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おっさん、指名依頼を受ける

 領主の館は新市街の中央に存在し、同時にこの屋敷の一部がソリステア商会の事務室として使われている。

 この屋敷は旧市街からは遠回りになり、前領主であるクレストンが住む別邸から比較的近い位置に存在していた。

 その別邸はゼロスの家から歩いて10分程度の距離であり、考えてみれば別邸から馬車に乗り、そこから領主館に向かった方が距離的には早かったりする。

 問題はいくら旧市街が遠回りになると言っても、馬車で移動するとなると時間差があまり変わらず、別邸からおっさんの家に森の小道を抜ける手間を考えると、旧市街から向かっても時間的にあまり変わらない。

 人通りが多い新市街に入るのが早いか遅いかの違いだけで、通行人や道に停車する馬車などを避けると、その分だけ時間のロスになる。


 別邸からの場合は領主館に向かうと、馬車が行き交う街路を低速で走り交差点の多い街角を何度も曲がる為に時間のロスに繋がる。旧市街から行くとほぼ直線距離で往来の少ない道を進む事になり、どちらのルートでも同じなのだ。

 今回はダンティスが領主館の方にいたため、迎えの馬車の事も考えて比較的舗装された旧市街を行くルートを選んだだけであった。


 おっさんは馬車の車窓から街の景色を眺めているのだが、正直落ち着かない。

 何しろ、いくら品が良い内装とはいえ、貴族が使用する馬車である。

 高級感が溢れており、小市民のおっさんには辛い環境なのだ。


 そんな貴族の愛用馬車の車窓から、おっさんは見慣れた人物を発見する。

 女性傭兵パーティーの一人であるレナが宿から出てきた光景だが、何故か彼女の表情はツヤツヤとしており、後から出てきた少年と思しき若い傭兵達五人は可愛そうなくらいヤツレテイタ。


 恍惚で色っぽい表情をしているレナと、精も根も尽き果て疲れ果てながらも、少年傭兵達は幸せそうな表情を浮かべているのがやけに目につく。


『レナさん……貴女は何をして来たのですか? いや、何となくわかるが、何でそんなにツヤツヤ?! 

 そして、少年たちは何があったんですか、ヘロヘロですよぉ!? 貴女は人間ですよねぇ!? 種族が吸血鬼とかサッキュバスではありませんよねぇ!?』


 おっさんがレナを見かけたのは、ワイルド・コッコの討伐依頼の時だけで、目を離した隙にいつの間にか消え、その日から数日間は彼女の姿を見ていない。孤児院でもある教会にすらいなかった。

 やつれた少年達に手を振り、宿の前で別れるレナ。足取りが実に軽い。

 彼女は少年達を〝喰った〟様である。少年傭兵達は少し歩いただけで崩れ落ちたところを見ると、腰に力が入らない様である。

 どうやら凄い事をされたようだった。


「・・・・・・見なかった事にしよう」

「何がですか?」


 何気ない呟きに反応するダンディス。


 一夫多妻や一妻多夫が認められるこの世界で、自分の常識がいかに無意味な物かを知った朝であった。

 少年達が傭兵をしているという事は、既に成人として認められているという事であり、年齢的に14~15歳であろう。猛獣の標的になるのは充分な年齢であり、傭兵として踏み出した以上は全て自己責任である。

 社会に出た以上は自分の行動に責任を持たねばならず、例えタチの悪い娼婦や変態的嗜好の持ち主と関係を持ったとしても、全て自分の責任として扱われる世知辛い世の中であった。

 この世界は未成年保護法は曖昧で、未発達なのである。


 おっさんは少年達に哀悼の祈りを捧げるのだった。 

 やるせない気分になりながらも、馬車は領主館に到着する。


 ゴシック様式の最先端技術が用いられた様式美溢れる館で、装飾は少ないがそこが品性と云う物を感じられる美しい建物である。ここに来るのは二度目だが、それでも感嘆の息が漏れるほどであった。


