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おっさん、ホムンクルス培養を始める。

 部屋の中に液体を沸かす音と、何かが静かに回転するような振動音が響いている。

 フラスコや試験管、ビーカーなどがテーブルの上に所狭しと並べられ、乳鉢には擂り潰された調合素材の名残や、液体の零れた染みの跡が残されている。

 この部屋自体比較的新しい――いや、新築と言って良いほど綺麗なものだが、天井には何か黒い煤で真っ黒に染まっていた。

 まるで何かを爆発させたようにも見える。

 

 この部屋の主は現在フラスコに溜まる濃緑色の液体を眺め、規定量に達する瞬間を待ち望んでいる。

 そんな時に回転音が止まり、それを知らせる合図でもある『ピィ~~ッ!』という発信音で、背後の機材に振り返った。

 そこに置かれた物はおそらくは遠心分離機であろう。しかし、その造は実に雑なものであった。


「ふむ……どうやら終わったか。さて、どうなっているのやら」


 灰色ローブの魔導士は遠心分離機の蓋を開くと、そこから試験管を二本取り出した。

 一つは液体の中に一粒の小さな光が浮いている。もう片方は色とりどりの光の粒が密集し、これを見て困惑の表情を浮かべた。


「おいおい……冗談でしょ。何でこんなに……つーか、どの因子を使えば良いのか分からん」


 灰色ローブの魔導士――ゼロスはさすがに頭を抱えたくなった。

 本来であれば最初の試験管のように一つの粒が浮かぶはずなのだが、もう片方は数が多すぎる。

 一つだけあれば良いのだが、ここまで密集されるとどれを選んでよいのか分からない。選ぶ因子次第では下手をすると理想とする形にならず、とんでもない化け物が出来てしまう事になる。


「カエデさんの髪から抽出した精霊因子はまだ良い。問題は、【邪神石】から抽出した因子だねぇ。アタリを引き当てなければキメラになるぞ? どうしようかね、コレ……」


 今行っていた作業はホムンクルスを生み出すための因子抽出である。

【因子】とは、生物におけるDNAの事ではなく、霊子的なものと思ってくれれば良いだろう。

 この因子には原初の生態情報が残されており、稀にだが太古の記憶や経験もわずかにではあるが記録されている事がある。DNAと似てはいるが、あくまで霊質的なものなので保存が利かず、抽出して一時間程度で拡散消滅してしまう。


 精霊因子は他の因子との結合が可能な触媒で根源的な霊質体である。別の因子を組み込む事によりその個体を再構築する事が出来る情報因子を作り出せる。理論上、生物の魂を使えば死者すら再生させる事が可能とすら言われているが、現時点でそれを行う事は禁忌とされていた。

 仮に死者の再生を行ったとしても、精霊因子を組み込む時点でそれは人でなくなる。全く別の生命体に変質してしまうのだ。その原因が触媒の一つである【変魔種】にあった。

 この【変魔種】は【マンイータ・ビーストコピー】から採取できる種なのだが、完全に種になる前の状態でないとホムンクルスがキメラになってしてしまう。

 何しろ【マンイータ・ビーストコピー】は多くの生物を捕食し、その因子を複数体内に収めている。その一部を【変魔種】に植え付ける事で獲物を捕らえる為の兵を量産(稀に改良する)するのである。

 少しでも別の因子が混ざっていれば当然魔物が誕生してしまうのだ。


『【変魔種】に他の因子が入ってない事も博打なんだよなぁ~。これも運任せだし、胴体が人間で下半身が虎の厳ついおっさんができたらどうすべ……。邪神に殺されないか? 一応女神らしいし……』


 古代ローマ風の鎧を着た下半身虎の厳ついおっさんが、不気味なほどシナを作り『ムフゥ~ン♡』と言いながらウインクする光景が脳裏をよぎる。怖い考えに至ってしまった。

 だが、最終的に失敗したら処分すれば良いと納得し、取り敢えず考えない事にする。

 ホムンクルスは生きてはいるが、製作者の血液を媒体に契約と言う名の鎖を付けるため、主人に歯向かう事は出来ない。正確には血液を媒体とした魔法式による一種の呪縛なのだが、これが邪神になると効果があるかなど分からない。結局は生み出してみない事には何も分からない。


