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オッサンのいない日常4

 イストール魔法学院、学院生寮。

 地方から集まった魔導士を目指す若者が集い生活する、ゴシック様式の品の良い建物内に、生徒達の騒がしい声が響いていた。

 

 その理由が毎年恒例の実戦訓練であり、ある程度の才覚を見せた者達は強制的に参加させられる。

 錬金術や魔道具製作を目指す者達には迷惑この上ないイベントで、貴族よりも商人やそれなりに裕福な一般家庭の学院生が多く、その大半が戦闘職を目指してはいない。

 また、レベルの低い低位の者達には力を付ける好機なので、多くの成績不振な者達が挙って参加する。

 これに参加する事である程度の単位が貰えるので、やむを得ずこのイベントに参加する事になる。


 学院生の殆どが求めているのは手に職を見つける事なのだが、ある程度の成績を修めている者の大半は有り難くない年功行事である。

 だが良く考えてみると、この学院生の中で大成するのはホンの一握りだけであり、殆どの学生達は魔法を覚えても普通に職を探す破目になる。


 就職するにも魔導士は攻撃職としての認識が強く、彼等が活躍する場所は少ない。

 王都や大きな街では下水の衛生処理などを行う魔導士もいるが、その門戸は狭き門であった。

 公務員の就職倍率は何処も高く、また雇い入れる人数も限られているので、選ばれるにはどうしても成績が基準となってしまう。

 また、魔導士団に採用されるのも学院での成績が重要視されており、一般人で魔導士団に入るにはコネが必要となって来る。

 つまりは派閥の存在なのだが、魔導士団も国の組織なので予算内での人員補充しか出来ない。


 その狭き門を目指す彼等は、このイベントでの単位は欲しいが戦闘などはやりたくないのが一般的であった。

 彼らが向かう場所は【ラーマフの森】と言い、ファーフランの大深緑地帯程では無いがそれなりの魔物が出没する森だからだ。良く騎士団が実戦訓練の行う場所でもある。

 どこかのおっさんには一撃だろうが、レベルの低い彼等では難易度が高い場所で、魔法に自信を持っている浮かれた魔導士が実戦の恐ろしさを学ぶには丁度良い狩場なのだ。

 その為に実戦教科があるのだが、今のところは大して効果は上がっていない。


 そんな中で一人、やる気に満ちている少女がいる。

 学院指定の制服に上からローブを纏い、小さく握り拳を作るブロンドの髪の少女。

 蒼い瞳は、まるでこれから楽しい時間が来ると期待を膨らませている様な、そんな印象が滲み出ていた。


 セレスティーナ・ヴァン・ソリステア。

 この学院で劣等生であった、現在才女と呼ばれる少女である。

 魔法が使えない状況から短期間で自在に扱えるようになったばかりか、その威力も他の学院生より群を抜いて高かった。

 講師の面々よりも強くなってしまい、現在彼女は特別待遇を受ける立場になる。

 要するに、講義を受けなくとも良いという事なのだが、これは単に優秀な彼女を指導する事が出来ないための方便である。


 元より曲解した講義を受けて学び講師となった者達は、彼女に対してどう指導を施せば良いのか分からない。教える事が無いのだ。

 彼等が悪い訳では無いのだが、セレスティーナは優等生以上の存在になったため、講師達は扱いに困ってしまう。

 優秀だろうが、無能扱いだろうが、彼女の扱いは以前とさほど変わらなかったのである。


 だが、セレスティーナにとっては喜ばしい事で、これを機に秘宝魔法の最適化に挑戦を始めたのだ。

 更には魔法薬や魔道具に関しての講義に参加し、自分の将来を見つめ一歩ずつ前へ進んでいた。

 そして今日、彼女が待ち望んでいた恒例行事の通達が寮で開示されたのである。


「とうとう来ました。この日が来るのを楽しみにしていましたよ♪」

「お嬢様……すっかり好戦的になられて…」

「ミスカ……私を危険人物みたいに言わないでください。少し運動したいだけです」


