おっさん、船に酔う
漆黒のローブに身を包み、おっさんは護衛依頼を果たすための準備を整えていた。あと数時間後には船の上にいる事になるが、何か忘れものが無いかと考え、一つ大事な物がある事に気付いた。
寝室に戻りテーブルの上に置かれたソレを手に取ると、ゆっくりと自分の顔に装着する。少し意匠を凝らしたマスクである。
目元を隠すだけの妙に厨二病を併発させる様なデザインだが、一応は魔道具であり、仲間の現在位置を記すマップ機能が備わっている。しかし、マーラフの森の地形を知らないので、指輪型の魔道具に位置と地形状況を伝える機能を持たせてその穴を埋める事にした。
無論、正体を隠すための物でもあるが、返って目立つ気がするのは何故だろうか?
問題はバイクの方だろう。三日前にブレーキが効かなくなり暴走したのだ。その時点ではまだ止める手立てはあったのだが、実は故障に気付いた直ぐ後に人身事故を起こしていたのだ。
もっとも、相手は人間や他種族では無く魔物なのだが、動力部の変速機と魔導具による命令を伝えるケーブルが断線し、暴走状態に突入したのである。出来るだけ余裕を持って護衛依頼に行く準備をしたくてバイクの構造を単略化したのが裏目に出てしまい、構造上最も弱い部分である駆動部に剣の先端が突き刺さった。ケーブルを切断したのはこの時で、変速機のギアの隙間で止まる事になった。
変速機自体は足元にあるが、ギアを入れ替えてスピードに合わせる配置になっている。無論自動化している。
「あそこでオークキングが出るとは……。鉛や錫で動力部を作るんじゃなかったか……。今は、魔力式超速モーターを前後輪のホイールに仕込んだけど、暴走はしないよなぁ?」
オークキングには流石に驚いたのだが、そこには襲われている商人達の姿があり、直ぐに魔法障壁を展開し超高速で突っ込んだのが拙かったのだろう。人身事故と言うよりは特攻を仕掛けたと言った方が正解である。その後は減速できず数時間もの間を走り続け、魔力を消費してようやく停止に至ったのだが、その時は精も根も尽き果てっていた。
『キーを抜けば止まるのでは?』とも思うだろうが、その始動キーも魔力によって始動する物であり、指令伝達ケーブルが断線した所為で抜いても反応が無かったのである。結果は全ての魔力信号を切り替える事が出来ず、高速状態に固定され走り続ける事になる。
動力部に魔力を伝達するケーブルだけが無事であったのが不幸の始まりだろう。超高速で走り続けるその時間の全てが気の休まる事はなかった。転倒もすれば流石におっさんでもヤバい。
生きて帰れたのが不思議なくらいである。
「おっさん、準備は出来たか?」
「こっちの準備は出来てますよ。後はコイツを収納するだけです」
「うわぁ~……。何ですか? この魔導具は……」
「おじさん、このバイク……本気で持ってくの? 止めた方が良いよ、暴走したんでしょ?」
ゼロスの様子を見に来た、イリスを含む女性傭兵パーティー一行。
入り口付近に置かれたバイクを見て、イリスの表情は強張っていた。暴走した事を知っているだけに慎重になっているのだろう。
ジャーネは少し気になっているようだが、レナはあまり興味が無い様だ。ただ、彼女を見ていると何かを忘れいる気がするおっさんであった。
「コレ、乗り物らしいな? 一人しか乗れないんじゃないのか?」
「その点はご心配なく。後部のシートを外して別のパーツを取り付けられますので、四人にコッコ三羽は余裕ですよ」
「おじさん、まさかとは思うけど……サイドカーを二つ、左右に取り付けるの?」
「それしか方法は無いじゃないですか。重力魔法を利用していますので片手で持ち上げる事が出来ますし、インベントリーに格納して置けば、いつでも使えます。」
「でも、ゼロスさん……これ、暴走したのよね?」
レナの意見も尤もだが、既に改良済みである。
時間が足りなかったので大まかな所は同じだが、代わりに外側を覆う装甲がかなり厚くなっていた。
動力部の弱点部分もしっかり改修し、後輪もヒルクライム専用のバイクのように後方に突き出しており、フレームも多少形状が変わったが希少金属を加えて頑丈に仕上げた。おっさんに抜かりは無い。
