おっさんは休めない ~その頃の聖法神国~
瓦礫と化したマルトハンデル大神殿の上空で、一人の女性が苦々しい表情で惨状を眺めていた。
その者は青い髪、整った顔立ちの女性で、理知的な切れ長の目が印象的だ。
肌が透けて見えるほど薄い布を身に纏い、見事なプロポーションを惜しげもなく晒している。
見た限りでは美しい女性だが、同時に人とは異なるものを感じる。いや、その女性は人ではなかった。
何しろ真下にいる人々から認識されていないのか、彼女の存在に誰も気づいてはおらず、未曽有の大災害による惨状の後片付けに忙しかった。
多くの死体が並べられ、その傍らですすり泣き、行方が分からくなった家族を探し続け、或いはようやく探し当てた家族と再会を喜び合う。
だが、彼女はそんな人々を見ている訳ではなかった。
『召喚陣が破壊された……。これでは、勇者が召喚できないわね』
大神殿を破壊した力は、魔法による攻撃ではなかった。
それ故に彼女は感知する事は出来なかったのである。つまりは物理的な攻撃によるもので、彼女達にとっては手痛い打撃となった。
勇者は彼女達にとっては必要な存在であり、この世界を変革する上で必要なファクターであった。
しかし、何者かの攻撃により、その目論見は絶たれた事になる。
『こんな攻撃、初めてだわ。魔力や神力も感じられない。旧時代の兵器かしら? でも、そんな物はとうに廃れたはずだし』
「アクイラータ、どんな感じぃ~?」
「フレイスレス……奴の攻撃ではないわね。明らかに人為的なものよ」
突然かけられた声に慌てる事もなく、アクイラータは簡潔に答えた。
その背後には、赤毛で14歳くらいの元気そうな少女が立っている。だが、ここは空の上である。
「人間がこれをやったの? だとしたら、厄介だよねぇ」
「厄介なんてものじゃないわ。攻撃はこの星の更に上空から、私達では手も出せない宇宙空間からの攻撃よ? しかも、相手はいつでもここを狙える」
「うわぁ~、最悪だよぉ~。誰がこんな事をしたんだぉ?」
「この世界の人間は無理ね、昔に比べて馬鹿だから……。考えられるのは、生き延びた勇者か転生者……」
この世界は一度高度文明が滅び、技術力が一気に低下した。
そんな世界の人間が古代技術を利用するとは考えにくい。なれば必然的に勇者か、もしくは転生者という事になる。
「アイツらぁ~!? でもぉ~勇者ならわかるけど、転生者が何でここを狙うんだぉ? 私達、命の恩人だよねぇ?」
「さぁ~? でも、間違いなく私達を敵と見ている可能性はあるわ。まさかとは思うけど、向こうの神に何らかの指示を受けてるのかしら?」
「人の世界で勝手にするなんて許せないぉ! 転生者を皆殺しにするんだぉ!!」
「そうもいかないわ。何しろ……あいつら私達より強いのよ。向こうの連中から、奴等の情報を見せてもらったけど、リストの何人かは基本能力が従属神並み……。妖精から変異した私達じゃ、先ず勝てないわね……」
「何でそんなに強いんだぉ、おかしいんだぉ!!」
「転生させる時、あいつらに丸投げして任せたのが間違いだったわね。まさか、内側から仕掛けてくるなんて思わないわよ。世界を管理する能力はアイツらの方が上だから、何か特別な仕掛けを施していたとしてもおかしくないし」
もう、お分かりだろうが、彼女達は四神の二柱アクイラータとフレイスレスである。
陰謀のあるなしはさておき、マルトハンデル大神殿を崩壊させたのは間違いなく転生者であった。
彼女達はこの世界の管理を任されているのだが、その対応はあまりに杜撰でいい加減である。
その最大の要因は、彼女達が妖精であった頃に創成神から神の権威能力を与えられ、その力により種としての階位が上がった存在だからであろう。
妖精は享楽的な性質が強く、その本質の殆どが遊び目的であった。そんな存在に神の力を与えればどうなるか。答えは自分勝手に世界を弄繰り回し、そのせいで世界が滅んだとしても知らん顔している。