「いつ見ても素晴らしい館ですね。芸術ですよ……」

「この街の象徴となる建物ですから、見た目にも内装にも拘っています。来る方々が皆美しいと褒め称えてくださいますよ」


 建築技術の粋を集めて建築された物は、長い時が経てば重要文化財として扱われる事をおっさんは知っている。この領主館はそれに見合う充分な美しさを持っていた。

 ただ、この領主館を改築したのがハンバ土木工業のドワーフ達であり、その作業中に踊りまくっていた事を考えると、素直に褒める事が出来なくなる。


 想像してみよう。歴史的文化遺産を修復している作業員が、ムーンウォークやバク宙、ツイストやどこかのミュージカルの様なダンスを踊りながら仕事をしている姿を……。

 普通なら『こんな奴らに任せて大丈夫か?』と不安が掻き立てられる事であろう。しかし、彼等の仕事は完璧なのだから恐ろしい。

 おっさんは経験者なだけに、そこにツッコミを入れる事が出来ないでいた。


 おっさんはダンディスに案内され、玄関口である扉を潜る。

 馬車でもそうだが、こうした貴族の屋敷に来ると流石に落ち着かなくなる。


 屋敷内には使用人やソリステア商会の職員たちが忙しそうに行き来していた。

 職員と公爵夫人たちが暮らすエリアは分けられている様で、見た目は貴族の屋敷なはずなのに、どこかの会社の光景が思い浮かぶ。


 ――バタン!!


 突然大きな音が響き渡り振り返ると、別の部屋から一人の男が勢い良く扉を開け、誰かを探しているかのように忙しく首を動かし周囲を見ていた。

 何かヤバい薬に手を染めている様な、如何にも中毒症状を思わせる挙動不審な行動が目に付く。


「アニー、アニーはどこだぁ!!」

「なによ、五月蠅いわね! 今、仕事中よ!!」

「好きだ。お前の事がどうしようもなく好きなんだぁ!! 愛しているぅ、俺と結婚してくれぇ!!」

「なっ!? 何よ行き成り……まさか!?」


 突然の男の告白に女性は激しく狼狽する。

 これは告白されて動揺している訳では無く、単に周囲の目が気になって慌てている様であった。


「俺は、お前の全てを愛している。そう……ケツの穴まで好きだぁああああああああああああっ!!」

「そんな愛の告白があるかぁああああああああああああああああああっ!!」


 女性の繰り出した拳が瞬時に捻りが加わる事により威力を増幅させ、告白した男の顎にクリーンヒット。世界を狙える痛烈な一撃であった。

 宙に高々と舞う男は、そのまま『グワシャァアアァァ!!』と劇画調に頭から落下する。

 そんな男を見て、女性は『フッ……』とニヒルに嗤う。

 色んな意味で最低なプロポーズである。


「こ、コークスクリュー・アッパー……」

「見事な一撃ですね。彼女はまた一段と腕を上げたようです。完璧でした」

「いつも……こんな調子なんですか?」

「いえ。今日は、たまたま彼が恋愛症候群を発症したようです。凄い告白でしたね」

「恋愛症候群!? 何ですか、それは!」


 恋愛症候群。またの名を発情期。

 ある日突然に異性同士が絶叫状態で告白し出し、愛を誓いあう現象である。

 これは魔力が精神や本能と云ったモノに影響する特性から、異性同士が互いに引かれ合い湧き上がる感情を暴走させ、ところ構わず愛欲に溺れる冗談のようなふざけた現象である。


 比較的魔力が高い者達が発症し、ある日突然に大声で告白やプロポーズを壮絶に繰り広げるのだが、これで上手く行くかと言えばそうでも無い。

 恋愛には常に相手が存在し、いくら本能まかせでその人に告白したとしても、相手の相性が合うという訳では無いからだ。

 魔力によって増幅された本能が相手を幾ら求めていても、告られた相手にその気が無ければ完全にフラれたのと同義であり、逆に受け入れられれば互いに相性が抜群という事になる。

