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 おっさん、居候になる

 街道を走り続けて三日目。

 ゼロスは、馬車の窓から見える街の景色に心をときめかせていた。

 一週間ほど森を彷徨い、街道に出れば盗賊と鉢合わせ。

 人とのふれあいなど、クレストンとセレスティーナ、御付きの騎士二人くらいのものであった。

 山を下り、その道なりから見える街の景色は、ゼロスにようやく人らしい暮らしを与えてくれる物と予感させた。


「アレが…サントールの街ですか? 予想よりも大きな街ですね?」

「うむ、我が領内最大の街で、商人達の交通の要所となっておる。これほどの規模となると、後は王都くらいなものじゃろう」

「大河もあるのですか? 船での流通も盛んなようですね」

「オーラス大河を下ると、だいたい二週間で王都に着くのぅ。陸路より早いが、船旅は風任せの所があるので、さほど変わらん」


 サントールの街は山間を切り開いた土地で、直ぐ傍に大河が流れていた事から、古くから貿易の要所として栄えた。

 同時に天然の要塞としての面があり、難攻不落の要塞都市とも言われている。


 幾たびの戦火に見舞われながらも陥落される事は無く、それどころか多くの敵の血を流した事から、【血塗られた都市】と侮蔑の込めた別称で言われる事がある。

 無論、これは攻め込んだ国の商人達が言っている事であり、この街を陥落させるには餘にもリスクの高い。

 更に言えば、この街に攻め込む決断をした王は全て無能呼ばわりされ、多くの犠牲を払ったにも拘らず負けて逃れてきた事から、『畏き王はサントールには攻め込まない』と諺が出来るほどである。


 だが、そこに住む住人達は治安の重視した政策で、常に身の安全が保障されている事から、世界で最も安全な街と有名であった。

 名声と悪名を二つ持つ、それがこの街【サントール】である。


「この山の麓に門があり、そこから儂の住む別邸に向かう」

「隠居したのですよね? 現公爵と会うような事はありませんよね?」

「なんじゃ? そなたほどの魔導士が、公爵程度に腰を引くのか?」

「正直、会いたいとは思いませんよ。ヘタに目を付けられるのは遠慮したい所です」

「本当に権力者が苦手なのじゃな。むしろ嫌悪していると言っても良い」

「責務を全うするのは当たり前、その権力で他人を頭から強制的に動かす様な方は敵です。自分を曝け出す事すらせず、力で強引に物事を進めようとするなら反抗しますよ?」

「儂の息子がそうじゃな。なるほど……会わぬ方が良いじゃろう。ヘタをすればこの街が落され兼ねん」


 今だゼロスの実力を把握できない以上、愚かな選択はしたくは無い。

 何よりも可愛い孫娘の教師である。余計な足かせを嵌めて逃げられるのは得策では無かった。

 ゼロスがいる限り、セレスティーナは笑顔を向けてくれるのだから、隠居の老人はこれ以上に望む物は無い。

 全ては可愛い孫のためであった。


「よし……もう少し火を抑えて……」


 魔力操作の訓練中であるセレスティーナは、真剣に『トーチ』の魔法を操作していた。

 火を弱めたまま持続させたり、ワザと大きめの火にしてコントロールしたりと遊び半分で訓練に勤しんでいた。

 今まで出来なかった事が可能になり、彼女は枷が外れたかの様に魔法訓練に没頭しているのだ。

 これまでの遅れを取り戻そうとする様な彼女の表情は、実に真剣でそれでいて楽しそうであった。


「そう言えば、そなたに土地を与える約束であったな。静かな場所が良いとか…」

「魔法の開発実験もしますし、基本は自給自足で生活したいので、広い方が良いですね。街から多少は離れていても、往復できる距離が望ましいですが、そこまで我儘を言うのはどうも……」

