殲滅
二十代男性が、俺の表情を見る。
「・・・やばいっす」
俺のその一言が、二十代男性のスイッチになった。二十代男性は、窓枠を蹴り上げ、パーテーションと天井の隙間から、トイレの中に入り込んだ。
「いや、何すんの!」
女子の絶叫。中から鍵を開ける音がする。
扉が外側に開かれる。
「さあ、急げ!ここにいたままじゃいずれやられる!すぐ逃げるんだ!」
二十代男性が女子に言う。
女子は、涙で顔がぐずぐずだったが、最近の子っぽい、誰が見ても可愛いって言える感じの子だった。
「どうした!何があったんだ!」
ガタイのいいサラリーマンも、女子トイレに駆け付けた。
「女の子がいたんですけど・・・」
俺の言葉を聞いて、ズカズカと女子トイレに入ってくる。
トイレの便器に座ったまま動かない女子を見て語りかけるガタイのいいサラリーマン。
「もうすぐ自衛隊がくる。いつまでそんなとこにいるつもりだ」
「ダメです。何言っても怖がって、動こうとしないっす」
と、二十代男性。
「すみません。それよりこっちを」
俺は、ガタイのいいサラリーマンと二十代男性を、窓に誘導した。
そこから下を見た2人は無言で、お互いの顔を見やった。ガタイのいいサラリーマンが、便器に座ったままの女子を見る。
そして、おもむろにトイレに入るや、身をかがめて両手を座ったままの女子の足と背中に滑り込ませ、一気にお姫様だっこした。
女子は、驚きのあまり声さえ上げず、だっこされた腕の中で固まっている。
「急げ!時間だ!」
ガタイのいいサラリーマンは、お姫様だっこのまま走りだした。
すげえ。
俺は、火事場のクソ力を目の当たりにした。
職員室に戻ると、まだみんなはそこにいた。
「探しに行こうとして・・・」
若いサラリーマンは言いかけて、ガタイのいいサラリーマンが抱えている女子高生を見て口をつぐんだ。
窓から外を見ていた女子大生が叫ぶ。
「ヘリコプターが飛んできたわ」
「急ごう。時間だ」
年長のサラリーマンが言う。
俺達は、職員室から出て校庭に出た。
裏のプールに奴がいるなんて言っている時間はなかった。
俺達が校庭に出た時、2機のヘリコプターが校庭に下りていた。中から重そうな箱を抱えて、自衛隊員が、十人くらい降りてくる。
「けが人はいませんか?」
自衛隊員の一人が聞く。
「いません」
年長者が言う。
「では、女子供から優先的にヘリで運びます。一度に運べる人数は3人です。あとの人は、後続で来るヘリに乗って下さい」
その会話の間に、ふと気付くと、ガタイのいいサラリーマンが、別の自衛隊員と話していた。その自衛隊員が別の自衛隊員を呼んで、何かを指示している。
ヘリへの搭乗が始まった。保育園の親子がまず乗る。
「では、次は女性。年齢が若い順です」
響子ちゃんは、俺の方を振り向いた。
次に乗るのは女子高生。
俺は女子のあとだ。俺は振り向いた響子ちゃんに向かってうなづいた。
響子ちゃんは何とも言えない表情を残して、トイレにいた女子高生とヘリに乗ろうとしたが、トイレ女子がなかなか乗ろうとしない。
「どうしたの?一緒に乗ろう?」
響子ちゃんが、声をかけて肩に手をかけても動こうとしない。
「どうしました。早くして下さい」
ヘリの自衛隊員から声がかかる。響子ちゃんは、女子大生とOLに向かって言った。
「先に行って下さい。あたし、この子と一緒にあとのヘリで行きます」
「でも・・・」
「急いで下さい。次のヘリがそろそろ到着します。それまでに飛び立たないと」
女子大生が言いかけた言葉を自衛隊員が遮る。
OLと女子大生は、後ろ髪引かれている様子だったが、自衛隊員にせかされ、先にヘリに乗った。
2機のヘリが飛び立つ。
その間に、ヘリから下ろした重火器を持って、自衛隊員の何人かが校舎の方に向かった。ガタイのいいサラリーマンが自衛隊員にプールのことを言ったに違いない。俺達がこれだけ騒いでても何も起きてないんだから、寝ている子を起こすことだけはやめてくれよな。そういう馬鹿な軍隊をよく映画とかで見るけど、現実は違う。・・・と思いたい。
次のヘリが2機、校庭に着陸した。
響子ちゃんの方を見ると、まだトイレ女子のことを説得できていないようだ。俺はたまらず、響子ちゃんに駆け寄った。