 秘宝魔法の最適化を図るために、彼女は他の魔法の最適化に着手していた。

 おっさんが最適化した魔法は彼女の頭の中にある為に、その作業は一から行うよりも楽に行う事が出来たが、中には正体不明の魔法式が在り彼女は解読作業に専念している。

 しかし、長い時間を座りながらの作業は健康に悪く、たまには外で体を動かしたい時もある。


「いえ、夏季休暇中に鈍器を振り廻し、ゴーレムを粉砕し続けたものですから、てっきり……」

「てっきり? てっきり何なのですか?」

「誰かを撲殺する趣味に目覚めたものかと思いまして……そうですよね、魔物を撲殺したいだけですよね?」

「そんな趣味はありません! ミスカは、私をどんな目で見ているのですか!」

「撲殺天使、鈍器少女、滅殺ガール、フルボッコレディ、必殺お嬢様、血塗れ公爵令嬢でしょうか?」


 何故か疑問形で印象を語るミスカ。

 どれも不名誉な二つ名であった。

 だが、どれも身に覚えがある為に否定できない。


「うぅ……毎日メイスを振り廻していたのは確かですけど、どれも不名誉です…」

「いつか夫となる方を夫婦喧嘩で殴り殺しますね。……お嬢様、どうか『手加減』を覚えてください」

「まだ、その技は覚えていません。それ以前に、私はそこまで過激ではありません!!」

「またまた、御冗談を……私には見えます。夫婦喧嘩でメイスを凶器に夫をマウントポジションでタコ殴りにし、リビングを血塗れにして、それを掃除する私の姿が……大変そうですね。後始末が……」

「自分の未来のビジョンですか?! それ以前に夫婦喧嘩を止めなかったのですか!?」


 セレスティーナのツッコミに対し、ミスカは顔色すら変えず小さく溜息を吐いた。

 まるで『やれやれ、何を言っているんですか。このお子様は……』といった態度である。


「お嬢様、家政婦は現場の状況を見ているだけのものですよ? 決して犯行現場には踏み込みません」

「は、犯行と言いました! 完全に私を罪人にしたいのですか?!」


 セレスティーナの声は彼女に届いていない。

 眼鏡をあやしく輝かせ、淡々と話し続けている。


「そして私は、犯人であるお嬢様を推理で追い詰めるのです。『犯人は貴女ですね?』と」

「推理で追い詰める前に、ミスカは目撃者ですよね? 犯人を既に知っているではないですか、それも現場の証拠を消す共犯者なのでは無いのですか?!」

「違います。私はあくまでも使用人ですから、そして開いた二時間を無駄な推理で繋ぐのですよ。そうでなければ、誰もドラマを楽しめません」

「何の話ですか! それよりも犯行を止めるべきです」

「嫌です。何故その様なつまらない事をしなければ為らないのですか? 私は犯人を追い詰めてみたいのです。これはメイドの本能みたいなものでしょうか?」

「どんな本能ですか! 追い詰めてないですし、犯人は私じゃないですか。そしてミスカは共犯者ですよ!?」


 何故かミスカは満足そうに笑みを浮かべ、掻いてない汗を拭う仕草をする。

  

「お嬢様。メイドは事件があれば、その事件の概要を調べる習性があるのですよ?」

「初耳です! いったい何処のメイドですかぁ!」

「メイド業界の常識です。お嬢様には分からないでしょうが」


 そんな常識は無い。

 ミスカは中々に良い性格をしている様で、セレスティーナを揶揄って遊んでいるのだ。

 むきになってツッコむ彼女の姿を見たいが為に、稀に彼女はこうして弄ぶのである。

 まぁ、以前は不発である事が多かったが……。


「ときにお嬢様、装備は如何いたしますか?」

「えっ? あの森に行った時の物で良いのではないですか?」

「あの装備は【白蛇竜装備】ですよ? 目立つ上に周りの方々から浮いてしまいます」

「確かに……。皆さんは学園既定の装備でしょうし、あの装備は純白だから目立ちますね」

「最悪、『公爵家のコネを使った』と言われ兼ねません。あの装備は使えないでしょう」 

 

