脱出
「大丈夫、丸刈りにすれば、また元気に生えてくるよ」
と、愉快そうにトラさんが言う。
「髪の毛の心配はあとだ。皆、階段の横に移動するんだ。階段を後にしていると、背後からやられる」
階段室の半分は、自転車置き場の様な空間で、子供用自転車が3台停まっているだけ。その子供用自転車をどかし、3方向壁に囲まれた空間に10人近くがギュウギュウ詰めになった。
俺達は壁を背にして、自衛隊員たちが俺達の目の前に盾になるようにして立っている。
「こうすれば前からしか攻撃が来ない。さっきのガスバーナー、まだガスはあるか?」
「あります」
「じゃ、先頭の2人に渡してくれ。今奴らに対抗できる唯一の武器だ」
先頭にいる自衛隊員にガスバーナーを渡す。
その時、自衛隊員のうちの一人がお笑い芸人似の彼であるのに気付いた。
お笑い芸人は、ガスバーナーを渡されると、
「使い方は?」
と聞く。
「オレンジのツマミを回して引き金を引いて下さい」
響子ちゃんの説明に従い、筒の先を下に向けて、炎が出るか確認する。青白い炎を確認すると、すぐにツマミを回して火を消した。
また銃声が鳴り響き、突然、階段室に自衛隊員が駆けこんできた。俺達を見て、一瞬、表情が緩んだが、次の瞬間、その自衛隊員の上半身を、細い触手が飲み込んだ。
響子ちゃんは、隣にいた晴香ちゃんに見せないよう両手でかかえるように抱きしめ、自分も眼を閉じて顔を伏せる。
飲み込まれた自衛隊員の銃が階段室内に落ちる。
先頭にいた自衛隊員の一人が、触手に持ち上げられた自衛隊員を追って、ガスバーナーを手にしたまま階段室を飛び出した。
「待て!」
お笑い芸人風の自衛隊員は、飛び出していった自衛隊員を止めようとした。だが、次の瞬間、飛び出していった自衛隊員もあっという間に細い触手の餌食になり、空中に連れさられてしまった。
階段室の外に、ガスバーナーが落ちている。
「隊長、自分が行きます」
お笑い芸人風は背後にいた隊長にそう告げると、自分のガスバーナーを隊長に預け、何も持たずに階段室から飛び出した。地面に転がるガスバーナーを拾う。
次の瞬間、お笑い芸人に向かって、細い触手が襲いかかった。
触手を避け、地面に転がりながらツマミを回したお笑い芸人風は、引き金を引いて、迫ってくる触手に向かってガスバーナーを放った。触手はガススバーナーの炎の前に退散した。自衛隊員が立ち上がる。
その瞬間、ガスバーナーから出る炎が消えた。
ガスが切れた。
呆然とするお笑い芸人風自衛隊員。
空中や地面を次の獲物を求めて這いまわる触手のただ中に武器もなく取り残されてしまった。
だが、生きることをあきらめてはいなかった。ガスバーナーを触手に向かって放り投げると、猛然と階段室に向かって走り出す。
ガスバーナーは、触手に当たって跳ね返った。
隊長が、触手の餌食になった隊員が落としていった銃を拾って、装填状況を確認する。
お笑い芸人風の背後に、反対側の建物から伸びてきた触手が迫り、いきなり鎌首を上げた。
「伏せろ!」
隊長が叫ぶ。
お笑い芸人風は、その場に伏せた。
隊長の銃が火を吹く。
その瞬間、お笑い芸人風を飲み込もうと口を開けかけた触手の色が変わり、突然動きが止まった。
青黒くヌメヌメしていた触手の表面は、アルミホイルみたいに白銀に光を反射して、すべすべになった。なんか、こんな彫刻を駅前で見た気がするな。
茫然とその触手を見つめるお笑い芸人風に隊長が言う。
「急げ!」
お笑い芸人風はハッと我に返ったように、階段室に逃げ込む。
隊長は、お笑い芸人風が階段室に戻ると、白銀に輝く触手に向かって、銃を放った。弾丸が当たっているが、すべて跳ね返している。
「銃がきかない・・・」
白銀に輝く触手の向こうから、何本かの青黒い触手が入口に向かってきた。隊長の銃が再び火を吹く。途端に、青黒い触手は、白銀の彫刻に変わった。銃が火を吹いた瞬間の姿のまま、まるでテレビの静止画を見ているかのように動きを止める。
「奴は、銃から身を守るために体を硬直化しているんだ。だが、硬直化は奴の動きを封じ込める。いつまであのままの状態でいるか分からないが、いつまた動き出すか分からん。ガスバーナー1本でどれだけ持ちこたえられるかも分からん。一個大隊の到着までここに留まるか。それとも・・・
「行きましょう」
隊長の言葉に、伊集院さんが答える。
そう来ると思った。
ヘタレな俺は、相当ビビっていたが、伊集院さんの決断をひっくり返すだけの理由を持ち合わせなかった。