彼女達は異世界に邪神を捨てた事や、他の神々に多大な迷惑を掛けているなどという認識はない。
ただ好き勝手に行動し、世界の管理を行わず、面倒事は無視する事を長い時間続けてきた。
残念な事だが、彼女達に罪の意識は皆無である。元よりそんなものは存在しない。
だが、彼女達は正式な神ではない。
あくまでも限定的に世界に干渉できるだけで、事象に干渉する力はない。そのために世界の状態など分かる筈もなく、それを行うシステムもあるが使った事は一度もない。正確には、そのシステムにアクセスするだけの権限がないといった方が正しいだろう。
ゆえに邪神の被害者を転生させるなどという真似はできないが、この世界で生きられる手続きをしただけで『命の恩人』などと言っているのだ。苦労したのは異世界の神々達である。
ついでに言えば、邪神の被害者を転生させることに対し、どうしてもこの世界の摂理に順応させるため異世界の神の力を借りざるを得なかった。その時に度重なる悪行をに対して文句を言われたが、他の神が彼女達の管理する世界に干渉できない事を知っており、知らん顔をしている。
悪知恵だけは働くのは、妖精の時からの性質なのであろう。だが、何事にも例外がある。
そんな彼女達なだけに、転生者の扱いも『面白そうだから、危険なところに送り込んじゃえ!』と、実に無責任だったのだ。
しかし今、その絶対的権威が脅かされ始めていた事に焦りを覚える。こんな事は邪神の復活以来である。
「対抗するにも勇者は召喚できないし、召喚しても相手にならないわ。一人だけ勝てそうな奴がいるけど、転生者の誰がどれほどの力を持っているか全く分からいのよ」
「何でそんな連中を送ってくるんだぉ~っ!! 向こうの連中は馬鹿なの? 世界が壊れたらどうするんだおぉ~!!」
この場合、世界を壊しているのは四神なのであるのだが、残念な事に彼女達はどこまでも自己中である。
勇者召喚の所為で魔力が枯渇し掛け、最悪自分達も消滅する危機であった事を知らない。知ろうともしない。当然だが魔力が枯渇すれば自分達も消滅するしか道がない。
しかし、残念な性格のためにそこまで頭が回らなかった。そんな彼女達の行動で、結果としてこの世界はゆっくりと滅亡の危機を迎えていた。
だが、彼女達はそんな事すらどうでも良く、今が面白ければそれで良いのだ。
「転生者に何らかの情報を聞ければ良いのだけれど、確か……奴等から通信の方法を教えてもらってたわよね?」
「使ったのは一度きりだぉ? それに、こっちの言う事を聞いてくれるとは限らないし。そもそも、何人こちらに来ているのか分からないんだぉ?」
「全部丸投げにしたのが仇になったわね。邪神を捨てた事がここまで状況を悪化させるなんて……」
「恩知らずな奴らだぁ~、絶対にとっちめてやるんだぁ!」
「真正面から行ったら、確実に死ぬわね。こんな事ならリストを貰っておけば良かったわ」
この時点で自分達が召喚した勇者の可能性を捨てていた。
生き残っている勇者達もかなりの怒りをその身に蓄え、復讐の機会を狙っているとすら思っていない。
神として崇められ四神はかなり調子に乗っており、自分達が絶対の存在であると信じて疑わなかった。それが間違いである事を知るのは、もうしばらく先の話である。
「まぁ、元勇者にしろ転生者にしろ、叩き潰すに限るわ。人間共を使ってね」
「そうだぉ、邪魔な奴らは下僕共に倒させればいいんだぁ! 恩知らずはデストロイ!」
「神託を下しましょう。神に仇なす愚か者を始末しろとね。あいつ等の好きにさせて堪るもんですか! 見てなさい……ネズミを絶対に炙り出してやるから」
彼女達は自分達の考えが正しいと思っている。しかし、人の世界はそうはいかない。
四神教は現在、各国家から白い目で見られ、勇者という戦力を召喚する力は失われた。しかも、今はまだ回復魔法が出回る前の事であり、今後は権威の確立する事が難しくなってゆく。