 上手く行けば円満な家庭が築けるのだが、フラレれば最悪の結果を招く厄介な現象なのである。

 こうした光景は良く街でも見られ、一年中そこかしこで起きているのだが、特に初夏と初秋に頻繁に起こり易い。


 生物である以上、次の世代に強い因子を求めるのは本能的に当然な事なのだが、その本能が魔力と併合し精神に変調をきたす事で暴走現象を誘発。結果として上手く行けば一生円満な家庭が約束され、場合によっては一夫多妻や一妻多夫といった家庭が多く存在する事になる。

 まぁ、上手く行かなかった場合は既に例が出ているが……。


 大家族になると色々問題がありそうなのだが、何故か家庭内で大きな問題が起こる事無く、寧ろ一妻一夫の家庭の方が色々問題を起こしやすい状況になりやすい。

 これは家族が増えれば家庭内の問題を妻や夫同士で相談しやすい事もあり、逆に少ないと一人で抱え込む事になりがちになり、問題解決が出来ずに破綻するからだ。


 全ての大家族が円満家庭と言う訳では無いが、比較的に家族崩壊が起こりにくい状況になるようである。

 因みに大家族は農家が多く、人手不足に悩む心配が無かったりするのだ。

 ついでに大家族は家庭の収入を換算して比較的貧しい傾向があり、税金の面でも安く済む事がある。

 そのぶん育児などが大変だが、何事にもメリットとデメリットが存在するのは何処の社会も同じだろう。


 ツヴェイトが暴挙に出たのもこの現象の影響が大きく、洗脳魔法が変な方向に組み込まれて暴走し、ゲスな行動に走った事が原因であった。

 ただ、おっさんはこの現象に別の意味で戦慄を覚えた。


「何て恐ろしい現象だ……。仮に暴走したら自分がどんな事を口走るか分からん。社会的に死ぬ」

「見ている分には面白いですが、自分があのような絶叫告白したらと思うと怖いですよ」


 怖いと言いながらもダンディスは動じていない。

 この現象が世界でワリと普通に日常で認識される常識であるなら、驚愕している自分が異端であるという事だ。厄介な摂理があると知ったおっさんは、この世界に改めて恐怖するのである。


「おぉ……ウォホンよ。フラれてしまうとは情けない……プッ!」

「ギャハハハハハハハ!! バッカでぇ―――――――っ!!」

「こいつ……最低ね」

「こんな変態だとは思わなかったわ! 顔は良いのに……」

「一生言われ続けるんだぜぇ~『尻の穴まで愛した男』て、クッ……ブハハハハハハハ!!」

「死んでも言われ続けるんじゃねぇか? グフッ! ヒハハハハハハハハ!!」

「幾ら何でも、あんなプロポーズはねぇだろ……。哀れな奴……」


 下手に絶叫プロポーズし、失敗すれば一生笑い話のネタにされる。

 社会的に抹殺される事態に発展するのだから最悪である。

 熱に浮かされ暴走したとはいえ、あまりに不憫で痛ましい光景であった。


「彼は……明日になったら、一人寂しく街角で死んでいるんじゃないですか?」

「笑っていられるのも今の内ですよ。直ぐに自分の番が回って来るかも知れないんですからね」

「怖い……。何て、恐ろしい自然現象なんだ。明日は我が身ですか……」


 恋愛症候群は上手く行けば幸せな家庭を持つ事が出来るが、失敗すれば一生心に消えない傷を刻む悪しき病でもあった。恋の病とは良く言ったものである。

 そんな絶叫プロポーズをしでかす可能性を自分も秘めているかと思うと、おっさんは震えを抑え切れ無い。ORGの時にやらかした黒歴史が可愛い物であろう。

 自然の生理現象は時として理性を吹き飛ばし、別の意味で凶悪な牙を剥くのである……。


 おっさんは背中に伸し掛かる不安に苛まれながら、デルサシス公爵のいる執務室へと向かうのであった。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「旦那様、ゼロス殿をお連れいたしました」