「でも、良く三日でこんなバイクを作れたよね、おじさん……。おじさん?」
おっさんは何故か気まずい表情をしていた。そしてどこか重い口調で言葉を絞り出す。
「イリスさん……多少のパーツは兎も角として、常識的に考えてバイク一台を三日で作れると思いますか?」
「えっ? でも、現にこうして……」
「某有名模型メーカーの電池式で動くレーシングカーを知っていますかねぇ? 決められたコースを爆走する玩具ですが……」
「うん、良くお父さんと弟が二人で近所の模型店で……まさか!?」
「そのまさかです。フレームやAT式変速機、サスペンションやブレーキなどの細かいパーツは、君の知るバイクの物とそう変わりはありません。まぁ、劣化版ですがねぇ……。問題は動力部と駆動系はですが、殆どアレと同じなんです。つまり、電動式が魔力式に変わっただけ」
バイクに見えて、その本質はミニ○駆であった。
動力は魔力を流用したモーターで、魔力タンクはカートリッジ式バッテリーと変わらない。変速機やスロットル、ブレーキが取り敢えずあるだけで、中身は玩具同然の代物だ。
プラグやピストン、クランクシャフトなどは存在せず、魔力とモーターでだけ走る代物であった。
普通にバイクを作るくらいなら電動式のバイクにした方が制作過程は大幅に削減でき、構造自体も簡単なものになる。だが、制御系統は殆ど自動操作を優先した所為か、スロットルやブレーキも魔力信号を有線で伝えていたケーブルが断線しては制御不能に陥る。まさに爆走するミニ四○状態である。どうでも良い事だが、電池式のレーシングバイクも存在はしているが影が薄いのは何故だろう。
構造自体は同じなのに不思議である。
余談だが、今はツインモーターで、ホイールに直接モータを組み込んだので倍の大きさになっていた。その所為でフレームを少しばかり変更しなければならなかったが、見た目からその内に人型に変形しそうで怖い物がある。心臓部以外は単純構造なので改造するのが容易であった。
方向指示器やテールランプはついておらず、魔石ランプの技術を利用したライトが付いているが、メインはこのバイクに取り付けるオプションパーツの方なのである。
両サイドに取り付けるサイドカーや、ブレード上の稼働ウェポンアーム等のオプション。それを統括する簡単な魔法式制御システムとの調整に力を入れ過ぎて、本体はもの凄く単純な構造にするしか無かった。
外装は恐ろしく強硬なドラゴン系統の素材を使われているが、本体の軽量化の為に一部の装甲や素材を削った所為で脆弱になり、【轢き逃げアタック】の時に破損し結果として暴走に繋がった。何事も安全基準は重要である事を思い知った。
おっさんは、余計な物に力を入れ過ぎていたのだ。暴走したのも自業自得である。
所詮は趣味の人だった。
「……それなら、別に車でも良かったんじゃ…」
「森の中で車は、木々が生えていますから小回りが利きません。活動範囲が決められてしまい、救援に時間が掛かってしまいます。バイクの方がちょうど良かったんですよ……。ただ、時間が無かったので単純な構造を優先しましたが……帰って来たらしっかり完成させますよ」
「エンジンみたいな物もあったみたいだけど?」
「アレは見た目はエンジンですが、内部は複数の魔導具の集合体なんですよねぇ~。主に単為制御システムなんですが、ここを破損したために暴走した。今は……安心してください、頑丈ですよ?」
要するに、恐ろしく貴重な素材をふんだんに使い尽した、一部が脆弱な構造の人が乗れる贅沢な玩具なのだ。
他にも周囲に魔法障壁を展開したり、おっさんの装着しているマスクと連動して多少なりとも攻撃は可能。ある意味では某段ボール内で戦うロボと遜色は無かった。
足りない部品は手持ちの魔導具を流用した為に、それ程手間は掛かっていない。
こんな物に貴重なドラゴンの素材や希少金属を使うのだから、無駄以外の何物でもないだろう。
だが、敢えて言おう。本格的なバイクに仕上げるには時間が足りなかったのだ。
「イリスも流石に魔導士だな。アタシには何を言っているのか意味が分からない」
「そうねぇ~。私も分からないけど、専門用語を理解している分、優秀な魔導士だという事は分かるわ」