「なに、隠居した身とはいえ、公爵を助けたのじゃぞ? その程度であれば、構わんじゃろ」


 褒美とはいえ、我儘を押し付けているようで気が引けるゼロスだが、彼はどうしても土地が欲しい。

 根無し草になるのは人としてどうかと思うが、せめて人並みの家庭を築けるだけの土地を持ちたいのだ。


「ところで大量の魔石が在るのですが、どこで売れば良いのでしょう? うっかりゴブリンの集落に踏み込んでしまい、やむなく殲滅したのですけど……」

「お主……まさかとは思うが、【ファーフランの大深緑地帯】で迷ったのではないか?」

「オークも森を埋め尽くすほど居ましたね。倒しても倒しても切りがありませんでしたよ。ははははっ」

「あの魔境から生きて戻って来るとは……。明らかにこの国の奴等よりレベルが違うのぅ…。あきれて物も言えん」


 ファーフラン街道を沿うように広がる大深緑地帯。

 数多くの魔物が生息し、弱肉強食の摂理の中で生きる最悪の魔境。

 決して生きて帰る事が出来ないとまで言われる危険な領域であった。


「魔石は儂の知り合いの専門店に売りに出す方が良いじゃろうが、どれほど持っておるのだ?」

「さぁ? 数えるのが馬鹿らしくなる位ですかね? 100は越えていたと思います」

「一財産じゃぞ? この辺りのゴブリンからなぞ魔石は獲れぬからな」


 魔物の体内で生成される魔石は、自然界の魔力が濃い場所の魔物からしか獲る事は出来ない。

 もしくは、強力な魔物の体内からなのだが、その魔物を倒すにはかなり苦労する事になる。

 何しろ魔石を生成している魔物は大抵強く、同じゴブリンでも魔石の有る無しでは強さの幅が異なるのだ。

 この辺りのホブ・ゴブリンと深緑地帯のゴブリンが同等なのだから、強さの開きが極端にあるのだ。

 そんな魔物の集落を壊滅させたゼロスの実力は、それは恐ろしいほどであろう。 


「専門店ですか……魔導具を製作しているような店ですか?」

「うむ。魔導具製作に魔石は欠かせぬし、何より需要が高いから幾らでも欲しがるじゃろう」

「そうなると、ワイヴァ―ンの魔石なんかは……」

「しばらくは遊んで暮らせるぞ? 何しろ破格の魔力が込められておる。王族が欲しがるじゃろうて」

「……自分で使った方が良いですね」

「多才じゃな。そなたは魔導具も製作するのか?」

「たまにですよ。今は設備が無いですし、畑仕事の合間に作ってみようかと思いまして」


 大賢者の職業はダテでは無かった。


 問題はこの世界での製作が可能かなのだが、今まで作ったアイテムの数々が、製作レシピとして脳裏に記録されていた。

 ましてや魔方陣の上で金属を操り製作するので、火傷の心配も無い。

 魔導錬成のやり方が記憶に刻み込まれており、恐らくは製作が可能だと思っている。

 真っ当な職人には迷惑な話だ。


「……あまり、作ったヤツを売らない方が良いですね。他の職人が首を吊りかねないですし……」

「お主……多才じゃが、傍迷惑じゃのぅ」


 大賢者様は職人には迷惑な存在だった。

 何しろ趣味と興味の思うが儘に作り続け、ネット上ではかなり非常識な真似をしでかしていたのだ。

 それが現実で可能となれば、この世界に及ぼす影響が測り知れない。

 平穏に生きたい彼にはとても、強力な道具を作る気にはなれなかった。


 馬車はいよいよサントールの街に入る。

 街の門の前で簡単なチェックを受けるが、馬車自体が此処の領主の家紋が刻まれており、何の問題も無く通り過ぎる事が出来た。


「凄いですね……街自体を城門で囲むのは良くありますが、これは規模が違う」