更に今回の国都の被害は最悪で、政治中枢の復旧に力を入れねばならず、各地で起きた被害者救済が遅れる事となる。多くの者達から四神教に対して不信の目が向けられ始めるのも、もはや時間の問題であろう。
だが、四神達にそんな事が分かる筈もない。
所詮は場当たり的に好き勝手な行動しているので、人の世の常識など持ち合わせているはずもなく、そもそも世界の管理などする気がないのだ。
享楽的な性質が、世界の管理という煩わしい仕事を放棄させ、故にその場の勢いだけで行動する。そして都合の良いことは直ぐに忘れる。
「でもぉ~、転生者なんてどうやって見つけるんだぉ? あたし達に人間の見分けなんてつくわけないし」
「人間に丸投げするのよ。面倒な事はあいつらにやらせれば良いわ。どうせ言いなりなんだから」
「なるほどぉ! じゃぁ、神託を出すだけで良いんだぁ~。簡単で良かった」
「そういう事。人間の事は人間に任せればいい。何で私達が動かなければならないの? めんどくさい」
「だよねぇ~。じゃぁ、さっそく神託をおろしてこようよぉ。面倒な事は早く終わらせる」
「そうね。まったく、手間をかけさせてくれるわ……」
無責任な神はその場から消え去った。それが自分達の首を絞める事に繋がるとも知らずに。
アクイラータは頭が良さそうに見えて、実際はその場の勢いだけで物事を判断しており、当然だが考えなしの思い付きでの行動である。
面倒事は他人に押しつける気であった。所詮は妖精がベースなので、本能に忠実なのであった。
この世界は、色んな意味で危機的状況なのかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マルトハンデル大神殿が崩壊してい以降、ミハイルロフ法皇を含む多くの神官達の拠点は、旧時代の聖堂に移されていた。
強力な【断罪の光】に撃ち抜かれた恐怖は神官達の信仰に大きな揺らぎを与え、心ある神官はこれまでの行いを見直す行動に移り、欲深い神官の多くはいつ同じ断罪が下されるか恐れ慄く日々を送っている。
それでも街の復興は行わなければならず、町中を走り回りケガ人の治療や救済に忙殺されていた。
法皇を含む大司教達は税の徴収すら難しい状況に追い込まれ、神聖騎士団の多くも復興のために肉体労働に駆り出されていた。他国に援助を求めるも、『神の断罪にあった神国』という噂が立ち、救援にすら難色を示している。
そんな中、四神から聖女達に信託が下った。
「なに? 転生者……であると?」
「はい。異世界の神々から送り込まれた者達がこの世界で行動しており、あの光は彼らが旧時代の遺物を動かした可能性があると神託を受けました」
「まさか、【賢者】もその一人じゃというのか!?」
「その可能性も高いと言われました。転生者の中に異界の神の命を受けている可能性が高いと……。直ちに探し出し、断罪をせよとの仰せです」
「聖女マリアンヌよ、その転生者は何人いるのじゃ? その者の名は分からぬか?」
「残念ですが、そこまでは分かりません……」
「そうか……」
ミハイルロフは頭を抱えたくなる。
異世界から送り込まれた者達。しかし、彼らを判別する手段がない。
神罰を執行するにも、彼らの所在が掴めなくてはどうしようもなく、また何が目的なのかも分からない。
分かる事は四神教を敵視し、確実に大打撃を与えてきた事である。
「勇者を使うしかないか……。ジャミール大司教、至急勇者達に勅命を下すのだ。神敵転生者を探し出し、神罰を執行せよと」
「神聖騎士団はいかがいたしますか?」
「国の復旧が先になろう。人手は足りず、まして、どれほどの被害が出たのかが分からぬ……」
「お待ちを、法皇様」
聖女の一人マリアンヌは、躊躇いがちにミハイルロフを引きとめた。
「どうしたのじゃ? 他にも何か信託が下されたのか?」
「はい……転生者は、勇者達よりも遥かに強い力を持っているらしいのです。異界の神の命を受けた者が何人いるか分かりませんが、迂闊に転生者に手を出せば被害が拡大する可能性があります」