地球の日常会話で話す二人だが、この世界で育ったジャーネとレナには意味がさっぱり理解できない。
二人の会話が魔導士にしか分からない学術的な何かに思え、それを理解し受け応えするイリスの株は急上昇中。実際はそんな大した事は話していないのだが。
二人には、おっさん達の会話は宇宙人の言葉とあまり変わりは無いのである。
「コケ、コココケェ!(遠征か……翼が鳴る)」
「コッコケコケ!(護衛でござる。目的を間違えておるぞ?)」
「コココ……クケェ(何でも良い。今の実力を試せる機会があるならな)」
連れ出す三羽はマイペースであった。
他のニワトリ達も行きたがったが、さすがに家を留守にする訳にも行かず、何よりも集団戦を得意としている様なので目立ってしょうがない。
何よりも個としての強さは三羽よりも劣り、今は数を減らす訳には行かない。
いずれは大深緑地帯に連れて行こうかと思ってはいるが、今はまだ捕食される側で心元が無かった。
「では行きましょう。これから三日間の船旅です」
「運が良ければ二日で着くわよ? ゼロスさん」
「何にしても、これで生活が少し改善される……」
傭兵三人組はやはり生活苦であったようだ。
「うぅ……これもボンビーが悪いんだ……。誰かに擦り付ける事できないかなぁ~」
「ボンビーがメガ進化しない事を祈るばかりですねぇ」
「やめてよね!? 借金生活どころか、マイナス補正が酷い事になるじゃない!」
色々と不安の残るメンバーだが、彼等はこうして護衛依頼を果たすべく、イストール魔法学院に向かう為に船着き場にまで赴くのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
サントールの船着き場には埋め尽くすほどの大小の船が立ち並んでいる。
交易の要所であるため船が在るのは勿論だが、他にも漁船などが係留されており、船舶の大きさによって船着き場が異なっている。
無論、人を運ぶとなると其れなりに大きな船になるのだが、大航海時代の帆船ほど大きくは無い。
別に大陸を縦断する訳では無いのだから、せいぜい小型の貨物船止まりである。
これからオーラス大河を下り、イストール魔法学院が在る領地へと向かうのだが、まさかこの船着き場で足止めをくらうとはおっさんも思っていなかった。
その原因は……
「ジュリー……あぁ、愛しいジュリー! 何故君はハンベル家の一人娘なのだ! もし君が一介の商家の娘なら、これほど苦しむ事も無かっただろう」
「あぁ……ロメル…私の愛するロメル。貴方に対するこの思いは紛れも無く愛! でも、この思いが成就する事はないのね……女神はなんという運命を科せるのでしょう……」
恋愛症候群に突入したカップル二人による、演劇さながらの告白であった。
二人は商家の一人娘と跡取りで、大恋愛に発展したが両家の父親が大反対。抑圧された思いが暴走して船着き場を演目の舞台へと変えてしまったのだ。
それも、おっさん達が乗船する船をメイン舞台とし、悲恋の辛さと互いの胸の内を大暴露している真っ最中であった。しかも、どこかで聞いた事のある内容である。
「あの二人、最後は毒を飲んで死ぬのでしょうかねぇ~。あれ、一人はナイフで自害でしたっけ?」
「あれ? 銃を撃ちまくって両家を滅ぼすんじゃないの?」
「二人とも静かに、今が良い所なのよ!」
「・・・・・・・・グスッ」
レナとジャーネはこの恥ずかしい現象に夢中であった。そして、おっさんとイリスは某有名演劇の内容を知らなかった。
だが、ここで足止めを受けると時間的に間に合わなくなる。この演目的絶叫暴露告白はかれこれ三時間ほど続いているのだ。見ている側はウンザリして来る。
こうなると非難を受けるのが二人の父親である。
元より商人達は時間を重視し、このままでは商売の機会を無くしてしまう者も少なくない。
商談に向かう者達の多くは白い目で二人の両父親を睨みつけている。
「あれだけ愛し合っていんだから結婚させちまえよ! 迷惑だろ!!」
「アンタらの頑固な態度でこれほど迷惑してんだぞ! 商談に間に合わなくなったらどうすんだ!!」
「あんた等とは二度と取引しねぇぞ! さっさとくっつけちまえ!!」