『ご苦労、入れ』


 執務室に入ると、現在仕事中のデルサシス公爵は、書類の束と格闘していた。

 山積みにされた書類に目を通し、そこに印を押すだけの作業なのだが、その速度が異様なまでに速く同時に書類の内容も理解している様で、問題のある書類は別に分けて積み重なって行く。

 幸い奥様二人はいない様である。


「御無沙汰しています。デルサシス公爵、本日は僕に何の御用でしょうか?」

「ふむ、実はゼロス殿に頼みたい依頼が出来てな。少々厄介な問題で出来るだけ手練れが良いと判断したのだが、私の知る限りでは腕の立つ者は其方しか見当がつかなかった」

「依頼ですか……。何やらキナ臭そうですね」

「その認識は正しい。近い内にイストール魔法学院で実戦訓練の為に【ラーマフの森】に向かう事になるのだが、単刀直入に言うとツヴェイトの護衛に就いて貰いたい」

「詳しく聞きましょう。護衛と出た時点で、裏で何か得体の知れない者達が動いている気がしますよ」

「うむ、些か長くなるが……詳しく話そう」


 事の発端はツヴェイトが学院に戻ったところから始まる。

 彼の所属する派閥、魔法による国家防衛戦術を研究するウィースラー派の内部で分裂抗争が勃発した。

 中心となるのはツヴェイトと共に派閥の理念を追求する軍事研究派と、権力志向に取り付かれ裏で金を集めては周囲を威圧していたサムトロール率いる純血魔法貴族派である。


 ツヴェイトはサムトロールが振り翳す権力志向と稚拙な戦術論を論破し、それが切っ掛けにより派閥内部で分裂が起こり、尚且つ相手が洗脳魔法を使っていたと思しき状況から対立が深刻化した。

 問題なのは対立している相手であるサムトロールで、ウィースラー侯爵家の次男坊でありながらも素行が悪く、彼の一族が提唱する魔法戦術による国家防衛構想を真っ向から否定する素振りを見せている所であろう。


 未だ研究が覚束ない広範囲殲滅魔法を盾に各派閥を威圧し出し、果ては裏組織とも繋がりを始めるほどに権力欲に取り付かれていた。元より実家であるウィースラー家から期待されておらず、その事も相まって彼の暴走は目に余るものであったらしい。

 真っ向から彼を糾弾する者達もいたが、実家の権威を笠に着て黙らせ、他にも悪辣な嫌がらせを始めるなど学院側から見ても厄介な存在になっていた。


 同じ派閥内でもそれは同様で、血筋という事で学園内派閥の代表的立場にいるが、その地位はいま風前の灯火であった。


「ウィースラー家からは何も言わないんですか? その……寒い奴君の実家でしょうに」

「サムトロールだ……。ウィースラー家からは好きに処罰して良いと許可が下りている。流石に苦情の処理で頭に来たらしく、近い内に勘当すると言っているらしい」

「あ~……実家にまで迷惑が掛かり始めたので、手に負えなくなったわけですか」

「今更だがな。元より自分は優秀だと思い込んでいる愚か者だ。少しでも否定されると逆恨みして、裏で姑息な手を回すクズだ。潰しても誰も困らん」

「実家からも見捨てられた訳ですか……。つまり、愛されない馬鹿な訳ですね」


 ウィースラー家は騎士団と繋がりも強い家系で、軍事防衛に関しては国内で有数の一族である。

 その一族の者が血統主義に走り、同類と徒党を組みだして暴走し出したのが問題になったのだ。更には同じ血統主義の貴族達が加わる事で泥沼と化し、挙句の果てに裏組織と繋がり犯罪に手を染めるようになった。

 ウィースラー家は比較的にマトモで、血統主義の貴族達にはあまり良くは思われていない。

 元より実力主義の家系なので、無能であれば一族の者であっても容赦なく切り捨てる一面がある。

 それでもサムトロールが今まで捨てられなかったのは、彼の母親が無視できない程の力を持った一族の出身であった為に、迂闊に切り捨てる訳には行かなかったのである。


 だが、その情勢は一気に急転し始めた。

 その理由がソリステア派の急速な権威拡大に在り、その陣頭指揮を執っているのが目の前にいるデルサシスなのである。彼は裏も表も邪魔な存在を資金面から潰していき、有能な者は相応の待遇を持って迎え入れていた。