聖堂内がざわめき立つ。
勇者の力は彼等も良く知るものである。最初は確かに弱いのだが、経験を積む毎にその強さは他者を圧倒していく。それだけに最強とまで言われていた。
その勇者よりも強いとなると、もはや数でどうこうできる相手ではない。
はっきり言えば化け物である。
「他に、何か言ってはおらなんだか? 転生者に関する事じゃ!」
「いえ……『神敵を懲罰せよ』、としか……」
「そうか……ご苦労じゃった」
転生者の存在は不気味であった。
異界の神がなぜこの世界に干渉してくるのか、同時に四神に対して敵対意思を見せる理由が分からない。
更に勇者よりも強いというのが問題である。最近は他国が連携をし政治圧力をかけ始めており、しかも『魔導士でも回復魔法が使える』と言い始めた。
更に他国同士で提携し、独自に回復魔法を開発したという噂もある。
今までは回復魔法の独占により、治療費という名の高額御布施を要求できた。だが、市井に回復魔法が出回れば神官の地位は失墜する事になる。
武力で圧力を掛けるにも、最大の戦力である勇者の召喚はもはや叶わない。転生者を探すにしても、他国に要請すれば逆に臣下に取り込もうと動き出すだろう。何しろ勇者よりも優れた力を持っているのだから。
八方塞で身動きが取れない状況である。
「なぜ……なぜ、このような時に限って問題が起こるのだ。これでは、どこから手をつければ良いか分からんではないか……」
「法皇様、お気を確かに……。まずは国力を回復させることに尽力を尽くすべきです。転生者の捜索は勇者達に任せて、他国から付け入る隙を与えてないようにしなくては……」
「そうじゃな……。あの勇者を浄化したのはマズかったか、生かしておれば少しは役に立てたものを……」
「仕方がありますまい。あの者は余計な事を知ってしまいました……。そして……」
「これからも増えるかもしれんという事じゃな。厄介な事だ……最悪、勇者すら敵に回る事になるな」
考えたくもない最悪の事態。
転生者と勇者が共闘し、神の国を攻め滅ぼす。
今までの事を考えると、決してあり得ない未来ではない。
「異界の神か……。転生者とやらがいかほど者かは知らぬが、余計な真似をしおって」
己の名を永遠に歴史に残す事を執着していたミハイルロフは、体面すら忘れ苦々しい表情を浮かべた。
四神教が崩壊すれば、名を遺すのは名声ではなく悪名に代わる。これはミハイルロフには看過できない問題であった。
勇者を召喚できなくなり、切り札を失った【メーティス聖法神国】の先行きには、暗雲が立ち込め始めていた。
神の国の崩壊が始まっている事を、一部の者を除いてまだ気づいていない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
神託を伝え終えた聖女マリアンヌは、聖堂から抜けると直ぐに手配した馬車に乗り、ある場所を目指し街の中を走り抜けた。
街を道なりに進むこと10分、そこは旧時代の建物を改築したもので、四神教が管理する出版社が存在する。四神教随一の稼ぎ頭であった。
元々は召喚した勇者と協力して作られた施設であり、数多くの物語を記した書籍が保管されていた。
要は、腐教の総本山と言える場所である。
「遅くなりました。先生!」
「遅いよぉ~……ようやく片付けが終わったんだよ。お仕事も大変だと思うけど、こっちも頑張ってほしいんだよね~。人手が足りなくて……」
そこは無数の机が並べられた部屋である。
男女数人が必死に筆やペンを走らせ、鬼気迫る勢いで原稿を描き続けている。
中にはやばい状態に陥っている者もいるようで、血走る眼で原稿を見つめながらブツブツと独り言を呟いていた。精神科医に診せる事をお勧めしたい。
「先生……休ませてください。もう……限界です」