商売の取引先の連中にも非難を浴びせかけられ、ますます立場が悪くなって行く。
互いに気に入らない商家同士の対立なのだが、こんな事態を招いてしまうと商売が成り立たなくなる可能性が出て来てしまい、下手すれば他の従業員を路頭に迷わす事に繫がりかねない。
だが、ライバルでもあり反目している相手と縁戚にもなりたくは無かった。そのジレンマに苛まれている間にも状況は悪くなって行く。
「父は男手一つで私を育ててくれたわ! でも、同時に仕事にのみ目を向けるようになって私を見てはくれなかった……。今では只の政略結婚の道具の為の道具なのよぉ! 私の幸せなんて何一つ考えてはくれない」
「僕も似たようなものさ。父にとっては妾腹生まれの僕に家督を継がせる気なんて無かった! 義母さんだけが僕を受け入れ愛してくれた……。血の繋がらない僕をさ! その義母さんも先月他界し、それでも今まで我慢して来たんだ……。何度あの家を出ようと思った事か……」
この場にいる全員が一斉に両父親に目を向けた。
どちらも商人としてはヤリ手だが、その強引な遣り口に泣かされた者も多い。
そんな二人は、家庭を顧みない金に目の眩んだ強欲商人というイメージが付いてしまう。
このままでは今まで築いてきた信用が一気に暴落し、取引を持ち掛けて来る者はいなくなるだろう。
「あの二人を何とかしろよ! 商談に遅れんだろ!!」
「さっさとくっつけちまえ、仕事になんねぇんだよ!! いい加減にしろ!!」
「あんだけ熱い二人を認めねぇとは、それでも親かぁ?」
「親に比べて子供の方が随分とデキてんじゃねぇか、別の意味でもデキてるが……」
次第に世間体が悪くなり続け、時間が掛かるほどに父親二人は窮地に追い詰められて行く。
この二人を力尽くで取り押さえる事も出来るが、手にしている薬物が危険なために迂闊に動けない。この薬物が実は可燃性の高い物で、空気に触れると勢い良く燃えだす物であった。
つまりは実の父親を脅迫し、結婚に漕ぎ着けようとしているのだ。しかも、何の打ち合わせも無く二人は同時に同じ事を考え、行動に移していた。
阿吽の呼吸で行われた、おしどり夫婦の犯行である。
「これ、いつまで続くんでしょうかねぇ? 僕としては直ぐにでも出発したいんですけど……」
「アレが恋愛症候群……発情期。怖い……あんなふうに告白したら、私…恥ずかしくて死んじゃうぅ~」
「最初の演劇風の告白から一転、家庭内の暴露話になって来たわね」
「色々、溜め込んでたんだな。それが一気に溢れ出したんだろう」
最早二人は止められない。
次々に口から飛び出す家庭内の恥部を曝け出され、親の方は青褪める一方である。
一部の者達から笑われ、嘲りの目を向けられるたびに肩身が狭くなって行く。中には言葉にする事すら憚れる恥ずかしい内容も無数に暴露されていた。
「父が愛人を囲っていると知った時は、信じられなかったわ……今まで母一筋だと思っていたのに、50人もよ!? しかも、お金で無理やり従わせた……。私は死にたくなったわ……もう、恥ずかしくて」
「僕の父もそうさ! 義母さんと言う素晴らしい女性がいたのに、『子供の産めない女に用は無い』と言ったんだ!! 義母さんが死んだのはそれから三日後の事さ!! 憎んだよ……殺したいほどに」
白い目が再び両父親に集中した。
人としての下劣な部分を暴露され、信用以前に人格を完全に否定する様な、凄まじく軽蔑の込められた冷たい目が向けられている。
「「もう、やめてくれぇえええええええええぇ!! 儂らが悪かったぁああああああああああっ!!」」
父親二人はとうとう耐えられなくなり、音を上げた。
商人は信用第一、その信用が揺らげば取引相手を失う事に繫がるだろう。この二人は近い内に隠居する事になるのは間違いない。
さらに一時間が経ち、ゼロス達が船に乗り込める事になるまで、だいぶ時間をロスする事になったのである。初夏と初秋はこの現象が横行する危険な季節なのだ。
「おねぇ~~~~さぁ~~~~ん!!」
「いやぁあああああああああああああっ!?」
「ウフフフ……これで…。これで、あなたは私の物……」
「離せぇ―――――――っ!! 俺には妻と子がいるんだぁああああああああああっ!!」