 また、彼自身が趣味で始めた商会がかなり儲かっており、資金面では他の派閥よりも潤沢であった事も理由である。結果的に問題がある派閥は資金繰りが厳しくなり、今では派閥から抜け出して此方側に鞍替えする魔導士も市井では後を絶たない。


 魔導士は研究するにも何かと金が掛かるが、デルサシスは魔法研究をする部署と魔導士を派遣する部署を分ける事によって、効率の良い組織的な運営を始めていたのである。

 派閥に所属していないと研究する事すら出来なかった魔導士達は、比較的自由に研究や魔法を行使する活躍の場を得られるようになり、各派閥から裏切り者が出始めていた。

 ウィースラー派の名を借りた俗物達は派閥を運営するための資金繰りが厳しくなり始め、大勢いた魔導士達を繋ぎ止める事が出来なくなったのだ。デルサシスの掌の上で転がされている状態である。


 魔導士達も人間である以上は生きる為に稼がねばならない。だが、現ウィースラー派にいたとしても生活は苦しいままなのだ。同じ派閥であるサンジェルマン派は研究や魔法薬の製作で独自に資金を稼いでおり、そこに所属する魔導士は全て研究職である。

 力で資金を無理やり奪っていたウィースラー派は、今では活動資金が得られず、所属する魔導士達の面倒を見る余裕は無いに等しい。更にツヴェイトが派閥の改革に乗り出した事から、対立する相手は血統主義者だけが残される事になる。

 血統主義者たちは全員が貴族なため、所詮は実家の権威を笠に着ているだけで自分達で稼ぎを出す事は出来ない。落ちぶれるのも時間の問題であった。


「なるほど……大体わかりました。血統主義者の魔導士達から見れば、ツヴェイト君を始末すれば盛り返す事が出来ると考える訳ですか。で、無い金を無理に出して、懇意の犯罪組織から刺客を送ると……」

「馬鹿は始末が悪くて対応に困る。大人しくしていれば良いものを、一度でも権力の味を占めたらその場に固執するようになるからな。しかも、懇意の裏組織が【ヒュドラ】らしい」

「ヒュドラ? ……もしかして、その裏組織は頭が複数あるんですか? 潰しても別の頭が生えて来るみたいな……」

「うむ、厄介な連中でな。私も若い頃からやり合って、かれこれ十人は頭目を始末している。それでも組織が消えんのだよ。敵対組織や奴らの大半は此方に取り込んだ……ゴホ! 今のは忘れてくれ」

「若い頃って……貴方は普段から何をしているんですか!? 領主のやる事じゃないでしょう!?」


 この領主も裏で何をしているか分からない。

 おっさんの質問も『人生には刺激が必要だ』と言ってはぐらかす始末である。

 ひょっとしたら、裏組織と対立するのを楽しんでいるのかも知れない。


「しかし、急に依頼を出してきましたねぇ。何かありましたか?」

「先日、件の【ヒュドラ】と対立する闇商人が消された。部屋に鍵が掛かっており、僅かに残された魔力から【シャドウ・ダイブ】を使用したと思われる」


【シャドウ・ダイブ】は暗殺者や闇魔法が使える魔導士が使うスキルで、影に潜り移動する事が出来る。

 ただし、魔法障壁や結界が張られている個所には侵入が出来ず、必ずしもどこにでも侵入が可能な魔法と云う訳では無い。更に陰に潜んで移動するにも魔力を随時使用する事になり、魔力消費もかなり高い魔法であった。


