おっさん、アルバイトへ行く
おっさん魔導士のゼロスは困っていた。
鉱山の採掘から戻ってきて以降、彼は道具製作に明け暮れていた。
地下に設置されたドラム缶を三倍大きくした金属製の円柱缶。それが横に三つほど並んで立っているのだが、これがゼロスが作り出した乾燥機付きのサイロである。
既存の魔法式を利用して温度調整を円滑に行い、常に最適の温度で米を保管する事が可能。
同様の技術で冷蔵庫を製作し、足踏み式脱穀機と携帯灰皿を製作して有頂天だったのだが、ここで大きな見落としがあった事に気付く。
「米が無い!」
そう。いくら成長が早く、七度の収穫が可能でも、稲はまだ足首の高さまでしか伸びていない。
米が収穫できるのは数週間先の話なのである。
気を急いて道具を作り出したまで良いが、その道具を使うのは当面は先なのである。
別に急いで作る必要性は全く無かったのだ。
米を発見して彼はそうとうに舞い上がっていた様である。
「仕方が無い……麹でも探すとしますか」
麹は味噌や醤油を作るには欠かせない発酵菌であり、これを利用して種麹を製作する。
その種麹を絶やさず育成させ続け、常に手元に残しておくのがコツである。
因みにだが同じ発酵でも酵母菌も同じであり、ゼロスは既に老麺法を試していた。
これは孤児院でパンを焼いているので繁殖は楽であったが、肝心の麹菌が見つからない。
ゼロスは麹菌を発見すべく、意を決して玄関の扉を開ける。
「……何してんだ、アンタ…」
「はいぃ?!」
が……玄関を開けてそこに立っていたのは、大工のナグリであった。
いや、正確には大工だけでは無く、ドカ仕事全般を行う建築のプロフェッショナルである。
「『はいぃ?!』じゃねぇだろ!! アンタには今日から仕事を頼んでいた筈だ」
「……あっ…確か、橋の橋脚基礎工事要員でしたね。今日からでしたか?」
「来週からと言ったろ!!」
「日付を決めて言ってくださいよ。来週と漠然と言われても分かる訳が無いでしょう」
「……言ってなかったか?」
「聞いてません」
そこに意思疎通の齟齬があった。
職人の来週からと言うのは大抵が月曜であり、それ以外は曜日で現す事が多い。
しかし、リーマンではその常識は通用しない。
ただ漠然と来週からと言われても、その週の何曜日かは分からないのだ。
大雑把な職人と、分刻みでスケジュールを立てるリーマンでは、考えと言葉の捉え方が全く異なっていた。
「まぁ良い。アンタにはちょいと手伝ってもらう約束だからな、ついて来てもらうぜ?」
「ちょ、今日、僕は麹を……」
「おう、今日から工事の仕事だな。しっかり働いてもらうぜ? 何せ、大仕事だからよ」
「言葉は同じでも、意味合いは違いますからぁ――――――――っ!!」
こうしておっさんはドナドナされて行った。
残念!
職人の大半は我が強い。
現場で何らかのアクシデントが無い限りは、彼等は常に仕事を全うするのである。
そこに一切の妥協が無いのがプロフェッショナルである。
因みに、その現場監督はナグリその人であった。
彼等はハンバ土木工業は、今日も最もHOTな現場へと挑み続けるのである。
一人、おっさんのアルバイトを巻き込んで……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
―――ゴァァアアアァァァ…・・・
最後の力が尽きたのか、フォレストグリズリーは息絶える。
三メートルを超す巨体の熊だが、正真正銘の魔物で前足が四本あるのが特徴だ。
この国では中級クラスの魔物だが、この巨大熊を倒したのは四人の傭兵達であった。
「手間かけさせやがって……空腹に響くんだよ!」
「全くだ。しかし、腹が減ったな……最近よぉ、無性に腹が減るんだよ」
「お前もかよ。俺も最近、空腹感がハンパ無くてよぉ~、いくら食っても満たされねぇ……」
「しかしよ、このアイテム、スゲェ効果だよな? 腹が減るけど……」
傭兵達はこの数日間で複数の討伐依頼を纏めて受け、その全てを成功させてきた。
彼等の傭兵としての腕はさほど大した事は無いのだが、ここ数日間で彼等の状況は一変した。
危険と言われたオークの巣やアーマリザードなど、四人では決して果たせない依頼を受け、全てを討伐して達成させたのである。