「響子ちゃん。どうしたの?」
「この子がどうしても、乗りたがらないの」
「どうして?これに乗らなきゃ、奴から遠ざかれない」
だが、女子高生は首を横に振るばかり。まるで、橋にいた時の響子ちゃんみたい。
「響子ちゃん、先に乗れ。俺がこの子を説得する」
「でも・・・」
「いざとなれば、あのガタイのいいサラリーマンさんが担ぎあげてでも乗せてくれるさ」
そんな押し問答をしている間に、1機のヘリが飛び立った。
ヤベ、ガタイのいいサラリーマンさんは?辺りを見渡すと、ガタイのいいサラリーマンさんと、若いサラリーマン、それに二十代男性の3人がその場に残っていた。
俺達を含めて6人。さて、響子ちゃんとあと2人を誰にしようか相談、と思ったその瞬間、けたたましい銃声が校庭にこだました。
・・・・やっぱり、やりやがった。
俺は、響子ちゃんの手を取って、ヘリに向かって走り出した。こうなりゃ、トイレ女子なんか関係ねえ。俺と響子ちゃんだけは何としてもあのヘリに・・・。
俺って、何て貧相な野郎なんだろ。自分大事な性格に嫌気がさしながらも、とにかくこの場を生き延びることだけ考えていた。
ヘリまであともう少しという時に、ヘリの向こう側に立っていた二十代男性が何かを大声で叫び、俺の後を指差した。
俺は止まって、後ろを振り向いた。
橋のところで最初に見たような太くてデカイ触手が校舎の脇からこっちに向かって飛んできた。
俺はとっさに橋の時のように校庭に腹ばいになった。
太くてデカイ触手は、目の前にあったヘリを叩き壊した。腹這いのまま見上げると、太い触手は、そのままうねうねと宙に浮き、先に飛び立ったヘリに向かっていった。
やばい、やられる。
助かったと油断した瞬間に急転直下、最悪のオチが待っている。そういうのは、映画の中だけにしてくれよ。
その瞬間は見たくないと思いながらも、視線を外すことができない。大きくしなって、ヘリの方に触手が飛んでいく。
だが、あと少しの所で触手はヘリを捕まえられず、空中に大きな弧を描いて空振りした。
よかった。
そう思った次の瞬間、住宅街の中から突然細い触手が現れ、ヘリに向かって飛んでいったかと思うと、ヘリの後方に絡みついた。ヘリが触手に引っ張られ、左右に揺れ始める。
急転直下の二段オチ。このままじゃ墜落しちまう。
そのとき突然、俺の頭上を轟音とともに何かが空を切って飛んでいった。細い触手の先端から5、6メートル下がった所が突然爆発する。
俺は、上半身をひねって後方を見た。
自衛隊員が、でかいロケットバズーカを肩に乗せて構えていた。もう一度ヘリの方を向くと、ヘリは体勢を立て直し、遥か彼方の上空に飛び去った。
ロケットバズーカの後ろでは、銃口がいくつも円形に並んでいる、あれ、なんつったっけな、ああ、そう、ガトリング砲を台座に設置している。
そうだよ、俺達には最新鋭の武器があるんだ。
橋やファミレスの時とは違う。
頼りない自衛隊でも、これなら奴をやっつけられる。
俺は、響子ちゃんを振り返った。
いない。
立ち上がって、辺りを見渡すといた。
響子ちゃんは、トイレ女子の所に戻って、肩を抱いて立ち上がらせているところだった。
その姿を見たとたんになんだか急に自分が恥ずかしくなり、居ても立ってもいられなくなった。
俺も何かを・・・。そうだ、あの情報を自衛隊員に伝えなくちゃ。
俺は、武器を装填している自衛隊の隊員の方に駆けていき、話しかけた。
「奴の弱点は火です」
「なんでそんなことが分かるんだ」
俺は、簡易ガスバーナーを出した。
「このガスバーナーの火で逃げていくのを見たんです」
自衛隊員が、ガスバーナーを見る。
「分かった。上を通じて、空自(航空自衛隊)にミサイルを頼んでみよう」
そう言うと、その自衛隊員は、無線を抱える通信兵の方へ駆けていった。
その時、校舎の脇から細い触手が何本も飛び出してきた。
やばい、腹這いになってる時間がねえ。
と、その時、設置が完了した3基のガトリング砲が火を吹いた。
3基のガトリング砲は、俺達と触手の間に弾丸のバリアを張り、迫ってくる触手を次々引きちぎっていく。
触手は、半分くらいの長さを残し、校舎の裏に引っ込んだ。触手が建物の影に引っ込んだことを確認すると、隊長らしき人が呼び掛けた。