 当然一般人が住む建築物に結界などの仕掛けは施されてはおらず、主に魔導具を使用して周囲からの侵入を防ぐしか手立てが無く、学院はどこからでも侵入が可能であった。


「さすがに学院内に侵入する事はするまい。貴族達は常に魔法障壁の結界を展開する魔道具を保有しておる。侵入しての暗殺はリスクが高過ぎる」

「だから学院の行事にかこつけて……ですか。ツヴェイト君も面倒な相手に睨まれたものですねぇ」

「実戦訓練には護衛に騎士団と傭兵が参加するからな。騎士はともかく、誰が刺客なのか分からん……だからこそ手練れの護衛が必要になる」

「傭兵として参加するのは良いとして、必ずしもツヴェイト君の護衛に就くとは限りませんが?」

「そこは何とかしてくれと言うしかないな。学院の指示まで口は出せん。何なら他に信用できる者達の手を借りても構わん、正式な依頼として資金は此方で出そう」


 おっさんは正直頭を抱えた。

 傭兵として参加する以上は護衛対象から離れる可能性が高い。そうなると別の手立てを考えなければならないだろう。

『緊急事態を知らせる魔道具でも作りますかねぇ……。それと、あの三羽も連れて行く事にしよう。ストーンゴーレムなら一撃ですし、何より他の傭兵達より遥かに強い』

 おっさんは打てる手立てを何通りか考え、暗殺阻止のためのプランを構築し始める。


「引き受けてくれそうだな」

「狙われているのが教え子ですからねぇ~。さすがに断る事は出来ないでしょう……」

「ツヴェイトの事をよろしく頼む」

「幾つか便利な装備を作っておきますよ。出来るだけ手は打っておきますが、完全に阻止できるかは分かりませんよ?」

「それで構わん。それにしても……其方は戦争でも仕掛けに来たのか? その装備は過剰だと思うが」

「皆そう言いますね。残念な事に、正装できるような服は持ち合わせていないんですよ。これが比較的マトモだったものでしてね」


 おっさんの装備は矢張り浮いていた。

 見た目は魔導士でも、その装備は国一つ相手にできるほど凶悪な代物である。

 そんな装備で領主と会うとなると、最早宣戦布告に来たとしか思えないだろう。

 ゼロスは本気でスーツを新調しようか悩むのであった。


「なるほど……。よし、護衛の時はその装備で参加して欲しい。手練れがいると分かれば相手も迂闊には動けんだろう。牽制程度にはなる」

「……顔は隠して良いですかね? 目立ちたくは無いものでして」

「……今更では無いのか? まぁ、そこはゼロス殿の判断に任せるとしよう」

「その実戦訓練は、いつ始まるのですか?」

「二週間後だ。出来れば数日前に学院に向かって貰いたいのだが。船で行けば早いからな」

「分かりました。では、今から戻って準備を始めましょう。幸い暇な傭兵もいますからね」


 こうしておっさんは護衛依頼の準備を始める事になった。

 面倒だとは思いながらも、ツヴェイトを見捨てるのは気が引けたからでもある。


「ところで、学院内の情報をどうやって手に入れているんですか? 一般人に紛れて工作員を送り込んでいるのでしょうか?」

「……知らない方が身のためだ。裏の世界に足を踏み込むのは、覚悟のある者だけだ」


 答える気は無いようだが、その言葉で独自の諜報員が存在し、人知れず暗躍している事だけは判明した。

 デルサシス公爵は、決して敵に回してはならない危険な人物であると認識した瞬間だった。

 同時に味方なら、これほど頼もしい人物もいない事も確かなのだから……。

 デキる漢は謎が多いのだ。


 何はともあれ、おっさんは再び教え子と会う事になったのである。

 この日からゼロスは、ツヴェイト達を守る為のアイテムの製作を始めるのだが、調子に乗って余計な物まで製作したのは言うまでも無い。


【黒の殲滅者】は生産職なのである。


 余談だが、おっさんは醤油と味噌、序に酢をソリステア商会で購入して行った。

 溜まり醤油らしく、コッコの卵と合う味わいであったと言う。

 これで製作するのは酒と味醂だけとなったが、おっさんは味醂の作り方を知らない。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 