「しかし……マジでどれを選べば良いのかねぇ? 全く……何でこんなに因子が多いんだ。異常だぞ……悩ましい」


 伝承では邪神は多くの生物を食らい、その能力を自身の力にしたとされている。

 仮のその伝承が真実なら、その因子は途方もない数に及ぶだろう。

 そして、わずかに削った邪神の甲殻で試験管にぎっしりと詰まっているのだから、その伝承が真実だと判明した。


『まともな因子が分かれば良いのだが、これだけの数があると魔物の因子の方が多いんじゃね? トロールの牝だったらどうする? おまけに呪われてたし……変な影響が出ているかもしれん。こんな事ならケモさんに話を聞いておけば良かった』


【邪神石】は、わずかな欠片でも一生呪われそうな瘴気を放っていた。

 その瘴気を浄化し、何とか周囲に影響を及ぼさないようにした。魔法耐性が馬鹿みたいに高いおっさんでなければ死んでいたであろう。

 浄化作業に四日も時間がかかり、因子抽出に扱ぎ付けるまで大分時間をロスしてしまう。急いではいないがホムンクルスの体が構築される時間を考えると、早い方が良いのである。

 しかも長い間因子自体が瘴気に曝されていた事を考えると、どんな影響が出るか分かったものではない。

 ホムンクルスが出来たとしても、まともなものではない可能性が充分にある。


 ちなみにケモさんとは【ケモ・ラビューン】という名のプレイヤーで、同じ【殲滅者】の一人である。ケモ耳ハーレムを作るべく、日々ホムンクルスの製作に明け暮れていた。

 特殊なイベントでダンジョン作成技能を手に入れ、そのスキルを使い作ったのはダンジョンではなく、ケモ耳のケモ耳によるケモ耳だけの世界だった。

 おっさんも良く手伝わされたがホムンクルスの培養はかなり難易度が高く、下手をすれば厄介なモンスターを製作してしまう。経験値は美味しかったが……。


『やけに大きい因子は却下。何かヤバイ気がするし……以前にもケモさんが失敗してたっけ。中間くらいの奴にしておこうかねぇ? いや、安全策でそれよりも少し小さい因子を……』


 悩みながらも試験管を振り、中の因子をかき回しながらも適当な大きさのものをスポイトで取りだし、それを精霊因子に注射器で注入した。

 やり直しがきかない一発勝負にしては適当であるが、悩んでいても仕方がない以上は突き進むしかない。

 鬼が出るか蛇が出るか、確率の低い運任せ。当たって砕けろである。


「む……変化がない……。あれ? おかしいな……」


 精霊因子に他の因子が加わると、その色は蒼から銀色の光に変わる筈であった。

 しかし、その兆候が一向に出ない。

 首を傾げ、固定台に置かれた試験管を覗き込む。


 ――カッ!!


 その時、まるで閃光弾を撃ち込まれたかのような激しい光が発生した。


「目が……目がぁああああああああぁぁぁ……!!」


 完全な不意打ち。

 おっさんはどこかのインテリサングラスか、はたまた狩人に襲い掛かった瞬間に目潰しカウンター受けたモンスターの如く、床の上を無様に派手に転げまわる。

 因子同士の結合は成功したが、手痛い反撃をモロに受けてしまうのだった。

 失明しないか心配である。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「あー……酷い目に遭った。時間差とは……」


 視覚が回復したおっさんは、地下倉庫の入り口を開くため、扉に仕掛けられたロックを外していた。

 ホムンクルスの培養槽は地下に在り、扉を開くには箱根細工のからくり箱の様に一定の手順を踏まえなければ開く事が出来ない。これは地球での癖によるものだ。

 何が原因かはもはや語る必要はないだろう。


 スライドパズル状の板を複数回動かす事により、床に設置された扉を開く事が出来る。その解除手順は73通りもあり、内側に鉄板を仕込んである事から簡単には壊せない。

 その格子を器用に動かして填め込まれた留め金を解除して行く。完全にロックが解除されると、格子状の留め金は一か所に集まり、その裏側から取っ手が現れるようになっている。

