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 おっさんのいない日常 その3

 クロイサス・ヴァン・ソリステア。

 ソリステア公爵家の次男であり、魔法学院で主席で一部からは天才魔導士と呼ばれている。

 冷静沈着で魔法研究にしか興味の無い彼は、実家の御家騒動を知りつつも素知らぬ顔をして研究に明け暮れていた。

 所詮は周りが騒いでいるだけであり、彼にとっては実家の家督を継ぐ気など全く興味ない。


 彼の興味は魔法であり、知識を求める研究者であった。

 叡智を求め続け、その果てに破滅するなら本望だとすら思っている。

 そんな彼は現在、数多くの書物に埋もれていた。


「……上手く行きませんね。いったい何が足りない」


 彼が研究しているのは魔法式。

 無論魔法薬などの研究にも携わってはいるが、専門分野はこちらである。

 知識を求める事こそが彼の生甲斐であり、それと同時に趣味でもあった。


 早い話がオタク気質なのだ。


 そんな彼は母親譲りの銀髪で、見た目には整った顔立ちの青年である。

 メガネは似合うがやや冷徹な印象も受ける彼は、これでも周りの者達の面倒見も良く信頼も得ており、多くのファンから熱い視線を受けていた。


 つまりは無自覚リア充なのである。


 しかし、それはあくまで他人の視点からの評価で、本人が聞けば完全否定することだろう。


 どうせ家督は兄が継ぐのだと理解しているので、今日も好き勝手に魔法研究に意欲を燃やし、家督争いをしている者達には不憫な話だが、彼は権力などにさほど魅力も感じていない。

 ある意味では何処かのおっさん魔導士と同じなのだが、彼の場合は魔法研究以外は全てどうでも良く、他人の面倒を見るのも作業の効率化を円滑にする為の物だった。

 全ては合理性と効率化を求めているだけで、更には今が楽しければそれで良いとすら感じている。


 彼の行動は全て自分のためである。


 家族に対しての評価も冷めており、父親であるデルサシスは有能だが女癖が悪い、母親は親馬鹿体質で帰ればしつこい。兄はがさつでここ数年で愚かになって来ており、その母親は自分の母親の友人としか認識していなかった。

 祖父は尊敬すべきところだが、無能の妹を可愛がっているので減点対象。


 彼も魔導士の家系で生まれたので、魔法の使えないセレスティーナには何の興味も示さなかった。

 傍にいても空気的な扱いで無視を続けていたのである。

 それは今でも変わらない。


 だが、この評価の一部を訂正せねばならない事態になっているなど、今の彼には分からなかった。

 何故なら彼は二か月間自室に閉じこもり続け、その内三週間ほどは学院から与えられた研究室で過ごしていたのである。噂話などにも最初から興味は無い。

 

 彼は重度のひきこもりでもあった。


 そんな彼が今行っている研究が、魔法式の解読である。

 クロイサスは学院が教えている魔法文字や魔法式の解釈に疑問を持ち、独自の解釈で切り込んだのである。

 それが……


「魔法文字は一つ一つに意味があるのではなく、繋げる事で意味を為す筈です。もしこの仮説が正しければ、今までの研究で明らかにならなかった全ての要因が判明する……」


 魔法式が言葉かそれに類似する命令を現した物と考えたのだ。


 今までは文字一つ一つに意味があり、その羅列に魔力を円滑に流す事で魔力が現象に変化すると言うのが定説であった。しかし、それでは魔法式を起動した時に全く稼働しない魔法式が在るのはおかしい。

 何故なら、仮に魔法式が円滑に行うための物であれば、例え連立している魔法文字が間違いであったとしても何らかの反応が出る筈だと考えた。


 一般的な知識では、魔法文字の中に属性を決める文字が存在していると言われてるが、作動しないという事は魔力自体が流れていない事を意味する。これはおかしな話だ。


 彼は講義内容を信じ、作動しなかった魔法式と、正常に起動した魔法式を見比べても然程変わりは無く、ただ一点だけ魔法式の異なる部分があるだけであった。。

 彼は苦労して両方の魔法式、並びに他の属性魔法の魔法式から共通の魔法文字の羅列をピックアップし、残された不明瞭な魔法式を調べ上げた。

 結果、この魔法式は何代も前に改変された事が判明した。


 これにより、旧時代の完成された魔法を魔導士達が破壊したのではと推論する。

 同時に、魔法文字で物理法則現象を【言葉】として表すのではないかと言う考えに至った。


 例えばだが風属性、この魔法属性に共通する羅列は、魔法自体に属性変化を決める魔法式と考え、それ以外の全てに共通する魔法文字は制御や威力面の調整を現す物であると一論づける事が出来る。

