ファミレスで
俺は、ファミレスの扉を開けた。
すぐに店員の「いらっしゃいませ」の声が聞えると思ったが、店内には誰もいなかった。レジにも誰もいない。
「すみません」
俺は、店の奥に声をかけた。
しばらく待ったが何の反応もない。
「すみません。誰かいませんか?」
さっきより、大きな声で言ったつもりだが、返事さえない。
俺は、響子ちゃんの方を向いた。
響子ちゃんの目が怯えている。
そんな目で俺を見るなよ。俺はヘタレなんだから、一緒にビビっちまうだろ。
そういや、店内に一人もいないのは異様だ。24時間営業だから、朝早くてもたいてい4、5人、ここで朝食を食べている人がいるはずなのに。
いや、テーブルの上には、いくつか食いかけの皿がある。てことは、そいつらは、何かがあって逃げたのか?
やっべ、外に出るかな。
外を見ると、車も通っていないし、人も歩いていない。
やっぱおかしい。あれだけのことがあったんだから、何があったのだろうと外に出ている人がいてもいいはずなのに、この静けさは何だ。
外か、中か。
いや、まず、警察か自衛隊に連絡だ。
「すみませーん。入りますよー」
言いながら、レジの脇から奥の厨房に入る。
中では、フライパンからももうもうと煙が上がっていた。
コンロからは火が出っぱなし。
響子ちゃんが、慌ててコンロに駆け寄り、ガスのレバーを戻した。なんで、消し方知ってんの?
「あたし、前ここでバイトしてたことあったんだ」
こいつ、テレパシストか?
いや、何か言わないと、この静けさが嫌だったんだろうな。
「なるほど。どうりで、消し方がうまいと思った」
なんのこっちゃ。消し方に技術はいるのか?ボキャブラリの貧弱さを露呈したな。
その場を取り繕った俺のトンチンカンな受け答えに、響子ちゃんはぷっと吹き出した。
「これ、明らかに調理途中で投げ出してるよね」
急に真顔になって、響子ちゃんが言う。
「店のテーブルには食いかけの皿があった。何かがあって、みんな逃げだしたのか、それとも・・・」
俺の言葉に怯えた表情になるかと思った響子ちゃんの目に、強い決意の光が宿った。
響子ちゃんは、店の中を見回して、ある棚に駆け寄ると、そこを開けて何かを取りだした。
「これ」
響子ちゃんが出してきた物は簡易ガスバーナーだった。両手に一つずつ、2本のガスバーナーを持っている。
「料理を焦がす用の調理用簡易ガスバーナー。何もないよりいいでしょ」
そう言って、一つを俺に突き出した。吸いつけられるようにガスバーナーをつかむ。
他に武器になりそうなものがないか、俺も厨房の中を見渡した。
でっかいお玉があったけど、こりゃ、人の頭を叩くくらいの威力しかないね。
包丁があったけど、出刃のままじゃ、なんかの時に自分を傷つけかねない。
結局、持っている時は安全で、いざという時役に立ちそうなのは、響子ちゃんのガスバーナーだけだった。
で、響子ちゃんの方を見ると、背負っていたリュックの中から出した紙に何か書いている。後から何書いているのか覗く。
あとでお金払います 川村響子
PS 以前ここでバイトしてました
「あとで盗んだって言われたくないでしょ」
後ろから覗いている俺を横目に見ながら言う。
どう、あたし偉いでしょ、って風だけど、この状況下でその律義さは本当に必要か?
って、それより、電話だ。電話はどこだ?
