です。えぇと、我が家は放任主義なのです」
たとえ放任主義でも、娘を夜中に外に出しておくのは、あまり良くないと思うのだけれど。
「それより、私は優奈さんにビーズワークを教わりたいのです」
それより、か。なんだか、色々と不安な子だ。
「わかった、いいよ。でも、九時には私が帰らないといけないから、それまでね」
「はいっ!」
雪羽はにっこり笑って、頷いた。