 彼はその作業を一人でこなし、調べ上げ、全てを記録して論文に纏め上げたのだ。


 だが、それではまだ周囲を納得させる事は出来ず、確固たる証拠にはなり得ない。


 サンジェルマン派に属する魔導士達は評価するだろうが、他の派閥は批判どころか何かにかこつけて、研究成果を抹消させようと動くだろう。

 他人の足を引っ張り合う今の現状で、この論文をまだ世に出す訳には行かなかった。


 彼は一息つこうと立ち上がると、長い事椅子に噛り付いていた所為か痛みに顔を顰める。


「っつ……そう言えば、どれだけここに座っていたのか覚えていませんね」

「昨日も同じ事を言いましたよぉ~? どれだけ没頭していたの、クロイサス君」


 彼が声のした方向に目を向けると、そこには犬耳の女性がソファ―の上で毛布を掛けたまま休んでいた。


「イー・リンですか。いつの間に部屋に侵入したんです? 全く気付きませんでしたが」

「ひどぉ~い、私は一応声を掛けたんだよ? 全然気づかなかったんだぁ~」


 甘栗色の髪に寝癖を付けた、どこか人懐っこい笑みを浮かべる彼女は、クロイサスの同期であり同じ派閥に属する研究者でもある。

 人間と獣人族の混血の為か、彼女は生まれながらにして高い魔力を持ち合わせ、学院では上位の成績を持つ実力者でもあった。

 獣人族は、本来であるならば魔法が苦手な種族なのだが、彼女は逆に魔法の運用が得意なのである。


「年頃の女性が、男の部屋に一人で侵入するのは感心しませんよ?」

「大丈夫、クロイサス君は信用してるから」

「それは光栄ですね」

「その……初めてのときは、きちんと避妊してくれるって…」

「何の信用をしているんですか……」


 疲れたように溜息を吐くクロイサス。


 彼はリア充だった。

 それ以上に朴念仁だった。


 しばらくの間、講義の内容などを話していた二人だが……


「そう言えばクロイサス君、セレスティーナって名前の妹がいなかった?」


 何故か腹違いの妹の話題が上がる。

 正直、彼にはどうでも良い話である。この時までは…。


「いますが、それが何か?」

「確か魔法が使えないって話だったよねぇ~。あれ、本当なの?」

「えぇ、幼い頃から適性が無いと言われてましたが、それがどうしたんですか?」

「その子……今では中等学課の成績上位者よ? 魔法が使えないって話が嘘みたいに強力な魔導士になってるて」


 彼が何気に手にしていた本が、音を立てて床に落ちる。


「……何かの間違いでは? 彼女にそんな真似ができるとは思えませんが…」

「聞いた話だとぉ~、大深緑地帯へ修業しに行ったらしいよ? クロイサス君のお兄さんと一緒に」

「まさか、それこそあり得ませんよ。兄は彼女の事を毛嫌いしてましたから」

「でもぉ~、最近は良く【書庫】で二人で調べものしていたみたいだよぉ? 何か難しい話をしていたらしいんだけど、誰も意味が分からないみたいで」


 少なくとも彼の兄ツヴェイトは、セレスティーナと仲良く行動するような人間では無かった。

 むしろ幼い頃から率先して虐めていた記憶がある。


 クロイサスの記憶と、彼女の話した兄妹の内容が食い違いを見せている。


「何か、心境の変化でもありましたか? ですが、その程度で仲が良くなるとは思えませんね」

「それでぇ~、気になって私も調べたんだけど、本当だったみたい。午後から【書庫】の閉館時間まで何か調べものをしていたみたいだよ? 二人で…」

「……気になりますね。私には正直どうでも良い二人なのですが、それが揃って行動すると言うのが腑に落ちません。不自然です」

「二人でコソコソ……もしかして、イケない関係?!」

「何故、そっちの方に話を持っていくのですか? 実家で何かがあったと見るべきでしょう」 


 冷静にツッコむクロイサスに対し、イー・リンは『クロイサス君て、つまらないねぇ~』などと言う。

 彼は若干だが傷ついた。


「それとぉ~、書庫の係員さんが、持ち出した本を早く返して欲しいと言ってたよぉ?」

「・・・・・・・そう言えば、長く借りっぱなしでしたね。返しに行きますか……」

「何で、そんなに疲れた顔をしているの?」

「借りた本と言うのが……そこに在る山積みの物、全てだからですよ……」

「台車……必要だね」