 白蛇竜の素材を使った彼女の装備は、騎士団に支給される物よりも遥かに性能が良い。

 だが、その背景には敬愛する祖父の暴走と、そこで迷惑をかけた人達の苦しみの結晶でもあった。

 その装備を作るために祖父が暴走をし、宝物庫から複数の装飾品を強奪して売捌いたため、多くの人達に多大な迷惑を被っただけでは無く、更に自殺未遂をする者が出たのだ。

 まぁ、最後は奥さんが若い男とねんごろになり、それを苦にして奥さんを引き留めるため自殺未遂を冒したのが真実だが、世間ではその事実は伝わっていない。

 それだけに、この実戦訓練で使用するには世間体が悪すぎる装備であった。


「どうしたら良いのでしょう? 後は訓練用の装備だけなのですが、アレは防御面では心もとないですし……」

「安物の装備ですからね。ですが、そのおかげでお嬢様はドワーフ並みに頑丈になられました。そう簡単に死ぬ事は無いのでは?」

「ミスカ……何気に私を非常識な存在と思っていませんか? いくら私でもドワーフの方々みたいに頑丈ではありませんよ?」

「気の所為です。お嬢様は被害妄想が激しいですね。 レベルが上がれば、それだけの力があると言っただけですが?」

「・・・・・・・・・・・・・」


 しれっと言ってのけるミスカに全く悪気が無いが、言われる側であるセレスティーナは頬を膨らませてむくれていた。

 こうした子供っぽい仕草が面白くて彼女に揶揄われている訳なのだが、セレスティーナはその事に気付かない。


「……それはともかくとして、学院から装備一式を借りた方が良いのでしょうか?」

「アレは駄目です。個人のオーダーメイドではないですから、サイズ面で色々と不都合があるでしょうし、何より魔導士ですから軽装なので防御面では信用できません」

「そうなると、学院指定の装備一式を購入するしかありませんが……」

「デザインが古すぎて、正直遠慮したいところですね。お嬢様には似合いません」


 学院指定の装備は全て革製の装備で、各部要所を金属で補強してある。

 また、学院から借り受けられる装備一式も素材は良い物だが、デザインが型遅れで正直ダサい。

 まだ傭兵達が使っている安物の装備の方が見た目は良い。

 学院は何かと金が掛かり、実戦訓練という名目のゴブリン捕獲と輸送や、錬金術などで使用する薬草や魔石などの費用で大半が飛んで行く。

 壊れやすい機材などの経費で常に消費され続け、こうしたレンタル装備に経費を回さないために古い装備が残される。古い装備でもある程度は頑丈なのだから問題はないが、若い世代は見た目を重要視する傾向が高いためか、誰も借りる事はなく埃を被っていた。

 それでも命の危険が減るのであれば良いと思うのだが、戦闘経験のない学院生はそれも分からず、同様に学院の講師達もそれを指摘する者はいなかった。

 

「あっ、訓練に使った装備を強化するのはどうですか? 幸い素材はありますし、学院内にも防具を取り扱っている店がある筈です」

「お嬢様……すっかり傭兵のように逞しくなられて……。『つえー魔物がいる。オラ、ワクワクするぞ』なんて言いだしたら、私や大旦那様が泣きますよ?」

「言いません!!」

「それはそれで、見てみたいのですが?」

「どっちなんですか!!」


 ミスカは真顔で冗談を言うために、セレスティーナには本気で言っている様にしか聞こえない。

 だが、ミスカがこうした態度をとるにも相応の理由がある。

 以前のセレスティーナはどこか思いつめた表情をして、毎日を鬼気迫る勢いで本を漁り知識を蓄えていた。それも魔法が使える様になってからはその暗い影が落ち、幼い頃のように心からの笑顔を向けるようになった事が嬉しく、つい思わず揶揄ってしまうのである。