 時間は少し戻る。


 女は裏路地に入ると、その先にある寂れた酒場に足を踏み入れた。

 酒場には如何にもマトモな定職についていない様な、ガラの悪そうな男達が酒を酌み交わしている。

 男達は女の姿を見ると下卑た笑みを浮かべたが、カウンターで酒を注いでいたマスターによって止められる。一言なにかを告げられた瞬間に男達は顔を蒼褪めさせ、ただ彼女の背中を見送った。 


 女は酒場の奥へ行くと、酒が並べてある棚の横に隠されたレバーを引く。

 何かが外れる音が響き渡り、目の前の棚がゆっくりと手前に動き出す。酒棚は隠し扉であった。

 棚の奥に現れた階段を下り地下道へ向かうと、後は真っ直ぐ進むだけである。

 かつては地上にあった街は時代とともに埋め立てられ、その上に新たに街が築かれる事により、ここは裏家業に生きる者達の根城と化していた。


 魔石ランプに照らされた道を行くと、古き時代には商人の屋敷として使われていた廃墟が、今の彼女を雇う者が住む部屋として使われていた。

 女は気兼ねせず扉を開くと、そこに数人の男達の姿があった。

 いや、男と言うには若すぎる年齢の様で、青臭さが残る見た目から金持ちのボンボンだと判断する。


 女は青少年達を一瞥すると、テーブルを挟むようにして対面しているスーツ姿の男の元に歩み寄り、背中にしなだれかかる。

 男はスーツは来ているが、お世辞にも趣味が良いとは言えない紫の色合いを好み、手にはやけに大きな宝石が目立つ指輪を幾つも嵌め、金のネックレスを首から下げている。

 どう見てもカタギの人間では無い、裏社会のドンの様である。


「あら? ダーリン、お客様の相手をしてたの? 何か、やけに若いみたいだけど……」

「戻ったか……。で、成果は?」

「楽勝よ。あの程度の相手に手間取っていたなんて、ダーリンの部下達は何をしていたのかしら?」

「頼もしいな。これで目障りな奴が一人消えた。暫くは俺達が商売を独占できる」

「うふふ……素敵。これから沢山お金が入り込むわね」


 男は女に手をのばし、愛おしげにその素肌をなでる。

 目の前でイチャつく二人の会話に苛立ちを隠せない青少年達は、『ダンッ!』と力強くテーブルを叩く。

 気が短いと言うより、自分が無視される事が我慢ならない様である。


「商談の途中だ。仕事を引き受けるのか? 如何なんだよ!!」

「坊主、仕事をして欲しければ大人の対応を学びな。金さえ出すなら俺達は誰でも始末するさ、で? 誰を殺るんだ?」

「コイツだ。今後、俺達の関係に亀裂が入りかねん……。今の内に始末しておきたい」


 テーブルに置かれた一枚の写真。

 写真と言っても魔導具で姿を紙に写し取った精巧な絵の様な物である。しかし裏の人間にはそれ一枚あれば充分であった。


「ふぅ~ん……結構イケメンね。初恋の子でも横から奪われたの? 坊や」

「誰が坊やだ! お前達は言われた通りのこいつを殺せばいいんだよ!」

「坊主、口には気を付けろ。俺達は別に仕事を受けなくてもいいんだぜ? 最近、お前等の派閥は落ち目らしいじゃねぇか。資金源を全て潰されてよぉ」

「うぐ……」

「困るのはお前等だけで、俺達には関係のねぇ話だ。世話になった仲介屋のよしみで、お前みてぇなガキの相手をしてやってるだけだという事を忘れんなよ」


 男の方が一枚も二枚も上手の様で、既にこの場にいる者達の素性や内情を知っており、どちらが主導権を握っているかを僅かな情報を開示するだけで理解させる。

 青少年達も依頼を受けて貰わねば困る事になり、黙るしか手が無い状態である。

 この時点でどちらが格上だか既に判明したようなものだ。


「しかし、相手があの【沈黙の獅子】の息子かよ。厄介な相手を標的にしたもんだ」

「あら、この坊やはそんなに有名なの?」

「親父の方さ。奴にはウチの組織の大半を叩き潰された。本気でウィースラー派を潰しにかかってるな……。奴は強敵だぜ?」

「なっ!? 公爵家の当主がそんな事をする訳「黙れよ糞餓鬼、何も知らねぇ奴が口を出すな」」


 青少年の口を侮蔑のこもった言葉で黙らせる。

 裏組織である【ヒュドラ】は、一時期はソリステア魔法王国全土に広がる裏の世界を牛耳る一歩手前まで来ていたのだが、たった一人の男により組織が壊滅寸前にまで追い込まれた。