 目の前には床から積み上げられた大量の書籍が、天井まで積み重なっていた。

 いつ崩れてもおかしくないような状況である。


「時折ここを宿代わりにしているのですから、手伝ってくれますよね?」

「えぇ~……この量だよ? 書庫から一体、何回往復するのぉ~?」

「さぁ? 少なくとも台車で十回くらいでしょうか?」

「あ……私、用事を思い出したから…」


 逃げようとするイー・リンの腕をクロイサスはガッチリと掴む。


「手伝って……くれますよね?」

「いや、そんな間近で見つめられたら……照れちゃう」

「顔が引き攣っていますよ? ところで、返答は?」


 ドアップで凄味の在る気配を放ちながら、笑顔で迫るクロイサス。

 たじろぎながら後ろへ下がろうとするイー・リンだったが、腕を掴まれて逃げられない。


「いやぁ~~~っ、十回じゃ済まないよぉ~~っ!! 私、壊れちゃうぅ~~~っ!!」

「大丈夫ですよ、君は私より体力がありますから」

「無理無理無理無理無理無理、むぅ~~~りぃ~~~~だからぁ~~~~っ!!」


 余程嫌なのか、彼女は強引に腕を振り解こうと暴れ出す。

 一方で、クロイサスも貴重な労働力を失う訳には行かない。

 互いが譲れずにもみ合う結果、二人はソファーの上にもつれたまま倒れた。


「「・・・・・・・・・・・・・・・・」」


 結果、二人はまるでこれから情事に及ぶかのような体勢で、お互いに見つめ合う形となる。

 何故か無言のまま時間が過ぎた。

 それが一分なのか、一秒なのかは分からないが、二人の間に気まずい沈黙が流れる。


「あ、あぁ…あんたら、何してんの?」

「お~~い、クロイサス。 頼みたい事…が……ある…おぉおおおおおおおおおおおっ?!」

「セリナ?!」「マカロフ!?」


 そして現場が目撃された。


「クロイサス君……薄々は分かっていたけど、それは無いわ……」

「お、お前等、いつの間にそんな関係に……」

「「勘違いです!!」」

「そ、それに、いぃ…意外にタフなのね? 十回もだなんて……幾ら獣人の血が流れているとは言え、その…イー・リンも流石に壊れるかも……」

「何ぃ!? クロイサス! てめぇ、『女に興味はありません』と言う顔しておきながら、ヤル事はしっかりヤッてんじゃねぇか!!」


 大いに勘違いされた。


 セリナは頬を染めながらしどろもどろに勘違いを加速させ、マカロフは親指を人差し指と中指の間に挟んだ形で握りしめた拳を突き出し、血の涙を流していた。


「勘違いですよ。本を書庫まで運ぶ手伝いを頼もうとして……」

「勢いあまって押し倒しやがったのか!! 思わず『ムラッ』と来てよぉ~……畜生!!」

「ち、違うからねぇ!? 本当にただの事故……」

「えぇ…事故でしょうね。若さゆえの事故……避妊は大丈夫なの?」

「「……人の話を聞いてない」」


 盛大な勘違いをした二人を必死に宥めるの時間を要し、そこから更に混迷を深めて暴走が始まり、結局二人が納得するのに三時間ほど費やす事になった。

 その頃になるとクロイサスもイー・リンも、疲労がピークに達するほど精神的に疲れ果てたのである。


 二人は一応の納得はしたものの……


『えぇ、分かっているわ。そう言う事にしておいて欲しいのね? 大丈夫、私はこれでも大人の女だから……』

『今日はこの辺で勘弁してやらぁ! おい、クロイサス。後で話を聞かせろよ? どんな感じだったか詳細にな!』


 ……と言いの残して去って行った。


 誤解はまだ続いている。


 翌朝には二人が恋人同士になったという噂が広がり、サンジェルマン派内部では公認の仲として認められるのであった。


 イストール魔法学院では学院生同士の婚姻が認められ、夫婦で学業に勤しむ者も少なくは無い。

 そんな中で誤解を解こうとする二人だが、ただの照れ隠しと思われ、一部のからの嫉妬により失敗するのであった。


 この二人がどうなるかは分からないが、少なくともイー・リンは満更でもない様子である。

 クロイサスは自室にひきこもり、数日間姿を見せる事は無かったと言う。


 何にしても、書庫から借り出した本の返却は暫く遅れる事になる。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  