 セレスティーナが感情的になる姿をミスカは微笑ましく見守っているのだ。 

 些かタチが悪いところは余計だが……。


「では、装備の手配は私が整えておきます」

「ハァ……お願いします」


 疲れた表情で溜息を吐くセレスティーナ。 

 そんな彼女は、今日も日課の図書館へと赴くのである。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 クロイサスは重い足取りで台車を押し、大量の本を大図書館まで運んでいた。

 かれこれ一週間ほど同じ行為を繰り返していた為か、彼の足腰は悲鳴を上げている。

 一般的に筋肉痛と言われる状態が続き、彼はペンを握る事が出来ない程の痛みに耐え震えていた。


 元より研究に熱中し、資料として集めた書籍を返却しなかった事が原因である。

 学者肌の所為かひきこもり体質で、そのくせ出不精なために運動不足で体力がない。

 言ってしまえば自業自得なのだが、彼は研究を進めたいがために苦痛を堪えて返却に勤しんでいた。


「クロイサス君、辛そうだねぇ~?」

「そう思うなら手伝ってください。イー・リン……」

「駄目だよ。こういう事は体に覚えさせて、次から気をつける様にしないとぉ~習慣になっちゃうよ?」

「もう……手遅れな気がしますが……。イッ!」


 足腰の痛みに堪えながらも、彼は一歩でも前に進む。

 研究に懸ける情熱は大したものではあるが、元より今の状況は彼自身が招いた結果である。

 同情されるだけでもマシと云う物であろう。


「手遅れだと思うなら、なぜ直さないの?」

「正論なだけに……耳が痛いですね。一つの事に没頭するタイプなんですよ、私は……」

「でもぉ~、借りた物は返さなくちゃ駄目だよぉ~?」 


 必死で前に進む彼の姿は、さながら十字架を担いで処刑場へ向かう罪人の様である。

 この場合は自身の怠け癖が原因だが、怠惰は大罪の一つである。

 彼は七つの大罪の一つを犯し、その罪を清算している所であった。


 クロイサスは痛みに耐え、やっとの事で本を大図書館へと運ぶ事に成功した。

 しかし、ここからが問題である。

 この学院では、学院生が借りた本は受付でチェックし、その本を自身の手で棚に戻さなくてはならない。

 つまり、何度も階段の上り下りを繰り返し、チェックし終えた本を受け取っては、また別の棚に戻すため移動しなければならない。

 棚の場所が一階ならまだ楽だが、二階や三階、更には地下の貴重な本を修めている資料室を往復する事になるだろう。

 体力のないクロイサスは、ここからが地獄の始まりなのだ。


「これで最後なんだから、頑張って」

「分かってはいますが……流石に体力が……」

「私も手伝ってあげるんだからぁ~、最後までがんばろ。ねっ?」

「それには感謝していますが……足が重い。鉛を履かされているようですよ」


 基本的に、私生活はまるで駄目な生活を送っているクロイサス。

 その彼をかいがいしく面倒を見るイー・リンは、さながら母親の様である。

 彼女はこうした駄目な奴を世話するのに向いた性格であった。二人の姿は、傍目から見れば実に良いカップルに見えてしまう。

 そんなバカップル状態の二人を、後方で隠れて血の涙を流しながら見ている不憫な男達の姿があった。

 彼等は全てイー・リンに思いを寄せる者達で、クロイサスに嫉妬の炎を燃やし呪い続ける。

 彼女はこの学院でも人気の高い庶民派アイドルの立場で、五人いる美少女の一人に列をなす人物である事をクロイサスは知らない。


「……殺るか?」

「いや、彼女に泣かれるのは不味い……」

「だが、奴は俺達の女神を独り占めにしているんだぞ? これが許せるか!」

「さすがに、ここではヤバイだろ」

「この殺意で、俺は数万人を殺せるぞ!」

「俺もだ……」


 醜い嫉妬に狂う者達がここにいた。

 周りの事など無関心なクロイサスは、台車を押しながら図書館へと入って行く。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「あぁ~っ!! わかんねぇ、どうやったら最適化できんだ? 手の施しようが無いだろ、これっ!!」