 その取っ手部分に手を掛けると、外側に引っ張る形で扉を開いた。

 両手に試験管とフラスコを持ち、下に作られた石の階段を下り地下倉庫の一番奥を目指す。


 木製の扉を開いた先にある鋼鉄製の培養槽。

 既に中には培養液が満たされており、後は因子を組み込んだ【変魔種】に自分の血液を一滴掛けてを放り込むだけである。

【邪神魂魄】は最後に入れるか後に入れるか、そこが問題である。本来であれば【疑似精霊魂魄】を使うのだが、残念ながら素材がない上に製作方法を知らない。

 インベントリーから液体に漬けられた【変魔種】を取り出すと、メスでわずかに切り、そこに先ほどの合成因子と【精霊結晶】の欠片を植え付ける。

【精霊結晶】の欠片は砂粒程度の大きさだが、これがやがて魔物で言うところの魔石へと変わるのである。コレが邪神であった場合はどうなるかは未知の領域であった。

 おっさんは世界地図みたいな魔方陣を広げ、その上に【変魔種】を置き、指をナイフでわずかに切り血液を【変魔種】に付けまくる。

 追記だが、【変魔種】に製作者の血液を掛けるのは、ホムンクルスに主人である事を本能的に認識させるためである。

 血液には魔力が宿っており、この魔力は個人によって波長が異なる。当然だが【変魔種】は血液も吸収するので、潜在意識内に特定の魔力に対して抑制力が働くようになるのだ。

 その吸収した血液が媒体となり魔法陣が発動する。【主従の呪縛】と呼ばれる魔法を組み込んだのだ。


「さて……いよいよ培養槽の出番か。ケモ耳でなければ良いのだが……」


 おっさんはケモ耳にウンザリしていた。

 獣人種が嫌いな訳ではない。単にケモ耳ホムンクルスの製作を幾度となく手伝わされ、素材集めに奔走した地獄のルーチンワークを思い出させるからだ。

 まぁ、そのおかげでレベルが上がりまくったわけだが……。

 とにかく素材を狩りまくった記憶しかない。ホムンクルスの製作工程の話も途中から脱線し、『ケモ耳講座~超上級編~』に突入する思い出しかない。

 延々とケモ耳愛の話を聞かされ続け、自分が何をしているか分からなくなる程だ。

 しかも一時は洗脳されかけた。ケモさんは別の意味で危険な人物だったのである。


『ケモ耳……頼むから、ケモ耳でありませんように……』


 そう、祈りながらも【変魔種】を培養槽の上部にある円筒の蓋を開き中に入れ、フラスコの液体を流し込んだ後に蓋を閉めた。

 培養槽の中にある液体が輝きだし、ホムンクルスの培養が始まる。小さな覗穴から淡い光が漏れ出している。

 こうなると、後はもうやるべき事はない。待ち続けるだけである。


『……いや、待てよ? ……こうした方が良いんじゃないか?』


 少し考えておっさんは、何を思ったのか再び蓋を開け【邪神魂魄】も培養槽の中へと放り込んだ。

 邪神魂魄は光を放ちながら溶けだし、その光はホムンクルスになるはずの【変魔種】――それに植え付けられた【精霊結晶】の欠片に集り吸収されていく。

 本来ならば体が出来上がった後に入れるつもりだったが、ホムンクルスと邪神は違う。元より製作過程が分からない以上、何もかもが手探りなのである。

 後から体に邪神魂魄を使用したとして、それは憑依状態なのではないかと思ったからだ。仮に憑依状態であったら浄化魔法で邪神が消えてしまいかねない。


『早めに入れておけば、体との適合が早まるかもしれん。後は急速成長をしない事を祈ろう』


 色々と心配な事があるが、初めてのホムンクルス製作。しかも邪神の復活である。

 勝手がわからない以上は勢いで行動するしかなかった。


「さて……次は、コレか。できあがってるかな?」


 傍らの小さな水槽に、何やら布のようなものが液体に漬けられていた。イリスの装備である【鋼蝶のマジックドレス】である。

 同系統の手袋なども浸されてはいるが、その装備は以前のものに比べて高級感が増すほどに色合いが良い。同時に防御力も格段に増した。

 繊維系の装備は特殊な液体を混ぜた物で、繊維の隅までコーティングする事により防御力を上げるしかない。しかし、金属製の装備に比べても耐久力が低いのだ。

 ゼロスがしているのは繊維に金属や魔物の体液を混ぜた液体を浸透させ、装備の耐久力を上げるための作業をしただけである。これが鎧であるなら溶かして他の金属を混ぜるだけで良いのだが、衣類の様な装備だとそれが叶わないから面倒であった。