「多くの民が行き交う要所じゃからな、厳重に守らねば意味は無かろう? 民は我等貴族が守らねばならぬからな」

「そう思ってくれる貴族がどれだけいる事か……。中には初夜税などと言い、他人の妻を寝取る輩も居りますので……」

「我が国にも居るわい。そ奴が魔導士の最頂点である宮廷魔術師の筆頭の一人じゃからのぉ……、嘆かわしい事じゃ」

「クズですね。なぜ国は処断しないんです? 民あっての国で、別に王族や貴族が居なくても民は生きて行けるんですよ?」

「優秀だったからじゃが、お主を知った今ではとてもそうとは思えん。ただの矮小な俗物じゃ」


 セレスティーナに家庭教師として優秀な魔導士を探していた彼の元に、その筆頭魔導士が現れ金をかなりせびったが、紹介された魔導士は途中で匙を投げ、結局彼女は魔法を使えなかった。

 そんなセレスティーナを救ったのが、どこの馬の骨とも分からない無名の魔導士であった。

 しかもその魔導士はあまりに有能過ぎて、しかも権力を求めてはいない。

 比べる事自体が間違っていると思うが、高みを目指すと吹聴しながらも権力に固執する俗物と、権力すら要らぬと鼻で笑い、高みに辿り着いた魔導士とは高潔さに差があり過ぎた。


「ティーナは高みへと辿り着けるかのぅ……」

「それは努力と才能次第でしょう。結局は死ぬまでその情熱を持ち続ける事が出来るか、ですから」

「そうじゃな。だが、努力は決して無駄には為るまい?」

「当然です。少なくとも、あの手の不完全な教本を持たせるような魔導士よりは、遥かに優秀になりますよ」


 セレスティーナの将来を思いつつ、ゼロスたちを乗せたクレストン所有の馬車は街の中を進んでいた。


 町並みは全て煉瓦と漆喰で固められた建物が並び、街を行き交う人々は日々の生活の中で懸命に生きている。

 時折商人の馬車とすれ違い、中には傭兵のような武器を携えた者達の姿も見られる。

 広い街並みではあるが、馬車は何故か森の中へと進んでいた。


「何で、街の中に森があるんでしょう?」

「この先は険しい岩山でな。その周囲に森が広がっておるのじゃが……儂の別邸は、そこの中心にあるのじゃ」

「何とも……天然の要塞か。周囲は防壁で二重に囲み、後方は岩山で塞がれ、前方は大河な上に段差が高過ぎて攻め難い。船で来た商人の荷物はどうするんだろうか?」

「滑車を使って引き上げるが、後は指定の通路を上って運んでおる。商人はこの土地で重要な金の流れを作るからのぅ」

「ヘタに税金を上げれば反発されそうですね」

「欲に溺れぬ限り大丈夫じゃろうて。その辺りは弁えておる」


 貴族の中には税金は自分の金と思い込んでる者達も多い。

 一部の商人を懇意にしたり、権力に物を言わせて贅沢三昧の者も少なからずいる。

 その中でソリステア大公爵は健全な領地運営をしている様である。


「問題は儂の息子が権力に溺れん事じゃな。些か調子に乗っている所もあるしのぅ……使用人の娘に手を出したりとな」

「男の甲斐性とか言ってたりして……いるんですよねぇ~、優秀だけど癖が強い人物って」

「正直、儂の孫が何人おるか見当もつかん。分かっているだけでも50人ほど手を出しておるから、些か問題じゃ」

「家督争いで血を見ますね……。遺言や後継者は、はっきり決めておいた方が良いですよ? 後々めんどくさいですから」

「どこの娘かは知らぬが…時折、金をせびりに来る。証拠が無いのじゃから直ぐに追い返せるのが幸いじゃ」


 現公爵は別の意味でやり手だったようだ。

 家督争いに巻き込まれない様にしなくてはいけないと、内心警戒レベルを上げた。

 