「駄目よ。死んでも原稿は描くの! 読者は待ってはくれない。毎週楽しみにしているんだから」
「モーホー話なんて読みたくないですよ。こんなのは……不自然です」
先生と呼ばれた女性の目が、途端に獣に変貌する。
アシスタントの代わりとして連れてこられた過去を持つ見習神官の青年は、ヤオイ本の出版に否定的のようである。まぁ、当然だろう。
だが、それが彼女の怒りを買った。
「この馬鹿ちんがぁ!!」
「ヘブライッ!?」
女性は思いっきり青年を殴り飛ばし、壁際まで吹き飛ばした。
世界を狙える一撃である。
「いい? この世界にはね、儘ならない背徳の愛が存在するのよ! 幼女とおっさん、あるいはその逆、女性同士もしくは男性同士とかね。自分でもどうしようもない愛の形が無限に存在するわ」
「そ、それは分かりますが、当人同士の問題では……」
「このサゲ〇ンがぁ!!」
「インカァ!? インダスゥ!」
再び殴る。そして股間を踏みつけた。
彼女は鬼だ。間違いない……。
「愛の形は人それぞれ、でもね? 中には表に出せない事が多いのよ。純粋な愛であるにも関わらずにね! 分かる? 愛を説く神官が、愛の形を知らずして何が語れるというのよ!」
「し、しかし……なればこそ、その愛は心の奥に秘めておくべきでは? 下手をしたら犯罪ですよ」
「犯罪? 上等! 愛の名の下に犯罪など存在しないわ。純粋な愛と狂気は表裏一体、愛ゆえに人は罪を犯すのよ。でも、それのどこが悪いというの? そもそも、人が狂っているのは、神がそういう風に作ったからよ? 神が認めるのであれば、私達はそれを布教すべき使命と心得なさい! 常識? なにそれ、愛の前では無意味よ!」
「ふ、布教ではなく……腐教ではないのですか?」
「この童貞がぁ!!」
「メソポタミアァ!?」
再び殴りつける女性。
その拳はインパクトの瞬間に捻りを入れ、威力を増大させていた。
熱い思いがのせられた重い一撃である。
「殴ったね……三度も殴った。しかも踏みつけた……。おふくろにも殴られたことがないのにぃ!!」
「殴って何が悪い! 神官のくせに愛に差別をつけるのね? ハァ~……あなたは愛というものをまだ理解していないようね……仕方がない。モホステイル君、彼と例の部屋を使って良いわ。存分に愛を教えてあげて頂戴」
「ウホッ? イ、イエッサー!」
「ちょ、彼は……やめろぉ! 近づくなぁ!! なぜ服を脱ぐ!?」
理解したら終わりなのだが、あえて言おう。残念な事に正常な者はこの場所にはいなかった。
この場にいる者達は、頭がどこか愉快な事になっている者と、重労働による被害者だけである。
そして、見習神官の彼は全裸のモホステイル君に連行されて行く。やがて……悲痛な叫びが聞こえてきた。彼は汚れてしまったようだ。
聖職者にあるまじき欲望の暴走が、この場所ではまかり通っていた。惨い……。
「これで、彼も真なる愛に気づいた事でしょう。腐腐腐腐腐……」
「そうですね。でも、原稿が間に合いませんよ? 二人ほど抜けましたから」
「しまったぁ!? 勢いであの二人に休憩をあげちゃったわ。どうしよう……背景とベタ塗が消えちゃったし、他から何人か回してもらえないかしら?」
別の意味でのご休憩である。
帰ってくる頃には精根尽き果てている事であろう。哀れ……。
「にしても、あなたの原稿は面白いわね。普通は友人同士やライバル同士のカップリングはあるけど、まさか子供のア〇ラン×お父さんは思いつかなかったわ」
「奥さんが死んだ悲痛な思いを、自分の息子にぶつけるんです。あっ、汁はマシマシでお願いしますね」
「おぅ……どんだけパワフルなの、お父さん。愛情の裏返しね。奥さんも、さぞ大変だったでしょう」
名作をぶち壊す輩がここにいた。
腐った方々の情熱は止められない。
「もう嫌だぁああああああああああぁぁぁっ、こんな場所にいたら脳みそが腐る!!」
「デヴォートが発狂したぁ!?」
「止めなさい! 何としても取り押さえ、作業を続けさせるのよ!!」