「おそらく、何かが足りないのでしょう。自然界の魔力を集める魔法式はこれで良い筈ですし、問題は調整ですね。保有魔力と自然魔力の調整、他の魔法式の兼ね合いもありますし……必要魔力の比率と指定範囲の限界値……」

「一撃に対する威力の調整範囲と発動時の有効範囲……、それに割り振る魔力の値。言いだしたら切りがねぇ」

「その魔法をコンパクトにするために積層魔法陣に切り替え、スペルラインの構築にスペル・サーキットの設定調整……難易度が高過ぎます」


 セレスティーナとツヴェイトは大図書館にて、秘宝魔法の効率化を共同で行っていたのだが、その最適化作業は早くも暗礁に乗り上げていた。


 この世界で使われる魔法式は俗に言う魔法陣形式であり、一つの魔法を構築する魔法式の大きさと密度によって威力や範囲が異なる。例えば『トーチ』のような火をつける魔法式であれば、小さな手帳サイズの魔法紙一枚で足りるのだが、秘宝魔法となるとロングテーブル全面を覆える世界地図並みに大きくなってしまう。

 そこに複雑な模様の魔法陣を描き、その隙間を現象転換魔法式で埋め尽くす事でスクロールは完成するのだが、積層魔法陣は形式が少し違う。

 

 積層魔法陣は複数の異なる命令系統を構築した同規模の魔方陣を、それぞれ独自に重ね合わせた形式になる。

 その合間に各魔法陣のプログラムを読み取る『スペルサーキット』と呼ばれる魔法陣を挟み込み、それを重ね合わせる事で一つの魔法を形成するのである。

 異なる命令を一つに重ね合わせ、それを各スペルラインが繋ぐ事で読み取り、統合処理する事で魔導士が定められた魔法が発動する形を取っていた。


 旧来の物は脳裏イデアに刻み込む事で決められた許容量を大幅に使ってしまい、覚えられる魔法の数が限定されてしまう問題を抱えていたが、積層魔法陣はその問題を解消する画期的な魔方陣であった。

 許容量を例えるなら旧来の魔法陣がカセットテープで、積層魔法陣がCDRと言った所であろうか。

 おっさん魔導士が使う01圧縮魔法式は、さながらBRDが妥当だろう。

 

 だが、実際は簡単に行く訳がない。

 積層魔法陣は複数の命令系統を分割して重なり合った魔法式を同時に処理しなくては為らないために、各部分での情報処理を緻密に調整せねばならない。

 発動する時は一瞬だが、其処まで行く為にはどうしても魔法式という歯車を噛合せる作業が必要となって来る。だが、異なる指令魔法式が不完全であると、今度はスペルサーキットで魔法式を読み取らなくなり、魔法自体が発動しない。

 各部の調整が上手く行かないければ魔法式同士で衝突が起こり、不具合から互いの魔法式同士が相殺し合うのである。その結果として魔法式の崩壊現象が起こるのだ。


 この魔法式崩壊現象は顕現する筈であった魔法陣が魔法式内部で打ち消し合い、魔力を消費して何も起こらないと言う只それだけの現象なのだが、魔導士にとっては致命的である。

 それが秘宝魔法ともなると、その現象が引き起こされる割合は通常よりも遥かに高い。

 柱時計を参考にし、デジタル時計を設計図も無しに部品から自作するようなものである。


「現象への転化、威力調整、制御機構、消費魔力の兼ね合い、魔法式の読み取りタイミング。……どれを取ってもかなりハードな問題だぞ?」

「先生は良く調整が出来ましたよね? この魔法式、凄く意地悪です」

「同感だ。底意地が悪いとしか言いようがねぇ……」


 更に環を掛けて、この秘宝魔法は絶妙な割合で複雑怪奇な魔法式であった。

 こうなると嫌がらせとしか思えない程に不完全な魔法式が見事な具合で嚙合っているためか、最適化するには一から分解して書き換えるしか無い。 その所為で二人は頭を抱えている。