 数日後、クロイサスは書庫――正確には学院内に設けられた大図書館なのだが、その膨大な量から便宜上『書庫』と呼ばれる施設に来ていた。

 理由は勿論、借りたまま滞納していた本の返却である。


 彼は数日間、本の返却で自分の研究棟とこの大図書館を往復する事を思うと溜息しか出なかった。

 元々彼はインドア派であり、率先して外で遊ぶような事は無い。

 自分の時間を満喫するのも、常に自室で紅茶を飲みながら本を読む事が日課であった。

 その為か、近い内に行われる学院上位者による実戦訓練を前にし、『面倒な季節が来た』と愚痴を溢していた。


 彼は自分の研究以外の事に手を煩わされるのは好まず、この恒例行事をボイコットしようかと本気で考えている。


 長身で体力もありそうな見た目をしているのに、彼はスポーツ関連はまるで駄目の運動音痴なのだ。

 本の返却すら渋る彼の出無精ぶりは筋金入りで、そんなクロイサスが実戦訓練と言う名の魔物狩りに出るなど、正直なところ考えたくは無い事態なのである。

 だが、学院生の義務となると、主席ゆえに参加せねばならない立場であった。


 一部の噂で彼は、頭脳明晰、成績優秀、超絶美形、スポーツ万能、家柄も踏まえて非の打ちどころの無い超人と思われている。 

 そんな彼は、ただのひきこもりであるなど世間ではあまり知られていない。

 見た目で損をしている可哀そうな立場なのである。


 ただし、大抵の男子学院生からは嫉妬交じりの目を向けられてはいるが……。


 何にしても、彼は恒例行事には参加せねばならない立場なため、その事を思うと気分が滅入って来るのである。


 台車を転がす彼の足取りは重かった。

 現実にも台車が重かった事は言うまでもない。


 大図書館の入り口を潜ると、目の前に広がるのは閲覧席であり、講義時間なので誰も学院生の姿は見えない。

 いや、学院生はいるのだが、彼にとっては会いたくない人物である。

 腹違いの兄であるツヴェイトの姿がそこに在ったのだ。


 ツヴェイトは本を山積みにして何かを調べている様で、時折紙にペン先を走らせ記録しては再び本に目を向けている。

 クロイサスの記憶では『魔法は威力だぜぇ、うはははははは!!』と言うような人物で、本を広げ調べものをする、とても知識を求める様な勤勉な人物では無かった。

 だが、そこがそもそもの間違いで、ツヴェイトは努力する所をあまり人に見られたくない性格なだけで、実はかなり真面目な性格なのである。

 クロイサスがその事を今まで知らなかった理由は、単に彼が部屋にこもりがちなだけで、彼が努力している姿を見る機会が無かったからだ。


 それ程クロイサスは周囲に関して無関心であったとも言える。


 とは言え、ここで見た以上は挨拶くらいはせねばならないと思うと、陰鬱そうな顔を浮かべ溜息を吐いた。


「珍しいですね。兄さんがこの様な所にいるなんて……。てっきり、派閥恒例の【机上の空論会】に出ていると思いましたが?」

「あぁ? 何だ、クロイサスかよ。そっちは暫くは休みだな、俺が奴等の考案した戦術論を全て否定してから、内部で揉める様になってな。俺は出入り禁止にされた」


 一瞬、クロイサスは『おやっ?』と思った。

 彼の記憶では、兄がここまで気安い人物とは思っていなかったからだ。


「たく、誰だよ! 『古代魔法術式全集』や『ローセナ・セレストの魔法理論』を長々と借りてる奴は、ここの本に書いて在る魔法式は全部改変された奴ばかりじゃねぇか……」

「……あぁ、それを借りたのは私ですね。部屋に山積みになって埋もれている筈です」

「チッ、お前かよ……納得した。……通りで見当たらねぇはずだ」


 ツヴェイトは話しながらも本から目を離さない。

 クロイサスは戸惑いを覚える。

 彼の知る限りでは、このような魔法研究をする人物では無いからだ。


「急にどうしたんです? 今から魔法研究に傾倒する積もりですか?」

「ちょっと宿題を出されてな。秘宝魔法を使い易く改良しなけりゃならないだけだ……」