 要は染物職人の様なものである。だが、臭かった……。


『まさか、実際の装甲染液がここまで臭うとは……。まぁ、魔物の体液を使っているから当然だが、まるでクサヤだな……』


 装備の強化をしている筈なのに、気分はどこかの干物職人。

 臭いの質は異なるが、とにかく臭い。半端なく臭い。鼻が曲がるほどに臭い。刺激臭が酷い。

 その臭い液体からイリスの装備を取り出し、別の水槽にある液体に移した。

俗に【結合液】と呼ばれ、繊維内に含まれた物質を繊維に結合させる液体である。この液体に漬けると刺激臭は忽ち消え失せ、フローラルな香りに変わる。

 まぁ、一時的に香るだけで、しばらくすれば無臭になる。一種の化学反応なのだろう。

 しばらく手もみなどを繰り返し、マジックドレスに装甲染液が定着するのを確認し、長い時間同じ作業を続けた。


『そう言えば、この手の装備で斬撃を受けた場合はどうなるんだ? 普通に考えて骨折くらいはするはずでは? 繊維などでは衝撃を完全に防げるわけないし、どうなんだろ?』


 鎧などの装備なら打撃や斬撃にある程度は耐えられるだろうが、繊維で構築された装備はそうした攻撃に弱い。

 ゲームなら薄い布生地のローブで斬撃を受けてもダメージはさほど出ない事もあるが、普通に考えてもそれはあり得ない。鎧にしても装甲の厚さや強度が防御力に繋がる訳で、魔法などで補助的な耐久力を加工したとしても、結局は単純な物理攻撃の前にダメージを受ける事になる。

 斬る事は出来なくとも、物理的なダメージはそのまま体に伝わる筈だ。つまり、ローブだけの装備などファンタジーの魔導士としてはオーソドックスだが、実戦に当てはめると防御面では全く頼りない。


『まぁ、素早く動けるだろうが、問題は防御面だな。頭に矢が刺されば普通に死ぬし……』


【フェアリー・ロゼ】の戦闘以降、イリスは近接戦闘のスキル上げを熱心に取り組んでいた。

 恐らくだが、命の危険を改めて自覚したからであろうとゼロスは思っている。

 以前はどこかゲーム感覚が抜けきらず、どこか現実を甘く見ていた感じであった。

 地球での感覚に依存している転生者は、ファンタジーの世界に踏み込めばゲーム世界の情報を基準に考えてしまっていたとしてもおかしくはない。だがその考えは環境に適応する面では有効だが、同時に自分の命に関しての危機感を麻痺させる。

 現に盗賊に捕らえられた時でも、人を殺す事に躊躇った為に捕らえられたほどだ。

 だがそれは、戦いという状況下において生存の放棄に値する。どうしようもない状況に自分の命を守る事を最優先にしなくては、いずれ死ぬ事に繫がりかねない。

 殺さなければ殺されるという危機感を持たなければ、とてもではないが傭兵など務まらないだろう。

 特に、人を殺す覚悟を持たなければ、この危険な世界で死ぬ事は確実である。

 この世界でも一番恐ろしいのは一定のパターン的習性を持つ魔物よりも、知恵を持つ人間の方がよほど危険な存在なのだ。

 

『それでも、人を殺せるかどうかは別問題だが……。こればかりは教える事は出来ないからなぁ~、賞金首を捕まえて『殺せ』なんて言えないしねぇ……』


 ゼロスは過酷な環境下に身を落されたため、敵と判断した者を殺す事に躊躇いはない。喩えそれが人間でも、実際に殺したのだから既に精神面で一線を越えている。しかも殺害に対して何の感情も湧かなかった。