「皆さん、集まって下さい」
と言っても、民間人は俺を含めて6人だけだけどね。
「これから、校舎裏にいる怪物を殲滅するため、ミサイルを撃ち込みます。ミサイルの爆発力は強力です。爆発規模も大きく危険です。安全な距離まで避難しますので、我々の後についてきて下さい」
俺は、響子ちゃんの方を向いた。
響子ちゃんは、トイレ女子に話しかけている。
ちぇっ、あのトイレ女子、「あたし行きたくない」なんて言ってるんじゃなかろうな。
俺は、響子ちゃんに駆け寄った。
「何してるんだ。まさかここから動きたくないなんて言ってるんじゃないだろうな」
ちょっと、頭に来て、キツめに言う。
「この子、トイレで怖い思いしたから動揺してるだけよ。ちゃんと、みんなについていくわ」
「みんなに迷惑かけるな。響子ちゃんをこれ以上困らせたら俺が承知しねえぞ」
「あたしは大丈夫!そんなこと言わないで!もっと怖がっちゃうじゃない!」
響子ちゃんを擁護しようとして、逆に怒られちまった。
俺は、なんとなくバツ悪くなって、2人からゆっくり遠ざかった。
俺達は自衛隊員に先導されて、室一を出た。
「彼女に怒られちまったみたいだな」
二十代男性が俺の隣に来て言う。
「俺は、鈴木」
二十代男性が名乗りを上げる。
「神埼、神埼裕也です」
「彼女のことは気にするな。こんな状況だから、カリカリしてるだけだ。元の生活に戻れば、また仲直りさ」
「俺達そんな仲じゃないです」
「え?じゃ、どういう仲?」
「橋が崩れそうになった時にたまたま助けただけで、成り行きで一緒にいるだけです」
あれ、なんでこんなに必死に否定してるんだ?
「そうムキになるなって。彼女、ポヤポヤしてそうだけど、相当しっかり者だ。外見で判断すると損するぜ」
何で、この人俺に恋愛指南してんの?
余計な御世話だ。
俺は、黙っていた。すると、
「人生にたまたまはない。お前は、彼女を助けたくて助けた。もう、その時から決まってたんだよ」
決まってた?何が?
鈴木さんに突っ込もうとしたその時、上空から轟音が聞えてきた。映画の中でしか聞いたことがない、戦闘機が空気を切り裂く音だ。
俺は、上空を見上げた。
話をしているうちに、俺達は橋から西に延びる大通りに戻ってきていた。通り沿いのビルに隠れて、室一の校舎は見えなくなった。
自衛隊員が手を挙げて止まるよう指示する。
「皆さん、間もなくミサイルが落ちます。炎はここまでは届きませんが、念のために耳を塞いでかがんで下さい」
俺達は、指示通り、両手で耳を塞ぐとその場にかがみこんだ。
次の瞬間、地面を震わす衝撃と、肌に感じる風圧を感じた。
俺は、室一のある方角を見上げた。
ビルの上に広がる青空に、赤い炎が巻きあがり、黒い煙の中に赤が溶けていく。
室一からここまで相当離れているはずなのに、そのビルの遥か上空まで炎が巻きあがるのが見えるなんて、どんだけデカい爆発だったんだよ。
まあ、あの炎のでかさなら、どんなにでかいタコ入道でもひとたまりもないだろうけどな。
終わった。
なんだか、肩から力が抜けた。
これで、全部終わったと思いながらも、何かが自分の中に引っ掛かってた。
何か、後味が悪い。
いったいその正体は何だ。
「すげえ爆発だったな」
と隣にいた鈴木さんが言う。
俺は、鈴木さんの方を見た。
鈴木さんが、響子ちゃんの方をちらりと見る。
「もう少ししたら行け。そろそろほとぼりが冷める頃だ」
そう言って、鈴木さんはにやりと笑うと立ち上がり、俺から遠ざかっていった。
俺も立ちあがって、何となく響子ちゃんの方を見た。
響子ちゃんに嫌われたかもしれない。
なんてこったい。後味の悪さの正体はこれだ。
自分の中で彼女の存在が必要以上にでかくなっていたことに気付き、俺は愕然とした。
響子ちゃんもこっちを見ていて、完全に目があった。
いつもだったらすぐ目をそらすとこなんだけど、目をそらすことができなかった。
なんか、響子ちゃんの視線が真剣だったから。
「トラックだ!」
若いサラリーマンの声で、俺は響子ちゃんから視線を外し、声のした方を見た。
橋の反対側、西の方から、濃い緑色の自衛隊仕様のトラックが、何台も軒を連ねてこっちにやってくるのが見えた。