「宿題、ですか? まさか御爺様や父上からでしょうか?」

「いや、師匠だな。セレスティーナも手ほどきを受けてな……今じゃ、『才女』だとよ」

「!?」


 学院生が《師》を持つ。

 それは魔導士として誰もが憧れるものであり、優秀な魔導士の指導を受けて大成した者は多い。

 例えばクレストンやこの国で名だたる魔導士に師事し、実力を認められれば国の重要なポストに就ける可能性が高くなる。

 だが、その為にも才能や学院の成績が基準となり、上位の成績を修めた者が弟子として認められる。


 ツヴェイトやセレスティーナが、《師》を持った事が信じられなかった。


「いったい、誰の指導を受けたのです。ネーガス子爵ですか? それともアトマイヤー侯爵ですか?」

「・・・・・・クロイサス、ここから先はソリステア公爵家の秘事だ。決して他言無用……出来るか?」

「それほどの人物という事ですか。あの【無能】が魔法を使えるようになったくらいですからね」

「その件に関してもしても極秘だ。陛下にすら教える訳には行かん問題でなぁ、口外できねぇんだよ」


 ツヴェイトはいつに無く真剣であった。

 これが以前までに調子に乗っていた人物とは思えない、責務を背負った者の表情であった。

 クロイサスも気を引き締め覚悟を決める。


「聞きましょう。私もソリステア公爵家の一人ですからね、我が一族に係る事ならば聞く義務があります」

「……わかった」


 ツヴェイトは周囲を見渡し、他に人がいない事を確かめる。

 更に念入りに魔法を行使し、誰かが盗聴している可能性も考慮するなどの念御入用であった。


「結論から言えば、俺達が師事したのは無名の魔導士だ」

「ハァ?!」


 あり得ない答えが兄の口から飛び出す。


「夏季休暇で帰宅中、御爺様とセレスティーナが賊に襲われてな。その窮地を救ったのがその魔導士だ。恩人ゆえにあの人の事は口外できなくてな、ついでに実力が常軌を逸している」

「……待ってください。ただの無名の魔導士に、そこまでの秘匿義務が発生する事自体がおかしいですよ。いったい何者なのですか!」

「問題は、その魔導士の職業が【大賢者】なんだよ」

「なっ!」


 この世界に置いて、職業とは技術を得てその人物に最も適した物が選ばれ、ステータスに表記される。

 これは世界が認めた称号でもあり、大半の人々はその職業を全うする傾向が強い事から、人生においての天職とでも言い換えても良い。

 その中で、【大賢者】や【賢者】【聖人】【聖女】【勇者】という職業は、伝説の部類に属するのだ。

 仮にその職業を持つ者が現れれば、国は挙って押掛け配下に加えようとするだろう。


「恩人の願いでな、静かに暮らしたいんだとよ。間違っても国に知られれば、下手したらこの国は亡びるぞ」

「……それは、本当の事なのですか? 俄には信じられませんが……」

「マジだ。この学院の教本に書かれた魔導式を全て書き換えたんだぞ? お前にそんな真似ができるのか? 俺だって不可能だったのによ」

「なるほど……セレスティーナが魔法を使えた理由がそれですか」


 大賢者が改変した魔法。

 ならばそれを使い、無能な妹が魔法を使えるようになったとしてもおかしくは無い。

 彼は一応の結論を見た。

 

「あ~……言いたくないんだがな。俺達が使っていた魔法は全て間違った形で改変されていたらしいぞ? セレスティーナが使えなかった理由は、魔法式そのものに問題と言うか、欠陥があっただけらしい。

個人差はあれど魔法は誰でも使えるらしいからな、俺達はあいつにヒデェ真似をしていた事になる」

「……やはりそうでしたか、今の魔法式は太古の物よりも劣っている訳ですね。既に完成されていた物を破壊してしまったという事になります。異端の魔導士サハークルの『失われし魔法と破壊者達』に書かれた論説は、全てが事実である証明となりましたね。それと、酷い事をしていたのは兄さんだけですよ? 私は興味が無かっただけです」