「離せぇ、俺はこんなところにいたくない!! 俺は、まともでいたいんだぁああああああああっ!!」
「これも修羅場が続いたせいですね。人の心とは、なんと儚いのでしょう……」
正常な者のあたりまえな反応であった。修羅場の所為ではない。
ここにいる者は、作者や聖女マリアンヌを含め腐っていた。
女子同士での同人誌なら構わないのであろうが、製本しているのは一般社会に堂々と売りに出す商品であり、その影響は着実に蔓延してきている。
しかもそれを販売しているのは聖職者なので、様々なところから苦情が来ていた。デヴォートもこんな物を描くために神官を目指したわけではない。
しかし、神官もまた縦社会。上からの命令には逆らえなかった。その結果がこれである。
「仕方がありません。彼を、あの部屋に送りましょう……」
「あ、あの部屋……だとぉ!? い、嫌だ……あの部屋だけは……」
「仕方がないのですよ。これも神の教えを説く者を補佐する大切なお仕事、諦めてください」
「せ、聖女様ぁ! お慈悲を、もう馬鹿な事は言いません! だ、だから……あの部屋だけはぁ!!」
「彼を缶詰にしてください。しばらく出さないように……あっ、食事はちゃんと用意しておいてくださいね?」
「「りょ、了解しました……」」
聖女様は無慈悲だった。
その聖女様の命により、他の仕事をしていた神官達によってデヴォート君は連行されて行く。彼はこれから狭い部屋に缶詰めにされ、延々と集中線や点描を手作業で行う事になる。
扉が閉まった通路の先では、『かけ網も集中線も描きたくねぇ――――――っ!! 点描は地獄だぁ、お前らも分かってんだろぉ!? なぁ、頼む! 見逃してくれぇ!!』と魂の叫びが響き渡る。
だが、彼を連行して行く神官達も無慈悲で、『馬鹿な奴……我慢していれば地獄を見ないで済んだのに』とか、『これでお前も仲間さ、覚悟を決めて地獄へ行ってこい』という声が聞こえている。
この世界にスクリーントーンのような便利なものは存在しない。ベタがはみ出てもホワイトで修正などできるはずもない。全てが手作業であり、印刷も神経の磨り減る作業で行われる。
失敗すれば最初からやり直し。最初から最後まで終わりなき地獄の作業なのだ。あぁ……監獄蟹工船。
この出版部の者達は、既に人としてどこか壊れていた。全員が神官のはずなのに……。
「ジョッシ―先生、これで静かになりますね」
「けど、また人手が減ったわよ? 彼はそれなりに優秀だったのに……」
「仕方がありませんよ。では、原画の続きを描きますか」
「そうね。締め切りも迫っているし、少しでも稼がないとマズいわ」
出版部の売り上げは、四神教の重要な資金源でもある。
税金だけでは足りない予算を捻出する面で重宝されているが、最近は色々と危険なものを販売し始めていた。しかし、売り上げが上々なので文句を言う事ができない。
なまじ娯楽が少ないこの世界、歪んだストーリーに傾倒してゆく者達も増えてきてる。別の意味で危機的状況であった。
「じゃぁ、気合い入れて描きますかね。アシスタントを増やさないと……ハァ~」
「先生は、ガチムチの濃い話が好きですものね」
「世の中は綺麗なだけじゃないのよ? 醜いものの中にも美があると知るべきだわ、仮にも聖女なんだから差別はいけない」
「そうですね。修行不足……私もまだまだです。でも、先生? 今回は……ユリですが?」
「えぇ、カ〇キ君を含めた男性陣を女性化して、周りの女性陣から徹底的に愛されるのよ。身も心も快楽に溺れていく。でも、愛もあるわよ? バトルはおまけです」
こうしてジョッシ―先生と聖女マリアンヌは、ヤオイ本やユリ本の原画を仕上げる作業に戻る。
だが、聖女は知らない。彼女が転生者であることを……。
プレイヤー名【フゥ・ジョッシ―・Cross】。【ソード・アンド・ソーサリス】R18モードをガチムチ戦士系でプレイしていたネカマである。いや、オナベだろうか?