なぜか、意味もなく響子ちゃんを振り返った。
響子ちゃんは、こっちを見ていた。響子ちゃんはぎこちなく笑って、うなづいた。
俺の腹は決まった。
「わたしが最後尾だ。できる限り銃を乱射して、触手の動きを一本でも多く止める。柿崎」
「はい」
お笑い芸人風が、背中をピシッと伸ばす。
「お前が、この人たちを先導するんだ。いいな」
「分かりました」
「藤村」
「はい」
「お前はわたしに付け。わたしに何かあった時は、お前が銃を撃ち続けるんだ」
「分かりました」
隊長はうなづき、伊集院さんの方を見た。伊集院さんがうなづく。
「行くぞ!」
隊長が先頭で飛び出し、まだ動いている触手に向かって銃を乱射する。
「ついて来て下さい」
柿崎と呼ばれたお笑い芸人風の自衛隊員は俺たちに向かってそう言うと走り出した。
俺はなぜか、いつの間にか片手に持っていたリュックをそのまま背負った。
狭苦しい階段室から飛び出す。
柿崎隊員についていこうとしたが、さすが自衛隊員。マジな走りには全然付いていけない。
俺は、響子ちゃんたちを見た。結構いいスピードだ。
後ろでは、まだ銃声がしている。あとどのくらいで弾が切れるだろう。
俺は後ろを振り返った。
何本もの触手が白銀に硬直化していた。
隊長は、乱射を止めて、俺たちの方に向かって走り出した。その時、止まっていたはずの一本の触手が突然動いた。
その先端はタコの足ではなく、ツララの先のように鋭く尖っていて、動いた次の瞬間には隊長の体を貫いていた。
隊長は銃を手放し、触手に突き刺されたまま空中に持ち上げられた。
隣にいた藤村と呼ばれた自衛隊員が銃を拾う。その瞬間、もう一本の触手が、藤村隊員を隊長と同じように脳天から突き刺した。
俺は見た。
動いている触手は先端だけが白銀に輝き、他は青黒いままだった。奴らは、触手全体でなく、一部だけを硬直化していたんだ。青黒い部分が動き回って、硬直化した先端が獲物を仕留める。どうやったら、それを止められるんだよ。
俺は正面に向き直った。
後ろを見ながら走っていた俺はいつの間にか、一番後ろを走っていた。
やべ、次は俺だ。
俺は、前方を見た。
響子ちゃんたちが、何メートルも先にあるビルの角を曲がるところだった。俺もあそこまで辿りつければ助かるかもしれない。でも、その距離は余りにありすぎた。
後ろを振り返る勇気はなかった。
その時、なぜか曲がったはずの響子ちゃんが、角から姿を現した。
何してるんだ!早く逃げろ!
心の中では思っていても、口から発する余裕はなった。
響子ちゃんが何か大声で叫んでいる。
俺は、後ろを振り返った。
一本の触手が正に俺に照準を合わせているところだった。
俺は、正面を見た。
あきらめてたまるか。俺は、響子ちゃんの姿だけを見て、走るスピードを上げた。あそこまでたどり着けば・・・。その時、角から巨大な筒のようなものが現れた。
まさか・・・。
キャタピラが地面を震わす振動。間違いない。これは・・・。
その全容を建物の角から現わすと、戦車は俺の方に向かって方向転換し、筒の角度を上げた。その先端が火を吹く。その轟音に俺は耳を塞ぎ、地面に伏せた。
凄まじい爆風が、俺の後頭部をなでていく。こりゃ後ろもチリチリかな。戦車登場の安心感で、俺の頭にはそんな言葉が浮かぶ。
砲弾の破片が、バラバラと落ち始めたのを確認し、俺は後ろを振り返った。
もうもうとたちこめる煙。
その煙が風に流された時、木端微塵になった触手の残骸を想像していた俺は愕然とした。その向こうから、さっきと全く変わらない状態で硬直化した触手が姿を現したんだ。
戦車の砲弾でも、びくともしない。
今は、青黒かった部分も白銀に硬直化している。
砲弾が発射されてから着弾するまでの僅かな間に硬直化したんだ。おまけにあれだけの爆発がありながら、触手には傷一つついてない。あの鎧はどれだけ堅いんだ。
全身を硬直化されたら、戦車の砲弾も叶わない。しかも、いつ硬直化が解かれ、動き出すか予想もつかない。
奴は倒せない。
戦車登場の安心感は、絶望に変わった。
だけど、今は立ち上がらねば。
まずは、響子ちゃん達の所まで。俺は、立ち上がり、おぼつかない足取りで、よろよろと走り始めた。
爆風の衝撃は、自分で気づかないほどに体にダメージを与えていた。ビルの角から、響子ちゃんや鈴木さん達が姿を現した。
皆、俺のこと心配して、逃げずに待っていてくれたんだ。
俺は、なんだか泣きそうになった。