「……相手にしていない分、そっちの方が酷くねぇか?」


 クロイサスもセレスティーナも知識の面で言えば優秀で、独学で同じ答えに行きついていた。

 

「まぁ、サハークルの論説には、セレスティーナも行きついていたぞ? 魔法は使えなくても、魔法式を書き換える事は出来たみたいだからな」

「ふむ、彼女の評価を改めねばなりません。我が妹殿は優秀でしたか」

「あぁ……しかも、今のお前よりも強いぞ? 実戦を積んで来たからな」

「大賢者殿は余程優秀なようですね。魔法が使えない彼女を短期間の内に成長させるなんて…」

「いや、アレは実戦主義なだけだな。お前と似ている様で、性質は真逆だ。理論を実戦で試してきた化け物だしよ」

「……それは怖い」


 自分と対極に位置する人間は全ては肉体派だ。

 インドアを好む者を無理矢理アウトドアに誘うような連中は、正直に言うと彼は苦手意識を感じている。

 実戦派ともなれば戦場を求め、そこで魔法実験を繰り返してきた事が容易に頭に浮ぶ。


「ところで、件の魔導士からどんな宿題を受けたのですか? 正直、興味がありますね」

「さっきも言ったが、秘宝魔法の効率化だ。この魔法の術式を調べ直したら、どうも個人に対しての負担がデカい上に魔力を馬鹿食いしやがる。そのくせ威力が安定していねぇし、それが嫌がらせの様に絶妙な魔法式で構築されてやがる。

 この魔法を作った奴は別の意味で天才だぞ。少しでも効率化を図ろうとすると、発動すらしねぇ」

「想像以上の難物……て、魔法式が読めるのですか!?」

「あぁ……この二か月間、みっちり叩き込まれたからな。予習もしているし、言語解読の為に辞書も漁っている」


 この時、クロイサスは実家に帰らなかった事を死ぬほど後悔した。

 同時に彼は、ツヴェイトの言葉に気になる言葉があった事に気付く。


「今、【言語解読】と言いましたか? では、やはり魔法式の文字は言葉の連なりだったんですね!」

「そうだ。これは物理法則を魔法文字で表記し、魔方陣と言う回路を形成して発動する。『やはり』て言ったよな? お前は独学で其処にたどり着いていたのかよ!」

「前から、学院で教えている理論に違和感があったのは確かですね。本格的に調べ始めたのは二ヶ月ほど前でしょうか? なるほど、私の仮説は正しかったわけですか。……ヒントは得られましたからね、これで研究が進められる」


 研究が一歩進んだ事に、クロイサスは喜びを隠せない。

 それどころか自分が論文に纏めた仮説が正しかった事が証明され、俄然やる気が湧いて来る。

 対してツヴェイトは複雑な感情を感じていた。


「クロイサス…正直、俺はお前の事を過小評価していたようだ」

「何です? 突然に改まって……気味が悪いのですが?」

「俺やセレスティーナは、師匠の指導があったからこそ魔法式が読める。だが、お前は独学で辿り着いた。この差はデカい」


 この二ヶ月で、ツヴェイトは大きく成長をしたようである。

 素直に非を認める事が出来るような余裕がついていた。


「ただの趣味ですよ。楽しいからやっているだけに過ぎません」

「だが気を付けろ、お前は師匠と同類の人間だ。行きつく先でヤバい物を作りかねない程のな」

「危険な物…そんな物がありましたか?」

「広範囲殲滅魔法……。師匠はそれを使える」


 静かな図書館に冷たい風が流れる。

 

「広範囲殲滅魔法。アレは人が使える魔法ではありませんよ? 個人の魔力では発動など不可能ですし、何よりも莫大な魔力はどこから調達するんですか。あり得ない!」

「ルーギウスの『世界の摂理と神秘学』……そこに答はある」

「!? まさか、自然界の魔力を利用……なるほど、取るに足りない本だと思っていましたが、まさかそこに真理が在るとは……私もまだまだですね」

「いや、充分に優秀だ。お前は誰よりも魔導士らしい……解読方法、知りたいか?」

「いえ、ここまで来れば最後まで独学で行きますよ。答えは既に出ており、解読が可能と判明しましたのでね」


 クロイサスの頭の中では、魔法式の解読方法にある程度の当たりがついていた。

 後は研究室に戻り調べ上げ実証し、魔法式を構築して実践してみるだけである。

 だてに天才と呼ばれている訳では無い。


「おっと、忘れていた。師匠から、お前にだ」


 ツヴェイトが彼に何かを投げ渡す。

 咄嗟に手で受け取った物は白銀の指輪であった。

 よく見ると、表面には複雑な魔法式が模様として刻まれている。

 