「見えて来たようじゃな」

「おぉ……中世の如き建造物。まさか、貴族の屋敷に泊まる日が来ようとは思いもしませんでした」


 別邸であるクラストンの屋敷は飾り気のない小さな城の様であった。

 所々にバルコニーが見られるが、彫刻や金細工のような装飾は施されていない。

 外敵侵入を防ぐための堀に掛けられた橋を進み、門を潜るとそこは別世界のように整備されていた。

 森の古城と言うべきか、この地に相応しい落ち着いた雰囲気を感じられた。


「向こうは、庭……いえ、畑ですか?」

「大抵の野菜類は自給自足で賄っておる。肉は外から購入するが、鶏肉は別の場所で育てておるな」

「良いですね。豪華な食事なんて金の無駄ですし、庶民派は好感度が高まりますよ。強欲な連中に見習わせたい所ですね」

「貴族の暮らしなど、然程金は回って来んわい。領地の整備などで色々要りようじゃし、せいぜい見た目をそれらしくみせる程度で充分じゃ」

「『金は直ぐに集められる』等と言ってる連中に見せてやりたい所ですね」


 城は公爵家と言う割にさほど広くは無く、その殆どが庭と畑となっていた。

 ゼロスには実に好ましい心意気である。

 権力に死ぬまで縛られない事の、ある種の潔さがそこに在った。


「ティーナよ、着いたぞ?」

「えっ? もうですか? まだ魔力は残っているのですが」

「荷物は自分で運ぶんじゃぞ? 使用人達は仕事で忙しいのじゃからな」

「分かりました。御爺様」


 意外に躾けは厳しいようだ。

 だが、これが大公爵なのだと思うと、何とも微笑ましい。


「そなたの部屋を用意させよう。明日からの話もせねばならんからな」

「家庭教師ですか? まぁ、僕の出来る限りは教えますが、付いて来れるかは彼女次第ですよ?」

「それで良い。儂はそなたを縛り付けようなどとは思わぬし、敵対する気も無いわい」

「僕としても、それは避けたい所ですよ」


 ワイヴァ―ンを単独で倒す魔導士など前代未聞であり、何よりも剣の腕もたつと来れば引く手数多だろう。

 そんな魔導士は自由に生きるために権力を欲してはいない。

 押し付けて逆に敵国に浸かれるのはなんとしても避けたいのだ。

 気楽な交友関係はクレストン自身も望んでおり、そのためにも権力の話は避けねばならない禁忌になった。


「そう言えば、先生は杖をお持ちにならないんですね?」

「僕は杖では無くこの指輪が発動媒体なので、杖は必要ないんですよ。これなら剣も使えますしね」

「指輪ですか……。ではその指輪はミスリル製なのですか?」

「いえ、【メタルグラードス】の胆石ですね。ミスリルよりも硬く、金属の性質を持っているので加工もしやすい。何よりも、魔力伝導率が恐ろしく高いんですよ。

 まぁ、あの魔物の胆のうに溜まったミスリルが変質した物ですから、ミスリルでも構わないと思いますけどね」


 メタルグラードス。

 火山地帯に生息する金属を喰らう魔物であり、その体内から様々な金属が獲れる事で有名である。

 食べた鉱石がそのまま鱗に変質するので良い資源として狙われるのだが、あまりに危険度が高く、竜種であるために恐ろしく強くて頑丈なので武器での攻撃があまり効果が無い。

 更に縄張り争いを起こすほど好戦的で、侵入者は容赦なく排除に掛かるモンスターである。

 ワイヴァ―ンよりも遥かに恐ろしい魔物であった。


「……正直、何がお主をそこまで駆り立てたのか…聞くのが恐ろしい。殺伐すぎて、逆に平穏に生きたがるのが良く解るわい」

「その認識は正しいですよ? 僕は正直、戦いの中に身を置き過ぎたんです。静かに暮らしたいと言うのは、ある意味で大陸を支配したいと言う野心家の願望並みに高いと思いますね」