 

「いきなり秘宝魔法の最適化は、私達には早過ぎたのかもしれません」

「師匠は、何でこんな宿題を出したんだ? どう考えても俺達には無理だろ」

「何らかの意図があるのかもしれません。きっと深い理由があると思います」

「それが分からねぇ……何を企んでんだか」

「何やら、二人して深刻そうな話をしていますね。行き詰っているようですが、どうしました?」


 不意に声を掛けられ二人が振り返ると、そこにはクロイサスの姿があった。

 見た目だけなら気取ったように毅然と構えているが、足が可哀そうなまでに震えていた。


「おまっ、足がめっちゃ震えてんぞ?」

「生まれたての仔馬みたいです。どうしたんですか、クロイサス兄様!」

「ここ数日、研究所からここまで往復して、既に体力の限界が来ているんですよ……放っておいて下さい」

「せめて自分の周りは整頓しておけよ。普段から無頓着だからそうなんだぞ?」

「返す言葉がありませんね。……オマケに運動不足ですよ」


 ツヴェイトはの私生活は大雑把だが、身の回りはきっちり整頓している。

 セレスティーナは元より余計な物は置かない性格なので、部屋にぬいぐるみすら置いて無い。

 逆にクロイサスは、身の回りに関して極端なまでにズボラであった。

 三兄妹の性格は極端に分かれていた。


「それは兎も角として、何やら思い詰めていたようですが?」

「あぁ? まぁな、俺達の今の状況じゃ秘宝魔法の最適化は無理だと分かっただけだ」

「無茶な課題だと思いますね。そもそも、ただ魔法式が解読できる程度では無理でしょう。一つの魔法には、長い時間の積み重ねられた研究成果が込められているんですよ? それを簡単に作り変えられるわけがありません」

「ですよね。そうなると、先生の意図が分からなくなります。何の為にこの様な課題を出したのか……」


 二人はおっさん魔導士の考えていた事が理解できない。

 元より深く考えて出した課題でなく、失敗を前提に出された課題なのだから当たり前だが、大賢者と言う職業のためか裏に何らかの思惑があると思い込んでいる。


「第一、この秘宝魔法を構築するなら、基本魔法を見直して技術を学ばなければ意味がないのでは? 多少魔法式を学んだ程度の魔導士に出来る作業では無いでしょう」

「「!?」」


 二人の脳裏に『他の魔法も研究できるなら尚良い』の言葉が浮かんだ。

 つまり、秘宝魔法の最適化する事を名目にし、他の魔法研究に目を向けさせるための布石であった。

 良く考えても非常識なまでに複雑化した魔法を、素人レベルに毛が生えた程度の魔導士が改良出来る訳がない。他の魔法研究を加える事で、より深く魔法式を構築する為の経験を得られる。