 あまりの精緻さにクロイサスは息を吞んだ。


「こ、この指輪は一体……」

「魔法媒体…杖の変わりだ。使い心地を試してみて欲しいとさ。レポートとして纏めてくれると助かるとも言ってたぞ?」

「金属の魔法媒体。ミスリル製ですね……実に興味深い」

「レポートは御爺様宛で送っておけ、そうすれば師匠に届く」

「分かりました。近い内に纏めてお送りしておきますよ」

「後、さっさと本を返せよ。必要としている奴もいんだからよ!」

「・・・・・・・・・・・」


 山の様に持ち出した書籍を簡単に運べるとは思っていない。

 ただ、全てを返すのに後どれだけ時間が掛かるか分からなかった。

 台車に乗せて運んでも疲れ果てているのに、これを何度も繰り返し往復すると考えると気が滅入って来る。


「兄さん、手伝ってくれませんかね?」

「断る。お前のいい加減さが招いた事だろ、自分で運べ」


 期待はしていなかったが、やはり断られた。

 クロイサスはしばらくの間、やりたくも無い重労働を繰り返す事になる。


「そう言えばよ、お前……女と同棲してるんだって?」

「していません。彼女がいつの間にか研究室で寝ているだけです」

「噂で持ち切りだぞ? 二人で裸で抱き合ってたとか……羨ましいじゃねぇか、畜生…」

「血の涙を流すほど羨ましいのですか? ただの誤解なのに……」


 兄が失恋で傷ついているなど、クロイサスが知る訳もない。

 彼は血の涙を見る。


「どいつもこいつも春満開で……アベック共に闇討ちでもしてやろうか!!」


 嫉妬に狂う兄の姿は、実に無様で浅ましかった。


「誰が噂を流しているんです? 良ければ教えて欲しいのですが」

「あぁん? 中等学部の時に同期だった……。確か、お前のところの派閥にいる……ま、マカロンだったか?」

「マカロフですね。そうですか……彼が…ククク。どうしてくれましょうかねぇ~」

「お前、やっぱり師匠と同類だよ……」


 暗い笑みを浮かべながら台車を押しつつ、本棚の列へ消えて行くクロイサス。

 ツヴェイトは彼の背中を見送ると、再び本の目を向け…


「……あいつも変わったな」


 そう呟いた。


 以前のクロイサスは人に何の関心も見せず、表面では笑顔で対応しながらも、その目には誰も映ってなどいなかった。

 実の兄であるツヴェイトすら只の置物程度に感じていたほどの無関心ぶりであり、他人の名前など覚えようともせず日長一日本を読んでいる。そんな人間だったのである。

 言動も些か嫌みのように聞こえ、何よりも自分を見ようとすらしない弟が気に入らなかったのだ。


 だが、今のクロイサスにその冷たさは無い。

 話をしている時も、クロイサスはツヴェイトから目を離す事は無かった。

 残念な事に、本人がその事を全く自覚してはいないのだが、自分自身の変化は解り辛いものであるろう。


「やっぱり、女か? 女なのか? 女が男を変えるのか? 畜生……俺に春は来ないのかよ!」


 現在真冬のツヴェイト君は、恋人を絶賛募集中。

 なまじルーセリスが好みのタイプであっただけに、彼の心の傷は想像以上に深い。


「ブレマイト……いずれ覚えていろよ。この恨み、必ず晴らしてくれる」


 失恋の怒りは、洗脳魔法を使った張本人に向けられるのであった。

 まぁ、洗脳魔法が無ければ上手く行っていた可能性は高い。

 殆ど八つ当たりだが、ある意味においては正しい行動なのかもしれない。


 彼に怒りの矛先は、サムトロールの部下的立場であるブレマイトに向けられるのであった。


 そして、ツヴェイトに春が来るかどうかは定かでは無い。


 

 

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