「僕は死にましぇ―――――ん!!」
「・・・・・・凄い血が出てるわよ?」
「良い夢みさせてもらったよ……アバヨ!! うぎゃぁあああああああああ!!」
「そっちは、河なんだけど……あっ、ピラニアン・サハギンだぁ……」
「き……君が悪いんだ……。よりによってアイツなんかと……君がぁああああああ!!」
「よくも彼を……。殺ォ~ろしてやるぅ――――――――っ!!」
一部では熱烈な、また別の場所では過激なラブコールが横行していた。
目立っているのは過激な方だが、熱烈な方は既にいくつかのカップルが出来上がっていた。
船着き場は騒乱状態。おっさん達が船出するには些か季節が悪すぎたのである。
「カ、カオスだ……。何て恐ろしい光景なんだ……この世界で恋愛とは、戦いなのでしょうかねぇ……?」
「いつかは私も……。考えたくないよ、おじさん……。社会的に抹殺されそう」
そんな光景をゆっくりと岸から離れて行く船の上から眺め、おっさんとイリスはとんでもない世界に来た事を改めて実感した。いつかは我が身だと思うと恐ろしい。
何しろ、自身の意識内に隠された異性に対する感情が赤裸々に暴露される現象なのである。例え本気で誰かを愛していたとしても、この現象が発動した時にどんな事を口走るか分からない。
二人の眼下には、殴られ天高く飛び立つ者や刃物で追い駆けまわされる者、ロープで縛られどこかへ連れて行かれる者や泥水で口を濯ぐ者など様々である。
この恋愛症候群を患っていない者達は、よほどの危険な状態にならない限り手を出さず、ただ見ているだけであった。
この世界の住民にとっては毎年恒例の風物詩なのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
船に乗って約三日、時間的に言えばギリギリでイストール魔法学院に辿り着ける距離だろう。
河を下ってセザンの街で船から降り、そこから街道を馬車を飛ばして片道三時間の距離でイストール魔法学院のある街スティーラに着く事になる。
船自体は帆船だが、風が無ければ流れに身を任せるだけのため、速度がなかなか上がらない。
この季節は向かい風になる事が多い所為か、風の抵抗で速度が僅かに落されてしまい、どうしても時間が掛かってしまう。
このままでは集合予定日に間に合うかは微妙な所だが、当のおっさんはと言うと……
「「おえぇ~~~~~~~~っ!」」
……イリスと二人仲良く船酔い状態であった。
「ま、まだ……着かないのですか……」
「辛い……死にそう……。いっそ、殺して……」
「まさか、二人して船に弱いとはなぁ~……。船酔いの薬は持参してこなかったし」
呆れるジャーネを他所に、二人は口元を抑え吐き気と格闘していた。
元より二人は船舶に縁が無かった所為か、船の揺れに対して耐性が無い。これでもまだ慣れてきた方ではあるが、既に再起不能な状態にまで追い込まれている。
例えセザンの街に着いたとしても、この状態では馬車に乗る事すら無理だろう。
「まぁ、あと少しで着くから我慢するしかないぞ?」
「そう願いますよ……うぷっ!」
「うぅ……もう、船なんか乗らない……」
「そう言うな。本当に直ぐだから……にしても、良いのか? おっさん……」
「……何が、です?」
「レナを学院に連れて行く事だよ。アイツの事だから、きっと……」
ジャーネの顔が真っ赤に染まる。
同時におっさんとイリスの顔は劇画調に驚愕の表情を浮かべ……たのだが、再び船酔いに襲われ仲良く口元を抑えて、船の縁に蹲る。
吐き気に襲われながらも、おっさんはレナに関して感じていたモノの正体に合点がいった。
レナはショタである。これ以上に無いくらい、成人ギリギリの年齢の少年たちが大好きなのだ。
青い果実を摘まむという表現が可愛いくらいに暴食し、『私は……少年の日の思い出の中に生きる女』と言っては、次々に手を出す好き者である。
言わば羊達の群れにTレックスを放し飼いにする様なものだ。
「思い…出した……。拙い……。野外講習が淫欲の場に変わってしまう……うぶっ!」
「レナさんは……拙いよ、おじさん……むぷっ!」
人手不足を補うための要員の積もりであったが、ある意味で最悪の暴食獣を野放しにする事になり兼ねない。しかし、今の状況ではどうする事も出来なかった。