 しかしイリスの場合は違ったようで、今まで命の危険に曝された事がない。盗賊の時も使い魔を感知したようで、助かる可能性を知ったために生き残れる状況を見計らっていた。

 冷静に対処しようとしていたのは分かるが、殺意はあっても実際に殺せたかと言えば微妙である。

 そして、【フェアリー・ロゼ】の件で、その甘さが間違いであった事に気付いたようであるが、まだ人を殺す事がどういう事かなど理解していない。

 経験しなければ判らない領域というものが、確かに存在している。だからこそ、それを教える事が難しい。地球での倫理観が身を守るための殺人を拒絶しているように思えた。

 殺す事に慣れろとは言えない。しかし、殺せなければ意味がない。


『自覚しただけでも良しとするか……知り合いが死ぬのは寝覚めが悪い。かと言って、頼られ過ぎても困るんだよなぁ~。失敗しないと学ばないだろうし、どうしたものかね』


 イリスはこの世界の住民に比べて強い。その強さが判断力を鈍らせているのも間違いないだろう。

 元からこの世界の住民なら、常に危険がある事を知る事が出来た。環境が身を護る危機感を育てているからだ。

 だが、転生者はゲーム感覚が強く、死に対して鈍感だと言える。もしくは自分が死なないとすら思っている可能性も否定できない。


『現在、この世界で生き延びてる転生者は何人いるのかねぇ~……。あっ、そういえば勇者なんて連中もいたな。彼等も何人かは死んでるんじゃないのか?』


 どこから召喚された勇者かは知らないが、危険に満ち溢れたこの世界で生き延びられるとは思えない。

 既に犠牲者も出ているだろうと予想もしているが、他国の事であるだけに情報が得られない。ソリステア魔法王国は辺境小国なのである。

『どこかで情報が手に入らないかなぁ~』と軽く考えながら、イリスの装備を雑巾を絞るかのように水切りをする。『洗濯機でも作ろうか?』などと思い浮かべながら……。

 籠に入れた後に、天日で乾かすべく地下倉庫から出て行くのであった。


 暗闇の中、唯一明かりを放つ培養槽の中で、【変魔種】は胎児の形に変化していた。

 その胎児に埋め込まれた精霊結晶が、わずかに金色の輝きを放ち始めている。

 地下倉庫を出て行ったおっさんは、ホムンクルスの成長速度を確認しなかった。培養育成時間が通常よりも早い事に気付くまで、しばらくの時間を要するのである。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

【メーティス聖法神国】。聖都【マハ・ルタート】。

 古き時代には創生神教が栄え、多くの信者達の手によって築かれた都である。

 邪神戦争期で多くの古き歴史を誇る街が消滅する中、被害をさほど受けずに残された数少ない街の一つである。

 建築された建物は全て白で統一され、美しい町並みは多くの人々に神聖さと清潔感を印象付ける。

 だがそれは表面的なものであり、裏側から見れば貧富の差が激しく、特に神官達の権威が異常なまでに高い。

 四神教が信仰されて以降、権力に溺れる神官達が増え、お布施という名の税を搾り取るような政治になりつつある。

 無論まともな神官達も多くいるが、一度裕福な暮らしに染まると抜け出す事が出来ずに状況に甘んじている。人間は環境に適応する生き物だが、一部の神官達は裕福な生活を当たり前と受け入れ、自分達が信仰し広める教えと真逆の道を突き進んでいた。

 【強欲】と【怠惰】、【色欲】【暴食】【嫉妬】【傲慢】。為政者が七つの大罪の内、六つも制覇する国家であると言える。そして、そこに住む民の間には【憤怒】が広まっている。その大きな原因が重い税と【妖精の擁護】にあった。

 収入の大半が税として収められ、妖精被害で仕事がままならず被害は拡大の一途。そのくせ妖精に関して何の手も打たずに放置し、民を守るべき神聖騎士団や勇者は他国へ侵攻するばかりで戦争に明け暮れ、そのツケが民達に負担となって来る。