傭兵ギルドも驚愕するほどの速さで彼等は強くなり、今日もまた魔物討伐の依頼を受け仕事を完了させたのだ。
彼等の金回りも数日で良くなり、少し上の装備に買い替えたばかりである。
その理由が、いつぞや酒場で魔導士から貰ったアミュレットである。
黒いくすんだ石を銀の金具で固定しただけの、実に味気ないものであった。
しかし、このアミュレットに魔力を流すと、信じられないほど力が沸き上がって来るのである。
本来アミュレットは守りの為の魔導具で、大抵は属性耐性か魔法障壁を展開させるものが多い。
だが、彼等の持つアミュレットは尋常では無い力を与えてくれる。
代わりにどうしようもない空腹感も襲って来るようで、彼等はいくら食事をしても空腹感が収まる事は無かった。
むしろ、その空腹感は次第に酷くなって来ている。
「腹が減ったな……」
「あぁ、これは地獄だ……」
「飯が食いてぇ…」
「アレ、美味そうだよな……」
彼等が目に留まったのはフォレストグリズリーの屍である。
彼等は襲い来る空腹感には勝てなかった。
四人は一斉に屍に駆け出すと、解体もせずにそのまま噛り付く。
肉を引き千切り、血を啜り、骨を噛み砕き、その食欲は止まる事を知らない。
わずかな時間の間にフォレストグリズリーは跡形も無く喰らい尽され、後に残されたのは血液の後だけであった。
「足りない……タリナイ…」
「たりねぇ~よぉ~…メシ…クイタイ…」
「食いたい……何でもいいから喰いたい…」
「めし……メシィイィイイイイイイイイイイイイイッ!!」
四人の様子は急速におかしくなって行く。
同時に衣服の内側から筋肉が膨張し、剛毛に包まれた腕が晒される。
顔には血管が浮かび上がり、腕と同様に――いや、体全体が別の何かへと変化して行った。
そこにいたのは、もう人では無い。
人であった何かである。
傭兵であった者達はそれぞれが個別に動き出し、その一人がある方向へと向かって歩み出す。
先にあるのは、小さな村であった。
フォレストグリズリーを討伐する依頼を出した村である。
人であった獣は大量の唾液を流し一気に駆け出すと、一軒の民家を強襲した。
やがて、その小さな村で悲鳴が上がる。
動く物を片っ端から襲い、その死肉を貪る異形の生物。
貪欲なまでの飢えが、この魔物を支配していた。
この日、総人数200人近くいた村は正体不明の獣に襲われ、生き延びたのは20名足らずである。
村人の殆どが逃げても襲われ、やがて合流した三体の獣を加えこの獣に喰い尽されたのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
森の中に不信な人影の姿があった。
人数は二人だが、同じ黒尽くめの衣服を着ている。
彼等は木の上から双眼鏡で一定の方角を観察し続け、その様子を見て詳細な情報を書き綴っていた。
双眼鏡で見えるのは、四人の傭兵達の姿である。
「どんな様子だ?」
「見た目に変化はないが、力が強くなってきているな。食欲も異常だ」
「ふむ……予想範囲内か?」
「待てっ! 何だ、アレは……」
双眼鏡を覗いていた男は、あまりの事態に驚愕した。
「どうした?」
「フォレストグリズリーを食ってやがる。……いや、取り込んでいるのか…?」
「俺には見えんのでな、結論だけを言ってくれ」
「に、人間が、化け物になった……」
「なにっ?!」
双眼鏡を持つ手が震えていた。
あまりにも悍ましい光景に、彼は恐怖に怯えているのだ。
「拙い! 奴等がこっちにくるぞ」
「な、何だと?! まさか、匂いを嗅ぎつけたのか!」
「逃げるぞ!! 俺達では勝ち目がない」
彼等は慌てて撤退を始めた。
撤退すると同時に、魔物寄せの禁薬『邪香水』を散布する。
魔物を引き寄せ、自分達の身を人獣からかく乱させる作戦であろう。
程なくして、この周囲の魔物はこの場に集まり、悍ましい喰い合いが始まる。
その事態を生み出した者達は、何処ともなく消え去った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「俺はよぉ~……数日は休暇の筈だったんだよ」