 二人は大賢者が作る最高の魔法触媒と言う言葉に踊らされ、本質的な事を見逃していた。


「師匠……性格が悪いぞ…」

「最初から無理な事を分かっていたのですね。その為に他の魔法を学ばせようとして……」

「良く解りませんが、私は共感できますね。魔法の研究が簡単にできるなら、今頃この国は大国になっていたでしょう。研究とは一朝一夕で出来るものではありませんよ」

「お前も、ある意味では世捨て人だからな……共感できるだろうよ。師匠に騙された」


 おっさんとクロイサスは、どちらも同じひきこもりである。

 閉じこもって研究を続けるか、自給自足と多少のアルバイトで小銭を稼ぎ生活するかの違いだけで、富や名声などくだらないと思っている同種の人間だ。


 確かに普通で見れば共感など出来ないだろうが、こうした偏った思考の者は少なからず存在する。

 方や研究に遣り甲斐を感じ、全てを投げ捨てて没頭する者。

方や遣り甲斐を失い歪み、絶望して静かな暮らしを望んだ者。

 極端だが両人ともに同質の人間であった。


「一体、御二人の師はどんな人なのですか?」

「優秀だが歪んでるな。人として、どこかが壊れている」

「厳しい人ですよ? 特に自分に関しては……偏っていますけど」


 早い話が人格破綻者である。

 二人の師の人間像が見えず、困惑するクロイサス。


「あぁ~っ!! クロイサス君、サボってるぅ~っ!!」


 三人が振り返ると、数冊の書籍を抱えた少女が頬を膨らませ、クロイサスに指を突きつけていた。

 クロイサスを手伝っていたイー・リンである。


「あっ……すっかり忘れていました」

「ひどぉ~い!! 私にばかり本を運ばせて、クロイサス君はおしゃべりを楽しんで……あれ? 噂のクロイサス君の御兄妹だ~っ!!」

「「……噂?」」

「兄妹同士で只ならぬ関係とかぁ~、色々言われてますよぉ~?」

「なんでだよっ!!」

「……なんでそんな噂が、私には身に覚えがないのですけど?」


 イー・リンの衝撃発言に、二人は動揺する。

 互いにそんな噂がたつ身に覚えが無く、この場で初めて聞いた話であった。

 

「ちなみに、その噂の発生原因は彼女ですがね。偶然二人をここで見て、周囲に漏らしたのが事の発端です」

「クロイサス君、なんでバラすのぉ~?!」

「お前かよっ、なんつ~事をしてくれやがんだっ!!」

「クロイサス兄様……恋人は選んだ方が良いですよ? かなり口の軽い人のようですから……フフフ」

「誤解です。彼女とはそんな関係では……セレスティーナ、そのメイスは何処から出したのですか?!」


 あらぬ疑いを掛けられては流石に二人も怒るだろう。

 それにしても、セレスティーナもあの老人の血を引いているだけの事はある。

 感情的になると、ソリステア公爵家の血が出るようだ。いや、今開眼したのであろうか?