 そして政治を牛耳る神官達は贅沢三昧。まともな司祭たちは見て見ぬ振り。

 しかもこの国の政治は神託によって決められるので、本末転倒どころか泥沼状態であった。

 召喚された勇者達も『いい加減、政治くらいはきっちりやれよ。神に頼り過ぎなんじゃね?』などと言うほどである。目で見えるほどに酷い有様であった。

 そんな国の中央にある四神聖殿。国の方針を決める政治の中枢と同時に、神を祀る祭事の拠点でもある。


 神殿内の大理石でできた柱が並び立つ回廊を、十数名の武装した戦士達が並び歩く。

 全員が黒髪の青少年達で、それぞれが白で統一された鎧を装備していた。


「よう、姫島。久しぶりだな」

「・・・・・・・・・」

「シカトかよ。いい加減、死んじまった奴の事なんか忘れてよぉ、俺の女になれよ」

「・・・・・・・・・」

「クズだったが役には立ったよな。おかげで俺達は生きている。使えねぇ奴だったが、最後は派手に死んでくれたし、雑魚共もいなくなって清々したぜ」

「うるさい……馴れ馴れしく私に話しかけないでくれる。クズ!」


 厳つい顔のピアスをした少年は下卑た笑みを浮かべ少女に近付くが、侮蔑の込められた言葉で拒絶される。

【姫島】と呼ばれた少女の目には何も映っておらず、唯一みられる感情が憎悪と侮蔑。この二つの感情が少年に向けられていた。


「まったく……岩田君も懲りないね。もう、徹底的に完膚なきまで軽蔑されているのに、姫島さんに言い寄るなんてね。それに、女性に乱暴するような男に誰が靡くと言うんだい?」

「んだとぉ? テメェに言われたくねぇんだよ、笹木! お前も女を囲ってんだろうが!」

「人聞きが悪いね。僕は女性とは真摯に向き合っているさ、身も心もね」

「ケッ! 女なんてものは力尽くでモノにするもんだろ。意思なんて関係ねぇ!」

「だからフラれたんじゃないのかい? 姫島さんは一途な性格だから、あの事が原因で愛情が反転して憎悪になったんだよ? 無謀な突撃の犠牲者である一人に君は何をしていたっけ?」

「俺が悪いって言うのかよ! あんなクズは消えて当然だろ!」

「悪いでしょ。君が考えなしに突撃した所為で僕らは半数に減ってしまった。その原因である君を殺したいほどに憎むのは当然じゃないか? 君にとって姫島さんは、今や背中を気をつけなければならない危険人物だという事を忘れてないかい?」


 勇者達が召喚されたのは三年前。

 当時は普通の中学生だった彼等はこの世界にクラスごと召喚され、否応なく戦うための訓練を積まされた。この国に仇なす邪教の国から民を守るべく【魔族】との戦争に参加し、その結果は酷いものであった。

【魔族】とは宗教的の異なる小国家の一つで、実際はただの民族紛争。しかし小国家でありながら戦士のレベルは【鑑定】で見れない程に高く、一騎当千の強さで勇者達を追い詰めた。

 数で勝るメーティス聖法神国だったが、途中まで戦況は有利に進んでいたところを敵国は魔物を利用して騎士団を壊滅させたのである。

 その魔物の強さも勇者達を圧倒しており、召喚された者達の半数は死ぬ事になった。

 当時前線指揮を任されたのがこの【岩田 定満】と言う少年で、闇雲に前線に突っ込んでは怪我人を増やし、最後は仲間である勇者達を盾にして逃げたのだ。

 当時、彼等の中でレベル500に到達した者は少なく、それ以上の戦士や魔物と戦うなど考えもしていなかった。所謂ゲーム感覚で戦争していたのだ。

 だが現実はゲームとは違う。凄惨な戦場に出た事で彼等の士気は落ち、更に敵側の圧倒的な強さで軽く蹴散らされ、数で有利な状況は相手国の策により簡単に崩された。

 そして、【姫島 佳乃】は友人と初恋相手である幼馴染を両方失った。正確には行方不明扱いだが、戦場の状況を見ると生存は絶望的。憎悪と侮蔑を向けるのは当然である。それと殺意も……。