その目的はネタを探すためであり、多くの男性プレイヤーを食った猛者であった。
五感を再現できるバーチャルリアリティーなゲーム世界で、彼女の手により性的な意味で地獄を見た被害者は数え切れない。二つ名を【野獣】と言われ別の意味で恐れられいた。
そして、異世界で彼女は天職を見つけたのである。漫画家という名の転職を……。
ふざけた漫画を世に多く出版している【メーティス聖教出版】は、彼女が加わる事で更に迷走していた。主に、そっち方面でだが……。
聖法神国の布教活動は停滞し、腐教活動が活発化してゆく。
内容の検閲はない、編集部の者達も強く言えない。神罰も下らない。まさに神も仏もなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
場所は変わり、イルマナス大遺跡街道、工事現場。
金属音が絶えず響き渡り、男達の熱い歌声が聞こえてくる。中には派手なシャウトを決めている者達もいるのだが、彼らが何者かは言うまでもないだろう。
ツルハシが勢いよく岩に突き刺さり、見事なまでに退路を塞いでいた岩塊は粉砕された。
それを行うのは灰色ローブの魔導士。再び勢いよく振り下ろされたツルハシにより、またも硬い岩盤が破砕されてゆく。
「おぅ、あんちゃん。精が出るな。そろそろ昼だが、どうするんでぇ」
「もうそんな時間ですか。では、切りの良いところで昼にしますかねぇ。この大穴も、もう直ぐ開通しますし、焦ってヘマをやらかしたら意味がないですから」
「んじゃ、一足早いが昼にしようぜ。午後は少し早めに始めれば良いだろぅ。今迄の仕事の停滞が嘘かのようだ。これなら期日通りに仕事を終わらせられるな。いやぁ~、一時はどうなるかと思ったぜ」
「ハハハ、穴倉生活の楽しみと言えば食事しかありませんからねぇ、早く地上に戻りたいですよ。冷えたエールを飲みたいですし」
「ちげぇねぇ。仕事の後の酒は格別だからな」
職人と共に仕事を一時中断し、仮設事務所用意してあった弁当の包みを手に取ると、ゼロスは資材の上に腰を掛け包みを解き弁当を開いた。
中の弁当は意外にまともで、職人のために肉や野菜がバランスよく摂取できるように考え尽されたものであった。白い麦飯が実に美しい。一般的にドカベンと呼ばれるものである。
その弁当を手に取ると、空腹で腹の虫が泣き叫ぶ。その空腹な胃袋を満たすために一気に麦飯をかきこんだ。少し塩気が利いた麦飯で疲れた体にはちょうど良い。
余談だが、弁当は最近になって流行りだした。以前は現場で材料を鍋にぶち込む鍋が主流だったが、味がおかしくなる事もあり作業員からは不評だった。
弁当という文化が工事現場で重宝され始めていた。
「あっ、お茶を取ってくれませんかね?」
「おぅ。いい食いっぷりだな、そんなに腹が減ってたのか?」
ゼロスはやかんを手に取ると、注ぎ口から一気にお茶を喉に流し込む。
そこに魔導士はいない。いるのはガテン系の作業員だけである。
「確か、アトルム皇国側からも掘り続けているんですよね?」
「おぅ、もう少しで合流する筈なんだが、こっちの工期が遅れたからな。だが、もう少しだ」
「まぁ、街の拡張をしなくて済んだのは幸いでしょう。何しろ旧時代の街が丸ごと手に入りましたからねぇ」
「そうなんだが、生活ができるようにするのが難しい。水はどこかの地底湖から引いているようなんだが、汚物などの処理はどうして良いのか分からんぞ。正直あの街がどういった構造なのかわかんねぇ」
「まぁ、そうでしょうねぇ。さすがに建築関係の都市開発構想なんて、僕には分かりませんからねぇ」
飯を食いながらも、ゼロスは今後の工事状況を想定した話し合いに耳を傾けている。
そして、彼はこの時に気づいた。
気づかなければ何事もなかったであろう事実に、不意に思考が置き換わったのだ。
『ハッ! い、いつの間にか、土木作業に慣れ親しんでるぅ!?』
奥ではハンバ土木のドワーフ達が踊り狂い、周りはガテン系の作業員が飯を食う。
そしてゼロスはドカベンを片手にやかんの茶を飲み、土木作業にすっかり溶け込んでいた。極めつけは最近食事のたびに『かぁ~、うめぇ!』などと口に出している事だろう。
ほとんど拉致同然で連行され、悪魔や大量のアンデッドを葬り、古代の遺物を起動させて都市の一つを崩壊させたゼロスは、いつの間にか肉体労働に順応していた。
「すっかり建築業に慣れてしてしまったようじゃのぅ……。魔導士のする事ではないな」
「いや、僕をここまで連れてきたのはクレストンさんの差し金ですよねぇ!? 何で他人事みたいに言ってんですかぁ!?」