「納得できてしまうのが悲しい所じゃな。生き急ぎ過ぎて疲れたのじゃろうて……」


 妙に納得されてしまった。

 ゼロスとしてはゲーム内で暴れ回っただけの話だが、この世界の住民に話すにはデジタル世界での事を起点に置いた方が良い。

 しかしながら、その思い出す限りの戦闘の話は逆に殺伐すぎた。

 その所為か、ゼロスは戦い続ける事に疲れ果てた魔導士として認識されてしまったのである。

 これで邪神を倒したなどと言ったらどうなるか分かったものでは無い。


「お主、そう言えば荷物はどうしたのじゃ? 随分と身軽じゃと不思議に思っておったのじゃが」

「僕は時空魔法が使えますので、荷物は別の空間に放り込んであります」

「便利じゃのぅ。時空魔法など伝説で聞くものばかりなのじゃが……」

「まぁ、荷物を収納するだけですけどね。旅の時は便利ですが、些か効率が悪いんです」

「作り変えたりはせんのか?」

「なにぶん、古い魔法なので術式が異なって解読不可能なのです。余生はこの魔法の研究をと考えていましたから」

「太古の魔法か……そのような物を見つけ出すとは、凄まじい人生じゃな」


 無論イベントリ―の事だが、正直このシステムがなぜ働いてるのか皆目見当がつかない。

 それゆえに太古の魔法と言っておけば納得させる事が出来た。


「その魔法は複製できるのかのぅ?」

「残念ながら、恐ろしく高密度の魔法式なので手を出せず、更に術式の文字が異なるので解読も不可。

 ついでに何やら防御機能があるようで、一度イデアに刻んだら複製が出来ないようです」

「いったい、どこで見つけたのじゃ?」

「どこかの戦場で戦っている時に地面が陥没しまして、その後に魔物と戦いながら彷徨っている内に小部屋で発見したんです。後は命懸けの脱出で気付けば山の中を一人で歩いていました。