 幾度と無くその男を殺そうとしたが、逆に返り討ちになっただけでなく、組織の殆どの人材を彼に奪われたのである。標的の親が酷く危険な男である事を彼は知っていた。相手に自分の動きを察知されない事から、裏社会でついた通り名が【沈黙の獅子】。

 やがてその二つ名は表にも流出し、【沈黙の獅子】【沈黙の領主】【最強のスケコマシ】と呼ばれるようになった。

 最後の通り名については、黙って酒を飲んでいるだけで女の方から言い寄って来る事から、嫉妬交じりに野郎共から名づけられたらしい。


「奴が公爵家の当主となった時、正直驚いたぜぇ……。涼しい顔をしているが、奴は俺達よりも悪党だ」

「中々素敵な話ね。ゾクゾクしちゃうわぁ~♡」

「恐ろしい男だぜぇ。奴が動いているとなると、ウィースラー派は既に詰んでるな。諦めろと言うしかねぇ」

 

 青少年達は絶句した。

 息子を殺せば、今度はその親がこちらを本気に潰しに来る。

 しかも、裏社会の一大勢力を叩き潰した化け物が相手となると、流石に自分達では荷が重いと感じていた。最悪、派閥どころか実家まで潰されかねない危険な存在だったのである。


「まぁ良い。依頼は受けてやるよ、どうせ標的になるのはお前等だからな」

「い、いや……俺達は……」

「今更逃げられると思ってんのか? ここに来た時点でお前等の事は既に向こうに筒抜けだろうよ。奴は人を使うのが巧いだけじゃねぇ、必要なら自ら動く男だ……それも、とびっきり危険な、な」


 青少年達は絶望を知る。もはや後戻りが出来ない所に足を踏み込んでいたのだ。

 自分達が生き残る為には、敵対する者を全て始末せねば安心して眠る事が出来ない。彼等は知らず知らず危険に飛び込み、最も危険な相手を敵に回してしまった事を今さらながらに知る。

 坊やと呼ばれても仕方が無い、未熟とすら程遠い幼稚さであった。


「まぁ、この標的を始末すれば、あの男にも意趣返しは出来るだろうさ。責任は全てこの坊主共がとる事になるし、俺達の腹は痛まねぇ」

「あら? じゃあ、この仕事を受けるの?」

「あぁ……シャランラ、もう一仕事頼むぜ? 御膳立てはこいつ等が用意してくれるらしいからな」

「仕方ないわね。ダーリンがそう言うなら引き受けてあげる。その代わり、終わったら色々と買ってもらうわよ?」

「おぅ、何でも買ってやるさ。お前は幸運を呼んでくれるからな」


 賽は投げられた。

 ただ目障りな奴を始末しようとした結果が、予想以上の大物が後ろに控えていると知り、青少年――サムトロールは震えが止まらない。

 標的、ツヴェイト一人なら別に問題は無かったのだが、その親であるデルサシス公爵は息子以上の危険人物であった。いや、ツヴェイトすら足元に及ばない化け物である。

 たった一人で裏組織に戦いを挑み、壊滅寸前にまで追い込むなど正気の沙汰では無い。

 しかも今も生きているとなると、最早化け物と云う言葉すら生易しいと言っても過言では無かった。

 彼等は、自分達が如何に愚かであったかを今になってようやく悟る事となる。


 だが、もう逃げる事は出来ない。

 考え無しの行動が招いた結果であり、暗殺が成功しようが失敗しようが辿る結果は変わらないのだから。


 サムトロール達は地獄への扉を開いてしまったのだと、今になって後悔するのである。

  

 


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