「分かります。この業界は大雑把ですからねぇ~、作業終了の予定日しか正確じゃないんですよ」
「だよなぁ~……これから俺の好物『メッカラビーンズ』を作って、酒のつまみにしようとした時によぉ、突然親方が現れて鳩尾に一発良いのを喰らって…」
「気づいたら馬車の上だったと? 酷過ぎますね」
「だろぉ~? せっかく豆を水に浸して、煮込もうとした矢先だぜぇ。親方は鬼だ」
珍しい髭の無いドワーフと馬車に揺られ、世間話をするおっさん。
馬車に揺られて続けて三日、ゼロスを含めたハンバ土木工業の一行は、橋建設の現場に辿り着こうとしていた。
だが、何の準備も無く連行されたため、ゼロスは暇をもてあましている。
建築資材は現場に置いてあるらしいが、問題は橋脚基礎が上手く行かず、橋を架ける事が出来ないでいる。
ゼロスが雇われた理由は現在ドワーフ達が土木魔法『ガイア・コントロール』を使いこなすのが困難な状況にあり、彼等の代わりに基礎部分作業を肩代わりする為である。
「仕事の予定日を決めていなかった事も問題ですが、いきなり連行ですからね」
「まぁ、他の領地の連中が何度も失敗した難所だからな。国を挙げて大々的に宣伝しちまった手前、『橋が架かりませんでした』じゃ済まねぇんだよ」
「で、最後の望みを掛けてハンバ土木工業に白羽の矢が立ったと……酷い話ですね。計画性が無い」
「あぁ……『メッカラビーンズ』。俺のソウルフード……」
「何なのですか? その料理」
メッカラビーンズは【チリビーンズ】の様な料理である。
唐辛子の辛味と、豆の甘味が調和した素朴な田舎料理であった。
高級な物になると鶏肉とハーブの数種類が一緒に煮込まれ、より深い味わいの酒のつまみとして有名である。
「野菜の成長が早いって聞きましたけど、そんなに凄いんですか?」
「この辺りはファーフラノ大深緑地帯が近いからな。魔導士達の話じゃ、大地を流れる魔力の影響で成長が早くなるんだとよ」
「しかしよぉ~、魔導士なのに剣を持つなんて珍しいな。普通の魔導士は杖だぞ?」
「魔法なんて万能じゃないんですよ。魔法を無効化する能力を持つ魔物もいますし、そうなると肉弾戦しかないんですよねぇ~」
「撤退すれば良いじゃねぇか。魔力が切れても、一時撤退すれば次でケリがつくかもしれねぇだろ?」
「撤退を許してくれれば良いのですがね。そもそも戦闘中では理屈は通じませんよ。戦争でもですがね」
戦争で明確にルールがあるのは貴族や王族の間だけで、一般人や傭兵などはその限りでは無い。
傭兵などは報奨金欲しさから手柄を求め、魔導士や貴族の将兵を集中的狙い、街を攻め落とせば蛮行を働く。
規律や軍紀が存在するのも軍隊のような国に仕える存在だけで、金で雇われている連中にそんな規律は存在しないのだ。仮にあったとしても緊急時ゆえに大抵が黙認される事が多い。
元の世界で飛行機を乗り継ぐべく飛行場で待機していた時、某国のテロ組織と国軍の戦闘に巻き込まれ三日ほどその国で足止めをされた事がある。
避難場所に指定されていたホテルで休もうとした時、窓から流れ弾が飛んで来て危うく命を落としかけたのだ。幸い肩を翳めた程度で済んだが、それ以来ゼロス事【大迫 聡】は某火薬地帯方面に海外出張を拒否するようになった。
戦闘は他人の迷惑を顧みないもので、そこにルールなんてものは存在しない。
攻撃と言う名の嫌がらせを続け、その相手に向けて攻撃するという図式が最も正しいのではないかと感じ、犯行声明で並べ立てる主義や主張など、ただ後付けしただけの言い訳にしか聞こえなかった。
正義とは名ばかりで女性や子供を攫い、犯したり兵士に仕立て上げたりと、やりたい放題の蛮行を繰り返す。
この世界は元の世界よりは原始的ではあるが、それ故に王侯貴族の意識は誇りや名誉を重んじている。
しかし簡単に戦争が起きそうな政治の世界で、人はどこまで理知的でいられるのだろうか。
元の世界でも長い間戦争を続けている人達がいる以上、根が純粋である分だけにこの世界も苛烈な戦いになる事は予想できる。そこでもし戦争が引き起こされた場合、戦いに誘発されて暴力に傾倒する者達の方が怖い。