 その後一週間は憔悴のため寝たきりになり、正気を取り戻した時には仲間の馬車に揺られ別の戦場に向かってました」

「聞かねば良かった。どれだけ過酷な世界を送って来たんじゃ……」


 口から出まかせ出放題。

 そこまで言って於けば、あまり深く追及はされないだろうという判断だ。

 逆にセレスティーナは瞳を輝かせ、尊敬の眼差しを送っていた。

 純真な視線がが酷く突き刺さる。

 聞く者の感性が異なれば、その捉え方も異なる良い例である。


 その後は魔術の基本となる魔導文字の簡単な説明を交えつつ、屋敷の中へと入って行った。


 玄関ホールに入ると、そこは天上が高く、品の良いシャンデリアが吊るされている。

 壁面には絵画が僅かに掛けられており、御申し訳程度に飾られた花瓶に生けられた花が、実にこの屋敷の主の心根を現していた。

 余計な調度品は不要という事だろう。

 そこがむしろ芸術的品格があり、森の古城と言う条件にマッチしていた。


「儂らは荷物を置いて来るゆえ、そなたの部屋の案内は家臣達に任せる」

「お世話になります」

「なに、命の恩人にこの程度の事は当然じゃろ? そなたは遠慮なく寛いでくれ」

「お言葉に甘えます。しばらく屋根のある場所で寝食をした事が無くて、逆に待遇が良すぎて恐縮しそうですよ」

「本当に苦労しておったのじゃな……。クッ・・・・・・」


 なぜか泣かれてしまった。


「着替えは用意させよう。先に寝室に案内させてもらうぞ?」

「屋根があるなら馬小屋でもありがたいですね。久しぶりに、ゆっくり眠れそうです」

「・・・・・・お主、波乱万丈すぎるぞ? 何が、そこまで艱難辛苦に突き動かすのじゃ……」

「さぁ? 気付いたら魔物に囲まれているなんて良くありますからね。考えた事すらありませんよ」

「本当に難儀な人生じゃな……。神の試練にしても酷過ぎる」

「神は敵だと思ってますから、天罰なのではないでしょうか?」


 事実、神の所為で死ぬ事になったのだから、敵である事には間違い無い。


「では、ここで失礼させてもらうぞ? 何しろ隠居の身とは言え仕事はあるからのぅ」

「えぇ、お世話になります」

「先生。これからよろしくお願いしますね?」

「そうですね。私の知っている基礎的な事を教えましょう。生かすも殺すもあなた次第ですが」

「絶対に生かして見せます! 先生に出会えた事が、私にとって最高の幸運ですから」

「気負わずにゆっくり行きましょう。焦った所で上手く行くわけではありませんからね」

「はい!」


 セレスティーナは元気良く手を振り、その場を後にする。

 残されたゼロスは途方に暮れる事になった。


(僕は……この後、どうすればいいんだろうか?)


 いい歳こいたおっさんは、ただ茫洋と辺りを見ているしかなかった。

 次第に場違いな所に来てしまったと不安になるゼロス。

 彼は小心者であった。


「ゼロス様、お迎えに上がりました。どうぞこちらへ」

「あっ? えぇ……お手数をおかけします」


 現れたナイスミドルの執事に誘われ、彼はその後を追うように移動する。

 玄関フロアから左に入り、階段を上がった一番左端の部屋に彼は案内された。

 扉を開き中へ入ると、そこは少し狭いが充分に客分を止める事が出来る部屋であった。

 何より嬉しいのはベッドがある事だろうか? その感触は、野宿の時ほどとは比べ物にならないくらいの弾力を持っている。

 そして部屋から見える景観が良い事が、この部屋が特別であると思われる。


「良い部屋ですね。窓から見える景色も実にのどかで、美しい……」

「ありがとうございます。この部屋は、この別邸で一番の見晴らしの良い部屋でございますれば、特別な客人にお貸しするようにしております」

「特別? 僕がですか?」

「えぇ、あなた様はお嬢様の問題を解決したばかりか、大旦那様の御命を救われました。このくらいの事は当然でございましょう」

「既に破格の待遇?! ただ盗賊を叩きのめしただけなのに?!」


 あまりの待遇の良さに、ゼロスはただ恐縮するばかりであった。


「なにを仰います。貴方様は稀代の魔導士にして、最高の誉れを手にしたのですぞ? 逆にその様な方をおもてなしせずにお返ししたとあれば、我が公爵家の名折れでございます」

「何か、凄い大事になってる気がするんですけど……」

「この程度の事など些細な問題ですよ。あなた様はそれ以上の事をなさったのですから」


 ゼロスがした事と言えば、盗賊を撃退した事と魔法式を改良しただけである。

 ただそれだけの事が、まさかここまで待遇が良くなるとは思ってもみなかった。

 だが、これが当事者からの視点で見ると話は変わって来る。


 いつまでたっても魔法が使えないセレスティーナは魔法が使えるようになり、クレストンからすれば自分だけでは無く、最愛の孫娘の命を救って貰ったばかりか問題も解決したのだ。