因みに、三羽のコッコ達は先ほどまで釣りをし、獲った魚を捕食していた。このニワトリ達は雑食の様である。
現在は船酔い状態の二人を介抱してくれていたりする。中々に気が利くニワトリ達であった。
「俺達は街道でオークキングを倒したんだぜぇ~! ガキ共の護衛なんて簡単な仕事さぁ」
「ほぉ~ぅ、雑魚みたいな面をしている割に、意外にやるもんだな?」
「たりめぇよ! 上位種なんぞ幾らでも相手になってやらぁ!」
威勢の良い男達。
その見た目はいかにもガラの悪そうな傭兵だが、実力はさほど高くはなさそうである。どう考えてもオークキングに勝てるような連中では無い。
『街道? ……もしかして、アレでしょうかねぇ? ……うっ!? オェ~!』
既に吐き出す物の無いおっさんは、襲い来る嘔吐感に苛まれ続けられる地獄の苦しみに、必死で耐えるしか無かった。
そして船はいよいよセザンの街へと辿り着くのである。
◇ ◇ ◇ ◇
「陸地は良い……。死ぬならやはり陸地だ。帰りは船に乗るのは止めましょう……」
「そうだね……。あんなに揺れるとは思わなかった」
船を下りて一時間。やっと吐き気から解放された二人だが、それでもまだ気分が悪い。
全身最強装備のおっさんだが、船酔いに敗北しその姿は様にならない。ジャーネ達も呆れ顔である。
日も傾き始めており、急いで行かねば夕暮れの鐘が鳴る前に学院に着く事は出来ない。傭兵ギルドに学院側が用意した受付で、最終手続きの終了する時間が夕暮れの鐘時なのである。
バカップルの暴露劇に巻き込まれた所為で、時間に余裕が無くなっていた。
「情けないな。あの程度の揺れで酔うなんてさ」
「こればかりはどうしようもありませんよ。慣れの問題ですからねぇ……。今度、酔い止めの薬でも研究するかぁ……」
「調合できたら教えて……。私も欲しいから……」
「意外な弱点があったものねぇ~……。ゼロスさんも人間という事かしら?」
「レナさん…人間じゃ無ければ、いったい何だと言うんですか……。僕にも苦手なモノはありますよ、巨大なGとか」
「「「その話は二度としないで!」」」
昆虫最強の装備が作れるグレート・ギヴリオン。
だが、彼の存在は多くの人々から嫌厭される可哀そうな魔物であった。
「よう、ねぇちゃん達! 俺達の馬車に乗って行かねぇか?」
「どうせ学院に行くんだろ? 乗せてってやるよ。俺の上にもな、ヒヘへ」
「見たところ、馬車を用意していねぇんだろ? 今から手配しても無理だぜ?」
船で威勢の良い事を言っていた男達だ。
彼等はどう見ても別の目的を持って声を掛けて来てリるのがバレバレである。
「必要は無いわ。私達にも足はあるし」
「だな。それに、高くつきそうな馬車に乗る気は無い」
「下心が見え見えよ? 口説くなら別の場所でやって欲しいなぁ~」
イリス達は止せばいいのに挑発するような事を言ってしまう。
当然だが男達は激高するだろう。だが、最初に邪な思惑で声を掛けて来たのは彼等であり、相手にされないくらいで腹を立てるのは筋違いである。
しかしながら、それを理解できるような者達であるなら、そもそもイリス達をナンパしようとはしないだろう。傭兵はこうした良識を持たない者達も多いのである。
早く学院に行きたいのに面倒事に巻き込まれ、おっさんは頭を抱えたくなった。
「コッコを連れている奴が良いのかよ!」
「俺達はオークキングを倒したんだぜ! 若い俺達より顔を隠したあやしい男の方が良いてぇのかぁ!」
「コッコを馬鹿にしないで! 彼等はあなた達より強いわよ? それに良く見ると可愛いし」
「おじさんが鍛えてるしねぇ~。最強生物?」
「オークキングすら瞬殺できるかもしれんな……。本当にニワトリなのか疑わしいんだけど」
何故か照れているコッコ達。
いや、コレは謙遜しているのかもしれない。
「オークキングねぇ……。瀕死の奴をフルボッコしただけなのでは? 見たところ、通常種のオークなら苦戦しても負ける事はなさそうですが、キングは無理でしょ」
「な、何の事だよ!?」
「俺達は実力で倒したんだ! 変な言いがかりは止めろ」