「姫島さん……本当に変わったわよね。大人しめのお嬢様が、今じゃ修羅だし……」

「原因はコイツだがな。あの時、勝手に暴走しなければ、撤退は出来たんじゃないのか?」

「いくら数が多くても、向こうの強さは私達以上だったし……」

「戦士職ばかりだからな、後方から魔法援護なんてないし、魔族の連中は魔法も派手に撃ち込んでくる。見た目は戦士系だったのに……。勝てる訳ねぇよ」

「優位なのは回復だけど、怪我人が続出して回復が追い付かない。ワザと殺さない様にしてたよな」

「とどめに魔物の群れ……あんな悍ましい生物がいるとは……」

「「「「結論! 岩田、お前が悪い!!」」」」


 状況が悪いと理解した時、前線は完全に崩壊し魔物の群れに飲み込まれていた。

 その中で岩田は逸早く逃げだし、他のクラスメイトに全てを押し付けた。別動隊だった勇者達は生き残った仲間から話を聞き出し、考えなしの無謀な突撃の事を知る。


「戦争だろ、弱い奴が死ぬのは当たり前だろ!! いつまでもネチネチと……」

「その原因を作った奴に言われたくないわ。【風間君】は最後まで仲間を逃がそうと戦っていたらしいわよ? 唯一の魔導士だったのに……それに比べて」

「防御力もない魔導士が前線で体を張ったと言うのに、お前は何をしてたんだよ。さっさと逃げたんだろ? 確か、その場に姫島さんもいたよな? なんで平気で声かけられんの?」


 自分勝手の行動が多い岩田は、結果として仲間から完全に孤立した。

 戦場で突撃命令を出し、自分の作戦行動が間違いであると知った時、我先にと逃げだす指揮官など信用できるはずもない。

 また、仲間を平気に盾とする様な人物と誰がパーティーを組むというのか。

 今では彼から佳乃に代わり前線指揮官となっていた。 


 言い争う勇者達は歩きながら、巨大な扉の前へと辿り着く。

 宗教的な逸話が彫刻として彫られた扉が開き、彼等は神殿奥の法皇の間へと無言で進んで行った。

 祭壇の前には四人の少女と、法衣を纏った初老の老人が立っている。

 周囲にも同様に法衣を纏った司祭達が並び、全員が表情険しく勇者達を見据えている。あまり良い気配でない事を察した。


「良くぞ参られた、勇者達よ。此度はそなた達に重要な話をせねばならない」


 初老の老人、法皇【ミハロウフ・ウェルサピオ・マクリエル法皇七世】が静かに口を開く。


「数日前、神託が下され……そなた達に神命が与えられた」

「神託……ですか?」

「うむ……邪神が復活したらしい。その邪神を探し出し、そなた達に討伐して貰う事が言明されたのだ」


 勇者達の間に動揺が走る。

 邪神は遥か昔に討伐され、今は魔族との戦いに勝つ事を優先させられていた。

 だが、邪神が復活したとなると勇者達は全力を挙げて倒さねばならない。だが、今の彼等に邪神が倒せるとは到底思えなかった。

 何しろ眷属と言われる魔族の一兵に苦戦するほどだ。とても勝てる要素などない。


「不安に思うのも分かる。だが、邪神はある国の土地を消滅させた後、何処となく消え去った。これを鑑みるに、まだ復活は完全ではないのかもしれぬ」

「勇者達には不完全な邪神を探し出し、それを討ち滅ぼす事を四神様達は望んでおられる」

「これは神命である! 現時点で勇者達は騎士団長の任を解き、邪神探索に向かってほしい」


 傍らにいる大司教達が法王の言葉を継ぎ、酷く一方的な言い方で告げる。

 そして、勇者達には選択肢はない。なぜなら彼等はこの時のために呼ばれたのだから。

 勇者達は何も言えず、法皇や司祭達の長い話を聞き、邪神の伝承を伝えられた。

 そして彼等の心に過った言葉は『あぁー……これは詰んだな。勝てる訳ねぇじゃん』の一言だった。

 普通に考えて、大国の首都を一撃で消し飛ばせる化け物に勝てる要素など全く見当たらない。それでも探し出して勝てと言うのだから、とんだムチャ振りである。


「そなた達がこの戦いを完遂できる事を願い、洗礼の義を執り行う。勇者達よ、前に出られよ」


 そして、長い時間を掛けて神聖な儀式とやらを行い、この何とも言えない窮屈な時間から解放されるまで、三時間以上の時間を費やすのであった。

 慣れたといえども彼等は現代の日本人。こうした時間は誰もが苦手だった。

 この日から勇者達は旅支度を始め、三日後各地に探索に赴くのである。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「姫島さん。あなたはどうするの? 私達は小国を廻って情報を集めるけど」