戦争をするのは騎士ばかりでは無く、民間人や傭兵も駆り出され、騎士団や魔法師団など戦力数の数割にしか満たない。戦う殆どの兵が集められた民衆兵力で、騎士団は訓練を受けていない彼等を統括しきれるとは到底い思えなかった。
蛮行を行う大半は集められた民衆なのである。味方であれば良いが、敵の場合は執拗に追い駆けて来るだろう。彼等は手柄を立てる事を望み、それで金を得る事で生活の足しにするのだから。
撤退した所で安全では無いのだ。
「難しい事言っているみたいだけどよぉ~。アンタ、歪んでるとか言われねぇか?」
「良く言われますね。偏っているとか、頭がおかしいとか」
「この国は平和なもんだぞ? まぁ、魔導士が少しばっか偉そうだがな」
「半数の貴族が魔導士ですからね。平和な時ほど人は腐るんですよ、そのシワ寄せがこちらに来ない事を祈ります」
(何か、魔導士団の一部が決起して馬鹿やりそうなんですよねぇ~。旧日本軍みたいに……)
考えても仕方が無い事だが、世界その物が変わったゼロスには、もしかしたら全てを受け入れる余裕などないのかも知れない。
実際やっている事は無茶苦茶であり、『敵は倒す』と言うより『怖いから滅ぼす』が近い。
いくら強くても、心の面ではただのおっさんなのだ。
公爵家に対しても『舐められたら付け込まれる』と怯えていた可能性が高いだろう。
問題は、それを本人が自覚しているかどうかである。
現状は付け焼刃で、流されるまま生きいるだけに過ぎないのだから。
「おっ、見えて来た。あそこが俺達の現場だ」
「そう言えば、アナタの名前を聞いていませんでしたね。今更ですみません」
「俺か? 俺はボーリングって名前だ」
頭の中でスプリットしたピンが球で弾かれ、反対側のピンを倒す光景が浮かんだ。
昔のボウリング番組で見た光景である。
ボーリングとボウリング、似てはいるが意味が異なる。おっさんの勘違いである。
「いま、何か失礼な事を考えなかったか?」
「いえいえ、気の所為ですよ。僕は…」
「親方から聞いてんよ。ゼロスのあんちゃんよ」
「あんちゃん?!」
「人間は俺達より長く生きられんからな。俺から見たらまだ若造よ」
どうやら年配者の様であった。
ドワーフもだが精霊種全般は年齢が解り辛い。
現場はオーラス大河上流の広い街道で、石畳で舗装されているが、途中からその道は途切れていた。
おそらくはそこに橋を架けるのであろうが、問題は基礎部である。
この場にいるだけでも河に流れる水の音が聞こえる事から、実際は相当の激流である事が予想できる。
現場の様子を見にオーラス大河へ近付くと、崖下には恐ろしい勢の激流だった。
(魔法でどうこう出来るのでしょうかねぇ? 結構な激流のようですよ)
「上流で二つの河が合流していてな、流れが結構早い。何とか出来ねぇか?」
「ナグリさん……無茶な仕事を受けましたね。下手に橋脚を立てたら、こちらが激流で削られるかも知れませんよ」
「お役所の見積もりが甘いんだよなぁ~。しかも国の要請だろ? 俺たちゃ逆らう事は出来ねぇしよ」
「王侯貴族も殴り飛ばすんじゃなかったんですか?」
「最初に仕事を受けたのが俺達だったらそうしたさ。だがよ、この仕事は俺達だけが請け負ってるわけじゃねぇし」
ハンバ土木工業だけなら、役人を殴り飛ばして国王の元に殴り込んだであろう。
しかし、他の土木関係業者が入っているとなると、責任の追及が彼等に向けられてしまう。
職人関係は業者が違っても横の繋がりがあるのだ。
仲間意識も強く、例え他の業者の職人でも手助けする事がある。
(どうすんのコレ……橋脚を作るにしても、こうも流れが早くちゃ無理だぞ? 『ガイア・コントロール』や『ロック・フォーミング』を使う前に、流れで集めた砂や土が流されるだけだろう。
先ずは硬い岩盤に基礎部を完全固定しないと駄目じゃね? だが、こうも流れが速いと……)
「これは複合魔法を作らないと駄目ですね。扱える人がいなくなりますが……」
「出来るのか? 無茶を言ってんのは分かってんだ。頼む、何とかしてくれ!!」
「三日ほどください。何とか魔法を改良してみます」
(この世界にPCや知り合いはいませんし、既存の術式で作らねばならない。となると、複数の魔法を連動させて一つの工程に纏める必要がある訳で……。