「どうですかねぇ~? 商人の護衛中に、正体不明の黒い物体が跳ね飛ばしたオークキングを全員で袋叩きにしただけじゃないんですか? ファーフラン街道で……」
威勢の良い事を言っていた傭兵達は顔を背けた。
この場に真実を知る者がいるとは思わなかったのだろう。
「なぁ~んだぁ。オークキングを倒したの、おじさんだったんだ」
「暴走状態に突入していたので止めを刺していませんが、手応えはあったから瀕死だったと思いますよ? 時速百二十キロで跳ね飛ばしましたし」
「人の手柄を自分達の物にして意気込んでいたのか? 傭兵として信用できないな。途中で裏切りそうだし」
「倒した本人の前で意気込んでたのね。恥ずかしい……」
傭兵達の勢いは可愛そうなくらい萎んで行く。
目の前にいる黒尽くめのおっさんがいなければ、今頃はオークキングに殺されていた事だろう。ある意味でゼロスは命の恩人でもある。
今や恥ずかしい思いをするだけで、女性陣の前で息巻くのは恥の上塗りになる。彼等はそそくさと馬車に乗り込み、まるで逃げるかのように勢い良く走らせた。
「逃げたな……傭兵としては信用できないパーティーだ」
「一緒に仕事はしたく無いわね。勘違いして襲われそう」
「レナさんは襲う方だけどね……。私達も早く行こう」
三人が歩き出そうとした横で、おっさんはバイクをインベントリーから出して、サイドカーを取り付け作業を行っていた。
一度シート部分を外し、サイドカーのフレームと一体化した別のシートを取り付けていた。
コの字型で上からかぶせるような形ではめ込み、連結金具を本体のフレームに固定する。
「ワンタッチで出来ないのが欠点だなぁ~。しかし、そうなると耐久性に問題が……」
ブツブツと考え事をしながらも、手を休める事はなかった。
程無くして、この漆黒のバイクに乗り、一行はイストール魔法学院の在るスティーラの街へと出発するのであった。
時速百二十キロで……。
◇ ◇ ◇ ◇
街道を行く馬車はのんびりと学院方面へ進んでいた。
荷馬車に乗る男達は全て傭兵で、【赤毛熊】と言うパーティーを組んでいる。
全員が札付きのチンピラではあるが、仕事はそれなりにこなす為にギルドから文句を言われる事はない。
そんな男達は不機嫌な表情で荷台で腐っていた。
「たく、何であの事を知ってんだよ! ついてねぇ!」
「知るかっ! あぁ~あの赤毛の女、イイ女だったよなぁ~……胸もでけぇし」
「もう一人の女も悪くは無かったぞ? 黒尽くめの男が邪魔だよなぁ~」
「俺……もう一人のツルペタ少女が……」
「「「正気か!?」」」
イリスにも需要があったようだが、顔を赤く染めているのはいかにもソリッド感が漂う傭兵である。
イリス達パーティーは色んな意味で危機的状況であったようだ。
「あの糞野郎、余計な事を言いやがって!」
「あのオヤジ、何であの事を知っていたんだ?」
「知るかっ!」
おっさんに邪魔をされ、ナンパが上手く行かなかった事を根に持っていた。
「あいつらも学院に行くんだろ? なら、野郎一人くらいなら怪我しても分かんねぇんじゃね?」
「裏でこっそりか? なるほど、そうなればあの女達は……うへへへ」
「それ以前に、受付に間に合うんだろうな? 時間的にギリギリだと思うぞ?」
「大丈夫だ。締め切り時間は今日の暮時の鐘が鳴るまでだからな、余裕で間に合う……ん?」
―――キュォォォォォオォオォオォオオォオオオォオオオォオオオオ!!
いつかどこかで聞いた、耳を劈く様な甲高い音が急速に近付いて来る。
訝しげに後方を見ると、何かが土煙を上げながら凄まじいスピードでこちらに接近して来ていた。
そして目に飛び込んで来た漆黒のソレは、傭兵達の乗る馬車の横を一気にぶち抜いて行く。
驚いた馬が暴走し、彼等の馬車は街道を外れ森の中に突入、疾走して横転。
馬車の車軸は見事に折れ、修理する間に日は暮れてしまい、結局彼等は受付時間に間に合う事はなかった。ちょうど受付の職員が帰り支度を終えたばかりだったのだ。
当然ギルドで口論したが、どんな理由があろうとも受付の終了時間に間に合わなかったために、仕事はキャンセルになったのである。
残されたのは馬車の修理費と交通費に借りた借金だけであった。
 