 ついでに孫娘はレベルを上げ、更には家庭教師を引き受けてくれると言う。

 しかも、魔導士の頂点である大賢者にだ。

 彼等にしてみれば、この待遇すら生易しい物だと思っている。


 完全に価値観の異なる祖語から生まれた事であった。


「とんでも無い事になってる気がする。たかが一介の家庭教師ですよ? 僕は……」

「各地を転戦した実力派の大賢者と聞いておりますれば、この程度では採算には合いません」

「ただの趣味に没頭した馬鹿者なだけですから! 其処まで恐縮されても困りますよ」


 ここでもゼロスは大きな勘違いをしていた。

 魔法文字で構築された魔法式は、未だ解読する者がいない未知の領域なのだ。

 それを理解し、更に現存の術式を最適化するなど今の魔導士には不可能であった。

 彼等の研究とは、現存する魔法式に適当に魔法文字を組み込み、それが発動するか否かを判別するだけの物なのである。

 そんな世界に魔法文字の意味を理解し、物理法則を組み込んだ上で更なる強化をするだけでなく、自らのオリジナル魔法を使いこなす魔導士など世界が見逃す筈が無い。

 だが、そんな権力抗争を毛嫌いしているからこそ、彼等はこうしてできる限り質素にもてなしていたのだ。

 そのもてなしに、一般人と貴族の間に大きな溝がある事は知らない様だが……。


 何にしてもゼロスの自由は約束されてはいるが、それに気づくほど彼は権力者に詳しくは無かった。


「それと、此方は着替えになります。我ら使用人の衣服で申し訳ございませんが、何卒ご了承ください」

「いえ……重ね重ねの御厚意、ありがたく頂戴いたします」

「これから夕食となりますが……。その、湯浴みをした方が宜しいでしょう」

「湯浴み? お風呂があるんですか?」

「勿論ですとも。その…些か御身体が汚れているようでして、湯浴みをして綺麗になされた方が宜しいかと」

「そうですね。三日前に河で体を洗う程度しか出来ませんでしたから、お風呂で汚れを落とすのは当然です。直ぐに入れるのでしょうか?」

「湯船に浸かる作法などは…?」

「知っていますよ? 湯船の前に体を洗うのは常識です」


 風呂は貴族の贅沢とされ、一般市民は公衆のサウナで汗を流、水風呂に入るのが通例であった。

 ましてや風呂に入るための作法を知っているとなると、それなりに裕福な立場と考えられる。

 この時点で、ゼロスは風呂に入れるほど裕福な生まれとみなされたのであった。


「では、ご案内いたしましょう」


 執事に連れられて向かう先は、一階の奥まった場所であった。

 如何やら屋敷の主がこの場を利用するために、回廊には柔らかい絨緞が敷かれていた。

 ちょくちょく飾られている絵画に目を奪われながらも、ゼロスは浴場に到着する。


「ここが浴場になります。旅の疲れを存分にお癒し下さい」

「ありがとうございます」


 嬉々として脱衣所に向かい、ゼロスは着ている装備を外してイベントリ―に収納すると、タオル一枚を持って浴場に入った。

 浴場には品の良い彫刻とわずかな植物で飾られ、どこかの温泉にでも着た気分になる。

 だが、そこには既に先客が居た。


「あっ・・・・・・」

「えっ?!」


 今まさに湯船から上がろうとしたセレスティーナと、全裸のおっさんが鉢合わせしてしまった。


「「・・・・・・・・・・・・」」


 一瞬、長い沈黙が流れた後……


「い、いやぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」

「な、何でだぁあああああああああああああああああああああああっ!!」


 当然、両者の叫び声と悲鳴が上がった。


 ・

 ・

 ・


「ダンディスさん? 何をなさっているのですか」


 ふいに女給に声を掛けられた執事…ダンディスは振り返ると、そこにはセレスティーナお付きの女給が困惑した顔で彼を見ていた。


「私ですか? 御客人を浴場にまでご案内差し上げた所ですが…何か?」

「えぇ―――――――――――――っ?!」


 驚愕の声を上げる女給に、ダンディスは一抹の不安を感じる。


「な、なにか、不味かったですかね?」

「い、今は…浴場は、セレスティーナ様が御使いになられておられるのですが……」

「何ですとっ?! まさか……」


 その時、浴場から響く少女の悲鳴とおっさんの叫びが聞こえる。


「「・・・・・・・・・・」」


 少しの不注意で気まずい関係を作り上げてしまった。

 浴場に駆け込むにも何方も全裸であり、この二人も入るに入れない。


 その後、泣き続けるセレスティーナを、ダンディスと彼女が必死に宥める事になった。

 ついでに孫馬鹿の爺さんの説得もだが……


 この日の夕食は何の味もしなかったと、後にゼロスは溜息を吐いて語ったと言う。




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