キーボードを叩いて作る訳じゃないですから、時間的に猶予はありませんし、今夜から徹夜作業ですか? どうしましょうかねぇ……)
流石に自然の猛威の前にはお手上げ状態。
だが、やらなければ職人達が処罰される。
「この仕事を提案した人、思いっきり殴りたいですよ」
「対岸一帯を治める領主だな。ヨクブケーノ伯爵と言ってな、何かにつけて工費を値切ろうとすんだ。序でに国王命令でもある」
「ここに橋を架ける意味はあるんですか? ソリステア公爵領までの商いは船で充分でしょうに」
「実は全くない。商人を行き来させるにも遠回りだし、仮に完成したとしても盗賊共の稼ぎ場になりそうだな」
「工費を着服してるんじゃないですか? ヘマをやらかしたらこちらに責任を擦り付けて……」
「あぁ~…やりそうだな。だが、完成したら赤字になると思うぞ? この橋の管理や治安維持は伯爵が請け負う事になるからな」
ヨクブケーノ伯爵領の対岸であるこの場所は、どうやらソリステア公爵領との間にあるグレーゾーンの様で、管理する貴族がおらず放置されている土地の様である。
上流に行けばファーフランの大深緑地帯の一画が接触しており、魔物の強さが異なる。
橋を作ったために強い魔物に襲われる危険が高くなる可能性があった。
「何も考えてなくて、目先の利益に目が眩んでいる可能性もありますねぇ。あくまで空論ですが」
「それも捨てきれねぇな。そう言う奴だからな」
「どちらにしても最悪ですよ。職人に無茶な要求を突き付けてる時点で……」
「全くだ」
旧時代ならともかく、現時点でこの世界は土木関係の便利な魔法など存在していなかった。
おっさんが作った土木魔法を除けば、魔法はあくまで攻撃や防衛の為の道具なのである。
それゆえに魔法貴族と呼ばれる者達は威力のみを求め、各派閥を作り攻撃魔法を研究させているのだが、実情は思わしくない。
魔法の開発は相応の知識が要求されるが、魔力が火薬と同質の価値観なこの世界において、一般に普及する様な魔法は開発されていなかった。
開発する事すら頭から切り捨て、いかに戦場を有利にするかを追求している。
一般の魔導士達も生活のために錬金術を学び、或いは国に仕え安定した給料を求めているに過ぎない。
魔法研究に躍起になっているのは貴族とその周囲で、それ以外は将来の生活を見据えているだけで、開発そのものに対してさほど気にも留めていないのが実情だ。
これでは魔法学が向上する訳もなく、ただ惰性で今を進んでいるのと変わりは無い。
「アンタはどう工事する積りなんだ?」
「そうですね。硬い岩盤に魔法を掛けて、楕円形に橋脚基礎を作る積もりですよ。流れに対して負担にならない様に両側を鋭利な形で尖らせて……」
「ほうほう、こいつは面白れぇな。だが、幅が薄すぎねぇか? 似たような工事はしたけどよ、流されたら終わりだぜ?」
「予定では橋脚は何本なのですか?」
「二本だな……なるほど、数を増やしてその分負担を減らすのか」
地面に建設工程の予定を書きながら、設計の見直しが始まった。
いつの間にか他の職人達も集まりだし、作業の変更点は急速に進み、前の設計よりも頑丈にするためにその場での強度計算まで始める始末。
その作業工程会議は日が暮れるまで続いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
当初の設計では、橋は二本の橋脚で支えられたメガネ構造の基礎部を持っていた。
その上に重心を分割するアーチ状の土台が築かれ、更にその上に橋の本体を架ける事になっていた。
だが、対岸まで250メートル近くある河に橋脚二本では足りる筈も無い。
少なくとも橋脚は四本は必要であり、更にはゼロスの元いた世界の技術を踏まえ、橋脚の側面に縦の凹凸を付ける事で決まった。
これは流れの速い河の水流を橋脚の凹凸で攪拌し、水流を少しでも緩やかに調節しようと云う物である。
同時に橋脚に掛かる負担も分散されるので、橋の寿命も長くなる。
おまけに下流の水害も軽減させる狙いがある。
土台を橋脚に架けるはドワーフ達の魔法でも可能だが、今回橋脚を作るのはおっさんであった。
責任重大である。