「響子ちゃん、この店の電話ある所分かる?」
「事務室ならこっちよ」
響子ちゃんが先導し、事務室に入る。固定電話があった。
受話器を取って耳に当てると、聞きなれたブーという音が鳴っていない。
「だめだ。橋の上の一撃で電話線も切られたんだ」
受話器を置く。さて、どうする。
助けを呼ぼうにも呼べないとなれば・・・。
「とにかく、他の人を探しましょうよ。お店の人ももしかしたら、店内で何かがあって逃げ出しただけなのかもしれないし」
おいおい、怖い事言うなよ。
俺たち、その何かあった店内にいるんだぜ。
その時、店の外で、何か重い物が落ちる音がして、俺の全身の毛が逆立った。
「今の・・・」
言いかけた響子ちゃんに、俺は人差し指を口に当てて黙るように指示した。
もう片方の手のひらを彼女の方に向けて、この場にいるよう指示すると、中腰で事務室を出た。
上半身をかがめたまま店の方に向かう。なぜそんな恰好したかって?頭を低い位置にした方が、なんとなく安心だったんだよね。それ以外何の意味もない。
厨房を通り抜け、レジのカウンターの陰から店内の様子を見る。
外がよく見える大きな窓。
そこから見る光景はさっきと変わりなかった。
人気のない街の風景。ほっとする一方で、じゃあさっきの音は何だったんだということになる。
表でなければ、裏?
俺は、事務室に戻った。
「響子ちゃん、この店の裏が見える窓ってある?」
「裏は、換気口がいくつかあるだけで、窓はないわ」
「ちなみのこの店の裏に、何か大きな音を立てそうな物、山積みになってなかった?」
「分からない。裏なんて行ったことなかったもの」
「裏に出られる扉ある?」
「こっちよ」
響子ちゃんに案内されて、扉の所まで行く。
扉のノブに手をかけたが、何かそれを回すのがためらわれた。やっぱり、何もないことが分かっている表側からそっと回り込もう。
「やっぱり、表から外に出てみる」
ヘタレなことの言い訳を吐いて、俺は店の表に向かった。
店の正面扉をゆっくり開けて、外に出てみる。
壁沿いに裏側に回り込もうとした俺は、駐車場で何かが動いたのを感じ、ぎょっとして立ち止まった。
太陽が昇り、駐車場は半分が建物の影に覆われていたが、その建物の影から一本、木のような影が飛び出していた。それは、怪しくしなり、明らかに木の影ではない事を俺に教えくれた。
やめてくれよ。お前いったいどこから出てきやがったんだよ。
俺は、店の屋根の方を見た。
橋の時よりはだいぶ細い触手が、太陽の光を受け、黒いシルエットになって空に伸びていた。
俺はすかさず、店の中に飛び込んだ。
店の中にいた響子ちゃんに叫ぶ。
「事務室だ!」
ドンくさい風貌に似合わず、踵を返す素早さはなかなかなもんだ。俺も響子ちゃんの後を追って、事務室に飛び込む。
事務室の扉は、内側に開くようになっていた。
外から押されれば、すぐに開いてしまう。だが、扉には横にひねってかける鍵が付いている。俺はためらわず鍵をかけた。
扉から離れる。
その時、ドン、と扉に何かがぶつかる音がした。
大丈夫だ、鍵で何とか抑えられてる。と、思ったら、次のドン、で、扉が内側にのめりこんだ。
鍵の部分が、ほとんど取れかけてる。
次の一撃で開いちまう。
俺はとっさにそこにあった事務机で、扉を内側から抑えた。
だが次の一撃は、いともたやすく扉の枠を破壊し、僅かにできた隙間からヌメヌメした触手の先端が事務室に入り込んできた。
響子ちゃんの絶叫。
響子ちゃんは、扉の横の壁にぴったり背を付けたまま突っ立っていた。
おいおい、なんでそんな所にいるんだよ!早くこっちに来い!