「いや……儂もまさか、おぬしがこれほど順応するとは思わんかった。天職なのではないか?」
「まぁ、もう少しで開通しますからね。これでゆっくり休めますよ」
クレストンは現場を視察に来ていた。これも公務の一環だが、半分はただの遊びである。
もう直ぐトンネル工事が竣工し、ゼロスは厄介な仕事から解放されると、期待していた。
今はきつい仕事であろうが、終われば休めると工事が終わる事を本気で待ち望んでいたのだ。だが……。
「それなのじゃが、少しアトルム皇国の様子を見てきてくれぬか? 本来なら儂が行くはずだったのじゃが、イーサ・ランテの事をデルの奴に伝えておかねばならん。魔力の大量消失の危険性も踏まえてのぅ」
「マジですかぁ!? それは……王族に会う事も想定されているので?」
「いや、外交官の護衛を務めてほしいのじゃ。事は大きなうねりとなっておるのでな、イサラス王国との貿易の事も本格的に動かねばならんのじゃ。なに、最初だけで良いぞ? 送り届たら自由にして構わん」
「Ohー、なんてこったい。肉体労働させたうえで、更に酷使させるおつもりか……。クレストンさん、あなた達の血は何色ですか!」
「貴族だけに、青じゃが? 今更何を言っておるのじゃ、使える人員はどんな手を使ってでもこき使うものじゃろぅて」
ある意味で正しい答えを返される。
さすが魔窟で権威を守ってきた大貴族。言う事に説得力がある。
「早く人間に戻ってください」
「ティーナが戻ってくれば、直ぐにでも真っ当な人間に戻るぞ? 最近、寂しくてのぅ……。向こうでは良からぬハエが飛びまくっているようじゃが。フフフフフ……」
「ディーオ君、逃げてぇ――――――――――――――っ!!」
真っ当ではない。そして公爵家の情報網は凄まじい。
すでに、セレスティーナに思いを寄せる好青年の情報は届いていた。
ディーオ君は既に射程に入り込み、照準固定をされている。後は必殺魔法を放つだけである。
本気で彼の命が危険な事態に突入している。
「それはひとまず置いておくとして、開通した後はどうするんです? 拠点となる街を造る気ですか?」
「ふむ、一応は町があるらしいのじゃが、どうにも辺鄙なところらしくてのぅ。何か名物になる物があれば良いのじゃが」
「難しいでしょうねぇ。どれほどの町かは知りませんが、せめて宿くらいはないと」
「期待するだけ無駄じゃろう。何しろ山岳の小さな町じゃ、それなりに経済を支えるようになるには時間が掛かる」
「援助はするのでしょう? しかもハンバ土木工業が動く……三日もあれば宿など直ぐに建ちますね」
「冗談に聞こえんところが怖いのぅ」
冗談ではない。ハンバ土木工業が全力で動き出せば、宿の二~三軒など直ぐに建てる実力がある。
しかもダンシングをしながらでだ。ハンバ土木工業の面々は、昼食の時間も取らずに仕事に明け暮れている。体力がハンパない。
「あれ……どう見ても普通じゃないですよね?」
「アレが普通の基準なら、他の建設業はどうなるんじゃ?」
「皆、彼等に毒されて素敵なダンシングを披露してますが? ショウタイムはまだ終わりませんよ。これからが本番ですね」
「なぜ、アレで仕事が順調なのじゃろうな? ケガ人も出ぬし、摩訶不思議じゃな……」
この世界の不思議である。
普通はダンシングしながら作業をこなすなど体力の無駄であり、神経を使うような作業など不可能だ。
だが、ハンバ土木工業はそれでもやり遂げる。『土木作業はエンターテインメント』と言って憚らない強者であった。
「あんちゃん、そろそろ仕事だぜ?」
「えっ? まだ、15分も経ってませんけど?」
「何言ってんだ。職人の休憩は5分で済ませるもんだろ? 俺達に休みはねぇ! 月月火水木金金のスピリットで、死んでも現場を最高に仕上げるんだよぉ、いくぜぇ!」
どこかのハードロッカー張りに、ハイテンションでゼロスを連行するガテン親父。
彼等には仕事しかなく、家庭などどうでも良かった。
この世界に労働組合も労働基準法もない。商業ギルドも見て見ぬ振りである。
殴られるから……。
「ちょっ、まだ昼飯を食べ終わってないんですけどねぇ!? クレストンさん、助け…アァ~……」
「哀れな……。デルよ、儂らはゼロス殿を地獄に放り込んだみたいじゃ……。恨まれたらお前の所為じゃぞ」
何気に責任を息子に擦り付けるクレストン老。その目の前で、おっさんはドナドナされてゆく。
食べかけの弁当をそのままに……。
そして始まる過酷な労働。だが、そこに不満を持つ者はいなかった。一人を除いて。
ちなみに、ゼロスの本日の労働時間は20時間であった。
おっさんは、まだまだ休めない。地下街道が開通するまで……。合掌。