「対岸にも、似た形式の水流を攪拌させる土台が必要だな。固定しちまえば大分楽になるかも知れねぇ」
「それは俺達で出来るのか? 橋脚を作った後で調査した方が良いかもしれん」
「だな、流れを利用して水流を調節たぁおそれいったぜ。さすが魔導士、頭が良いな」
「その魔導士様はどこだよ。姿が見えねぇぞ?」
「どの魔法が確実なのか選んで使うとよ。最悪魔法を連続して使うらしいから、慎重に慎重を重ねるんだとさ」
ドワーフ達が仮の宿舎で酒を飲みながら話をしている頃、ゼロスはナグリを交えて作業を開始していた。
「水深はどれ位なのですか?」
「だいたい、そうだな……5ギール(メートル)くらいじゃねぇか?」
「深い場所では? 6か7ギールだと思うぜ。岩盤まではどうだか分からんが」
「作業工程はだいたい把握しているのですが、なにぶん初めてですからね。慎重に行かないと崩落しますし、出来るだけ一回で成功させなくちゃいけません。かなりハードな作業になります」
「時間が掛かるのはしょうがねぇ。元から無茶な仕事なんだ、期日が多少過ぎても構わんさ」
構築する魔法は既に決まっている。
橋脚を作るには、まず橋脚を作る場所の周囲を鉄板で囲い、次に岩盤い鉄の杭を打ち込み支柱にする。
そこから水を抜き数本の支柱を鉄骨で固定し、橋脚の形を作る型枠を作った後にセメントを流し込む。
今回は支柱もセメントも、枠型も無いため、全ての工程を魔法で一括して行わねばならない。
楕円型の魔法障壁で水流を遮り、同時に岩盤や周囲の土砂を利用して橋脚を構築し、下から順に『ロック・フォーミング』で固定する。
どれほどの魔力を消費し、どれだけの速さで橋脚を構築できるかは未知数であった。
(【白銀の神壁】の二重展開と『ガイア・コントロール』の同時併用、更に『ロック・フォーミング』……)
「三つの魔法の同時展開……洒落に為りませんよ。出来ない訳では無いですけど、難物ですね」
「それほどか? 魔法の事は俺には分からん」
「型枠と橋脚を形作る型枠の障壁魔法ですが、水流の圧力でどれだけ負担が掛かるか、分からないのが痛いですね。水圧が掛かれば魔力も消費されますから」
障壁魔法は物理攻撃の威力が大きい程に魔力が消費され、枯渇するのも早くなる。
大抵の場合は弓や敵の魔法攻撃によるもので、その攻撃による衝撃は一瞬である。
だが相手が激流ともなるとそうも行かない。例え魔力の消費が少なくとも、術者は絶えず魔力が失われて行く状態である。
自然界から魔力を集めたとしても、それを維持し続けるのにも魔力を使い、同時に他の工程も制御せねばならないのだ。
「橋脚は出来るだけ頑丈にしますが、かなり大雑把な物になりますよ?」
「それは職人としては許せねぇが、何でだ?」
「魔法を使う僕自身に余裕が無いからですよ。橋脚を構築する石や土は、流れて来る土砂を利用すれば良いですけど、それを一つの形に止めて頑丈にするとなると……」
「手が追い付かねぇ訳か……魔法も便利って訳じゃねぇんだな」
「作業を補佐する大型の道具でもあれば便利なのですけどね。そんな物は存在しませんし、誰か作ってくれませんかねぇ~」
ぼやきたくもなる厄介な仕事であった。
自宅のPCでもあれば作業は楽なのだが、今回は既存の魔法文字で魔法式を作らねばならない。
必要な魔法の魔法式は自身が保有しているから良いが、元から完成している魔法を繋げ再構築するとなると、どのような弊害が出るか分からない。
攻撃魔法も複数の工程を魔法文字で構築してあるが、今回はその魔法式の量が膨大過ぎて、自身が制御しきれるかが不安であった。
(徹夜で試作して実験、更に修正を入れたとして三回が限度ですね。上流に攪拌柱を作れば少しは負担が軽減するかも……こんな修羅場、いつ以来だろ?)
「頼むぜ? アンタが頼りなんだからよぉ」
「プレッシャーを掛けないでくださいよ。これでも気が小さいんですから」
「どこがだよ!」
傍目には太々しく生きてるように思われていた。
だが、彼の内心には常に不安に苛まれている。
異世界で生きるのには、結構精神に負担が掛かるのである。
ブツブツと文句を言いながらも、おっさんは魔法式の製作に専念するのであった。