と言おうとしたが、机を押さえる力に全力を使っているので、言葉が出ない。
絶叫とともに腰を抜かしたのか、響子ちゃんは、扉の横から全く動けない。
その時、触手の先端が真ん中から円形に開き、緑色のヤツの口の中が俺の目の前に現れた。
飲まれる。
そう思った次の瞬間、響子ちゃんが簡易ガスバーナーの青白い炎を触手に向かって噴射した。
そんな細い火じゃ、この触手は燃やせねえよ。と思ったら、触手がいきなり口を閉じ、すごい勢いで事務室から姿を消した。触手が火を嫌って退散したんだ。
触手が消え去ってからしばらく、2人ともその場から動けなかった。響子ちゃんがこっちを向く。
「・・・裕也くん、大丈夫?」
裕也くん。いい響きだ。そういう呼ばれ方したの、何年振りだろ。
その言葉が合図になったかのように、俺は机から手を離した。力の入れすぎで開いたままの手をぐっと握り締める。ああ、動いた、よかった。
「火、火が弱点なのかな」
「分からないけど、ガスバーナーで逃げたのは間違いないわ」
「これ、どうやって使うん?」
ガスバーナーは、さび止めスプレーの上に、銃の銃身をのっけたような感じ。銃身と言っても、丸い筒みたいな奴がのっかってるだけだけどね。
響子ちゃんは、自分のガスバーナーの銃尻※の部分にあるオレンジのツマミを左に回した。シューと音がする。
「これを回すとガスが出るから、そしたらここを指で押す」
ちょうど、筒状の銃身の下に赤い引き金のようなものがあり、響子ちゃんは、噴射口を何もない横の方に向け、人差し指でその引き金を引いた。青い炎が噴射する。
「止めたい時は、このオレンジをさっきと反対、右に回してガスを止めて」
響子ちゃんは、空いてる手で銃尻のオレンジを右に回した。
おお、止まった。
つまり、このガスバーナー、ガスを出して、その後引き金だから、2アクション必要ってことね。ってことは、響子ちゃん、あんな絶叫しながら、しっかり手順を踏んでたってこと?
なんか、ドンくさい風貌に見えた響子ちゃんが急にたくましく見えてきた。
「やってみて」
響子ちゃんにせかされて、自分が持ってるガスバーナーで噴射実験。オレンジを左に回して・・・っと。何のことはない。手順通りすれば、小学生だって使うことはできる。
「OK。これがあれば、百人力だ」
「あまり過信しないでね。さっきは止まっている相手だったからやっつけられたけど、動いてる相手だったらそうはいかないもの」
「動いてる相手だったら逃げるが勝ちだな」
「これからどうするの?」
「この先に室一(県立室川第一高校)がある。先生でも生徒でも誰か来ているはずだ。そこに行ってみよう」
片手にガスバーナーを握りしめ、俺たちはファミレスを出た。
「ちょっと待った」
俺は、室一に向かって走り出そうとする響子ちゃんを呼びとめた。
「ちょっと、裏見てくる」
俺はそう言うと、店の裏に回ってみた。
と言っても相当遠巻きにだけどね。
店の裏には何もなくて、ただ地面にいくつかマンホールがあるだけ。そのマンホールの蓋の一つがひっくり返った状態で、地面に転がっていた。
あの音の正体はこれだ。
蓋が外れたマンホールから、臭い匂いが漂ってきた。
うえ、下水のマンホールだ。あんな細い触手なのに重そうなマンホールの蓋を持ち上げられるとあっちゃ、捕まえられたら簡単には逃げられないな。
でも、なぜ下水のマンホール?
「どうしたの?」
響子ちゃんが心配そうに後ろから来る。
「ん、何?この匂い」
「下水のマンホールの蓋が開いてるんだ。たぶん、さっきの奴が持ち上げて放り投げたんだ」
俺が答える。
「あの音の正体はそれ?」
「たぶんね。でも、なぜ下水なんだろ」
「もしかしたら、匂いに反応する生き物なのかな」
響子ちゃんがそれらしいことを言う。
「それなら、トイレから離れていればさしあたり安全てわけだ」
と俺。
「トイレに入る時はガスバーナー必携ね」
「そういうこと」
さて、店の前の通りに出て、室一に向かって走り出そうとしたその時、響子ちゃんが後ろを振り向いた。
「待って!」
今度は、響子ちゃんが俺を止める。
俺は後ろを振り返った。
すると、川の方から何人か人が歩いてくるのが見えた。
「人だ!」
「生き残ってる人がいたのね!」
「おおい!」
俺は、その人たちに手を振った。何人かが手を振り返してくる。
助かった。
いや、ホントに助かったわけじゃないけど、生きている人が一人でも多くいるという安心感が、俺の全身から緊張感を溶かしていった。
※銃尻という言葉はありません。銃身(弾が通る筒の部分)の銃口の反対側、末端部分を現わす本作のみの造語です。