「私は前線に向かうわ……。邪神なんてどうでも良い」

「姫島さん……」

「こんな世界……滅びればいいのよ。勝手に召喚して、殺し合いをさせて……」

「でも、邪神を倒さないと帰れないって言ってたわよね? 召喚による聖約で決められてるって……」

「……聖約? 本当にそんなものがあると思う? 都合の良い駒にするために召喚したとは思わない?」


 大切な人達を失う場面を見た佳乃は、全てを疑うようになっていた。

 聖女達や司祭達の言葉も、神託すら胡散臭い戯言にしか思えない。

 ただ日本に帰りたくて戦っている者達もいるが、帰れる保証など何処にもなく、全てが都合の良い嘘としか思えなくなっていた。そしてそれは誰もが考え口にしなかった事である。

 今彼女の脳裏にあるのは、泣きながら逃げ幾度も振り返り続けた時に見た光景。

 戦士職なのに足手まといだった自分達を最後まで守り、一人囮となって戦い続けた魔導士である幼馴染の最後の後ろ姿だった。


「姫島さん……それ、他の人達の前で言わない方が良いわよ? 本気で信じている人もいるんだから」

「風間――いえ、卓実君が召喚された時に言っていたわ。『この国は胡散臭い』て……」

「風間君が? どうして……召喚したのは邪神を倒すためでしょ? 他の邪教とを倒すのも勇者の役割だって……」

「それで得をするのは誰? 邪教と言っているけど、結局は地球にもあった宗教戦争なだけじゃない。どうして私達が戦わなければならないの? それに、異種族の迫害もそこに端を発している。異なる宗派だから人とは認めない。これも地球では良くある人種差別、皆も知ってる歴史よね?」

「それじゃ、私達が召喚された理由て……」

「四神教の権威を上げる為の捨て駒。邪神を倒したければ四神が相手をすれば良い、それが出来ない理由は四神じゃ勝てないから。そんな存在である邪神って、いったい何だと思う?」


 それは四神教を否定する内容であった。

 四神教では世界を創造した存在は四柱の女神とされている。だが、その様な存在であるなら邪神を倒せるだけの力を持っている筈なのだ。


「勇者でないと邪神が倒せないからじゃないの? 世界の均衡が崩れると言っていたじゃない」

「それは後付けだと思う。邪神を封印できたから後から教義内容を書き換えただけで、まさか復活するとは思わなかったのよ……。第一、世界を創生できるだけの力が四神にあるなら、手に負えないような存在を作るはずもない。挙句に異世界から来た神なんて言ってる。ここまで来ると都合が良すぎるわ。そして、四神は今になって焦っている。自分達じゃ勝てない相手が目覚めたから……」

「風間君も調べてたよね。ただのキモオタかと思っていたのに、熱心に教義内容を読み返して状況を冷静に知ろうとしていたし……」

「うん……その所為で司祭達に嫌われてたけどね。でも、誰よりも現実的だった」

「あの頃の私達……ゲーム感覚で誰かが死ぬとは思わなかった。死んでも復活できるとすら思ってたし……馬鹿よね。そんな筈はないのに……」


 遊び感覚が過酷な現実に直面し、そこで初めて自分達の過ちを知った。

 仲間を失い、勇者達は死の恐怖に震える事となった。ましてや死者の蘇生などあり得ない。

 同時に半数の勇者がいなくなった事で、大規模な侵攻作戦が頓挫してしまう。


「姫島さん、本当にあそこに行くの?」

「うん、ごめんね。一条さん……。あの地でしかあの人には会えないから……」

「復讐しても風間君が喜ぶとは思えないけど?」

「わかってる。でも……それしかもう考えられないから……。死んだら怒られるかな?」

「……怒るわよ。少なくとも私は許さないからね? 風間君のした事が無駄になるから……」

「うん、ありがとう……一条さん」


 数少なくなった友人と別れ、佳乃は翌日最前線へと向かった。

 彼女の脳裏には、黒い翼を持った女性戦士の姿が焼き付いて離れない。

 自分の大切な人を斬り捨てた戦士。

 傷口から噴き出した鮮血と、最後まで『逃げろ』と言い続けた声。

 そして、敵を巻き込むほどの威力の魔法の中に、自ら消え去った幼馴染の姿を……。


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