 血は争えないと言う言葉はあるが、ここまで似ていると怖い物がある。


「あれぇ~? なんか、変な魔法式が在りますねぇ~?」

「イー・リン!! それは……」

「あぁ~、見ても分かんねぇだろ。特に魔法式の解読法を知らない奴は」

「ですが、この魔法は我が公爵家の……」

「大丈夫だろ、所詮は無数にある魔法式の一部だけだ。それにどんな意味があるかなんて理解できねぇだろうしよ」


 秘宝魔法を分解再構築すれば、その魔法式の数は膨大なものになる。

 ゼロスがクレストンに手渡した魔法式スクロールも一束ほどの厚さに上り、枚数で言えばどれだけの数に及ぶか分からない。

 一部だけ見て理解できれば天才どころか神であろう。


「そう言われてみれば、魔法式の数が少なすぎますね。これでは初級魔法の魔法式と大して変わりはないようですが?」

「複数の魔法式の間に読み込む魔法式を挟む事で、魔法式の稼働処理の効率化を図るんだが、困った事にその嚙合わせがわからねぇ。少しでもズレると発動しなくてな」

「これは素晴らしいですね。重ねる事で集積し合い、魔法陣を形成する……これが起動するなら、魔導士が魔法を覚える幅が広がりますよ」

「大規模な魔法がコンパクトに纏まるねぇ~。こんな魔法式を見たの、私は初めて」


 分割された魔法式が各工程の魔法陣と集積し合い、一つの立体魔法陣と化す。

 しかも重なり合う事で脳内イデアの容量が集約され、同系統の積層魔法陣を可能な限り覚える事が出来る。画期的だが調整の難しい魔法陣形式であった。

 旧来の魔法陣が乱雑に物が置かれた部屋で、積層魔法陣が綺麗に整頓された部屋と言えば理解し易いであろうか。


「オヤジが売捌いている魔法は効率化した魔法式自体が普通の魔法陣だが、それでもかなり小さく纏められているぞ? 俺がある程度の攻撃魔法を覚えられたくらいだからな」

「……後で父上に手紙を送りましょう。その魔法を使って見たいですから」

「おそらく無理じゃないでしょうか? 御父様の下にいる魔導士の数が限られていますから、生産が追いつきません」

「実家に帰らなかったツケが、ここに来て出ましたか……」


 クロイサスは、この時に本気で後悔する事となった。

 貴重な資料を手に入れ損なったのだから、研究者としてはさぞ無念な事だろう。


「それよりクロイサス君、お片付けをちゃんとしようね?」

「ちょ、イー・リン? 引っ張らないでください、私は逃げませんよ!」

「駄目です。目を離すと直ぐに研究に没頭しちゃうんだから、最後のお片付けはしっかりやりましょうね?」

「「・・・・・・・・・・」」


 イー・リンによって、クロイサスは連行されて行った。

 しばらくすると、大量の本を持ち震える足で階段を上って行く彼の姿が目に留まる。

 その後ろをイーリンが激しく尻尾を振りついて行った。


「クロイサス兄様……変わりましたね?」

「あぁ……やはり女か? 女が駄目な男を変えるのか?!」


 口以外はワリとしっかりしている性格なのに、何故か女にモテないツヴェイト。

 見た目の第一印象が『怖そう』という事に原因があるあるなど、彼は未だ知らない。


 彼に春が来るのかは神のみぞ知るである。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「ディーオ! こんな時間に何してんだ?」


 寮に戻る途中、ツヴェイトはランニングしている友人を偶然見かけ、声を掛ける。

 どれくらい走っていたかは分からないが、額に汗が浮かんでいた事から必死にトレーニングしていた事が窺える。


「ツヴェイト、今帰りかい? 随分と遅いじゃないか」

「ちょっと、『書庫』で調べものだ。お前は何してんだよ」

「もちろん、体を鍛えているんだよ。彼女に相応しい男になるために」


 セレスティーナに一目で惚れ込んだ彼は、必死に自分を鍛えて体力を付けようとしていた。

 同機は少しアレだが、気持ちは分からくも無い。


「どこを探してもいねぇから、先に『書庫』に行ったんだが……セレスティーナもいたぞ?」

「何でもっと探してくれないんだよ!! そうと分かっていれば今日はトレーニングを止めたのに……」

「お前……本当に、アイツに告るのか? 死ぬ覚悟はできてんのか?」

「障害が大きいほどに愛は燃え盛るんだよ! 多少の障害が何だと言うんだ」

「多少どころじゃねぇんだがな……」


 ディーオは知らない。

 どこかのイカレタ老人が、自分をこんがり焼こうとしている事など……。

 その老人は、来るべき時のために準備まで始めているのだ。 


「俺は友人が、『上手に焼けました』みたいな焼死体になった姿は見たくねぇぞ」

「ははは! まさか、いくら【煉獄の魔導士】でもそこまでは……」

「殺るだろうな……。本気でお前を殺しに掛かるぞ?」

「……冗談、だよね?」

「………きわめて、マジだ」


 初秋の風が一陣、二人の間を吹き抜ける。

 秋とは言えまだ温かい筈なのに、その風はやけに冷たい風であった。


「し、しし、障害が大きいほど、お、俺の心は萌えるんだよ!」

「声が震えてんぞ? それに今、なんか言葉がおかしくなかったか?」

「ききき…気のせいさぁ~……それよりも早く寮に戻ろう。何か少し肌寒いや……」

「足も震えているんだが……」


 ツヴェイトは友人を気の毒に思う。

 セレスティーナが商人の娘であれば応援くらいはしただろうが、流石に今回は相手が悪すぎる。

 孫娘を溺愛する老人はどこか狂気に染まっているため、躊躇う事無くディーオを殺しに来る事だろう。

 彼が本気にセレスティーナに思いを寄せるほど、命の危険が更に高まるのである。


 来るべき大火の時は近いのかも知れない。

 ツヴェイトは只、友の冥福を祈る事しか出来なかった。 

 

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